男みたいな恥知らずじゃないよ
痴漢被害者への二次加害とか差別的言動とかパワハラセクハラカスハラとかネットの暴言とか公務員の業務妨害とかくだらない暴動とか女尊男卑説(笑)とか
ただ子どもはいらねというか子どもを持つことでつきまとうイベント・責任はゴメンだし
嫁との関係悪化して離婚したらほぼほぼ親権とれんしってなるから子どももセットでってなってると
じゃあ結婚も無理ですねって感じ
まだ図書館開いてるのにシレッと返却口に入れて、注意されないまま逃げようとするその精神。人として幻滅する。
延滞したら必ず受付まで持って行き直接渡す。司書の人にはイヤな顔の一つもされるがしょうがない、自分のやったことなんだから。自分のやったことに対する責任(と言うのも大げさだけど)くらい取れるようになっとくべきでは?
当人は上手くやりおおせたぐらいに思ってるのだろう。用意されたシステムを合理的に用いて、自らの要求を満たし、誰にも迷惑をかけていない。どこに咎められる余地があるのか?
システムが許せば全ては許されると思ったが最後、人は堕ちるところまで堕ちる。そこにあるのはあくまで選択肢に過ぎない。それらから何を掴むか、それに色濃く人間性が表れる。正解はない。しかし不正解はある(と思う)。
「人としての規範」みたいなものがあまり語られなくなったのは残念だ。誰もが「利己」と「手段」しか謳っていない気がする。だからそんなことをするのに疑問も持たなくなるのではないか?人が人を見るとき、AIでも動物でもなく「人」を見るとき、やはりその精神性は外せない問題になってくると思う。
赤い花と言えばアマリリスじゃないの
https://www.fp-k.org/hanazukan/3471/
日本への渡来は江戸時代の天保年間に原種が入り、交配種は昭和初期より品種名のない丸弁系や剣弁系として輸入され、日本でも改良が行われました。
https://ameblo.jp/1898/entry-12331777330.html
これが本当に江戸時代に入った原種かどうかはまでは知らないアマリリスって属名みたいだから違うかもしれん適当にググっただけ眠い
anond:20240506174540 に追記しようとしたら長すぎたので記事を改める。
私の短歌・俳句論について、異論は認めるのだが、この一句は反例とは思えない。むしろ私の認識を強化することにしかなっていない。
この句は一見情念のこもった句に見えるが、この句における一茶はあくまでも風景の一要素としてやせ蛙と並列されている。つまりは蛙ごときに向かい合って必死になっている俳人の描写である。一茶の句におかしみがあるのは、滑稽な自分を冷静に客観視できるからこそで、情念を込めてやろうという精神からはかけ離れている。
それに対して、例えば同じ蛙を描写した以下の斎藤茂吉の歌はどうだろう。
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
この歌は一茶の句と比べると写実的で情念の無い描写に見える。しかし、用心深く読んでみると「かはづ」(蛙)の鳴き声が「天に聞ゆる」のは作者が添い寝をしていて地面に近いところにいて、天を眺めながら聞いているからそのように感じるのであり、実際に天から蛙の鳴き声が降ってきているわけではない。実はこの歌は非常に主観的で情念によって風景を巧妙に歪めていることが分かる。茂吉にとっては「かはづ」も、それどころか「死に近き母」すらも己の寂しさや怖れの大きな比喩でしかないのである。一茶のような引いた視点など待とうとする気もない。短歌が情念の産物と言うのは、こういうことを言う。
私の論に反論するのだったら、例えば短歌は情念とはいうが、奥村晃作のただごと歌、たとえば
などはどこに情念などあるのか?と言った指摘ぐらいは欲しいところだ。
ついでだから私が、これこそ短歌は情念だと思う歌を掲げておく。
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする 式子内親王
2000+500ぐらい
てか元増田の子供も幼稚園児じゃないって書いてあるから将来的にその味覚の幼稚なヤバい奴になる素質既に充分あるんだよなあ
何年生か知らんがせめて2年生までの低学年じゃないなら幼稚園児なんかが食う用の甘くてくどいカレーを未だに好んでてそれしか食わないってだいぶ味覚終わってる
鼻息フンスフンスさせながらすっ飛んできて本筋から大分それた弱男叩き自分語り始める異常者
そもそもミサンドリストは弱男という単語に「ミサンドリストのアタクシが人間とみなしていないオス」への憎しみのすべてを表章させてるのだから定義を連呼してるだけっていう
中学の時引きこもって別室登校してたらそこの先生に心療内科行けって強制された。
医師には思春期だから気にしなくていいって言われた。でも病院だから薬はもらった。
親はもう俺のことを諦めてる。同時に死ねくらいに思われてる。
毎日外に出ないと気分が楽だ。
ひとり親家庭だから学校出るまで医療費がタダだったんだけど、今はもう違う。3割負担だ。
心療内科の薬を辞めたい。
たまにどうしようもなくおかしくなって部屋で叫んだり泣いたりするけど、それ以外は別に普通だ。
今までは薬を飲んでるから学校に行けたのではと思っていたが、多分そうでも無いのだと思う。
薬を辞めたい。もう飲まない。
直近で読んだのはゴールデンカムイくらい。
これは期間限定無料だったから「この日までに読まないと!」ってのがあったからみんなとフィナーレを迎えられた。
いつか最終巻を買わなくちゃな…って義務みたいに思ったまま何年も経ってもう本屋で見つからない、みたいなのが続いてクセになったのか、電子書籍使い出しても治らない。
実際、お金もないしな。同じお金使うなら新しいマンガ読みたい。
単行本の発行部数ってどんどん下がっていくものみたいだから、オタクじゃない一般の読者なんて割とそんなもんなんだろうけど。
自分の手で作品を「終わらせる」のもなーんかイヤというか尻込みしてしまうんだよな。気合いが必要っていうか…キャラたちとお別れするのが寂しいのか?
だからなのか「ガラスの仮面はよ完結してくれ!!」みたいなのもイマイチ共感できないでいる。
もちろんベルセルクみたいに未完で作者が亡くなったら悲しいけど、それは作者が志半ばでさぞ無念だったろうなっていう種類の悲しさで、続きが読めない!!っていうのとはちょっと違う気がする。