価値観って例えば花が好きとか酒が好きとか、そういうのならまだ軽いんだけど
例えばアリとキリギリスのような、長期的視点か短期的視点かとか
より努力するか、より日々を楽しむかとか
人を大切にするか、大切にする方法とか
人生における戦略だとか、何を良いと思うか、ゴールがどこかとか
いろんなところで探すのもいいけど、今仕事してないorこれからやめようかな。という場合も同じかも。
そんなときは、一旦、ハローワークに行ってみるといい気がする。
というのも、ハローワークは結構求人があったり、またまた仕事が見つからない場合はどうするの?といった不安も解消できる可能性がある。
一定期間、仕事が見つからない場合でも、失業保険の制度があったり、制度をどうすれば受けれるの?という疑問も解消できる可能性がある。
といったところから、まずは足を運ぶといった意味でも土日などの休みのタイミングなどで行ってみるのがおすすめ。
あと、案外行ってみて「今の仕事のほうがいいな」と感じるきっかけを得られるかもしれない。
ぼっち・ざ・ろっくは多分最後の砦だということに大方同意できる。「日常系」の有望株がインターネット他媒体に取られすぎたのも要因としてあるが、やはり編集部が「何か新しいことを」という使命感に囚われ、自分たちのブランディングを誤った結果、今のような荒野が生まれてしまったのではないか。一迅社の例なんかもあるのに、色々と拙速だったような気がしてならない。最近話題になった優しい内臓みたいな、きらら同人作家が中心となって作る「後継世代」の作品が、今後の軸になってくるのだろうが、それはそれで面白い。
そんなに電話すきなん?
ネットの記憶喪失ネタ話で、ふと気がついたら知らないケータイ持ってて、短縮ダイヤルの名前が全部ひらがな一文字で登録されてたアレ思い出した、タイトル一文字こわい。
私はパンティーが大好きだ。
日替わり弁当が毎日パンティーの煮付けならいいのに…パンティー弁当がないのは近くの弁当屋の早く修正すべきバグである。
数あるパンティー料理の中で一番おいしいものがなにかわかるか。
それは「パンティーのあら煮」であるとパンティー論者(私)から結論が出されている。
まずあら煮とはなにか。
衣服というのは捌く課程で「食すのに向いてねぇなゴミが!」っていう部分がでてくる。
例えばフリルなんて食える衣服あるけど大体は「ゴミが!」と捨てられる部分である。可食部が少ないのだ。
大体、フリル・ジッパー・タグ(をすいた身)、衣服によっては腰周りなどゴムが多かったり、エグミがあったら、とにかく「刺し身ではまず食わねぇ」ってところはあらと呼ばれパンティーの場合はあら煮になる。
骨が大きく、小骨が少なく、味も良い。
おまえらが好きな「めでタイツ」のタイツもあら煮になることもあるがそんなものとは大違いの可食部の多さだ。
なぜあら煮がおいしいのか。
もちろんパンティーの切り身でつくる煮付けもおいしい。なぜならパンティーはおいしいからだ。
しかしあら煮とパンティーの切り身の煮付けの違いは骨が入っているということである。
だし(うまあじせいぶん)というのは鶏ガラだとかとんこつや煮干しを想像してもらえば分かる通り骨から出る。ガードルは別だ。あいつはすげーよ。あの時は死にかけていた俺も…いやこの話はまた今度だ。
つまり煮付けたタレにパンティーのうまテイスト成分がガッチリと凝縮される。
神様にゆるされるなら俺はあら煮でつくったタレでパンティーの切り身を煮付けたいね。
パンティー大根なんて料理あるだろ。あれも切り身だけで作るのとあらを入れたものでつくるので天と地ほどの…いやそれだとパンティーの切り身に実力がないみたいな話になっちゃうから天と高層ビル最上階ほどの違いがある。
しかしこんなあら煮なんて可食部が少なかったらされなかった料理なのだ。
神様はあら煮を皆に振る舞うためにパンティーの体構造を作ったんだね。
毎日祈ろう。
console.log("仕事に疲れた");
console.log("転職したいけど、次の仕事見つかるか不安だなぁ");
console.log("応募してみないと分からないのはそうだけど");
for (let chr of "みんな、しんどい時ってどうしてるのかなぁ?") {
console.log(chr);
}
逃げられないケースも有るんですね...