例示してるのもなんかイマイチなんだよな。
ブログを生業にしてなくてもブログを継続的に書いてたら充分ブロガーだし、VTuberの類似概念として挙げるなら絵を描く人はイラストレーターではなく絵師とすべきだし、歌う人も歌手ではなく歌い手とすべき。
それくらい広い概念の、悪く言えばバズワード的な認識がなされてるのがVTuberという概念だよ。
でもそういう広さはいいことだ。発生して広がっていこうとする段階ではそういう境界線のあやふやさが多様性を生み、爆発力になる。
「ただの生主を皮一枚かぶせただけでvチューバーになる」という認識が誤っている
vチューバーを配信の収益(投げ銭、広告、企業案件)とグッズ販売やイベントなどだけで生計を立てている人という定義にするが
(そうじゃないとブログを書いただけでブロガー、絵を描いただけでイラストレーター、小説あげただけで小説家、歌ってみたあげただけで歌手、ゲーム動画あげただけでプロゲーマー、料理動画あげただけで料理人になってしまう)
ほとんどの皮を被っただけの生主はv活動だけでは食べていけずに他に仕事をしている
vチューバーとして活動しているのが生主出身者が多いというだけで、一時期ニコ動出身のミュージシャンが多かったのと同じで、配信者としての才能がある人が以前は生主として活動していたがvチューバーに移っただけ
とりあえず企業認知度を高めて新卒を確保しやすくする効果はあるんじゃないの?
そうか。俺には分からんな。
ロジックに従って動けば誰でもできるようになるバズ向けの言動じゃ承認欲求が満たされるとも思わんが。
想像するに、それで満たされるタイプの人は、他人をロボットのように見つつも自分自身の内面も同様にロボットナイズされているのではないか?
2ちゃん語を操るようになると思考パターンも2ちゃんねらーになるようなもんで、同じ状況に陥っていないか?
自分が喋っているのではなく、自分の中の2ちゃんねらーという学習モデルが喋っているのと同じことだ。
そういう類の発信に何か意味があるのか?
俺はあるとは思えんな。
休めよw正月なんだしw