自爆テロを肯定する気はないのだが、仮に自爆テロが止められないとなったら、
せめて標的は「こいつ、ひどい目合わないかなー」と考えている相手になってほしいと思う。
承太郎の言葉を借りると、「自身のためだけに弱者を利用しふみつけるやつ」である。
ニュースで話題が出るたび、こいつはひどいと叩かれつつも、のうのうと生きている人間、
何人か心あたりがあるんじゃないか。
しかし、昨今のニュースを見てもターゲットは誰もが認める悪人、という感じではない。
考えるに、みんなが怒ってくれる、ということはそれだけで希望なのだ。
恨みを持つ相手が、何故かみんなに擁護される、おかしいのはお前だと自分が責められる。
そういう孤独感がないと、自爆テロなんて一線を超えたりはしない。
つまり、恨みを持たれその理由が一般的に理不尽であれば、自爆テロの原因となりうる。
三 森 す ず こ
マジレスするわ。
うちの嫁も同じくらいかも。めんどくさがり屋で、しかも、だらしない。
性格的なこともあるんだけど、体調不良がそうさせていた部分もあった。
ホルモン分泌が悪くなる病気。歌手のあやか?がなったホルモンが出過ぎちゃうバセドー病の反対。
どうなるかというと、電池が切れたみたいにぐったりしちゃう。最初は、よく眠くなるね、なんて言ってた。
よくよく調べてみたら、橋本病。
特に女性に多い。しかも、気がついたら酷くなっていることがよくあるんだと。
冤罪という一点だけで死刑に反対している人は冤罪がなくなれば合意するんじゃね。そうでない人は変わらず反対するんじゃね。
公共の福祉を理由に人権を制限可能、とはいえ限界はあるわけで、「命を奪う」という究極の人権侵害が可能かどうかは意見が分かれるんじゃね。
衝突のはずみで頻繁に炎上して乗員が苦しみもがいて焼け死んでいる
「燃えている車から『あついー!助けて!』という叫び声を何度か聞いた。怖くて見ていられなかった」とショックを隠せない様子で語った。
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ノルウェーの首都オスロはマイカー禁止政策を着々と推進中。そうすれば重大事故も渋滞も公害も減らせるため。
濁点を落とした書き方をする人ってなんなの?
英語の発音がどうとかは置いておいて、もう日本語として定着してるはずなのに純粋に疑問。
ドラッグ→ドラックと書いてる人も見かけたけど、こういうのって単なる打ち間違いではなく何回も繰り返しているので確信を持って使っているみたい。
昔アパレル関係の業界に少しだけいたときは、バッグをバックと書く人が異様に多かった。自分が知らないだけであれはもうそういう文化なの?
あとはビッグサイト→ビックサイトもイライラする。これはビックカメラが悪い。
ともかく、このような使い方をしている人の頭の中でどういう処理が行われているかを知りたいです。理由があるのかな。
※追記
たくさんのご意見どうもありがとう。とても興味深く読んでいます。帰ってきたらブクマいっぱいついててびっくりしちゃった。
のですが、
語尾の濁音が日本語にない発音で言いづらいから清音になってしまう(逆もしかり)っていうのはわかる。スゲーよくわかる。
でも自分が知りたいのはそういうことじゃなくて、文字として言葉として本気で「ベット」「バック」だと思って使ってるのかな?っていうことなんです。
アボカドとか、目にする機会の少ない固有名詞はどっちだっけ?となるし発音に引きずられてしまうのは仕方ない気がするんだけど、バッグなんて言葉は子供の頃から至るところで目にするのにどうしてバックになってしまうんだろう?
そう思い込んでたとか、バックと書いたことがあるとか、実際にそんな経験のある当事者の方はいないかなあ。いたら嬉しいな。
※追記記
しつこくて申し訳ないのですが、自分が知りたいのはあくまで書き言葉の話です。喋るときになぜ発音が変わってしまうのかということではありません。
bed→ベッド
bag→バッグ
という外来語として定着していることを前提にした話です。
「バッグ(鞄)」をバックと書く人は、
・「バック(後ろ、後ずさること)」という異なる言葉との区別はついているのか?もしくは知らないのか?
といったことを知りたいのです。
クチャラーを異常に嫌ってる奴とか、おまえのほうが異常だろって言いたくなるよな。
吹き上がってる連中は全員大丈夫じゃねえよ