そんな自分が嫌いってふうに読めたけど、違う?
※実話風創作です
そりゃ表立ってお互いの夫の年収を比べたりしたことはない。まぁ、向こうの方が山手線の中に住んでるし何となくお金持ちなんだろうなんて思ってたけど、そこまで嫌いではなかった。
でも先日、お互いに同じ化粧品を使っていることがわかって、私は盛り上がって「高いけどいいコスメですよねー」と言ったら「あれ、そういえば値段知らないや」と返されてしまったのだ。
このコスメ、5桁まではしないもののDSに売ってるようなものではなく、プチプラ系コスメと比べたら5倍はする値段のものだ。それを値段を知らないってどういう神経をしているんだ?
思わず、「知らないってどうやって買い物してるんですか?」なんて訊いてしまったけど、「カードで買ってるから気にしたことなくて」なんていう返事が返ってきた。
そりゃすごいですねー、ははは、なんて言って切り抜けたけど、内心は大荒れだった。
カードで買うにしても値段を気にしないとかおかしいでしょ!?って思ったけど、きっと値段を気にせず買ってもカードの支払いに困ることがないからこういう感覚になるんだろうなぁとは理解できた。
私なんて毎日のように買い物のお釣りを貯金箱にコツコツ貯めて、それでようやく買ったコスメなのに。
そして何よりも嫌なのが、夫と義兄を比べてしまって、何で私が義兄と結婚してなかったのだろう、なんて一瞬でも思ってしまった私自身だ。
本当に嫌い、だいっきらい。
今ツイッターで回ってる「作品世界を彩るフレーバー」と「回収しなければいけない伏線」の区別がついてなくて投げっぱなしだとキレる奴がいるってやつ、確かにそういう奴いるなーとは思うけど、無駄なフレーバーいらんから質にこだわってくれって思うこと結構ある。
フレーバーを伏線と勘違いすることはあんまりないけど、そんな蛇足フレーバーかけるくらいなら根拠持たせて伏線として回収しちゃってよって思うことよくあるんだけど。刀ステとかわりとそういう感じだったんだけど。
映画でも時々、「話がつまんなすぎてこの要素伏線かと思ったわ。ただのフレーバーだったん?」ってことある。
チープなフレーバーで質が台無しなやつもよくあるし、匂わせんなら徹底してやれや!って思うんだけど、そういう事いうと高尚乙ってなるじゃん。
なんか最初は「Vチューバー」をフォローしてるみたいな内容だったと思って書いたんですよ。
「Vチューバ―」だったら漫画やアニメみたいなものなので、気にしないでもいいのかなって思ったのですが。
なんか、Webのアカウントみたいなもので、私はずーっと同じ名前で副垢とか持ってないんだけど
裏で何のかんのいうのもしないし、ちゃんと裏表なく尽くすというか付き合いたいので
あちこち気持ちは揺れないですね。そういうシチュがあってもちゃんと誰かと付き合ってるなら
他の人はなしだもんね。
そこまで追い込まれてる人には、とにかく休め、と言いたい。
そういう主張を増やしてる原因はこれに挙って反応してるお前らだよね
「LINE世代のコミュニケーション」とか言われると、なぜかみんな途端に無視できなくなるw
ばっかじゃねえのと思うわ
オウムがウヨかサヨか、はたまたオタクかみたいなのは今とは時代が違いすぎるのであんまり意味がない。90年代の日本がどうだったかというと、インターネットはまだほとんど普及していなくて一部の人がパソコン通信を使っていたくらい。
国内情勢は、91年にバブルが崩壊したとはいえ、まだまだ好景気が下り坂になった程度の印象だった。頑張れば毎年給料上がるし、きつい仕事はその分手取りも高い。投資家とかだとバブルの見え方は違うかも。一般人は好景気のなごりで気持ちに余裕があって当時の政権にも今と比べて信頼があったように思う。GoogleもWikipediaもスマホもない時代、情報も集めにくいので右翼的な思想も先鋭化しづらかったというのもあるのかな。街宣車は見かけた。
一方で左翼的な思想は、昔学生運動をやっていたような人たちが労働組合や日教組にいて、どちらかというと近寄りがたい雰囲気を持っていた。
多くの人は(米軍基地とか個別のテーマはあったものの)政治の舵取り自体はあまり批判的な目では見ておらず、右でも左でもなかった。それより前の時代はノンポリと呼ばれていたけど、90年代くらいだとそれらはサブカルに飲み込まれていったように思う。これまで同じ人気ドラマを見て同じベストセラー小説を読んでみたいなライフスタイルから、他人がどうであれ自分が好きなものを選んで楽しむことが普通になった。インディーズバンドを聴いたり、カルト映画とか、もちろんアニメも含めマニアックな趣味が細分化していった。とはいえ、ネットで検索できるわけでもないので、当時の普通のアニメオタクよりも今の一般人の方が知識があるくらいで。まあ中には化け物みたいに知識をためこむ人もいたにはいたけど、知識の検証も難しいので不正確な部分もあったりね。
サブカルというひとつの趣味があるわけではなくて、いくつもの細分化した趣味の総体をサブカルと呼んでいた感じ。いまでは考えられないけどフジテレビもサブカルっぽかった。糸井重里もサブカル、景山民夫もサブカル、千葉麗子もサブカル、丹波哲郎もサブカル、そしてオウムもサブカルだった。五島勉のノストラダムスの本もサブカル。
そんな時代。
役に立つ場面もあるけど、まだまだ人間の方ができることが多いよ。
それに、スーパーコンピュータでも、完璧にここにいる人と同じ事はできない。
そもそも、人体というだけで、何らかの役には立つ。
でも、何の役に立たなくても良い。
紙のほうがマシだな