の対談がLINELIVEでやっていたので観た。
んで観てたらあゆが斎藤に恋人並みの対応をしていて驚いた。つまらないギャグでも大声で笑ってあげる、あーんしてあげる、自宅にカレーを作りに行く約束をする、下の名前で呼んであげる、等々。
あれで惚れない男は居ないだろう。視聴者も斎藤に感情移入してニヤニヤしていたに違いない。斎藤も終始デレデレで何にもできていなかった。
歌詞から想像していたイメージとかなり乖離していたので驚いた。こんなに恋愛肉食女子的な感じだったとは。
んでその後GACKTとの対談をニコ生でやっているのを見たら、今度は浜崎あゆみの方が終始デレデレで、すさまじいヒエラルキーだな、と思った。
そこに聖職ではないとしても泥臭い下衆な大人がはいっていいかどうかってのはないと思う。
聖職って自負してがんばれっては思わないけど素手でさわってるその時代は
いわゆる聖域だってことみたいなのは自覚してほしいとは思うよ。
生徒に何ができて何をしなくて済むのかを選択できる立場にあるのは
重みを感じてはほしいよ。
報道から日にちが経って、話題としてはだいぶ下火になっているが、それでもアンテナサイト等の記事ではまだポツポツとこの話題を目にする。
読者のコメントはアウティングしたほうが悪い、の意見が多いように見受けられる。
個人間で解決する問題だと思うので、どうでもいいと言うのが自分の正直な感想だが、1つだけ気になることがある。
日本ではこの件で知られるようになった概念と言って良いと思う。
「アメリカの概念はこうなっている」…成る程、そういう考え方もあることは理解できる。
ならば、アメリカの考え方に乗っ取るなら、告白した側もセクハラで訴えられる可能性が十二分に高いと思うのだ。
アメリカのセクハラ事例をググってみると、さすが訴訟社会、そんな事で?と思う事例でも訴えられている。その観点からすると、その場に相応しくない告白であった事はまず間違いない。
アメリカの訴訟社会は、価値観が違う者同士の擦り合わせ方なので、むしろ訴訟を起こしてなんぼな部分がある。が、日本はそうではない。
この事例は、どんな判決が出ようとも、表向き「じゃあ差別はやめましょうね」と言いつつ、実際は「面倒くさそうだから、その属性の人と深く関わらないでおこう」と思われるだけの、誰も良い思いをしない結果になるだけな気がするのだ。
これほどまでに愚かしい思考を宝と崇めて悦にいる愚かさよ
ちょっと賢いと自負するだれかもしくは誰にも言えない自己の思考を
外気に晒して価値はいかほどかと人の見る様を見たいのだろうけれども
この文章を
あなたが一生奴隷で虫のように扱われ卑下され虐げられるためのその処世術だと仮定して
もう一度読み返してみたらいい
どこにもそんなことには当てはまらないというならもう何も言うことはない
少しでもそうあるかもしれないと気づいたなら自覚すべきは
なんでだよ
残り1点でまた購入できる状態
もっかい注文したらどうなるんだろ
追記:
さっき再注文した
ページでは在庫1になってるし、注文キャンセル履歴の該当商品欄からも再注文ボタンが押せるしで
これは再注文していいだろうと
先に来たキャンセルメールでは入荷の目処が立たなくなった、とあった
なら今回もダメなような気もするが、欲しかったものだったしかなり安くなってるしで再注文
届くといいんだがどうかな…
知らんかった、「キリンがさかだちしたピアス」は元は「土人がさかだちしたピアス」だったんだ。「ヒステリックなイヤリング」は「ヒステリックグラマーのイヤリング」だったんだ。「中国生まれの黒い靴」は当時女学生の間で流行っていたカンフーシューズのことだったんだ。
仕事で町田に営業に行った妹が、こひつじ幼稚園のバスを見かけたと云う。
そこまで覚えてないわっ!と突っ込みながらも、
大好きだったなーというスタンプにはうん、ってつい自分も頷いてしまった。
自分も大好きだった。
立地が二十年以上変わってないなら、高ケ坂って住所の名前の通り、
幼稚園は今も坂の途中にあるはずだ。
通学のバス亭、あるいはお昼寝の後にサッカーをするために幼稚舎の外を出て、
六歳児の自分にはきっつい坂だと思ってたけど、
高校の頃にママチャリで登ろうとしてしんどかったのでやはり急坂だったと思う。
この道をもしもあっちへ進んだらその先には何があるのだろう。
あの丘の向こう、なんて憧憬を初めて覚えたのもこの道で。
反対に振り返れば、とても眺めは良かった。
自分が暮らしている世界が何倍にも広く大きくいつも感じられた。
幼心に感じた開放感は今も強く覚えている。
親と飲めば、今でも時々この頃の自分にまで話が遡ってからかわれる。
覚えたてだった「地球」をどんなモノの例えにも使ったのでついたあだ名が地球少年。
地球は廻っている、とどこかの科学者のセリフをママさん先生の前で発表したら
いたく褒められたのをすごく嬉しがってのことらしい。
とても単純で、でもその後のアレコレに比べたら毒がない話だと思う。
http://m-kohitsuji.xsrv.jp/wp/archives/6128/
そうだ、この変なつぼ。まだ作ってるんだ。デザインも変わらない。
実家が引っ越すまでは少なくともあったっけ。
記憶もモノも、物持ちが良すぎるのはコトだと思う。
計算したら自分がここに通いはじめたとき、母は今の自分と同い年だった。
タラレバ女子を読んで、分かるーとゲラゲラ笑ってる場合じゃないよ!でもまだ
子どもを預かってくれることを知った。
つい、そんなところまで読んでしまう。