2016-09-06

一橋アウティング事例に思うこと

報道から日にちが経って、話題としてはだいぶ下火になっているが、それでもアンテナサイト等の記事ではまだポツポツとこの話題を目にする。

読者のコメントアウティングしたほうが悪い、の意見が多いように見受けられる。

個人間で解決する問題だと思うので、どうでもいいと言うのが自分の正直な感想だが、1つだけ気になることがある。

アウティング」の概念について。

日本ではこの件で知られるようになった概念と言って良いと思う。

アメリカ概念はこうなっている」…成る程、そういう考え方もあることは理解できる。

ならば、アメリカの考え方に乗っ取るなら、告白した側もセクハラで訴えられる可能性が十二分に高いと思うのだ。

アメリカセクハラ事例をググってみると、さすが訴訟社会、そんな事で?と思う事例でも訴えられている。その観点からすると、その場に相応しくない告白であった事はまず間違いない。

アメリカ訴訟社会は、価値観が違う者同士の擦り合わせ方なので、むしろ訴訟を起こしてなんぼな部分がある。が、日本はそうではない。

この事例は、どんな判決が出ようとも、表向き「じゃあ差別はやめましょうね」と言いつつ、実際は「面倒くさそうだから、その属性の人と深く関わらないでおこう」と思われるだけの、誰も良い思いをしない結果になるだけな気がするのだ。

この話を追いかけている記事で、こういった観点で話をまとめているのを未だ見ないのが気になったので書き込んでみた。以上。

  • 「アウティング」なんていうから新しいもののように感じるだけで、この事件で起きたのはただの「晒し上げ」じゃないのかな。 しかも、田舎の村の閉鎖社会でありがちな「晒し上げ」...

    • なるほど、自分の話が噛み合わない理由が解った。 刑事事件ではなく、民事なので、あくまで主観の問題でしかない(なので、個人間で解決する問題でもある)。   人や何かをどうし...

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