アニメの場面転換時のナレーション「そして彼女と俺は一緒に行くことになったわけで……」等の「~で」も封じてほしい。バブル期の香りがする。
http://pichikupachiku.hatenablog.com/entry/2016/04/01/122940
歩美ちゃんはともかく、蘭ねーちゃんみたいな気が強い女を縄で縛ったり口にガムテープ貼ったりして拘束するのを見て欲情してしまうという気持ちはわからんでもない
もう要らなくね?
どこもかしこもやってるせいで目新しさもないしさ
ニュースあってもそれがホントなのかどうかから疑わなきゃならんし
24時間フルでネタ更新してるとことかさ、そんなもんついて行けねぇよ
ハッキリ言ってもう邪魔
当時、大人も子供も、オカマは差別しても良いものだと思っていた。
それ故、おかまであることは恥ずかしい、愚か、欠陥品、劣っているものとして扱われた。
自分でもそう思っていた。そういう価値観を刷り込まれていたとも言えるだろう。
女性への欲情が理解できなかったので、女体を見て興奮するように練習もした。
現実から逃げたいからそう歪むのかと考え、部活も勉強も励み、大学受験でもまあまあの成功を収めた。
モテない男が、性的カースト底辺の立場から逃げたいから、女性になろうとする心理かとも疑った。
駅まで彼女を送り届けた後、申し訳ないと思いつつも唾を何度も吐いた。帰宅してからは何度も手を洗った。
この辺りは能町みね子先生の本に記載されている感覚と似ているかもしれない。
だが、男性が好きとうわけではなく、ゲイになることはおぞましく感じていた。
それよりも、女性でない不当さを呪って生きていたという方が正確だ。
小さい頃から、寝る前は女の子としての生活を妄想し続けてきた。
当然、オカマには定番だが、母親の服や化粧品を隠れて使用し、その度に鏡に映る不細工な男の子に何度も憤りを感じた。
中学に入ると、160cmより背が伸びなかったらニューハーフになろうと思っていた。
超えてしまったときは悲しかったが、一方で虐げられる立場から逃れてほっとした気持ちもあった。
その頃ちょうど、ドラマ金八先生で性同一性障害が取り上げられた。
家族に悟られてはいけないと、興味なさげに振る舞ったが、何度も何度も見た。
女になりたい男の子が出てきたとき、私は正直、気持ち悪いと思った。
ああ、これが世間の反応なのだろう。田舎では家族に迷惑をかけるし、容姿レベルも並以下な自分はやはりなるべきではない。
そう心に誓った。
ある日、研究室で同輩に訊かれた。
「プライベート、何してるの」
私ははっとした。
暇さえあれば、いつも鏡をみていた。
女性的ではないパーツ、見え方、骨格などを何度もチェックしていた。
何千回も見ているので、わかってはいるのだが、ついつい確認してしまう。
鏡の前で6時間くらい過ぎていることもあった。
そこで初めて病的だと気付いたのだ。
なんとかしたかったから精神科にも行き、LGBTの方にも複数会い、ニューハーフとして働いてもみた。
いろんな人がいたし、いろんな経験もできた。
総括して分かったことは、残酷だが容姿が大切であるということだ。
完成されていれば女性として扱われるし、嫌悪感も少なく、自分でもある程度は受け入れられる。
未完成ならばその逆。
この時点で、不細工で大きなパーツを擁した顔である私は、この苦しみから解放されることはないと悟った。
正直、整形手術でそこまで変化はないことは、同僚を見て知っていた。
でも、どうせ死ぬなら。
そうして、私は5度の整形手術を受けた。
想像以上に辛く、ストレスで髪の毛も抜け、体重も6kgほど痩せた。
鏡に映った、お金と時間を失った髪の長いおじさんを見て、「やっぱりね」とつぶやいた。
予防線を張ることができていたという、ちっぽけな自己肯定で、ショックを和らげてみた。
完成品を受け入れた後、これ以上の対抗策が無い絶望と、選ばれなかったという事実に、私は腹をくくるしかないと考えた。
自分にまとわりついたオカマという呪いを解くための唯一の手段。
育ててくれた両親や、支えてくれた友人や兄弟には感謝と申し訳なさでいっぱいだ。が、
私はこれ以上同じ苦しみに縛られ続けるのに疲れてしまったのだ。
そう思っていた時期が私にもありました。
俺も今日身元不明のところからマナーモードにしているのに着信音が鳴って、携帯を取り出してすぐに地震がきたわ。世にも奇妙な物語。
「子供ほど素晴らしいものは世界中にない。みんなだってそう言ってる。
子供は未来で、若さで、純粋さで、可能性で、純潔で、無垢な愛情だ。
子供を好きにならないなんて無理だ。
今更、好きになるななんて言うな」
雪が解けると春になる で正解だったぞ