会話をしているグループを見ると、彼らは主に2つの種類に分類される。
この2つである。いわば中心人物は柱である。それに生えている枝が他の人々だ。
中心人物、つまり柱が抜けると2パターンの動きを見せる。
また、Aというグループでは柱になれないが、Bというグループで集まると柱となる場合もある。
この場合、グループの勢力的にはA > Bとなっている場合が殆どだ。
では、本題に入ろう。
「何故、貴方は話の輪の中心になれないのか。」
言い換えれば何故貴方は柱になれないのか。
「ああ、そうだよね」「うん」「ハハハ」等、積極的に話へ入ろうとせず、「グループに所属している」という安息を求めるタイプの人である。
話を聞いていても自分が話したいことで頭がいっぱいで人の話を雑に扱ってしまう場合は注意した方がよい。
貴方はいいかもしれないが相手はかなり不快だし、その後の貴方の話を聞きたいとは思わないだろう。
単純賛同しかしない人と同様、真っ先に切られる。
柱のことばかり気にして、自分と同じ「枝」とのコミュニケーションは積極的にとらない人である。
口には出さないにしても「枝」からは嫌われていることが多い。
また、いきすぎると「柱」にも鬱陶しがられ最悪の場合グループから除外される。
リーダー格にくっつけば大丈夫、という安息を求めるタイプである。
ここまでは嫌われる人を書いてきた。
では柱になるにはどうすればいいのか。
柱になろうと、あるいはグループへ所属しようと「柱」とばかりコミュニケーションを取ろうとする人が多いがこれは間違いである。
まず、そんなことをしている人は「柱」を超えられない。
「柱」になったとしても生えてくる枝、即ち付いてくる人は少ないだろう。
柱を目指すならまずは枝とコミュニケーションをしっかりとろう。
柱の1つに悪口やイジメ等の行為を盛んに行って柱になっている人がいる。
付いてきてる枝もいやいや付いている場合が多く、離れる機会さえあればすぐ離れようと思っている。
まずは悪口・誹謗中傷をやめることが大事だ。
普段の言葉づかいを直し、悪口以外の事で笑いを取れるようにしよう。
「よろしく」で終わったりしないようにしよう。
「~~って何が好きなの?」など普通の質問を投げかけるのもいい。
「そんなのウザいでしょ」と思う人もいるかもしれないが初めの内はこれでいい。
初めてメールアドレスを交換した人とのメールはなんでも新鮮味にあふれているため、ささやかな質問でも嬉しい。
しかし、時期が経ったらこのような質問はせずもっと砕けた話題で盛り上がろう。
これは同性相手に限らない。
それは、十分な熱がある場合だけだろうな
溶けないからこそ、鉄はどうしようもない
誰も彼もが「折れたら・曲がったらもう一度溶かし直せばいいや」と言えるわけじゃないと思うんだよ
そんな、周回遅れの思想をいまどき持ち出されても・・・。
ポール・ド・マンならこう言うよ。
俺は二十歳までそういう町にいたからこそ、
それ(文脈ではポルノグラフ)を論ずる論者の思想的立場によって、ポルノグラフィーの定義たるや、まことに千差万別であり、たとえばアメリカの心理学者クロンハウゼンのごときは、情状酌量の余地のない猥雑としてのポルノグラフィ―と、人間の本性である性的な側面を示す文学としてのエロティック・リアリズムとを、二つに区分しているようだが、私には、こういう二分法はすべて、芸術論としても道徳論としても中途半端であるとともに、何ともわずらわしいような気がしてならない。
むしろ私には、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの画像』の序言に見られる、作者の歯切れのよい言葉のほうが、はるかに事態を正確に言い当てているように思われる。すなわち、
「道徳的な書物とか、反道徳的な書物とかそういうものは存在しない。書物はよく書けているか、それともよく書けていないかそのどちらかである。ただそれだけのことだ。」
ポルノグラフィーもまた、私たちには、よく書けているか、それともよく書けていないか、そのどちらかでしかあり得ないように思われる。よく書けたポルノグラフィーは、場合によっては芸術作品と等価なものになるだろうし、等価なものにならないまでも、少なくとも私たちを何らかの人性上の発見にみちびいてくれるものにはなるだろう。ただそれだけのことである。
しかしながらひるがえって考えてみると、オスカーワイルドの言葉は明らかに両刃の剣であろう。おそらく検察官ならば、このワイルドの言葉を次のように言い変えるであろう。すなわち、
「よく書けている書物とか、よく書けていない書物とかそういうものは存在しない。書物は道徳的か、それとも反道徳的かそのどちらかである。ただそれだけのことだ。」
偶然手に取り発見したが、他の人にも知ってほしく、感じてほしく、ここに記した。
言いたいことは、たくさんある。
しかし私は、彼らまで届く声がない。
ただ、考えてくれる人が一人でも増えるように、私は私なりに行動する。
その女性自身というより、俺と女性がつくりだす環境にと言った方が適切だと思う。
俺は去年就職活動をしていた。そして彼女は社会人一年目だった。
俺は先の見えない就職活動に苦しみ。
俺は就職活動を忘れることのできる環境を求め、彼女は誰か頼れる人間を求めた。
俺たちは出会ってお互いのことをよく知らないまま付き合いだした。正直、俺たちは別にお互いのことが好きな訳じゃなかった。
俺は単純に辛い現実から逃げたくて、それを忘れることのできる環境を求めていただけ。
彼女はそれに感づいていたのだろう、私のことなんて好きじゃないでしょと会うたびに聞いてきた。
正直俺はそれが面倒くさくて仕方が無かった。だって好きじゃない事を誤魔化さないといけないし
なんと言っても、自分の醜い部分をえぐられるようで辛かった。
そして俺の就職活動が終盤に差し掛かり、精神状態が最高に不安定になり睡眠も十分に取れなくなったとき
当然俺たちはそこで喧嘩をして別れた。
俺の求めていた環境をつくれる彼女はそこには居ないし、彼女の求めていた頼れる男はただの精神の不安定なクズ野郎になってしまっていた。
別れた途端俺はすべてから解放されたなんとも心地の良い気分に襲われた。
それからだ、うまくいかなかった就職活動がいきなりうまくいきだし。
あっという間に内定までたどり着いた。
結局、就職活動の辛さを誤魔化すためにしていた行為が、いつの間にか一番の悩みになっていた。
もう俺は二度と同じ過ちを繰り返さないだろう。
同じ状況になったとしても、同じ結末を迎えることは無いだろう。
相互フォロー推進委員会のjdotsystem=竹下淳氏に今もなお粘着している人達がいる。当の竹下氏はNPOの申請を行っていたが、粘着軍に対する殺害予告・恨みのある人物の名前で勝手に通販を申し込む等々、投了寸前の行動に出ているようだ。
彼をそんな行動に駆り立てたのは、中国由来の黒い黒い会社に関わる人物からの圧力のようだ。
竹下氏と親交の深い望月勇氏が役員となっている会社がエクセル情報通信株式会社。ここ最近の粘着軍の動きによって、同社の中国人・潘佳明氏が、ネットに散らばる自身の情報を消去・変更してまわっているらしい。
動物番組の「芸能人がキモオタや大阪のおばちゃんのような凄いファッションに変身したらペットの動物は気が付くか」コーナーを見ていて思った。
元々の容姿は素晴らしい芸能人達でも、皆近付くのも嫌なくらい醜く変身している。
何でキモオタや大阪のおばちゃんは、どんなに美しい人でも着こなせず醜くなるファッションを作り出してしまったの?
自分にとってはあのファッションが素晴らしい、世間から受け入れられなかろうとこれが着たいといった拘りがあんの?
そもそも売ってるのを見ないんだが、どこで買ってるの?
2chブラウザのJaneStyleがスパイウェアだったり、Jword入ってたり、google adsenseを強制表示したり
windowsのユーザー名を送信したりして話題になってたけど、やっぱり「2chブラウザで会社化」と
いうのがムリのある計画だったのではなかろうか?
他の人が作ったJaneをカスタマイズするうちに、人気が出て勘違いしちゃったんだろうけど、
こんなevilなソフトになるくらいなら、フリーソフトでやってたほうが幸せだったんじゃ。
なんだか哀しい展開だよね。
自分が先に進んでるけど友達がやってないってところについては
聞かれない限り黙ってるのはマナーでしょ。多分。
そういう例えでだしたんじゃなくて、「自分が友達より進度が遅れていてゲームの内容を、その友達の家に遊びに行ったときに見せつけられて『あー遊びに行かなきゃ良かったー』って言ってもしょうがないでしょ」ってこと。
上にも書いたけど「無自覚にネタばれしてるケースもある」ってこと。するなしないという問題じゃなくて、なっちゃうかどうかって話。悪意を持って垂れ流す人とそうでない人の見分けがつくかな?俺にはできないな。
風水の多くは、長い経験則から生じた快適さに対する生活の知恵だけど、
現代ではテクノロジーで解決できる部分が多々ある。