はてなキーワード: 能年玲奈とは
いくつかレビューも読んだけど、どのレビューにも『のん(本名能年玲奈)』ネタおよびマスコミ叩きが入ってるんだよね
「私はマスゴミに消されかかっている能年玲奈さんを応援してあげれる素晴らしい人間よ!」
そういう考えが透けて見えるわ
結局のところこの映画を見てるのは、大衆に斜に構えてマウント取るのが大好きなはてなブックマーカーばっかりなんじゃねーの
テレビから取り上げられない女優みたいなアングラ感に惹かれた層と
単純に能年玲奈好きな層(人気朝ドラ主演だからそりゃ多い 旧計測で視聴率20%)が
合体したからじゃないのかね
大前提としていい作品だと思う。ヒットして、嬉しい。本当に良かった。ただ、ヒットするとは思わんかった。
この世界の片隅にがヒットするとわからなかった、公開規模を小さくした配給会社は無能とかいう声も聞くけどさ。似たようなアニメを観る自分からすれば、公開規模は妥当だって。ヒットするわけないもん。
これに近い観客層を持ってる作品として百日紅が上げられると思うけど、あれがどれだけコケたと思ってるのさ。あれも評価が高かったけど、全然客が入らなかった。この世界の片隅にを大絶賛してるオタクで、百日紅を観にいった人ってどんだけいるのよ?って感じだし。他にも似たような作品で大コケしたアニメ作品はたくさんある。
こういっちゃなんだけどさ、流行りのアニメが大好きなんて人はあんまりこういうのには手を出さないはずなんだよ。実際に監督の前作であるマイマイ新子だって客は入らなかったしさ。ただ、そんな人もこの作品だけは観にいった(ように見える)。なんでなのよ。
自分の小さい脳みそで考える分には、クラウドファンディングで話題になったことと、能年玲奈(のん)さんが起用されて話題になって観客を呼び込んだことの2点くらいしか思い浮かばない。原作の評価が高いといっても、ここまでのヒットを牽引するほどではないでしょう。
こう書くと、予告の質が高いから客が来るのは当たり前と返ってきそうだけど、ただ、百日紅とかと、この世界の片隅にがそこまで質のレベルの違いがあるように思えないんだよね。もちろんこの世界の片隅にの出来がいいのは大前提だよ。もう一度書いておくけど。
映画の2週目以降の客入りは映画の実力だけど、初週の成績も良かったということは単純に作品が良かった以外の理由があるはずだと思うんだけど、どうなんだろうなぁ。このままだとやっぱり有名で話題になる人(能年玲奈(のん)さん)をキャストに迎え入れれば、話題性を稼げてヒットに繋がるという在り来たりなことが言われそうで嫌なんだよなぁ。確かにそういう面もあるんだろうけど、この世界の片隅にのこの感じはそういうことだけじゃない気がするんだよなぁ。
百日紅とか、ももへの手紙とか、マイマイ新子とか、その辺の作品について客が入らねぇなぁと苦渋を舐めてた一人のオタクとしては、この辺はすごく知りたい。
芸能界復帰後しばらくは精神的に不安定だろうから一緒に暮らしてあげたい。
玲奈ちゃんは家計のやりくりや家事などやる暇がなさそうだから主夫になりたい。
玲奈ちゃんの稼ぐお金は膨大だろうから節税のために毎日使ってあげたい。
玲奈ちゃんは欲がなくてお金に疎そうだから資産を管理してあげたい。
玲奈ちゃんのために毎日ストレスを溜めないように遊ぶことも大切にしたい。
玲奈ちゃんが稼いでくるお金を使ってあげて経済回復に貢献したい。
玲奈ちゃんが稼いでくるお金を使ってあげて再分配に貢献したい。
玲奈ちゃんが稼いでくるお金を使ってあげて玲奈ちゃんがお金なんて汚いものに目が眩まないようにしてあげたい。
玲奈ちゃんを救いたい。
『自分は定型発達ではあるがグレーゾーンのスペクトラムだ。つまり発達障害者』←この部分の文章が意味不明。
定型発達でありグレーゾーンということは発達障害と診断されるレベルではないということでしょ。
『自分はよく、極端な人間と言われる。能年玲奈じゃあないけれど、「生ごみか、リスペクトな奴か」の二つ』←白黒思考。
文章全体を通して見てみると、あなたは発達障害というより、クラスターBのパーソナリティ障害の傾向があるのでは。
ところで『悪口が止まらない私。批判でしか承認欲求を満たせない私』が卑しい人間であるという認識はないのだろうか?
あなた自身がそのような卑しい人間になったのは、人生のどの段階で躓いたせいなのか、何がキッカケだったのか、成育過程は?生まれ育った出身地は?元々どういう性格の人間だったのか…「卑しい自分」の正体や原因を知りたい、自分自身に対して悪意を抱きたくない、理解したい、という気持ちや悪や汚れへの好奇心は抱かないのだろうか?
「卑しい人間」に対する悪口・批判・批評が得意だと自負しているにも関わらず、真っ先にその矛先が自分自身に向かないのは不思議である。
もっと言うと、それしか特技がない。それをようやく受け入れて認識したのはつい最近の事で舛添氏の公金問題が出た時に何故彼があそこまで歪んでいるのか、下世話な事を考えていた瞬間だった。
私は、怒り・もどかしい気持ちを抱いた人間に対して、無意識に脳内で「あーだこーだ」考えてしまう。もっと言うと、自分が「この人って卑しい人間だな」と感じる対象にのみ考えてしまうのだ。褒められた話では全くないけれど、唯一他人や世間から認められたりする事が、そういう悪口にも似た批判の内容だ。
他の事は丸っきりダメだけれども、唯一どんな人とも相応以上に会話が成立して「増田を呼んで、増田の意見も聞いてみよう」と呼ばれたりする。けれども政治や経済、文学や音楽、数理関連の話や抽象的な会話を投げられても、ちんぷんかんぷんで。あくまで自分が関心のある卑しい人間に対する悪口しか、話せないのだ。
某全国紙の各新聞社の論説記者達や学者、有識者が集まる機会に(舛添氏ではない)某人物の話題が出た。自分自身も某人物に対して日ごろ思う所があったり、正直言って「卑しい」と思う対象だったので、つい話してしまった。皆、一様に「鋭い」と言っていた。中には「ああ~!」とか「あっそれだ!」とか言われたり、大笑いしていた人も居れば、思いに耽りながら「僕もこう思ってるんだけど、こういう所は?」と話を繋いだり、とにかくハイスペックの人達と唯一渡り合える武器が「悪口」になってしまってる。実を言うと、自分は定型発達ではあるがグレーゾーンのスペクトラムだ。つまり発達障害者で、手帳は持っていないけれど、今まで生きにくさを度々経験してきた。唯一人並み以上の事が出来るのが「悪口」。
※それから、これは自分では思っていないのだけれども「話を引き出すのが上手い」と度々言われる。けれど、これはその時の相手との相性にもよると思っていて。それがどんな時・どんな相手なら、上手くいくのかは自分でも把握できない。うまく行く時はいくけど、そうでないときは全く…といった具合。自分の傾聴力が、どんな人に対してなら合うのかなって問題なだけな気がする。
「卑しい人間に対する悪口や批判」。これが活かせる仕事って何なの?というか人としてどうなの?と自己嫌悪で一杯で。その一方で、「優秀なんだな」とか「健常者」に見られるのが、そう言った悪口で「あーだこーだ」言ってる姿なので、承認欲求が満たされているというか…そう言う矛盾した気持ちを自分の中で抱えてる。
母は昔から自分を「あんた、批評家ね…」と言っていたり、学校で悪口に華を咲かせていてもいわゆる「よくある井戸端会議」なんだろう位に思ってた。
彼・彼女は人生のどの段階で躓いたのか、何がキッカケだったのか、成育過程は?生まれ育った出身地は?元々どういう性格の人間だったのか…「卑しい人間」の正体や原因を知りたいというか、人に対して悪意を抱きたくない、理解したい、という気持ちや悪や汚れへの好奇心さえ抱いている。
自分はよく、極端な人間と言われる。能年玲奈じゃあないけれど、「生ごみか、リスペクトな奴か」の二つで、悪口を言っている時の自分は後者らしい。それ以外は、その場の環境に左右されて、その時によって生ごみの度合いが違う程度。でも、自分でも共感できる悪口の対象になると、本当に環境に左右される性格なのだろうか、と思うほど、「それなりの」人間でいられる。
・60点。(ただし70点満点)
・(70点満点の映画の例:「ドゥームズデイ」「トロールハンター」「戦慄怪奇ファイル コワすぎ!史上最恐の劇場版」など)
・とても面白かったです。
・「劇場版あまちゃん」を観に行ったら「橋本愛が福士蒼汰のセフレになっていた」という超展開。
・全国のあまちゃんファン激おこプンプン丸だが、能年玲奈ファンの私は、めっちゃかわいい能年ちゃんが観れたので大満足、といった塩梅。
・けれん味のあるゴアシーン。
・いまいちだと言われるシナリオも、ホラー映画と思えば十分すぎるぐらい。
・超映画批評、「リアル鬼ごっこ」75点、「進撃の巨人」40点
・「リアル鬼ごっこ」は、トリンドル玲奈の下着姿と、斎藤工の白ブリーフ姿が観られた。
・たぶんそれが原因で35点差。
・石原さとみがおっぱいを出してくれてさえいたら、本当に言うことがなかった。
・後編には期待しています。
・原作で唯一の東洋人ハーフのミカサ役の水原希子が、映画版では唯一のアメリカ人とのハーフ
・冒頭シーンに出てくる爆弾に金髪の白人女性が描かれているので、作中に「西洋」は存在するはず
ということで後編は「巨人は放射能大怪獣! 全部アメリカが悪いんや!」オチと予想します。
どうなる後編。出るのかおっぱい。