はてなキーワード: 大月とは
大月市に住んでる。
「山梨県大月市は18日現在もほぼ陸の孤島です」とか書こうと思ってたけど、やっとその状態を脱したので記念に。
現在の状況
・高速道路(中央道)は通行止めが解除されたけど、いかんせん大月ICが面する国道20号線が通行止めなのでクルマ的にはまだ陸の孤島
・JR中央本線は18時過ぎに高尾↔︎大月が動くように。やっとこさ色々動く…
ちなみに日中は高尾↔︎四方津までしか動いていなかったので、大月から2時間以上歩いて四方津駅まで行き、そこから電車に乗った。自分は違ったけど、明らかに会社に向かう人とかいてマジ社畜おつ。
山間部とかまだ陸の孤島状態のところは多くあると思うのでまだ色々心配。
※昨日辺りの報道で「生鮮食品届かず」みたいなものがあったけど、スーパーとかコンビニには生鮮食品どころか何も届かない状態が続いてた。
大月市に住んでる。
「山梨県大月市は18日現在もほぼ陸の孤島です」とか書こうと思ってたけど、やっとその状態を脱したので記念に。
現在の状況
・高速道路(中央道)は通行止めが解除されたけど、いかんせん大月ICが面する国道20号線が通行止めなのでクルマ的にはまだ陸の孤島
・JR中央線は18時過ぎに高尾↔︎大月が動くように。やっとこさ色々動く…
ちなみに日中は高尾↔︎四方津までしか動いていなかったので、大月から2時間以上歩いて四方津駅まで行き、そこから電車に乗った。自分は違ったけど、明らかに会社に向かう人とかいてマジ社畜おつ。
山間部とかまだ陸の孤島状態のところは多くあると思うのでまだ色々心配。
※昨日辺りの報道で「生鮮食品届かず」みたいなものがあったけど、スーパーとかコンビニには生鮮食品どころか何も届かない状態が続いてた。
あの頃の僕は、毒の唾で世界を汚すことが無常の喜びだった。本や
映画で得た受け売りの理論で身近な大人たちを追い詰め、彼らを軽蔑
することだけが生きているリアリティと感じていた。目で見える世界のほと
んどが許せず、ニ十歳まで生きていることはあるまいと本気で思っていた。
あの頃、高校時代、僕にはFという同級生のガールフレンドがいた。
正直、彼女を好きでもなかったのだが、女のひとりも口説けないのかと
周囲に思われるのが癩だったのでなんとなくつき合っていた。二人で観る
映画はいつも二番館の面倒臭そうなアート系の映画で、Fは僕に映画の
解説を求め、僕はそんなたわいないことで男のプライドを保っていた、どう
せ刹那的なつき合いだと酷く冷め、やがてくる彼女との別れの日をドラマ
チックにシミュレートして悦に入っていた。そんなある日、Fが僕を演劇に
誘った。芝居はテレビで紀伊國屋ホールを収録したようなやつを観たこと
がある程度で、それもおそらくそんな感じだろうとまるで期待していなかった。
が、打ちのめされた。体の震えが止まらなかった、舞台音楽が僕を子供の
頃の暗闇の恐怖にいざなった。その後、Fは地方に就職先を決め、卒業
の日、明るく「さよなら」と僕の前から去った、以来、彼女とは会っていない。
結局、見透かされていたのは僕のほうだった、そして間違いなく、あの頃、
彼女は僕の母だったのだ。今回、シーザー氏の歌に僕が固執したのは、
あの頃の無知な自分と母との時間を追体験したかったからかもしれない。
存在するものがこの世界にはある。我々の前では、美しすぎたり、
醜悪すぎたり、日常であったりして、正体は曖昧なものと感じられ
ているが、それは確かに、明確にこの世界に存在するはずなのだ。
私は、それをアニメーションという手段で整理分解して、判りやす
く伝えようとは思っていない。セル画で数値化、セリフで言語化でき
る部分だけを抜き出して、それを伝えようとは思っていない。むしろ
段を使って、混沌のまま明瞭に、確かに存在することを示したいのだ。
私は、光宗さんと上谷さんを尊敬している。二人は紛れもなく、
十四歳の頃、僕は学校が嫌いだった。いや、正確には、学校という名の世界での自分の状況が嫌いだった。
その頃は、いわゆる“校内暴力”なるものが全国的に取り沙汰されていた時期で、僕の通ってい
た学校も例に漏れず相当に荒んでいたと思う。生徒が教師の胸ぐらをつかみ上げ授業中断、など
ということも珍しいことではなかった。学校とは箱庭ではあるが、言うまでもなく「ひとつの社会」で
あり、「現実世界のミニチュア」だ。その社会の中で、僕は凡庸な者だった。休み時間にトイレでタバ
コを吸う勇気も、教師の胸ぐらをつかむ勇気もなかった。そして、僕はそのことが嫌で仕方がなかっ
た。子供だったが、凡庸が美徳だなんてウソだってことぐらいは知っていた。「ミニチュアの社会」の
中ですら凡庸な自分に控えている未来.凡庸な人生の予感に言い様のない絶望を感じていた。
あれから十数年。現実は残酷で、やはり僕は凡庸なる大人になってしまった。絶対に裏切って
はいけない人を、何人も裏切ってしまった。そうまでして手に入れたのが、凡庸なる自らの姿だった。
だが、いかなる夢も見ることを禁じられたこの世界で、僕はまだ密かに夢を見ている。まだ密かに
モラトリアムでありたいと甘えている。そのことを「少女革命ウテナ」はうまく表現できただろうか…。
J・A・シーザー氏の音楽を、僕は遥か十代の頃に体験した。氏の音楽はその時から、そして今も変わらず僕
シーザー氏と仕事の機会を得ることができたのは、ひとえに大月プロデューサーの手腕によるところだ。
いや、実はそのことだけではない。大月氏は、アニメーション作品「少女革命ウテナ」を世に送り出すために、
多大なリスクを負った。我々スタッフは、その彼のリスクの上に、完全な創作の自由を与えられたのだ。「自分の
若さと可能性を信じろ」などと言うインチキな大人には数多く出会ったが、リスクを負うと言うことを体現して
見せる大人に出会ったのは初めてだった。もちろん、僕自身もリスクは負っていたが、彼のそれは比べようもなく
大きかったはずだ。にもかかわらず、彼が僕にリスクを強要したことは一度もなかった。彼は、作品作りにおける
リスクの尊さを改めて僕に教えてくれた。そしてそのことは今回の作品制作において僕個人にとって貴重な
モチベーションになった。おそらく「少女革命ウテナ」という作品は、僕と大月氏の共同監督作品だったのだ。
だから、ある意味で僕は敗北者なのだろう。なぜなら、僕は絶対に裏切ってはならない友人を、数多く裏切っ
■感想のまえに・・・
・これまでのiPhone歴(?)
2.シムフリーのiPhone4を買って日本通信のb-microSIM u300で利用。
3.docomoからminiuimが出たということで、シムフリーのiPhone4をminiuimで利用。
・主な利用場所
電話とキャリアメールは普通の携帯でやってるのでminiuimは以下で契約しました。
・定額データプラン スタンダード2 バリュー、定額データスタンダード割
キャンペーン中だったので料金は1年間に限って最大月額4410円です
・月額525円
・ドコモショップでの申し込み方とか
ただ、ショップの人によって(ショップの人が電話をかけたサポートの人によって)、
対応が大分異なるようなのでネットのに書いてあるとおりにはいかない場合もあります。
キャリアメールやFaceTimeなど細かいところはほかの方がいろいろネットに書かれてるので割愛します。
■感想
・ソフトバンクのときと比べて(すべて「気がします」レベルです)
・「圏外」表示になってしまうことは減った
・「圏外」じゃないのにぜんぜん通信速度がでないことはかなり減った
(まったくなくなったわけではないです)
・通常時(調子がいいとき)の通信速度はおんなじくらい。2500Kbits/sくらい。
・b-microSIM u300のときと比べて
・電波表示がされるようになった
・その他
・docomo(miniuim)の場合でもiPhoneの電波のつかみは弱い。
docomoの普通の携帯と比べても電波表示が少ないことがほとんど。
(表示自体の問題かもしれません)
結論としては
可もなく不可もなくといったところです。
ランニングコストを考えると日本通信のb-mobile Fairがよさそうですが
・電波表示されるか
・速度がアナウンスどおりでるか
が気になるところです。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20100910/1032904/?P=7
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/038/38214/
http://www.nttdocomo.co.jp/info/news_release/2011/03/11_00.html
http://www.nttdocomo.co.jp/support/procedure/simcard/other/
ゼロ年代の想像力やPLANETSで最近になって惑星に興味を持ったけど旧サイトが見れないorいちいちURL直すのが面倒くさいという人のために。
旧惑星開発委員会は宇野常寛(善良な市民)さんが大学生のころ趣味で運営していたサイト(2002~2003年)です。
http://anond.hatelabo.jp/20071031195955
第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話第7話 第8話
第9話 第10話 第11話 第12話 第13話 番外編 ベンヤミン事件1 ベンヤミン事件2 ベンヤミン事件3
・善良な婦女子の不定期エッセイ
・月刊クロスレビュー
ガンダム 押井守 ガイナックス 宮崎駿 ジャパニメーション ジュニアノベル前編 ジュニアノベル後編 大月アニメ 角川マンガ 富野
・石原の野望
http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/isihara.htm
http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/saiban01.html
・亡国対談
・オタ向けアイドル小百科
長いので、興味ない人は1行くらいでスルーしてください。
「疎外論」批判というのが一部でちょっと盛り上がっていたみたいですが。
なぜ「疎外論」という発想が生まれたのかと言えば、それはたぶん、他人を説得する時にそういう方法しか思いつかなかったからじゃないかと思います。「本来の人間の姿」と「本来的じゃない現在の人間の姿」とを対比させて、その差異を見せ付けることで「ほら、現在はこのような問題があるんだから」と問題のありかを指し示すというのは、他人に自分の意見を示す上でも非常にわかりやすくなりますし。
じゃあ逆に、疎外論抜きで「私は社会に対してこのような問題意識を持っている」ことを指し示すとしたら、どうなるでしょうか。
「見ろ、このような社会のあり方は問題だ」
「なんで? 人間の生活はあるようにある、ただそれだけじゃん」
「なんでだよ、こんな社会のあり方は人間にとって生き難いだろうに」
「生き難いって、何と比べて言ってるのよ」
「そりゃあもちろん……いけね、“あるべき仮想的な理念像”はここでは使えないんだっけ。えーっと、それじゃあ社会の上層のあの人や中層のあの人と比べてだね」
「おいおい、そうやって万人を万人といちいち一対一マッチングさせる気か。地球シミュレータをフル回転させても無理だと思うぞ」
「いやだから、技術的な問題じゃなくて社会構築の原理的な問題をだね」
「そうやってすぐ空想的な原理原則を持ち出す、君は本当にどうしようもないほど形而上的だな」
「うがー。目の前で死にかかっているこんなに人がいるのに放っておく気か」
「その人を手当てすりゃいいじゃん」
……話はどこまでも噛み合わないまま終わりそうですが。
「あるべき理想的な人間像」とか「あるべき理想的な社会像」の提示(による疎外論の提唱)をどこまでも徹底的に否定していくと、実は現行の国家や行政機構の役割が限りなくゼロに近づいていったりするんですな。
例えば教育。そもそも公教育制度って、政治や社会活動(経済活動を含む)に参加する上で必要最低限の知識を万人に保証するために行うものですから、教育の意義そのものが「あるべき“教育された国民像”」と「教育されていない国民像」との差分に基づいて、まさに疎外論的に「あるべき理想像を国民に保証する」ことにあるわけです。
だから、指を折って数えられる以上の数字を知らなかったり漢数字以外の漢字が読めない国民がいたって、それを「あるべき“教育された国民像”から疎外された、非本来的な国民のあり方」と捉えることは出来ないのです。そもそも「“教育された人間”の本来的な姿」が棄却されているわけですから。その人については、それはそういうものとして「まあそんな人もいるよね」と受け取っておくしかありません。学力比較がしたければ、無理に一般的な学力基準を作らなくたって、めいめいが勝手に「あいつ俺より頭よさそうだなー」「奴は俺よりバカだ」とかって思っておけばいいんです。
警察組織も必要なくなりますよね。別に治安がいいことをもって「社会の本来的なあるべき姿」とする必要は無いんですから、もし199X年に地球が核の炎に包まれた後のような暴力の時代が到来しても、またそこで弱者を救う世紀末救世主みたいなのが出現しなくても、「これは人間が生きていく本来の社会のあり方じゃない」と嘆くことは出来ないのです。それはそういうものなのですから。
他にも、現状を維持したり向上させたりする政策を立案・実施するためには、そもそもの発想の根源に、現状がそのまま維持された延長線上に想定される未来像や現状から何らかの意味で改善された未来像が、「本来そうあるべき像」として時系列的未来に投影されていなければなりません。もしそうしなければ、「本来あるべき未来」と、「現在」ないしは「メンテナンスを何も行わないという条件下で現在からの延長線上に出現しうる未来」との差分を検出することが、まったく不可能になってしまうからです。比較対照としての「あるべき像」が無いのに何と比較しろってのさ。
だから、さっきの199X年に、ミスミじいさんが種モミを必死に抱え込んで「明日がー明日がー」と叫んでいるところに割り込んで、明日の収穫のためではなく今日の俺の腹の足しのために種モミを食ってしまっても、何の問題もありません。そもそも比較すべき「明日=あるべき社会像」が存在しないんですから。「明日の収穫」なんてものは、勝手に「本来あるべき社会像」を未来に投影してこしらえた幻影なのです。その幻影と現在とを比較して「人間は本来的にあるべき“明日の収穫”から疎外されている」などというのは形而上学もいいとこです。厳然として存在するのは、目の前の「種モミ」だけなんですから。これがやがて稲穂の波へと弁証法的に発展していくなんてまだ見ぬ未来を夢想するのはヘーゲルやマルクスの読みすぎというものです。さあ、種モミなんて食ってしまいましょう。え、将来の人間が飢えてしまう? 何言ってるんですか、将来の人間なんてここにはいないじゃないですか。いたら今すぐここに連れてきて「飢えた人の発生」を実証してくださいよ。だいたい飢えたところでせいぜい死んで人口がちょっとばかり減るだけですから、むしろ上手い具合に人口の調節が図れていいんじゃないですか。それとも何ですか、まさかあなた、年がら年中腕に止まった蚊を叩き潰したり肉を食ったりして他の生物をどんどん殺しているくせに、ホモ・サピエンスは他の生物種とは異なって神に祝福された特別な存在だから常に生き残る価値があるだなんて、今のご時世に信じていたりするんですか?
いやー、しっかしそう考えると、なんでよど号ハイジャック犯が『あしたのジョー』を引き合いに出したのかがよく判るなー。あれってきっと、連中にとっては「擬人化された疎外論」だったんですよ。ほら、「あしたのために」とか「泪橋を逆に渡る」とか、本来性の掛け声がビシバシ響いてるじゃないですか。ジョーの本来あるべき姿って、段平オヤジにとっては「ボクシングのチャンピオン」、ジョー自身にとっては「憎いあんちくしょうをリング上で叩きのめしている自分」なのであって、そうじゃない現状のジョーはあるべき理想的ジョー像から「疎外」されているわけですよ。だからこそ段平はあるべき姿の「あした」を目指して、「あしたのために その1・フォイエルバッハテーゼ」「あしたのために その2・資本論」「あしたのために その3・共産党宣言」とかってのをせっせと書き綴るし、ジョーはジョーで欠かさずトレーニングして「内臓をえぐるように(カラシニコフを)撃つべし!撃つべし!」なんてやってるし。こんなふうに「あるべき姿」を必死に目指したって碌なことにならないのは、「ジョーをバンタム級のリングの上でぶちのめす自分」を「あるべき自己像」に据えて、「だめだ、この体重では俺はバンタム級のリングから疎外されたままだ」とばかりにむちゃくちゃな減量を行った力石徹が、自らの死をもって示しているのにねえ。
だから、庵野監督も大月Pも角川の偉い人も、エヴァンゲリオンをテレビ版の最終回でさっさと終わらせておけば、「僕はここにいてもいいんだ」→「おめでとう」パチパチパチで「そのままの姿でここにいる自分の全肯定」として話がきれいに収まったんですよ。それをよしゃあいいのに、劇場版(97年の)なんか作って「あるべきコミュニケーションのあり方」に話を膨らませちゃったりするから、「あれ、本当はこんなコミュニケーションのあり方はいけないんじゃないかな? 本来のコミュニケーションのあり方ってどんなのかな? 今の僕たちは本来のコミュニケーションのあり方から疎外されてるんじゃないかな?」みたいな方向に考えを向かせる契機を作っちゃうわけで。もう「そのままの自分まるごと全肯定」でいいじゃん。マルクス先生が「宗教はアヘンだ」って言ってるってことは、マルクスが失効した時代には文化的アヘンで疎外感を麻痺させて心の安寧を得ることもOKってわけですよ。アヘン超OK、全能感超OK!(ちょっと古いか。)
なに、そんなのはまやかしだって? おいおい、「現実」に目を見開いて「本来のあり方から疎外されたこの社会を何とかしなくっちゃ」なんて操作主義的な観点に目覚めた人がこれ以上増えたら、一億総ポルポト化ですよ。日本全国隅から隅まで「ドキッ!ポルポトだらけの粛清大会 ──(頭蓋骨)ゴロリもあるよ!」になっちゃいますよー。
ポルポトや文化大革命を呼び込みたくなければ、そんな疎外論チックな発想はさっさと捨てちゃって、身の回りの小さなことに幸せを見つけていきましょう。そうすればほら、きっと水さんだってきれいな結晶を作ってあなたの心の美しさを祝福してくれますよ。おっと、非科学的だなんてツッコミは無しですよ。「科学的に正しい世界観を持った国民」というのだってやっぱり“本来的なあるべき像”なんですから、そんなものを持ち出したら途端に「君の世界観はあるべき科学的世界観から“疎外”されている、再教育しなければ!」なんてことになってポルポト化ですよー。
……結局のところ、何かしら広義の「啓蒙」的なこと、つまり人々の精神や知的要素が無知蒙昧の「闇」に閉ざされているところへ「光」をもたらそうという時系列的進歩の考え方は、どうしても「光」の比較対照物として「闇」を必要とするし、また「闇」の比較対照物として「光」を必要とします。社会のよりよき状態を想定するところでは、その対照物として「よりよくない現在=闇」が、「光から疎外された状態」として持ち出されますし、現状を批判する場合には、それの比較対照物として仮定された「よりよき未来=光」が、一種のイデアとして持ち出されるわけです。「啓蒙」と「疎外」は、そういう意味でコインの裏表のように、切っても切り離せない関係にあります。
「疎外論」を完全に回避しようとすれば、結局のところはよりよき方向への変化という考えを完全に捨てて、「あるべき姿など無い、世はただあるがままにある」という考えに徹するしかないのでしょう。税制改正の提言は「よりよき税制度から人々が疎外されている」という現状認識の現われだし、著作権を巡る議論は「よりよき(ry」だし、そういうのを全部回避するとしたらもう、時系列的に制度などが変化した部分については「ああそう、変わったのね、まあそんなもんでしょ」、変化しない部分については「ああそう、変わらないのね、まあそんなもんでしょ」と等閑視するくらいしか手はなくなります。スピノザあたりがそんなことを言っていたような気がしますが。ニーチェの運命愛もちょっと似てるかも。
……でもこれって、
「“人はあるべき姿から疎外されている”なんてことを考えて現実を直視しようとしない連中の世界観は、人が本来的に持つべき物の見方から疎外されている!」
という主張にはならないのかな? それとも、「“あるべき姿”の主張がマルクスの論点に基づいていればそれは疎外論でありポルポトだが、マルクスに基づいていなければ疎外論やポルポトではない」という前提でもあるのかな。もしそうだとしたら、悪の大魔王マルクスの「悪のカリスマ」性の長命ぶりには驚くべきものがありますな。それとも、冷戦終結によって魔王バラモス(=マルクス)が死んだと思ったら、その背後で真の黒幕である大魔王ゾーマ(=真・マルクス)はしっかり生きていたという、ドラクエ3型のオチなのかしら。早乙女のジジイ!
例えば、
「やい臨獣殿! “強い者が世界を統べることこそ本来の姿、その本来の姿から疎外されたこの世界を変えてやる”なんて言って人々を苦しめるなんて、このゾワゾワのポロポロ野郎!」
「なーに言ってるのよ、あんたたちこそ“本来の獣拳は正義の拳、いまはそこから疎外されている状態だから臨獣殿を倒してあるべき姿に戻す”なんて言って、力ずくで正義を押し通すポルポトじゃないの。文句があるなら実力であたしたちをねじ伏せてみなさい、このカクシターズ!」
とか、
「おばあちゃんが言っていた、俺は天の道を往き総てを司るってな」
「天の道という“本来あるべき道”のイデアを前提して、万人をそこから疎外された者として見下すとは、君も愚かな男だな。社会においてもっとも重要なこと、それはパーフェクトハーモニー……完全調和だ」
「そう言いながら俺をつけ狙うのも、おまえの言う中和だか調和だかのうちか」
「ライダーは二人も要らない」
「一人のライダーに率いられた組織の完全調和……そこからはみ出した俺は疎外された存在ということか。おばあちゃん、いやポルポトは言っていた、そういう存在は完全調和のイデア世界には不要だとな」
「貴様、俺を疎外論者に仕立て上げるつもりか……だが俺は貴様を倒す。そうしなければ、俺が俺でなくなってしまう!」
「やはり“本来の俺”か……おまえは天の道を外れた」
「!……待ってくれザビーゼクター、戻れ、戻れ……戻れぇーーーー!」
(半年後)
とか。
http://anond.hatelabo.jp/20080226015115
Aさんの命日から2ヶ月ほど経ったある日。
今の家から電車で2時間。昔住んでいた家からは5km程の距離だ。
バブル期に分譲されたマンションだった。彼女の父親が羽振り良かった頃のものだろう。
家具は古いし内装を変えた気配もない。2人の娘がいた家だとは思えない。
父親の本棚には大月のマルクス・エンゲルス全集やその手の本がホコリを被って並んでいた。
彼女の遺影の前で手を合わせた。
49日を過ぎたが、まだ骨壺はそこにあった。
お墓をどうするのかまだ決まっていないという。
夫の墓に娘の骨を入れたくなさそう。複雑な家族環境がなんとなくうかがえる。
たぶん、もう一人の娘が片付いたら、夫と別れる気なんだろう
最初、母親は「娘のことは忘れてください」と何度も繰り返していた。
「ご迷惑おかけして申し訳ございません」と言うのだ。
気まずい雰囲気が流れる。
ただ、僕が学校での彼女の想い出を喋り始めると、やや空気は変わった。
やっぱり遺書めいた物は残していないらしい。
その理由を追い求めたくなるのは共通する。
知っている彼女と側面と別な姿を知りたいというのも同じだ。
最期の数ヶ月、「僕のために」通うことを承諾したのだという。
僕も、Aさんから結婚してくれと頼まれたことを伝えた。
お役に立てず申し訳ないというと、
母親は「あの子も、ラクになりたかったのでしょう」と答えた。
彼女の小さいときの写真を見せてもらった。高校の卒業アルバムも見た。
やはりいつも笑顔がない。なにか硬直した感じになっている。
笑うときもいつも引きつったような顔しかできなかったのを思い出す。
小学校高学年から大学生まで顔も髪型も何も変わらないというのも分かった。
プロポーズの言葉は「私の胸囲は小学六年生の平均だから」だったが、それは本当だった。
1時間ほどしたのでお暇しようとすると、玄関の音が鳴った。
父親が帰ってきたらしい。でも、まだ平日の3時前なのに早めの帰宅だ。
リストラされた団塊世代。きちんとした職に就いていないのだろうか
来客である僕に軽く会釈をした後、自分の部屋へ向かった。
来客が来ているのに何しているの、と口論をしているのが聞こえる。
どうもネットで株取引をしているらしい。
それから20分ほどして、羊羹とお茶が運ばれ、父親がやってきた。
「このたびは……」と切り出すが、会話は全く続かない。
命を絶った娘の遺影を前にして座る、男と父親。
話すべき言葉は何もない。
仕方がない。カバンの中から一つの封筒をとりだして見せた。
あるネットで彼女が自分の心境を書き殴った文章を印字してきたのだ。
それを伝えると、父親は封筒から紙を取り出し、食い入るように見つめ始めた。
それを見ながら、この人、顔も性格も娘とそっくりだなと実感した。
この父親も、子どもや社会とどう接すればいいのか分からなかったのだろう。
彼女が小さいときも、思春期になってもお互いの距離感を確認できなかった。
でも、なんとなくこのダメおやじの哀しみとジレンマも分かってしまった。
実は、もう一つ封筒を用意していた。
そっちにはAさんの両親に対する罵詈雑言も書かれていた。
でも、お互い、知らないこともあった方がいい。
来てくれてありがとうと繰り返した。
僕と同様、彼女の死をどう受け止めればいいのか分からなかった。
その気持ちを共有する人間を求めていたのだろう。
で、両親の気持ちも分かってしまった僕は行き詰まった。
Aさんの気持ちで考えれば考えるほど、絶望しか目の前にはない。
あの子に、もう他に生き残るための選択肢はなかったんだと痛感した。
崖っぷちに立った僕に見えるのは、ただ真っ白な霧だけだった。
その2週間後、僕はついに潰れてしまった
333 : 今日から社会人(埼玉県) [sage] :2008/01/22(火) 14:22:49.78
東京駅 16:15発
新宿駅 16:30発
三鷹駅 16:44発
国分寺駅 レ
立川駅 16:55発
八王子駅17:04発
高尾駅 レ
大月駅 17:33着 乗り換え
大月駅 18:08発
富士吉田19:20発
バスの終点近くに富士眺望の湯(22:00まで 定休日注意)があるのでそこで温泉に浸り、
国道沿いに風穴まで徒歩。(上記の料金の+1000円は温泉の入泉料(19時以降料金))
以後自由行動。
342 : ほっちゃん(東京都) :2008/01/22(火) 14:24:33.79 ID:vquOQOq50
諸君、そろそろ出発の準備を
使用便 中央高速バス 富士五湖方面行き 1115便 運賃\1,700
↓
河口湖駅 17:55着
路線バス乗り換え 本栖湖行き乗車の上、「富士緑の休暇村」、または「風穴」で下車
↓
河口湖駅 08:04着
會川昇 浅羽通明 東浩紀 庵野秀明 石@森プロVS宝島問題 石@森プロVSマンガ夜話問題 伊集院光 エヴァ現象 大塚英志 大塚VS岡田問題 大月隆寛 大月アニメ 岡田斗司夫 落合信彦
加藤典洋 ギャルゲー 切通理作 桑島法子 呉智英 小林治 小林よしのり 小林よしのりVS宅八郎 小森まなみ 小谷野敦(つづき)
サイコ版権引き上げ騒動 齋藤環 桜井亜美 白倉由美 白倉VS桑島問題 セカイ系
大地丙太郎 田中芳樹 富野由悠季 富野伝説 永井豪VSマンガ夜話事件 永江朗 波乗り! アニメジャーナル
ブンガク 宮崎哲弥 宮崎駿 宮台真司 村上春樹 福田和也 藤岡信勝 安彦良和 SFである・ない論争 TVゲーム