はてなキーワード: 三鷹とは
それ自体はわかるけどさ、
「ホストに引っ掛かる女性が馬鹿で済まされるんでしょうか」とホストに騙されて900万を貢いだ娘の母親が訴えた時、どれだけ「当たり前だ自業自得だろ」という反応が溢れたか
韓国で暴行された女性にもどれだけ「自業自得!」「バカ女」「帰ってくんな」というコメントが殺到したか
小金井殺傷事件だってそう。警戒を怠った被害者が悪いこれだからま〜んはという声が溢れていた
いやそれどころか、殺害された女性にだってどれだけ被害者バッシングが溢れたか
三鷹ストーカー殺人事件も、ルーマニア邦人女子大生殺害事件も、カナダで日本人女性が殺された事件も、自業自得ビッチザマァま〜んwwという被害者叩きばかりだった
殺された上にリベンジポルノでおま●こが全国デビューした三鷹くぱぁやの親「懲役22年は軽すぎる、死刑にしろ」
http://worldrankingup.blog.2nt.com/blog-entry-9816.html?sp
何で日本人女性ってルーマニアレ●プ殺人事件とかから教訓を得ずに白人に殺されちゃうの?
http://worldrankingup.blog.2nt.com/blog-entry-10762.html?sp
見るに耐えない被害者叩き、女叩き、侮辱の嵐。それが被害者遺族にまで向いている。被害者遺族をオナホ職人呼ばわりして笑っている。コメント欄もそれ以上に酷い。こんなのはほんの一部だ
「俺達は被害者叩きすることで次の被害者が出るのを防いでやってるんだ!俺達こそが親切なんだよ!」
なら、頂き女子りりちゃんの被害者を叩くことだって親切な女が次の被害者が出るのを防いでやってるってことになるじゃん
性被害に関してだって必ず沸く「俺達は被害者叩きすることで自衛を促して次の被害者を出さないようにしてやってるんだ真の女の味方なんだよ」論
それなら頂き女子りりちゃんの被害者を叩く事だって自衛を促してるだけってことで許されるじゃん
なんでそっちだけ許されないの
女に対して散々自業自得自業自得自業自得ビッチま〜んwwwと口汚く叩いてきたんだから、
殺されたわけでも脅されたわけでもなく若い女に夢見て大金貢いだ男だよ?
女がされてきて嫌だったことを男にするな?
じゃあ何で、女が被害者叩きされてる時それを止めてくれなかったんだよ
というか
https://note.com/neroreport/n/n411e9f1e8ce1
このnoteの主だってDVで殺された女性に「女の命をかけたギャグ」とセカンドレイプかましてるんだよなあ
謝罪もせずにしれっとポスト消したしhttps://archive.md/sOb8x
関東で人気なのは、もちろんまず東京。都心近くは高いので郊外ね。最近の立川市の発展はビックリする。俺が学生の頃とはえらい違い。八王子市も発展している。当然都心までの通勤圏。八王子ニュータウン(みなみのシティ)なんかは自然も豊かで良さそう。でも金があるなら三鷹とか杉並とかが都心に近くていいんだけどね。
そして神奈川県。東急沿線(田園都市線・東横線)が定番。俺の親戚や学生時代の友人たちも結構住んでいる。川崎市や横浜市の郊外ね。環境もいいし東京まで便利だし住みやすそう。でもやや高めかも。
湘南も人気だし、俺の親戚や知り合いも結構住んでる。平塚とか茅ヶ崎とか大船とか。一応東京までの通勤圏で環境が良い。 あと、三浦半島(逗子・葉山)は東京近いし環境最高なんだけど高いかな。
あとは、やっぱり埼玉と千葉が多いよね。千葉の都市部ね。房総半島の田舎じゃなくてね。埼玉県の南部の都市部は実質東京の郊外だね。さいたま市はでかいし。
メインカルチャーとは、世の中において健全な文化と見なされ、大学で学問対象として研究されたりする文化である。
戦前から現代まで続いている文化が多く、いい意味でも悪い意味でも「保守的」と言われる。
そしてサブカルチャー、通称サブカルとは新興文化であり、上記のメインカルチャーと比べて主流とは言えない文化である。
メインカルチャーが大人向けの文化であるとすれば、サブカルは若者文化と言えるだろうか。
東京の文化で考えてみると地域で分断されているので判り易く、旧東京市の旧市街エリアでメインカルチャーが盛んである。
そしてサブカルチャーは戦後開発された西側エリアで発展している(ただし秋葉原は例外)。
銀座・日比谷・有楽町…巨大劇場群や有楽町マリオンなどの巨大百貨店が集まっていて、銀座は言うまでもなくメインカルチャーの中心。最近の若い人は「有楽町で逢いましょう」なんて知っているかな。
上野…上野公園の美術館と博物館、東京芸大と町そのものが芸術の街。
上野広小路・浅草…上野アメ横や戦前から続く浅草の繁華街。落語の寄席や演芸場が多い。
深川地区…両国の国技館、もう一つの伝統芸能である東銀座の歌舞伎座。
被害者は卑猥なあだ名で辱められ、自業自得と野球選手だかにも罵られ、それが正論と庇われ、ネット上の至る所で罵倒されまくった
最近、三鷹ストーカー殺人事件の解説動画をyoutubeで見た
被害者叩きはなく、加害者に憤り被害者を悼む内容で、コメント欄も同様だった
当時被害者叩きが溢れていたというコメントに、そいつらクズだという反応があった
時間が経ってやっと被害者叩きがなくなり、冷静に被害者を悼むことができるようになったのだ
小金井ストーカー殺人未遂事件の解説動画も同様に、被害者に同情し加害者に憤る内容だった。当時は被害者がまとめサイトやツイッターで叩かれまくっていたのに
山口達也のわいせつ事件の解説動画、漫画動画も同じだった。当時はyoutubeでも被害者叩きが溢れていて、「ハニトラ仕掛けたJKはこちらw」なんてデマ動画も溢れていたのに
国立〜三鷹が似てるって言うけど、わりと個性があるんじゃないかな。生まれ育った身近な環境だからこそ見えないものがあるのかな。まあ確かに武蔵小金井/東小金井/武蔵境は駅名も駅付近の雰囲気も似てるかもしれん。駅名はともかく、雰囲気が似てしまうのはディベロッパーのビジョンの無さが悪いと思うわ。
国立は一橋大のある学園都市で、かつ多摩地区屈指の高級住宅街でもある。ただ、線路沿いを歩くとわからないかもしれない。線路から少し離れると豪邸がたくさんあって高級車が並んでる。
国立駅前には大正時代に建てられた貴重な木造駅舎が修復されて復元されている。市の予算でやったらしい。誰でも無料で入ることができて、人々が休んだり待ち合わせしたりしてる。原宿駅は復元しないのかな。渋谷区民はどう思ってるんだう。
国立駅から西国分寺駅方面に向かう線路沿いにも、沖本亭という昭和初期に建てられた屋敷が現存している。最近カフェとして営業しているので、建築に興味がある人はぜひ行くといいと思う。
久保田早紀さんの異邦人という歌は国立駅前の光景を歌っている。増田は全く世代ではないけど、今聴いても色褪せない不思議な歌だと思う。あそこでうたわれてるような憩いの光景がずっと残るといいなと思う。
国立駅の北側は南側みたいにデザインされた街ではないけど、鉄道総研があって、新幹線ひかりが開発された街として有名。それにちなんで街の名前を光町に変えたらしい。0系後継の試作として作られた951形が展示されてる。あとその近所にラーショがあるんだけど、ラーショの中では一番美味いと個人的には思う。
国立駅と西国分寺駅の間には、武蔵野線支線の出入り口がある。運がいいと貨物列車が地下に潜っていくところを見ることができる。鉄道輸送の意外な要所。貨物列車には一般人は乗れないが、国立駅からむさしの号というやつに乗ればこの地下には潜ることができる。ちなみに増田は甲種輸送?だか配給輸送?だかのスーパービュー踊り子が地下からグワッと出てくるところに偶然出くわして、めちゃくちゃ興奮した。撮り鉄はなんであそこ狙わないのかな。国立駅で駅員に叱られてるのを見るたびに不思議に思ってる。
西国分寺駅はちょっと面白い構造をしている。国分寺周辺はハケと呼ばれる丘陵地帯になってるんだけど、中央線はそこを東西に掘削して開通している。丘陵の上を南北に走る武蔵野線がここで中央線を跨いで直交する。西国分寺の駅舎は丘陵の上(武蔵野線の高さ)にあるため、中央線では珍しいホームが改札より低い位置にある駅ということになる。
西国分寺駅と国分寺駅の間は野川という川が流れていて、そこだけ丘陵を削るようにグッと低くなっている。水源は線路北側の日立の敷地内にあるらしい。川を下って調布の方まで行くとオイカワや夜はナマズなんかが釣れるとのこと。
西国分寺からすぐのところには、都内に2つしかない都立図書館の片方がある。ここではあらゆる雑誌が読める。地方ではとても望めない圧倒的な贅沢。それと、ちょっと南側の方に行くと多摩総合医療センターというクソデカ総合病院がある。こういうのがある地域ってのはほんとに恵まれてる。
それと、武蔵国分寺跡という史跡がある。付近は公園になってて、小春日和や秋晴れの日にこの辺りを歩くとなんとも言えない良い気分になる。歴史の趣というか諸行無常感みたいなものを感じるし、それに対して昔から変わらないであろう草木の臭いとか小川の音がいいんだろうな。色んな想像が広がるし、逆に頭の中空っぽにもなる。
国分寺駅周辺は古き良き中央線の猥雑な雰囲気が(なんとか)今でも残っている。村上春樹が若い頃にジャズ喫茶をやってたこともあってか、今でもジャズ喫茶だったり中古レコード屋だったりがちょっとだけある。こういう街の空気感はこれからも失われないでほしいけど、難しいだろうな。
国分寺市の際立った特徴として、大学進学率が90%を超えているらしい。全国平均は50%とかで頭打ちしてるはずだから、凄い外れ値だ。たしかに早稲田実業とかあるけど、なにがそんなに国分寺を勉強熱心な土地柄にしてるのか不思議。
武蔵小金井/東小金井/武蔵境は似てると書いたけど、そういえば武蔵小金井にはラーメン街道というのがある。その名の通りラーメン屋がたくさん軒を並べてるんだけど、正直おすすめの店は特にない。あと、ラーメン街道ではないけど、大勝軒の新しい一番新しい分派の武蔵小金井大勝軒というのができていたりする。
そんなラーメンが盛んな武蔵小金井に対して、東小金井と武蔵境は油そば屋が多い。油そばの発祥の店の珍々亭が武蔵境にあって、そこから広まったらしい。ただ、油そば発祥の店には別説があって、それは国立にある三幸という店なんだけど、国立に油そば屋専門店は全く無い。この違いはなんだろうな。この三幸の油そばはかなり美味いのでおすすめ。
つらつらと書いてきたけど疲れたな。三鷹以東とか、高尾〜立川とか、青梅線沿線とか、まだまだ色々あるけどもう終わりにするか。明日も仕事だしな。
最後にひとつだけ、東京農工大の馬術部が売ってる馬のLINEスタンプがおすすめだから馬好きな多摩地区民は買おう。中央線から見えるあの馬たちだ。
立川も八王子も駅前は多少栄えてるけど、ちょっと歩けばウチの近くと似たような景色になる。ハリボテみたい。海もなければ多摩川も遠いし、デカい公園もない。昭和記念公園は金を取られる。
いくらかマシな駅前でも、遊ぶには金がかる場所ばっかりだ。高校生の頃、雑費込み5000円の小遣いじゃ大した事はできない。電車に乗って遠くに行く機会も中々ない。
昔一回嫌気が差して新宿まで出ようと決めた。大学入るまで電車通学したこと無かったから、知ってる「都会」が新宿くらいしかなかった。金がもったいないから行きは歩き。
国立から線路沿いに歩いて、三鷹辺りまでは似たようなつまんねー町並みが続いた。無機質なコンクリの高架と、その足元の人が入ってんだか入ってねーんだか分からんピカピカの商業施設。それを囲む家。時々森林。つまらん。
でもそこらを通り過ぎると個性が見えてくるようになる。まず駅前の雰囲気が画一的でない。でけえ掘っ立て小屋みたいな駅舎とツルツルのアスファルトの閑散としたロータリーみたいなワンパターンじゃない。駅の形がおもしれえ。
乱立する店も金はねえから利用はできないが、それでもプラプラ歩き回りながら眺めてるだけで楽しい。
マックや松屋、ビッカメやルミネを眺めていても何も楽しくねえけど、ここは違う。見慣れない街への新鮮もあるだろうけど、それ以上の何かがある気がした。街に色があった。
中野で断念しちゃったけど、今でもアテもなくフラフラ歩き回るのがすきなおれの原体験だ。
大学も多摩だった。おれはもう一生をここで過ごすのかもしれないと思った。このままでは魂が多摩色に濁ってしまう気がして、わざわざ都心のバイト先を選んだ。初めて目白という地名を知った。往復1000円弱がタダになるのはデカい。
無駄に一人暮らしして、最寄りが中央線から京王になってなんか新鮮だった。多摩内を南西に移る虚無の引っ越しだった。
中1までは本気で日本の電車とは中央線が北海道から九州まで繋がってるもんだと思ってた。乗り換えという行為の意味が謎だった。
新宿での乗り換えで一旦駅を出て、覚えたてのタバコで一服するのが恒例だった。西口の喫煙所でモード学園のビルを眺めながら一息ついてると主人公にでもなった気がした。
目白ではバイトの休憩中に学習院へ侵入して一服するのが好きだった。キャンパスがおれのとこと違ってザ・大学って感じがした。附属の生徒が構内を歩き回っていた。おれの母校も小中高一貫校で、小学生が学食でチョロチョロしてるのが嫌だったのを思い出した。
マックスキャロットに行こう行こうと思っていて終ぞ行かずじまいになってしまった。今度行かないとな。
一回金なさすぎて目白から帰れなくなった。みどりの窓口がある池袋まで歩いて、Suicaを払い戻して現金を手にし事なきを得たのも思い出深い。
この頃から都心の雰囲気に少し慣れ始めた。同時期から服装に気を遣い始めたのもこれと無関係じゃなかったかもしれない。
元々フラフラ歩き回るのが好きだし、そのステージが多摩から遥かに豪華になったのが嬉しくてたまらなかった。都心はすげえ。立川より立派な街並みが隣の駅まで歩いてもずっと続いてる。バイト代もあるからかっこ良くて履き心地の良い靴も買えるようになった。
バイト帰りに、当時流行りだしたサウナへ寄って一泊するのも好きだった。親の同意書も要らず外で泊まれるようになったのが嬉しかった。まあ以前も自分の字で書いて出してたけど。朝から一風呂浴びて、さっぱりした身体で上野や錦糸町をふらつくのも新鮮な体験だった。
バルト9では深夜も映画が観られる事を知った。ゲーセンもファミレスも夜は閉まってしまう時代で、こんな場所があるのかと思った。夜を映画館で過ごすなんて、マンガや映画に出てくる不良少年みたいな体験で興奮した。
終電で適当な駅に降りて、夜通し歩き回るのも好きだった。夜中の鵠沼海岸でボーッと波の音を聞いたり、誰もいない江ノ島を歩き回った事もあった。