はてなキーワード: 卒業アルバムとは
フジテレビのドラマの小道具に「JAP」と書かれていた問題で、一人のドラマスタッフに注目が集まり、彼が「犯人」と推認された。2chには彼の中学時代の同級生が出現、卒業アルバムを晒し、このドラマスタッフは「在日」だと証言した。どうして在日だと分かったかというと、
友達ってほど仲良くはなかったけどね
当然って言い方したけど本人に聞いたわけではない。それは撤回するわ
具体的エピソードはあまり思い出せないスマソ
ということで、学校の中で「このスタッフは在日」という話が広まっていたみたい。
最近の中学生は会話の中に「在日」なんて言葉が飛び交うの?と驚いた。30代のおっさんは中学生時代、「在日~」は社会化用語くらいにしか思っていなかった。このドラマスタッフは24歳くらい。中学生時代は9年前として2002年。日韓W杯でネットで嫌韓が爆発的に流行った年でもある。同級生の他のレスも見てみると私立中学っぽいので早くからネットに浸ってそう、ってことを考えると別段不思議ではないのか。
2002年より格段とネットが広がってる今は、「在日」について噂する子がもっと増えてそうだ。少し前に、「日本史の授業でハングル教えた女教師」のニュースがあったが、最初に2chで告発した高校生の生徒のレスにも、「苗字は左右対称」として暗に在日を匂わす書き方があった。
高校の日本史の授業なんだが教師がハングルの練習をさせてくるんだがこれって問題じゃないのか
しかも校外学習では関東大震災時に朝鮮人虐殺となった場所の見学
苗字は左右対称
昔もテレビや雑誌の記事を鵜呑みにして物知り顔で話すことはよくあったけど、今はネットなんだよな。最近だと「お前フジテレビ見てるのーwww」とか言ってからかって遊んでるのかな?
中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。
彼女の言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないで欲しいと思った。知るのが怖かったのだ。
教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタートと悪魔がせせら笑った気がした。
私はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子も男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。
昨日まで楽しかった学校が拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。
私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期の少年少女にありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。
無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校は勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。
2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものではない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。
私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。
血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界からの情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。
無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活だけが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。
オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このときの絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。
家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。
「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した。
私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から「牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。
突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度も登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。
恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日の目標ができて私は嬉しかった。
それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通のことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。
3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイトは不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。
3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間に勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後は先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。
年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーだからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。
合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生と報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。
私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情のダムは決壊した。
気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。
その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子が牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。
卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式は合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトはアルバムに寄せ書きをしたり写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。
下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした。
「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後の最後で味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした。
帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい。
http://anond.hatelabo.jp/20101219200313
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101217-00000630-san-soci
「友人のいない孤独な男だった」。殺人未遂容疑で逮捕された斎藤勇太容疑者(27)と小学校と高校で同級生だった男性(27)は斎藤容疑者のことを振り返る。
茨城県取手市内の県立高校の卒業アルバム。クラスメートたちは手をつないだり、肩を組んだり、同じポーズでレンズに笑顔を向けていた。斎藤容疑者はただ1人笑わず、ほかのクラスメートとも絡んでいなかった。
高校の休憩時間には教室で1人座り、夏目漱石や太宰治の本を読んだ。小学校の卒業文集に私の宝物を「本」、趣味を「本よみ」と記し、将来の夢を「小説家」と書いていた。
高校で副担任によく「声が小さい」としかられるほど、物静かな青年だった。男性は「容疑者の名前を聞き、すぐに、あいつだと思った。おとなしい男なのになぜ」と絶句した。
まずはじめに私のスペックを書きます。都内で四本の指には入る私大卒(ミスコン経験、でも落ちました!)、20代半ば、普通のOLです。趣味はホットヨガ、ネイルアート、あとスポーツ観戦とか? 食べ歩きもします、あと読書や映画はめっちゃ好きで、卒論はラテンアメリカ文学でした。
さてここで嫌気が差した方々、おめでとうございます、あなたは非リア充センターポジションです。
そしてさらに煽るようなことを。
今までの彼氏の数は3人(今も続いてます)告白されてきた数は多分20ぐらい。合コンは行ったあとはメールがいっぱい来ます。肉便器と言いたくなった非リア充さん、いままでに付き合ったことのある人数を教えてください! ヨロシク!
いわゆるモテる・スイーツ・でも付き合いたい、よく言われます。かわいい、賢いね、機転が利くね、よく言われます。付き合って、よく言われます。男友達、女友達ともにたっくさん、それが私です、ごめんね~! リア充でぇー。(甲高い後輩の声で)
さて、世の中にリア充しねば、という人々が蔓延っていますが、その人の言葉はどうしようもなくねたみやうらみ、そねみでみちあふれていますことね? 私もそんな中の一人でした。少なくとも、中学校までは、フツーにいじめられてました。いや、嘘じゃなく。しょうじきにいえば、中学の卒業アルバムに、先生しかコメントかいてくれてないです。(捨てたよ!)
さてこっからいじめられた経験についてお話しましょう! 私、小学校から中学校まで、友達、いませんでした。そんでもって、普通に男子にきめぇきめぇ言われてました。いじめられた経験がある人ならわかると思いますが、いじめをしてくる異性というのはただならぬ恐怖心を植え付けます。
私はXX菌ならぬ、「XX皮膚(当時、私はニキビひどかったので)」という理由でいじめられました。
ちょっと男の子に自分の持ち物が触れただけでも「まじやべぇ、けがれた」とか言われたし(どんな穢れだよ!)、無理やり学級委員を同じようないじめられっこ男子と組まされてやらされたり、あとは席替えで、隣の席になった男子が、本当に嫌そうな顔で私のほうをむいて、机を10センチぐらいわざとらしくずらすのが懐かしいです! 死ねばいいのにとおもいました! 席替えは本当に怖かったなー。
でも学校に行き続けました。私、死んだら負けだと思ってました。死ぬやつはクズだなあと思ってました。テレビでいじめを苦に自殺する女の子や男の子たちのニュースが流れるたび、バーカ! 負けてやがる! とひねた風に思いました。でも毎日辛くって毎日泣いてた。学校は正直行きたくなかったけど、保健室にいるあの子やあの子やあの子やあの子のように、弱くはなりたくはなかったんです。
そうして私、おべんきょうして、ちょっと離れた進学校に通いだしました。そこは共学でした。
私はとりあえずちょっとでも自分を変えようと思ったんです。まず外見。それが全部今に繋がってる。
最初に春休み、皮膚科に通うことに決めて、にきびを治しました。すぐに完治ではないですが、汚いけどそこそこ見える顔、に治りました。眉毛を切って、縮毛強制をました。(当時、今も? さらさらロングはやりだったんです)。
まず外見から。これが功を奏した。
高校スタートでは無事、浮きませんでした。なんていうか、みんなフツーに接してくれた。でも最初、人付き合いというのは本当に難しかった。ほぼ親とぐらいしか話したことのない私は、同性も、異性も、話しかけ方なんてわからなかった。
そこで失敗しながらも学んだこと、それは、聞き役を頑張ること。はじめは喋り方がわかんなくて、同じグループになった女の子たちにもオタオタと喋りかけたり、その会話が長すぎたり、または変な主張のようになってしまって、よくえ? って顔をされました。でもそれが、逆によかった。
人がえ? っていう顔をしたときは、それが、あなたおかしい事言ってますよ、という合図なんだと、15歳にしてようやくわかったんだもの(そしてそれをわからない成人男女もいかに多いことか)。
多分、会話に慣れていない人は、同性や異性のリア充っぽい人に、え? ってされるのがとてつもなく怖いんだと思います。自分を拒絶してる! 敵だ! って思うんじゃないんでしょうか。
でもそれは、自分がトンチンカンなことをただ教えてくれているにすぎないんです。
全部が全部、あなたをつつみこんでくれる、家にいるかーちゃんばっかじゃないんだ、と私はそこでようやく気付きました。人付き合いって言うのは、相手を不快にさせないようにするものなんだって。だから、私は言葉を区切ることを覚えました。人の話を聞くことを覚えました。上から目線で(私それしってるけど~)っていわれるのは、私も言われるのが嫌だと思ったから、いわなくなりました。
若かったのでしょう、会話の方法もつかめたし、男の子の肩も気軽にたたけるようになったし(それまで異性に触るって言うのは、本当にすごいことだと思ってた)、コミュ力と最低限の外見は身につきました。
あと、最後に学んだのは、これはさっきも言ったんだけど、リア充は全部「敵」じゃないってことだった。むしろ、人間だった。いじめっこは許せない(もうどうでもいいけど)、でも、目の前にいるイケメンやかわいいリア充ちゃんたちは、いじめっこじゃなかった。普通の、ただの人間だった。
私はずっとリア充を仮想敵にしていたんだけど、敵じゃないとわかって、普通に付き合っていく方法を覚えた。これで人生が、生活がスムーズに行ったんです。
バカにされない人生はたのしいということを、私は高校生になって知りました。
最後にまとめ
さて、ホットヨガをしている、ネイルアートが好き、などというと、あなた方は世論に惑わされたスイーツだとお思いになりましょう、でも、あなた方はそれをどのぐらい知っていますか?
脳みそからっぽな女がやってる馬鹿なことだ、さて、その脳みそからっぽなことをやっている人間がいるのは日本だけで何人いるでしょうか。そしてそれは日本だけですか?
あなたが好きなアニメやマンガ(私もアニメは普通に好きです、Vガンとか)、ネットで流行る音楽にはまること、それとホットヨガやネイルアートや食べ歩きに精を出すこと、それってどう違うの?(クリエイティブにならず、双方ともに消費するという場所に立っているだけでお考えください)
今から十年前のことだ。
あの頃は、今よりずっと人付き合いが苦手で、でも一人でいるのも恥ずかしく、必死で友達を作ろうとしていた。
いじめと呼べるほどのものではない。ただ昨日までは机を突き合わせて一緒にお昼を食べていたのに、今日になると突然私の机だけがはじかれているとか、聞こえるギリギリくらいの声で悪口を言われるとか、そういった地味な仲間外れが度々起こった。一大決心で他のグループに入れてもらっても、仲良くなるとそこでは売春や万引きが当たり前だということが判明。自分に合う友達はなかなかできなかった。
卒業間近にはようやくあるグループの中になんとか入ることができたけれど、「高校生活、うまくいかなかった」という感情が残ってしまった。そして最終的に仲良くなった子たちとも、卒業後何年かしてちょっとひどいことが起こって、付き合わなくなった。
卒業アルバムは捨てた。学生時代のものは、もうほとんど何も残っていない。
「死にたい」って言葉ばかり並んだ、あの頃のノートだけは捨てられずにいる。
毎日お茶したり、お昼を食べたり、放課後には当たり前のように集まってじゃれ合っている。
憧れの日々。
1期と2期を通して見ていたら、一緒に高校生活を楽しんでいるような気分になった。
そしてふと思った。ムギって、ちょっと浮いてるよね。
なんだかんだ言って幼馴染って特別な絆なんだ。律は澪で、唯は和ちゃん。あずにゃんは後輩だからまぁいいとして。あの「みんな仲良しだけど特別仲良しはいなくてちょっと浮いてる感」が、うまくいってる時の私とちょっとダブった。ただし逆のベクトルで。ムギの場合は一人だけお嬢様だけど、私は一人だけ貧乏な家の子だった。みんなは大事に育てられてる子たちで、私はその逆。
決めた。
私は高校時代を、この桜が丘高校軽音部で過ごした。
毎日みんなと一緒にお茶して、いっぱい笑って。
中でもムギと特に仲良しだった。
そういうことにした。
だからもう苦しむ必要はないんだ。
職場での世間話の途中で学生時代の話になったり、テレビに高校生が映ったりする度に落ち込んだりしなくていいし、彼氏が友達の話をする度に自分たちを「うちら」と呼ぶことにいちいち傷つかなくたっていいんだ。唯が「卒業アルバムは一生残るんだよ」って言ってたけど、私の卒業アルバムは大嫌いな人たちが載っている捨てたアルバムじゃなく、みんなに髪を整えてもらって撮った桜が丘のアルバムなんだ。
多くの人にとってはただの萌えアニメかもしれないけいおん!だけど、私にとっては青春だ。
けいおん!ありがとう。
大好きを、ありがとう。
ずっとずっと苦しかった三年間の思い出を、書き換えてくれてありがとう。
長いよ。ごめんね。
時間もあったので、1時間ほど近況報告をしながらお茶を飲みました。
慰謝料はもらえず、養育費とアルバイトで生活しているのだとか。
実家の近所に住んでいて、アルバイト中は子供を実家に預けているという。
離婚してから精神状態が悪くなり、重いうつにかかってしまい、入院も経験。
今もぜんぜんよくならなくて、薬をたくさん飲んでいて、よく死にたくなるのだそうです。
ほら見てと腕まくりをすると、無数のひっかいたような白いリスカのあと。
彼女とは、その後もたまにメールのやり取りをするくらいの付き合いが続きました。
ある日、友達と旅行に行く直前になって、彼女から添付ファイルありのメールが届きました。
「死にたい、もう死ぬ、私もうダメ」という本文と、腕に切りつけたような傷の写真。
でも、先日ダンボールを切るときに勢い余ってカッターで切った傷よりぜんぜん浅い。
旅行をあきらめたとしても、彼女の家までかけつけるには、少なくとも2時間はかかります。
子供を頻繁に預けていることでわかるとおり、彼女の家から実家までは徒歩圏内です。
両親と祖父祖母、社会人の弟妹がいるので、人手もあります。
卒業アルバムをひっくり返して電話番号を見つけ、なんとか連絡をつけました。
すみませんと謝る妹さんに、早く行ってあげてと声をかけて、その件は終わりました。
終わったと思っていました。
旅行に行って早々に、携帯メールがうまく受信できなくなりました。
旅行先でショップに持ち込み、原因がわかって、設定を変更しました。
受信できるようになったとたんに、ものすごい数のメールが届きました。彼女からです。
最初のほうのメールはこんな内容です。1文1通な感じ。絵文字も使っています。
ひどいどうして返事してくれないの?
ずるいよ来てくれたっていいじゃない。
どうして○○(妹)ちゃんに電話したの?
まだまだ続いています。漢字と絵文字がなくなります。200通を越えたころです。
いたいよちがでてまっかだよしんじゃうよ
かぎかけてはいれなくした××(私)さんだけいれてあげる
なんできてくれないのなんでめるめるしたのに
たすけてたすけてたすけてなんでこないの
そして、数えるのも面倒になった最後の方。ご丁寧に赤文字です。
しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね(以下略)
ひとごろしひとごろしひとごろしひとごろしひとごろしひとごろしひとごろし(以下略)
とんでもない通数に、パケット定額に入っていてよかったと思う反面、
何で私がそこまで面倒見なきゃいけないわけ?と不満に思って、内心ムカムカしていると、
友達が教えてくれました。(同じ中学出身で実家住まいなので、地元の情報には強い)
噂なので話半分に聞いてね、と言われたことによると、
洗濯掃除は旦那さんの仕事。彼女は買い物と食事の準備が担当(専業主婦ですが)
貯金を1ヶ月、給料を3日で使い果たし、実家に金の無心「ダンナが安月給だから」
朝食が食パンに牛乳、夜はファストフードかスーパーのお惣菜、カップめん。
子供が出来たら、食事の準備も旦那さん。気晴らしに一人で遊びに行き、朝まで戻らない。
あげく、生まれた子供は明らかに人種が違う。日本人じゃない。すったもんだして離婚。
実家に戻るも、資金不足とワガママが通らないことで頻繁に自殺未遂。別居になる。
そういう状態なので、地元にはもう相手にする人がいないらしい。
そうかー、私はいいカモだったのねぇ。メールアドレスを拒否設定にしました。
その後は平和です。
自宅の住所と電話を教えなかったのは、何か感じるところがあったのかも。
部屋の片隅、机の脇から、地元テレビ局のロゴが入った紙袋が出て来た。
長らく忘れていた、消したい思い出が瞬時に蘇った。
中身はタオル。謝礼として贈られたものだ。
手渡しで貰った日から今まで、使うこともなく放置していたのは、死人に鞭打つような最悪なことをしでかしたからだ。
あの日の私は紛れもなく、相当に頭の狂った馬鹿だった。
5年前、中学時代の友人が亡くなった。事故ではない、病死でもない、自殺なんて選ぶヤツではない。
その報せを、私は顔も知らない女の声で知った。買い物をしている時だったかな。
女はテレビ局の人間で、部活の後輩の携帯電話から掛けてきていた。
泣き喚く私に女は、友人の写真を持ってないかと聞いてきた。
友人とは、学校では話したが一緒に遊びに行くような仲ではなかったので、写真はないと伝えたが、相手は食い下がる。
卒業アルバムでもいいから、彼が写っていれば何でもいいから。
ここで是が非でも断れば良かったのに、了承してしまった。
帰宅して両親に大反対されたのに、渡してしまった。
数日後、卒業アルバムと一緒に、例の紙袋が手渡された。
その時にはもう頭が冷えていて、どうしようもなく愚かなことをした自分が情けなくてしょうがなかった。
もう5年も経つから許してと、紙袋に入れられていた箱の封を切った。
中から出てきたタオルはとても柔らかかった。何故だか分からないけど、それが逆に辛かった。
何かの景品で貰ったと偽り、タオルを母に渡す。母の笑顔に苦しくなる。
私の部屋からタオルは消えたけれど、この先10年経っても20年経っても、この罪悪感は消えなくて、
私は友人に二度と許されないんだろうな、と思う。
ちなみに、友人を刺し殺した馬鹿は今でも捕まっていない。
もう捕まることがないのなら、地べた這いずり回って苦しみぬいてから野垂れ死ね、と強く願っている。
卒業式で、一緒に写真を撮りたいと顔見知りくらいの同級生に言われたのでOKしたら、
その人じゃなく他の人と撮って欲しいということらしく。
卒業式のときくらいはせめて女の子と撮りたいという人が少なくなかったので、
最後に写真の1枚や2枚くらい一緒に撮りますよーくらいのノリでOKしたのだが、
肝心の一緒に撮りたい人がそこにいなかったのでそのまま解散。
卒業証書の授与のために教室で待っていたら、周りが騒がしくて。
「一度でいいからお話して思い出にしたい男を見守る」的なのに遠巻きに囲まれて、げんなり。
それでも本人からのアクションはぜんぜん、少しも、これっぽっちもないんだぜ!
そのあとの仲間内の飲み会のときにさんざんネタにされて、腹がたってしょうがなかった。
後日、仲の良い子と会ったときに名前を教えてもらった。
「もったいつけてあっさり振った」ことになっていて、なんだよそれーって。
まあ、卒業アルバム見ても「そういえばいたような」くらいの人だったし、
もう会うこともないだろうから、どうでもいいんだけど。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1352754.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1352754.html
冬は氷点下が当たり前の地域で、選択できる公立高校はほぼ全て私服校、っていう環境でした。
(ちなみに田舎なので、平たく言うと私立=公立行けない人が行く学校(一部の特進校除く)という感じ。)
私服校ってそんなに珍しいの?って、県外の大学行って、就職して、人と高校時代の話をするたびに思った。
私服校の生活は、お金がかかって大変か、というとそうでもなくて、おしゃれしたかったらみんなお金がないなりに頑張る。
安い服は探せばたくさんあるし、シーズン遅れたやつはカスタマイズしたり、友達と期間決めて交換したり。
(今の高校生が羨ましい。私が高校の頃なんてユニクロなかったし、しまむらもダサくて使えなかったし。)
かといっておしゃれでなくてはならないっていう同調圧力は特になかった。と思う。
・zipperとかcutie全盛期、オシャレ大好きっ子(自己主張強いから、クラスでも強かったり、逆に個人主義で目立たなかったり)
・コンサバ、モテ系(恋愛沙汰の多い人たち。割と少数派。田舎だったからかな?)
・無難、ナチュラル系(無印とか今でいえばユニクロのシンプルな奴をそのまま着る感じ。無地×無地。目立たないのが一番です)
・服とか興味ない(=他に興味がある、スポーツやってたり、オタクだったり)
おおざっぱにこんな感じで分類できて、その中で同じような格好の子たちが性格も似てるから仲良くなって、他のグループとか割と興味ない。
(これは私の通ってた高校がそこそこ「良い子」で構成される高校だったからかもしれないけど)
でも結局お金ないし、やっぱ田舎だし、今卒業アルバム開いてみると「みんな一緒じゃん(笑)」って感じなんだけど。
で、冬。雪もガンガン降るし、基本氷点下だし、勘弁してよってくらい寒い。
その中でどんなに寒くてもスカート履く子は履くし、どっちも履くよ寒さじゃなくて気分によるよって子もいるし、
寒いからズボン履く子もいるし、そもそも足見せんの嫌だから一年中ズボン履く子、
ズボンだけど足のライン見せるわよ、って子、色々いた。
それって、男のために履くもの選んでるんでも、友達の目線を気にして選んでるんでも、
自分の確固たるスタイルを維持するために選んでるんでもないと思う。
もちろんそのどれかに突出してる子はいたはずだけど、大多数は、そのどれでもあって、そのどれでもなかったと思う。
女子は、複雑な生き物だから。複雑な生き物でありたいから。
一つ言えんのは、どんな理由であっても強制はされたくないってことだ。
こうしろああしろこれがいいあれがいい、外野に言われんのが一番腹立つ。
「私」が!選んで着るの!!
というわけなので、女子高生以外の人たちが女子高生の服装についてあれこれ言うのはやめてほしいなあと思う。
「見苦しい」とかはいたしかたない感想だけど、それ以上踏み込むのは勘弁して欲しい感じ。
制服校の子たちがズボン履きたいなら履けるように頑張って欲しい。
私自身は、ある程度の自由が保障された中で自分らしく過ごせてよかったと思ってる。
ただ、制服着てルーズソックス履くっていうのには今更ながら憧れる。可愛いし。かと言って今更着れないし。期間限定ものって何にせよ魅力的。
自由を制限された中でそれを主張するのは むしろ戦いなのだ
そして若いうちに、戦ってみたかったとも思う。
隣の芝生は青い。
頑張れ女子高生。
私は学生時代はメガネをかけており、メガネの度が強くてメガネ越しに目を見ると小さく見えた。
また、メガネをとっても、目が悪い故に目を細めるくせがあったので、結果的に小さく見えた。
それに加え、学生時代の写真はメガネをとって必死に目を強調させても、変な角度やシャッターチャンスのタイミングが悪いときに写真を撮られているので、どうしても自分本来のサイズの目で見れることが一時もなかった。
そのようなわけで、そこから脱却したいと思い、コンタクトを購入して装着してみた。
すると、自分本来の目のサイズで過ごすことができ、メガネをとることによって根暗なイメージがなくなったこともあり、人付き合いが自然とうまく行くようになった。
けれど、順風満帆な日々はそう長く続かなかった。
ある同級生が中学の卒業アルバムを持ち出し、「あいつは整形している」と流布し始めたからだ。
私は、事実とは異なる噂を流されていたことを知ったときは、酷く傷ついた。
卒業アルバムを見返してみると、メガネの度がきつくて小さく見えるものばかりだった。
本来の目のサイズを映し出すものは一切ないのである。
これは大変とばかりに、家にある過去の写真を漁ったが、同じ状況のものばかりで、メガネをとった姿は目を細めているものや撮影角度が悪すぎるものばかりだった。
こんな思いをしているのは私だけではないと思い、インターネットを検索すると、不自然なくらい芸能人の整形疑惑のブログ記事がでてきた。
記事内に掲載されている整形疑惑とされている人のビフォー&アフターの写真を見るかぎり、私と同じ状況のものばかりだった。
「ああ、こうやって、いくつもの整形疑惑が浮上し、私のように傷つく芸能人が増えていくんだ」と実感した社会人三年目の初秋だった。
これ見て思い出したが卒業アルバムとか文集は全部古紙回収に出したわ。
見ることもないのを保有するよりリサイクルしたほうが有意義だよな。
10代に経験していないと恥ずかしい体験
名札を隠される
筆箱を隠される
上履きを隠される
ランドセルを投げられる
ぞうきんを投げつけられる
図工で描いた絵を取り上げられて笑われる
女子が悪口を言ってくるので反論したら言い合いになる
先生に怒られるが「○○君が話しかけてきたから注意してたんですーw」と嘯きひとり怒られる
皆がやっていることを同じように行ったら、何故か自分だけ「おいぃww」とか言われる
逆にやらないでいても「おーいいww」と言われる
○○菌ごっこで集中的に狙われて、放課後まで有効
そのまま定着し掛ける
水を飲んだ蛇口がトラップ扱いされる
すれ違ったときに手が当たったら「きゃあ!触っちゃった!」「ちょっと私で拭かないでよ!」と言われる
転校生に女子が、あいつとは話さない方が良いよwとか言ってるのを見かけるが、その女子と会話した覚えがない
給食を女子に配ったら泣かれる
「何か喋りなよw」と言われて喋ると「声がキモいww」と言われる
鬼ごっことかのグループに自分が入るとリーダー的な奴が「抜けた!」と言い出して全員居なくなる
休み時間に比較的仲が良いグループに近づいたら「何でお前?」と言われる
学年が上がりいじめっぽいことには対抗しようと考え始めたが、校内治安も上がっていてそういったことが一切起こらない
放課後遊ぶ約束をしていたので待ち合わせ場所に行ったら普通に約束を忘れられていた
用事があるので放課後遊ぶ約束を断っていたら全く電話が来なくなった
林間学校の夜に話す相手が居ないので一番初めに寝る
寝付けないので3時間ほど同じ班のお喋りを布団の中で聞くことになる
リーダー役がじゃんけんで勝った順にグループを作っていく場合は当然のように最後に余る
二人組を作るが、相手が他に余った人が居ること気付くと「あ、ごめん…」といって離れていく
二人組を作らされそうな空気を察知してクラス内人数が割り切れるか確かめる癖が付いている
席替えはランダム席にすると発表されてブーイングが飛ぶ中、ひとりほっとしている
同級生が転校するときにクラス全員と握手するイベントで素通りされた
クラス替えで仲の良いほうの人は当然のように別のクラスに固まっていて、教師に仲の良い人が居ないと思われていることに気付く
昔はどうやって友達を作っていたのか想像も付かない
仲が良いのは昔からの友達と友達の友達
友達としての優先度が低いことを様々な箇所で実感する
2人きりで何を話して良いか解らない
3人以上になると「いたの?」状態になる
丸一日口を開かない
知り合いすら少ないのに顔も知らない他学年になぜか認識されている
口の軽い奴が人の過去を笑い話にしているが、どう考えても捏造だ
口の軽い奴が人の過去を笑い話にしているが、その頃は違ったのに今と同じように扱われていて、記憶が改竄されていることを実感する
昼休みにすることがないので本を読んでいたら遠くから「あいつ何読んでんだよw」「ちょっと聞いて来いよwww」
昼休みにすることがないので校舎を彷徨くようになる
昼休みにすることがないので薄暗い死角となった場所で時間を潰すようになる
昼休みにすることがないので寝たふりをしていたら、隣から「本当は起きてたりしてw」と聞こえてきてびくっとする
昼休みにすることがないので本当に寝られるように計画的に夜更かしする
お前昼休み何処で食事してんの?と聞かれる
お前放課後なにしてんの?と聞かれる
お前普段なにしてんの?と聞かれる
いつも一人で居て楽しい?と聞かれる
何が嫌なことだったか忘れてきて別にどうでも良くなる
卒業アルバムの寄せ書き欄が白紙
卒業式後に直帰
中学校の頃、僕はいわゆるガリ勉だった。本当に勉強しか能が無く、スポーツもダメ、卒業アルバムを見たら自分でもキモイと思う、もちろん彼女なんているはずもなかった暗い学生時代をすごしていた。
そんな僕にも当時好きな子がいた。明るい子で、クラスでいつも目立っている、快活な美しさのあるような子だった。
その子はバスケ部で、当時帰宅部だった僕は、バスケ部が外練習の日に彼女がグランドを走っているのを見ながら帰るのが好きだった。
お約束どおり、僕には彼女に告白する勇気も無く、そのまま進学校に入学し、実家から離れた関東の大学へ現役で合格した。
大学に入ってから、少しだけ僕はおしゃれに気を使うようになり、希望の大学に合格できたのもあって、ちょっとは自分に自信が持てるようになった。
その頃、一度だけ中学校で好きだったバスケ部のあの子と同窓会で会った。
自分なりの目一杯のおしゃれして同窓会に出席した僕は、彼女にメールアドレスを聞き、勇気を振り絞って好きだった事を綴って、後日メールした。今思えば、思いが募りすぎてあまりにメールが長すぎたのかもしれない。彼女からの返事は来なかった。
僕は大学を卒業し、世間では一流と言われる企業に就職することができた。
就職して2年目くらいまでは失敗ばかりやらかして何をやるにも自信が無くて、もうやめようと思う日が続いたけど、3年目ころから徐々に自分の仕事が認められるようになって仕事が楽しくなった。
大きなプロジェクトのリーダーに選ばれるようにもなった。この頃から女性に縁の無かった人生が少しずつ変わり始めた。
29歳で課長になり、その2年後、僕にもとうとう生涯を添い遂げたいと思う彼女が出来た。
彼女は22歳で9歳も年下だった。同僚にかなり冷やかされた。
僕は両親に紹介するために彼女を連れ、秋の連休で地元に帰った。
もうすぐ実家に着くという時、母親から携帯に電話があり、近所のスーパーで買い忘れた食材を買ってきてくれと言われた。
いや、出会ったと言っても、彼女は僕に気づかなかった。だけど、僕は彼女があの子である事を確信した。
不機嫌そうに僕の買った食材を乱暴に袋に詰め、お釣りを投げるように渡す彼女には中学校の頃の面影は微塵も無かった。
みずみずしく輝いていた肌は、濁ってくすみ、目じりにくっきりと皺が刻まれて、いたるところにシミがあった。
シュートをするたびにさらさらと流れていた髪は、枝毛だらけでぼさぼさだった。
何度も触れたいと願っていた滑らかな手は、ひび割れてあちこちに絆創膏が巻かれていた。
僕はお釣りを渡されたあと、どのくらいの時間だかわからないけど、彼女から目が離せなかった。
「ちょっと、こんなところで突っ立ってたら邪魔でしょ、早く前に行ってよ」
後ろからどこかのオバサンの罵声が聞こえてようやく我に返り、僕はレジを離れた。
食材を持ってスーパーから出ると、にっこりと笑って、僕の彼女が迎えてくれた。
「どうしたの?ぼーっとしちゃって」
「いや、なんでもない。知り合いに似てる人がいると思ったけど、別人だった」
太った女性が、彼氏から「痩せないと別れる」と言われて、彼氏のために頑張って痩せるみたいな話があったんだけどさ
解せないのは、そもそもその女性と彼氏が付き合ったとき、既に女性は太っていたんだよな。
だったら太っていても付き合いたかった、ってわけで……その状態で、何年だったか忘れたけど付き合ってきたわけで……それなのに卒業アルバムで痩せている当時の写真を見ただけで「痩せないと別れる」とか、こいつは一体何を言っているんだ??そんな彼氏なら寧ろお前から別れろや、と思って見ていたんだけど
スタジオの和田アキコ始めとする「痩せないと別れる」言説の歓迎ムードってなによw
いや、それ、歓迎しちゃだめでしょw肯定しちゃだめでしょwまあ、そりゃそこで「んな彼氏ならこっちから願い下げってことでいくね」とかいってたら番組が成り立たないけど…どうしてもそういう感動ストーリー的なものが必要なら、痩せないと別れるじゃなくて自発的に痩せたい、でよかったんじゃね…痩せないと別れる、本気です、とか言ってる彼氏のために頑張る彼女とか見せられても全然感動なんてしないだろ……引くだけだろ……てかそういうストーリーがそもそもいらないけど。
なんかなあ……ビフォーアフターだけ見せてくれればいいのにな……