はてなキーワード: バス停とは
台北には何回か行ってるけど、今回は2011-2012の年越ししてみた。
ガイドブックにあんまり乗ってなかったことを中心にメモっておきます。参考にでもなれば。
空港周辺のバス停に幾つか止まってから、高速に乗り、台北市内に入る。市内でまた幾つか止まって、民権西路に着く感じ。
http://tombi00.sakura.ne.jp/taiwan2/taiwan121.htm
を参考に…
自分のたちは、101の東側、永春駅の少し南の駐車場で見た。そんなに混み合ってなく、見やすかった。
↑このあたり
自分たちは、永春駅あたりからタクシーで民権西路付近に帰った。市政府付近の道が混みまくり。運転の上手い運ちゃんだったので、なんとか抜け出したけど、頑張ってMRTに乗っても良かったかなとも思う。
(淡水と書いてましたが、北投ですね、、、すいません。)
特定異性の交友関係について、話者の好みを元に、事実に基づかない仮定の下、そのシチュエーションが話者にとって性欲をそそる物であるか否かを話している
事実にはある程度基づく場合もあるからね。というか、日常から拾うならむしろ事実は前提にされる。
例に出した「見知らぬバス停の二人組」とかね。
雉も鳴かずば…ってわけじゃないけど、「二人できゃっきゃと楽しそうにしてた」という事実から出発します。
前者は、対象異性がどう感じるかは別として、話者から対象異性自身への好意(性的なもの含めて)。
後者は、対象異性がどう感じるかは別として、話者から、話者が規定した架空のシチュエーション下に置かれた対象異性への好意(性的なものも含めて)。
普通性欲は好意とは言わない。
それと、「ベクトル」と「立方体」くらい違ってれば違うと言ってもよかろうけどw
どっちも同じ「ベクトル」じゃん。違ってんのは向きと出発点くらいだ。
もし巨乳女の例で言うなら、巨乳女がどうこう語るのではなく、「巨乳女が超不細工のあのA男と付き合ってるとしたら、超興奮するよな。あいつがB専だったらとか考えてさ」というのであれば、後者と同類。
そこは逆の例を持ってきてもいいけど。
「○○学科の××クンちょーカッコイイ!デートだったらあそこ行ってここ行って…」と一人で暴走する女、とか。
でもこういうの、見たことない人にとってはあんまリアリティないっていうか、非モテこじらせてると深刻さがわかんないみたいなんだよね。
えーwちょっと何言ってるのかわかんないですねwww
つうか「同レベル」の話をしていたのに、何で「違うよ。ぜんぜん違うよ」みたいな話にシフトしてんのwww
話が全然繋がってないしわかりづらいよwwwどこが「丁寧な説明」なのwww
まず、「『女なんて男に寄生してニートすることしか考えてないんだよ』とか言うキモオタ」という例が何に係ってるのか。
これは性的志向についてじゃなくて異性に対する偏見の持ち方に関しての記述なんだから、その点において「同レベル」だという例えなんでしょ?
それに関しては、「偏見かもね~」というレベルで自分は「ある意味同類」。これが結論ね。
当然ここまではオーケーだよね?
話はそういう事じゃないらしいけどw
君が言っている「ホモを見いだす行為」は、そもそもセクシャルマイノリティでない人間の性志向を勝手に規定した上で、勝手にカップルを作っている状態。
その人らが「セクシャルマイノリティでない」とは限らないんですよ。
早い話「バス停でいちゃいちゃはしゃいでいた見知らぬ男性二人」みたいな状況だとセクマイかどうかなんてわかるわけないでしょ。
自分がオカズにされるかどうかではなく、自分の意志と関係なくホモセクシャルであることにされた上に、自分の意志と関係なく恋愛関係であるとされている点が、全然違う。
巨乳Tシャツ女子は自分の意思と関係なくヘテロセクシャルであることにされて、自分の意志と関係なくオカズ扱いされてんですよー。
なにがちがうのかしらん。ああ、妄想の主である男がより主体的に被妄想側に関わってこれるところとかかな。
というわけで、やっぱり「同レベル」だし、違うところなんかないよね。
なのに、欲望したいくせにされるのはイヤだというのはどうかと思うんですけど。どうなんですか?
あとそれ仮に「全然違う」として、何か変わることあんの?
帰ってきたよ。外出直後、予報通りの台風直撃で、
出先の最寄り駅で足止め食うこと数時間。
興奮しすぎて顔がにやけてたw我ながらきもちわるい。
瞬間的におちょこになっていく。
僕は、普段は乗らないバスに乗っていた。
今日は午前中病院に行っていて、午後訪問予定の客先へと向かっていたのだ。
電車もあるがこっちのほうが早く着きそうだし、何よりも今日は暑い。
バスの乗客はまばら。平日の昼間なんてこんなもんか。
思ったよりスムーズにバスは進んでいるので、駅前のドトールでアイスコーヒーを飲む時間も取れそうだ。
そして、乗り込むなり、妙に通る声でこう言った。
「私はペースメーカーを埋め込んでいます。ここから○○まで乗るので、その間皆さんお持ちの携帯電話の電源を切ってください。運転手さんアナウンスをお願いします。」
そして、爺さんは、乗車口のすぐ横にある優先席に陣取った。
僕は一瞬何が起きたかわからなかったが、聞こえてきた爺さんの大声ですぐに状況を把握することになる。
「前から2番目のあんた、携帯電話の電源を切りなさいと言ってるだろうが!」
サラリーマン風の男がiPhoneをいじりながら冷静に言い返す。
爺さんも間髪入れず言い返す。
「あんたはドクターか。なんで影響ないって言い切れるんだ!」
サラリーマン風の男は無視。
「ペースメーカーを埋めこまれたお客さまがいらっしゃいますので、携帯電話の電源はお切り頂きますようお客さまにお願い申し上げます。発車致します。」
あの爺さんは、毎日のようにこのバスに乗っては、全員に携帯電話の電源を切らせ、運転手にアナウンスをさせているのだろうか?
僕は、医者から将来的にICD(埋め込み式除細動器)を埋込むことになる可能性が高いと言われている。
ICDは、AEDの埋込みバージョンで、日々の注意事項もペースメーカーと同じ扱いだ。
バスの後ろの方の席から、爺さんの方をぼーっと見ていたら、僕はICDを埋め込むことがだんだん怖くなってきた。
初めて病気の事を医者に言われたときには、かなりショックを受けたのだけれど、生活にどんな影響が出るのかを自分なりにかなり調べた結果、いつか来る日を運命と捉え、前向きに受け止めることにしたのだ。
でも、あの爺さんのような人たちが、実は世の中には山ほどいて、毎日のように周囲に過剰な対応を主張し続けているのだとしたら・・・
僕がICDを埋め込む頃には、ICDを埋め込んでいることを人には言えず、肩身の狭い不自由な思いで生活しなくてはいけない世の中になってしまっているのではないか・・・
もう降りるバス停だ。僕は席を立った。
爺さんの体は傾き、床から天井まで伸びた手すり棒についている非接触ICカードリーダーにもたれかかっている。すっかり寝てしまったようだ。
ペースメーカー利用者は、非接触ICカードリーダーから15センチメートル離れていないと、誤動作の危険がある。
僕はすこしニヤつきながらバスを降りた。
私の実家は千葉の片田舎にある。もっと言ってしまうと、田舎をイメージしたCMによく出てくる小湊鉄道沿線だ。その沿線(と呼ぶのも躊躇われるような僻地だが)にバブル最末期に出来た新興住宅地に私の実家は建っている。
駅に着きバスを待つこと20分。やっとやって来たバスに乗り込むと、乗客は私を入れて3人。本当に素敵な田舎だ。
実はこれでも便利になった方だ。去年まではバスも通らず、駅から家までは歩くかタクシーぐらいしか交通手段がなかった。歩けば相当速く歩いてやっと家まで一時間、タクシーだと1500円はとられる距離。まあこれがうすのろのろとしたバスに乗って200円になったのだから、桁違いに便利になったと言ってもバチは当たんないと思う。
さて、そんな素敵なバスに乗ってしばらくすると他の二人の乗客は降りてしまって、バスは私の貸し切りになった。この調子だとバスは長続きしないだろうと思っていると、急に10人くらい客が乗ってきた。みんな小柄でランドセルを背負っている。小学生たちだ。そこは、小学校にほど近いバス停だった。
この小学校も私の実家のある新興住宅地から遠かった。距離にして3.5キロ。子供の足で歩いて45分から50分くらいの距離だ。今さっき乗ってきた子供たちも、大方は私の実家のある住宅地の子供たちだろう。あの距離を歩かないですむようになったのだから、この子たちも嬉しがっているだろう。
さて、子供たちとバスに揺られて10分弱。目的地である住宅地が次のバス停になった頃だ。子供たちは誰が降車ボタンを押すか、みんなで相談し始めた。そんな子供たちを後目に、私は降車ボタンを押す。え、今の誰が押したよ?!と子供たちが騒ぎ始めるなか、私は黙って手を挙げた。
最初は私が何故手を挙げているのかわからない様子だった子供たちも、ちょっとするとなぁんだというような顔をした。けれども、あなたが押したのか、という意味合いのことは一言も言わなかった。きっと私のことをオバサンと呼んだらいいのかお姉さんと呼んだらいいのか分からなかったからだろう。賢い子供たちだ。
そしてそれをきっかけに、バス停までの短い間子供たちと話した。バスが出来てから通学が便利になったと子供たちは口を揃えて言っていた。けれども朝はバスの時間が上手く合わなくて、バスに乗っていると遅刻するとも。
一生懸命体全体を使ってコミュニケーションしてくる子供たちと話すことは楽しかった。しかしそろそろバス停に着いてしまう。私は簡単に降りる準備をした。夕日が眩しくて外していた眼鏡をかけ直しただけだが。そうしたら、子供たちは口々にこう言ってくれた。その眼鏡、カッコいい!と。大切な方から贈ってもらった思い入れのある眼鏡だったので、その子供たちの感想が余計に嬉しかった。
そして、田舎道に沿って突如現れる、総計200戸ほどの住宅地の中心にバスは着き、みんなで揃ってバスを降りた。そこからは散り散りで、みんな手を振って別れた。
私は心地よい余韻に浸りながら実家までの短い道のりを歩いた。10人くらいの子供たち。みんな仲良そうにしていた。
私はようやく気づいた。この住宅地にはもう10人ほどしか子供が居ないのかと。
この住宅地はバブルの最末期ほどに売り出されたものだ。その時三十代の戸主を持った核家族が移り住んできて二十年。彼らは五十代になり、その子供たちは二十代で自立のときだ。ここに建っている家々は皆核家族用のもので、複数世代が住めるものじゃない。私だってちょうどその世代だ。私が子供の頃はこの住宅地はもっと賑やかで、小学生だけでも百人近くはいたではないか。それこそ、あんな小さなバスでは乗り切れないくらいに。
この住宅地は、確実に斜陽の中にある。分かっていたはずだ。考えればすぐに分かることだ。そんなことだが、実際に子供たちの姿を見なければ、何も分からなかった。
この住宅地はこれから、ゆっくりと老いてゆくのだ。その事実に愕然としながら、私は実家の扉を開けた。そこには、もう随分と白髪の混じった母が、小学生だった私を迎えてくれるのと同じようにして待っていてくれていた。
Togetter - 「夏コミに夜行バスで行く予定を立ててたら、夜行バスが来なかった」
夜行バストラブルの話を読んで、自分も昔あったこと思い出して腹が立ったからその時のこと書く。
大学生のときに友だちと夜行バスで東京に旅行することになった。
友だちと隣の席になるようにバスを予約しておいた。
と言われる。
はっ?座席予約してるのに満席ってどういうこと?
ちゃんと3列シートの夜行バスでレディースシート(自分は女です)を予約しておいたのに、
どういうこと??と思ったけど、混乱して言葉が出ない。
いや待て、既に友だちが乗ってるはずだ、と思って食い下がる。
私「え、あの、友だちと隣の席予約してるんですけど。。。」
乗務員「その席は別の人が座ってるよーー」
中をのぞくと友だちの隣の席に知らない女が乗っている。
いやいやいや、座席予約してるんですけど。
乗務員は既に座ってるその人の切符確認とかも全然しようとしない。
とりあえず私を4列シートの方に乗せようとする。
納得いかない。友だちと別のバスになるのも不安だし、同じ値段で4列シートとか
そしたら乗務員が、ここなら座っていいけど、としぶしぶ言った。
その席は、私の友だちが既に座っている席の隣だが、座席表には載っていない席だった。
なんかよく分からないけどもう仕方がないから言われた席に座った。
まあ無事3列シートのレディースシートに座れたしいいか、ともやもやしつつも。
バスが出発し、ほどなくしてなんでその席が座席表に載っていなかったか理解する。
シートを倒して寝ていると、2階席から降りてくる人がガンガンぶつかってくる。
自分の席(1階席)を倒すと、ちょうどトイレの前をふさぐ状態になっていたから、本来は使用しない席だったようだ。
未だにあのときなんで予約した席に座れなかったのか、分からない。
乗務員はなめた態度だった。小娘だったからほんとになめられてたんだろう。
高速道路の途中にあるバス停なので、山の中で本当にバス停しかないような場所で、
社会人になってから昼行の高速バスもよく乗ったが、まあいろんな乗務員(運転手)がいた。
前売りチケットを持たずに乗る客の運賃を、ちゃんと処理せずそのまま自分の懐に入れてる人もいた。
(運賃はもらうが、乗った記録に含めない。)
高速バスってちょっとしたゴタゴタがよくある割りに、揉めると出発が遅れて他の客の迷惑になるし、電車のように駅員もいないし、結局乗務員次第なところが多かったなぁ。
ある家族が妻の実家に遊びに行くために田舎までのバスに乗っていた。
山のふもとあたりまできたときに、子供が「おなかへった」とだだをこね始めたので、しょうがなく途中のバス停で降りて近くの定食屋で食事をすることにした。
食事が終わり定食屋に設置されているテレビをふと見ると、さっきまで家族が乗っていたバスが落石事故で乗員全員死亡というニュースが流れていた。
そのニュースを見た妻は、「あのバスを降りなければよかった…」と呟いた。
それを聞いた夫は、「何を馬鹿なことを言っているんだ!」と怒鳴ったが、
すぐに「あぁ、なるほど。確かに降りなければよかった…」と妻の意図に気づく。
なるほど。そういうことだったのか。
エヌ氏の一日は、「いいね!」ボタンをクリックすることから始まる。
「いいね!」ボタンは、エヌ氏が参加している仮想世界上の友達の日記やひとりごとつぶやき機能についているお手軽評価ボタンのことだ。
エヌ氏の友達は、熱心に仮想世界上の日記に日々のできごとを綴っていた。
朝ごはんに食べたもの、今いる場所、気がついたこと、天気のこと、猫や花の写真とありとあらゆるものが仮想世界上の日記としてほぼリアルタイムに書き込まれていた。
エヌ氏は仮想世界上の友達との友好的なコミュニケーションを円滑に果たすために、早起きしてエヌ氏が就寝してから起きるまでの間に書かれた日記にたいして、「いいね!」ボタンを次々と押していった。
本来は、どういうふうに「いいね!」なのかを感想コメントとして残すべきなのだが、何せエヌ氏が読まなければならない日記の量は膨大で一日のうちのかなりの時間をそれに費やしていた。そんな状態だったので、コメントを残さずとも、友達の日記を読んだ証拠を残せる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとって、歓迎されるべき機能であった。
出勤前の30分の時間で、「いいね!」ボタンを押し切ったエヌ氏は、朝食も摂らぬまま駅へ向かうバス停へ向かった。
するとエヌ氏の仮想世界上の友達たちは、これまでのエヌ氏の「いいね!」行為への対価を果たすべく、「家を出ました」日記に対して「いいね!」を連発し始めた。
はたからみると、一体全体、何に対して「いいね!」なのかさっぱりわからないが、「いいね!」ボタンを介したコミュニケーションはエヌ氏の生活の一部となっていた。
バスに乗り込むとき、エヌ氏はバスのナンバープレートに書かれた番号とバスの形式を仮想世界上の日記に書いた。このナンバーのチェックはエヌ氏のライフワークだ。エヌ氏のこの日記に次第に「いいね!」が増えていく。増えていく「いいね!」の数を見て、エヌ氏は満足した。
バスを降りたエヌ氏は駅の立ち食いそば屋へ入り、いつものコロッケそばの食券を購入した。カウンターで食券と引き換えにコロッケそばを受け取ったエヌ氏は、隅っこのテーブルにコロッケそばを運び、携帯端末でコロッケそばの写真を撮りはじめた。エヌ氏は、そばを食べながら、器用に左手で携帯端末をあやつり、コロッケそばの写真を仮想世界上の日記として書き上げた。
当然、今年の初めからコロッケそばを何杯食べたかのカウントも忘れない。梅雨の明けたこの時期でコロッケそばカウントは65だった。
食事をこの日記に書き込むこともエヌ氏の大切な日課だ。エヌ氏は日記に書き込んだあとに徐々に増え続ける「いいね!」の数を見ながら、コロッケそばの余韻に浸っていた。
エヌ氏が朝起きてから、2時間が過ぎようとしていた。エヌ氏が見るべき新しい日記があることを画面が告げていた。交友関係が広いエヌ氏が見るべき日記の数は瞬く間に増えていく。
電車を待つホームの上でも、日記を確認し、「いいね!」ボタンを押す作業は続いた。エヌ氏はいつものように先頭から2両目の後ろよりのドアに並ぶと入ってくる電車の番号をチェックし、軽やかに日記を作成した。
日記を作成している間にもエヌ氏がチェックしなければならない日記の数はうなぎのぼりに増え続ける。電車に乗り遅れて遅刻しそうな人の日記に「いいね!」を付け、風邪でおなかを壊して寝込んだ友人の日記にも「いいね!」をつけた。ゆれる満員電車の車内で、つり革につかまらずに絶妙なバランスを取りながら、携帯端末を操作し、増え続ける日記に次々と「いいね!」ボタンを押して、日記を読んだことを示す証しを残した。
会社に着いたエヌ氏は、席につくとおもむろにパソコンの電源を入れ、社内SNSの画面をチェックし始めた。この画面にも「いいね!」ボタンが実装されており、次々と軽やかに「いいね!」ボタンを押し続けた。
会社の業績が落ちていることを示す記事、先輩が地方に転勤する記事、一身上の都合で退職することになった記事と内容のよしあしにかかわらず兎にも角にも「いいね!」ボタンを押し続けた。
プライベートな仮想日記とは別に取引先や同じ業界の人たちとのネットワークもある。社内向けの「いいね!」が終わると、仕事上のつながりのある人たちの日記に「いいね!」をつけ始めた。こちらはプライベートな日記以上に「いいね!」をつけるのに気を使う。付けもらしがあっては失礼だし、「いいね!」をつける人とコメントを書く人との間で差をつけてはいけないからだ。一応、社内の内規でコメントを書くことは作業負担も大きく、誤解を招く恐れがあるので、「いいね!」操作に限るとなっている。
ここまで仕事を終えたエヌ氏は、休憩のために喫煙室へ向かった。喫煙のための休憩はなぜか咎められないことになっている。
タバコに火をつけるのと同時に反対の手で、携帯端末から「喫煙室なう」と仮想日記に書き込んだ。
書き込んだあとから「いいね!」の嵐がやってくる。仕事中に増え続けた日記に「いいね!」をつけ終えるとエヌ氏は、喫煙室を出た。
エヌ氏はオフィスに戻ると、担当している商品のプロモーション用アカウントにログインしてみた。一般の人から感想や苦情が書き込まれることが多く、それに対してうまく受け答えをしなくてはならない。機転のきいたコメントができればいいのだが、うまいコメントが思い浮かばないときは、「いいね!」を多用した。そのときに最善の言葉が見つからなくても、会社として関心があることを示すことができる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとっても会社にとっても都合のよいものであった。担当者が複数いても、それぞれの変な個性がでることもなく穏便にアカウントの運営ができた。
「いいね!」ボタンの操作に夢中になって仕事をしていると、とうに昼食の時間を過ぎていた。
カフェテリアでB定食を選び、デザートのショーケースから日替わりプリンを手に取り外の見える席に腰掛けた。昔は同僚と食事をともにすることが多かったが、今では食事の時間も貴重な「いいね!」タイムとなっている。プリンを食べた数をカウントするのもエヌ氏の重要なライフワークとなっている。プリンのカウントは89だ。日記のタイトルにカウント数を入れて、写真を撮って日記を作成した。
先ほど、休憩したときに「いいね!」チェックをしたにもかかわらず、すでに二桁以上の新しい日記がエヌ氏の携帯端末の画面にはあった。
この日記の未読を消化することはエヌ氏にとって大変に重要な関心事である。しかも読み逃げするわけではなく、「いいね!」をつけるのだ。
「いいね!」をつけることは信頼とコミュニケーションの証しであり、エヌ氏にとっては生きがいだ。
食事のあともエヌ氏は的確な操作によって、「いいね!」ボタンを次々と押し続けた。それは仕事の一部でもあり、趣味の一端でもあった。
画面を更新するたびにあらわれる新たな「いいね!」ボタンがある限り、エヌ氏の仕事は存在し続けるし、エヌ氏の存在意義も大きなものになる。
日もとっぷりと暮れたころエヌ氏は会社での仕事を切り上げ、帰路の電車の中にいた。朝と同じ車両に陣取り、携帯端末の「いいね!」ボタンを押し続けた。「いいね!」ボタンをたくみに使いこなすエヌ氏は、仮想日記上での評判がすこぶるよかった。仮想日記上でエヌ氏と知り合うことができれば、自分の日記にエヌ氏からの「いいね!」の評価が必ず入るからだ。
エヌ氏の「いいね!」の評価は呼び水となりほかの人も釣られるようにして、「いいね!」ボタンを押してしまう。エヌ氏の周りには「いいね!」の好循環ができているようにみえた。
帰宅したエヌ氏は、就寝までの時間を使って、仮想日記の新着のチェックを始めた。帰路の電車やバスの中でもチェックをしていたのだが、小さい画面では、日記の消化に限界がある。エヌ氏ご自慢の32インチの薄型画面を使っての「いいね!」ボタンを押す操作はとてもはかどるのだ。
時計の針が次の日に変わるころにエヌ氏の一日は終わる。しかし、エヌ氏が寝ている間にも世界は動き続け、無数の「いいね!」ボタンは増え続ける。
「いろいろあって・・」と多くは話してくれなかったけれど、
哀愁を漂わせながらも昔と変わらない可憐な面影を残した彼女の横顔に俺はいっきに引き込まれた。
同じクラスだった彼女も中学受験組で、違う塾ではあったものの、塾へ行くために利用するバスは一緒だったためよく顔を合わせていた。
俺は彼女のことが好きだった。
彼女は物凄く可愛いというようなタイプではなかったが、ビジュアルに関しては個人的にとても好きなタイプだった。
クラスではめったに話をすることはなく、バスの待ち時間やバスの中でしか話をしなかったが、
受験という共通する話題もあり、話をしている時はとても楽しかった。
彼女がバス停にいない時はバスを一本遅らせてでもわざわざ彼女のことを待っていたというエピソードも恥ずかしながらあったりする。。
好意を持ってくれていたのでは・・と思わせるエピソードも少しあるが、小学生の本心はわからない。
バレンタインのチョコとかは普通に貰っていたので少なくとも嫌われてはいなかったと思う。
ただ結局、当時は受験のことでいっぱいいっぱいで、ませていたとはいえ「恋愛する」なんて発想は頭の中にはなく、何も起こることはなかった。。
中学へ通う最寄りの駅が違っていたため、通学で会うことはなかった。
携帯もない時代だったので連絡をとることもなかった。(もとから家の電話で連絡を取り合ったことはないが)
彼女のことは相変わらず好きだったように記憶しているけれど、関係をどう発展させていけばいいのか分からなかった当時の自分は、
「友達という関係を維持する」ということすら結局できなかった。
小学校を卒業してから一度だけ、中1の9月に彼女に合ったことがある。
「今度中学校の文化祭があるからチケット上げる」と、わざわざ日曜日に家に来てくれた。
とても嬉しかった。
けれど、最初家のインターホンに母親が出たことをなぜかとても恥ずかしく思ってしまい、
「行けたら行く」と1分も話さないで玄関で彼女を帰してしまった。人生最大の後悔・・の一つである。
そして文化祭に行くこともなかった。彼女が女子中に通っていたため当時の自分としては「とても行けるわけない」という考えしかなかったからだ。
それ以来、彼女と合うことはなかった。
高1の頃には俺も引越しをしてしまい、地元で偶然会うというチャンスもなくなった。
「初恋は実らない」
昔ジャンプで連載されていたBOYという漫画にこのフレーズが出てきたとき、なんとなく感慨深い思いになったのを今でも覚えている。。
現在に戻る。
同窓会で偶然再会した彼女は、昔の面影を残しつつ、昔以上に素敵になっていた。
びっくりした。
偶然の出会いに対してではない、30歳を越えても素敵な彼女に対してでもない、彼女を見た途端、今までにないぐらい胸が熱くなっている自分自身にびっくりした。
正直彼女のことなんかとうに「淡い青春の思い出」として記憶の引き出しの奥にしまいこんでいた。
そもそも小学生の頃の初恋なんて単に記憶の中で美化されただけのものだと思っていた。
仮に偶然再会しても「おぉ懐かしいな!」と言える自信があった。
それなりに恋愛をしてきた自分がまさか一目惚れに近い感覚に陥ることなんかあるわけないと思っていた。
それは間違いだった。
これは運命だ。
携帯の番号も交換した。
「いろいろ相談に乗れると思うから今度また飲もうよ」という約束も取り付けた。
いい感じになれた。
嬉しかった。
『結婚して子供ができた後に「運命の人」が自分の目の前に現れたらどうするの? 』http://anond.hatelabo.jp/20110630230540
彼女に妻子があることは伝えていない。
数日悩んだが、俺にはやっぱりこの運命を簡単に捨てることができない、かもしれない。
旦那に子供たちを押し付けて(って言ったら微妙だけど、取り敢えず)家を出てきました。
旦那は月曜夜勤で帰ってこなかった。
私、色々病んでたから月曜にちゃんと育児できるか不安だったけど、何とか普通にできた。
火曜は非番か日勤かわからないって旦那が言ってたような気がしたけど、土曜からまともに会話してなかったから特にメールしたりして聞くことはしなかった。
夕方になっても旦那から連絡がなく、取り敢えず旦那はほっといて家事や育児をしてたけど、やっぱりだんだんイライラしてきちゃって、長女にキツイ態度とったりしてしまった…。
私、先月から体調悪い。先月長女が熱出して、鼻水たらしたりしてたのが私と次女にうつって、次女はそのまま元気になったのに私は中耳炎になって鼓膜2回切開したりした。今もまだ耳に違和感あったりする。
その所為か、最近寝付きも悪いし、食欲もない。
夜寝てても子供に起こされたり、幼稚園に遅刻するような気がして朝4時とかに目覚めたりする。
長女が幼稚園に行ってる間に寝たいのだが、次女がいるから起こされたり、眠たいはずなのに次女が昼寝をしてる間はなんだか寝付けなくて結局ごろごろダラダラして時間が過ぎていく。
食欲はホントに無くて、今までの私は結構食べる方だったのに、今じゃ一日一食で十分って言うか、夜食べたら次の日の夜までお腹空かない状態になってしまった。
ちゃんと食べないし寝ないから体調悪いんだろうな…。
そんな状態で、長女がちょっと言うことを聞かなかっただけで、なんか「お母さんしんどいのに頑張ってんねんから言うこと聞いてよ!」ってイライラしちゃって、怒鳴ってしまって、夕方に次女寝てしまったし、もういいやって少し横になってたら長女がゴチャゴチャうるさいから、イー!!ってなって寝室にこもってたら長女も寝ちゃってた。
晩御飯どうしよーとか、お風呂どうしよーとか考えながらダラダラしてたら20時半過ぎてたかな?ってくらいに子供ら起きてきたから簡単に晩御飯して、食欲無かったから私は食べなかったけど、子供たちには食べさせてたら22時になってしまったからお風呂入れて、きっと夕方寝てしまったしすぐ寝てくれないと思って23時近くまで風呂で遊ばせて、さあ後は次女にミルク作って寝るか!って思ってキッチンに行ったら、・・・ゴキが出ました。
自慢じゃないけど、私は超超超虫嫌い。見ているだけでも正直無理。
そして旦那は、ゴキは好きじゃないけど田舎育ちで虫平気っ子。
正直旦那と結婚したのは、旦那の経済力とタバコ吸わないのと無視平気人間だったからだ。(と、言い切るのは微妙だが、それに近いものはある)
だが出ない。どうしようか悩み、旦那に鬼電しまくること約10分後、旦那酔っ払って帰宅。
電話に出なかった事や帰宅時間が遅いことは問い詰めたりせず、「遅いやんか!」と泣きながらゴキ退治を頼む。
旦那、ゴキ退治拒否。
理由、私がちゃんと掃除して食べ物をちゃんと片付けていないからゴキが出る。ゴキを家に呼んでるのはお前。よってお前がゴキ退治しろ。
そして、「俺は明日も仕事やねん。お前と違って忙しいねん。」とか何とか言って寝ようとする。
私も負けじと「ゴキ退治はあんたの仕事!私にこれ以上の家事は無理!」とか色々言ってたら、
旦那が「何もしてないくせによく言うわ!お前のわがままには付き合いきれん!お前の考えは世間に通用せーへんぞ!」
と、私がいかに間違っているか文句を言うので、「私が何もしてなかったら子供ら置いてさっさと出て行ってるわ!」と、言ってやったら
「じゃあ、出て行けよ」って事で、出てきました。
長女は「お母さんと一緒に行く!」って言って泣いてたし、次女も旦那と言い合いしてる時に放置してたから泣いてたけど、旦那が子供ら連れて寝室に入って行ったので、取り敢えず出てきた。
旦那は子供らが泣いてても爆睡できるタイプだし、今は酔っ払ってるからなお更心配…。
でも、正直このままほっといたらどうなるんだろ?って試したい気持ちも少しある。
旦那は長女の幼稚園の用意を一回もしたことが無いから、たぶんちゃんと用意できないと思うし、仕事は7時過ぎには家を出ないといけないけど、幼稚園は8時半頃に近くのバス停に送りに行くから、旦那は仕事を休むか遅刻しないと長女の幼稚園送りができない。
しかも次女はどこにも預けていないので、このままだと旦那が次女の子守りをするために仕事を休む事になりそうだな…。
ああああああああああああ。子供たちが心配。
特に次女はまだ1歳だから言葉も喋れないし、寝る前にミルクやらないとうまく寝付けないのに…。
本当に私、虐待してるね。
精神科行けって言われても、保険証旦那が持ってるし、お金も無いよ…。
母親に頼れない事も無いけど、迷惑かけたくない。
私の母は3年前に癌の手術して、今でも体内に癌が残ったまま月1~2くらいのペースで通院している。
癌の進行もない。でも、実家にはまだ小学生の双子の妹と高校生の妹がいる。
お金も無いし、妹達の世話で毎日忙しい癌の母に迷惑かけたくない…。
私のわがままで、今娘たちにツライ思いをさせてる。
私って、本当に最悪だよね。
これからどうするべきか、どうしたら一番いいのか、真剣に考えないと。
バツがつく事よりも、娘たちと穏やかに過ごせない事が一番嫌だ。
http://anond.hatelabo.jp/20110518225550
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今回の訪台では気合いを入れて台北觀光護照 (Taipei Pass) なるものを購入してみた。バス・捷運に乗り放題で5日間有効券の場合700NT$。台北は市内交通が安いので、ぶっCHAGE元を取るためには相当ヘビーに使い込まなくははらずそれほど割安ではない。しかし悠遊卡のように残高を気にする必要がなく、また一日票のようにバスが別件バウアーになったりしないので精神的に楽だろうと思っていたのだが、後から振り返るとそれは大いなる間違い・セザールであった (後述) 。
台北の原宿 (ホントに地元の人がそう呼んでいるのかは知らない) ・西門町に来てみたが、時間が早すぎたのか店は開いてないわ人はいないわと散々だったのでスタバで休憩しただけで引き上げてしまった...
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読めないんだけど、WiFi充実してまっせ的な
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http://www.fastpic.jp/images/368/6866033828.jpg
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アニメとかゲームが充実しているヲタショップビル。ビルは開いていたが、各ショップはほとんどが開店準備中だった。早すぎたんだ... っ!!
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http://www.fastpic.jp/images/059/4945101504.jpg
余談だが台北のスマフォ普及率は異常。もはや誰もフィーチャーフォン (笑) なんぞ使ってなかったと云ってもいいくらいで、ほとんどの人はHTCかアップルを使っている。Xperiaもよく見かけたが、Galaxyを使ってる人を見たのは6日間で2人だけだった
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USと同じくメニューにはトール 〜 しか掲載されていないが、頼めばショートも出してもらえる。60NT$。日本より安いがUSより高いんだNE
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なんか見覚えのある看板
どう考えてもバスで行くべき場所にあるんだが、観光スタート直後でまだ若干ビビッていたため捷運の忠孝新生站から15分近く歩いて到着
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コテコテなプランだが鼎泰豊に来てみた。人が多く、入店したい旨どうアピればいいのか解らずビビるが、なんのことはない、入り口にいる店員さんに声をかけると「ニホンジンデスカ? 」と云われるので満面の笑みでハイッと応えればおk。写真付きのメニューと伝票を渡されるので、自分の順番を待っている間にじっくりと喰いたいものを選ぼう。
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テキトーに選んでみた麺
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小籠包。メニューには10個入りと記載されていたが、半分にもできますと云われたのでそうしてもらった。味は新宿髙島屋で喰うのと変わらんw
ちなみにテーブルを担当してくれたカワユスな店員さんが歯列矯正していて超絶に萌えた (私は歯列矯正フェチである) 。この後気づくのだが、台北では実にたくさんの人が歯列矯正しているようで、体感遭遇率は東京の数十倍以上。フェチにとっては天国であった
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やっぱり東京より安いですね。あと、サービスチャージがかかるんだNE
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御手洗は二階にある
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鼎泰豊からすぐのところにある永康15。マンコかき氷が美味いらしいので来てみた
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キウイとイチゴとマンコのかき氷をチョイス。写真では解りにくいと思うが、量が尋常じゃない (丼に入ってるくらいの大きさをイメージしていただきたい) 。こんなに喰えるかボケー級の憤りを感じなくもないが、食べ始めてみると常軌を逸する美味しさにザクザクと食が進み、結局 完食してしまうのであったw
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喰い終わったのでバス停への道すがらパチリ。台湾はNexus Sも売ってるしWP7も選べるしでスマフォ天国でございますね
さて、九份へ出発するタイミングでいよいよ、ビビッていてもしょうがないのでバスを使い始めることにした。バスを避けていてはどこへ行くにも捷運の駅を基点に移動しなくてはいけなくなるので非効率である。どのバスに乗るかの判断はiPhoneのマップに任せればよい。現在位置から目的地までを経路検索すれば乗るべきバスの番号までガイドしてくれる (都市によってはバスの時刻や料金まで表示されるが、台北ではそこまで詳しくは出なかった) し、乗車中も現在位置を表示しつづけられるので「どこだここわ」状態にならず心強い。これから海外各都市へ旅行される諸兄においては、事前にその都市内の2地点間で経路検索してみて、どこまで詳細に表示されるかを確認しておくことをお勧めする。
台北のバスで当初解らなくて困ったのは、乗車時に支払う (もしくは、カード探知機にピッとかざす) のか、降車時に支払うのかの区別の仕方である。旅の後半でやっと気づいたんだが、運ちゃんの頭上に「上車収票」もしくは「下車収票」と表示されていて (上下車収票と書いてあって、上下の文字は片方のみが点灯している) 、上が乗車時、下が降車時であった。これを発見するまでは他の乗客の真似をしていたのだが、ジモティーですら間違えるくらいだったのでけっこう困った。
そして、ここで台北觀光護照の問題が出てくる。これ、バスも乗り放題だから小銭用意しなくていいぜイエーイなどと驕り高ぶっていると、対象外区間でテンパることになる。今回の旅だと九份へ行くバスと、淡水でのバスは対象外であった。で、台北觀光護照が使えないならいくら払えばいいんだ、という話になったときに運ちゃんとコミュニケートしなくてはいけない。大事なことなので何度も云うが、バスの運ちゃんに英語が通じたらラッキーである。結論としては、悠遊卡を残高に余裕を持たせて運用する者が勝ち組である。
http://maps.google.com/maps?f=q&q=25.110092,121.845276%20%28224台湾新北市瑞芳区瑞金公路%29
目指す地点はここ。経路検索で指示されたとおり、捷運の忠孝復興站近くのバス停から1062番に乗り込む。上記のとおり台北觀光護照が通用せず、いくら払えばいいか解らずテンパるが、運ちゃんが料金表の102という数字を指さして教えてくれたので、110NT$を投入 (お釣りは出ないし両替機もないので硬貨の持ち合わせがないと悲劇。悠遊卡を使う方が圧倒的に楽である) 。
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1062バスの車窓から。高速を降りると町並みがどんどんアニメみたいになっていって期待が高まる
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なんだか知らないけどそこかしこでジブリ音楽のオルゴールCD的なの (千尋に限らず) が流れている
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豎崎路をいったん通り過ぎてさらに進むと展望台みたいに開けたところに出る。この眺めを見ながらの告白であればフラれても悔いはないだろう
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ごちそうを味わいます
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〜 つづく 〜
さて今年も多摩キャンという迷路に迷い込むであろう仔羊たちが沢山生まれるわけか…
っつーわけでまあ、記憶を辿って適当に書いてみるとしよう。俺は現多摩キャン1年(社会学部社会学科)だ。
もちろん間違っている、不正確な情報もあるはずなので、真実は自分の目で確かめてほしい。
俺自身が田舎からの上京組なんで、上京組を想定した項目も入れてある。
西八王子、めじろ台←→法大間は安い定期券と回数券をキャンパス内で買えるので、入学前に買う必要はない。
地図見るとわかるが遠いくせに基本ルートが2つしかない。つーわけで超混む。都心の満員電車の気分をこんなところで味わえます。
なので通学時間帯のバス時刻表は全く当てにならないと思っていい。所要時間はめじろ台15分~20分、西八王子25~30分、相原15~20分(もちろん通学時間帯は後ろの数字)だ。
最近ダイヤ改正で八王子駅←→法政大学直のバスができたので、八王子近辺からはこれでいけばよい。
他のルートは使っていくうちに覚える。とりあえず4月は大学に行けりゃ十分。他のところなんて先輩が案内してくれる。
あとは各自Googleマップを見るなり、路線図見るなり、実際に行ってみるなりしておくといい。初登校日に迷うなよ?
都心のことは覚えなくていい。たぶんほかのことで忙しいだろうし、(サークルや交友関係にもよるが)都心に行く機会なんて意外とないから。
ちなみにめじろ台は「めじ台」、西八王子は「西八」と呼称される。
基本多摩キャン生が住む場所は3つ。めじろ台・西八王子・相原。上記最寄駅ってことね。次に八王子、橋本、高尾。んであとは京王線・中央線・横浜線の各沿線。
都心が近いって理由だけで都心近くに住もうとするとまず破綻する。便利なとこがいいなら立川あたりで止めとくべき。
田舎からの上京なら西八王子でもそこそこ便利と思えるだろうし、俺は西八王子をおすすめしておく。
めじろ台、相原はそれに比べると劣る。そのかわり家賃は安い。ただめじろ台はプロパンガスなんでガス代が高い。千円二千円の家賃の違いでめじろ台にするのはやめたほうがいい。
都会人だけど大学にも近くしたい人なら橋本もいいかも。本数は少ないもののバスで行けるし、そこそこ都会だし京王相模原線が通ってるので都心へも行きやすい。いい物件を見つけられれば穴場。
あとは適当に箇条書きで。
家具・調理器具・家電などは本当に必要なものだけをまず買うのが一番いい。住んでいくうちに必要になるものがわかってくる。
めじろ台であれば、高尾駅(めじろ台駅の隣)の近くにあるイトーヨーカドー、その通りにあるダイソーと電機のセキドで大体のものが揃うはずだ。
まあ住まいや家具家電は親の意向等もあるので、親とか財布とか自分の性格とかとよく相談したうえで決めてくださいな。ここ(や他の情報)で書いていることを親に強弁しすぎないように。
入学式は日本武道館で行われる。服装は自由だ。といってもほとんどの人はスーツだが。
書類をちょいと貰うのでバッグがあるといい。わざわざ買う必要はないが、スーツに合わないバッグしかないなら考えておこう。
駅に着きさえすればあとは案内と人の流れでわかるだろう。周辺では某団体や某サークルがビラを配ってたりするが、気にせず進もう。
キャンパス以外でのビラ撒きは公式的には禁止のはずだ。キャンパスに行けば嫌というほどビラをもらう。
式では校歌を歌わされるが、付属生以外知らないので歌わなくていい。
市ヶ谷生は式後キャンパスへ向かうが、小金井・多摩生は解散となる。
「こんな田舎だと思わなかった」は新入生の自己紹介の常套句。使うと下調べ不足を自ら晒すことになるのであまりおすすめできない。
つーわけでまず一度キャンパスに行ってみるべき。近い人は入学を決める前に行っておくといい。本当に。
上京組でもだいたいの人は入学式前に引っ越すだろうから行ける時間はあるはずだ。百聞は一見にしかず。
では軽くキャンパス案内といこう。
バスで入口を通るとき、セブンイレブンとすれ違うはず。よくお世話になる。その横にはバイクの駐輪場がある。マナーが悪い。
バスから降りた真上に見えるのがEGGドーム(エッグ)だ。サークルに入ればよくお世話になる場所。奨学金の手続きなどををする学生生活課もここにある。
目の前にでっかい木があるはずだが、これはクリスマス期間イルミネーションされる。予算の無駄だと思う。
横断歩道を渡ろう。普通に車が通るので油断するな。右手にはトンネルがある。大学にトンネルがあるなんて聞いたことねえ。
トンネルの向こうにはスポーツ健康学部がある。残念ながら雪国ではなかった。しかし思いっきり民家や私有地が隣にあるので驚くこと間違いなし。
さて進もう。なぜ大学は坂道にしたのだろうか理解に苦しむ。左手にちょっと奥まった下り坂があるが、そこに入ると大教室A棟がある。
ここで新入生オリエンテーションが行われる。俺はオリエンテーション以外でここに入ったことはない。まだ1年だからだろうか。
バス停があるが、ここで体育棟行の循環バスに乗れる。キャンパス内バスなんて北大の専売特許かと思ってた。
上ると道が二手に分かれるが、左へ行くと経済学部棟へ、右に行くと社会学部と現代福祉学部棟に行ける。真ん中に総合棟と図書館。奥の道は体育棟へと続く。
左へちょっと行くと円形型の芝生=円形芝生:通称円芝もある。ここはリア充系経済学部生のたまり場となっている。近づき辛い。
ちなみに多摩キャン、憩いの場がやたら多い。某公式キャンパス案内は、円芝、EGG、社学棟1階、現福棟前、食堂を憩いの場として紹介しているそうだ。
各学部棟は説明がめんどくさいので、あとはパンフなどを参照してほしい。後日、各施設の無駄知識も書く予定だ。
http://anond.hatelabo.jp/20101122004732
元増田の気持ちがわかる。彼にぼくから付け加えることは何も無いし、何かを議論しようとも思わない。ただぼくは、彼と違って、「本当に人を大好きになってみたい、セックスしたいと思ってみたい(まあ、そうなれなくてもどっちでもいいけど)」とどこかで思っていたんだよね。同調圧力に屈したというのとは少し違っていて、むしろ同調圧力をかける側さえ実は手に入れていないような純粋な愛情のようなものがあるってことを信じる幼さが消えなかった感じ。そのことを少しだけ話したい。
ぼくは今年、「どっちでもいいこと」のうち、割合と簡単に実現できるものをいくつも試した。
高級な美容院に高いお金を払って通うとか、ミュージアムショップでアブストラクトな絵葉書やピンバッジを買うとか、カフェでメニューのアレンジを頼んで作ってもらうとか、そういう金さえ払えばどうにでもなるささやかなところから、友達数人と日本各地に旅行に行って、楽器を鳴らして歌を歌いながら歩くとか、山道や海沿いを交代でドライブするとかまで、やった。
試したときや、金を払ったときには、そこに価値なんてあるように思えなかった。でも、価値を保証してくれるものなんてどこにもないし、仮にそんなものあったってナンセンスだし、自分の見方を敷衍すれば、この世の全てのものは無価値だった。どうせ自分の好きなものなんてもうほとんどありはしないんだから、構わないといった感じで、試し続けた。
そういうことの一環で、知り合って3年くらいになる女友達と二人で工場見学のため、電車にごとごと揺られた。ちょうどいい陽気で、乗客は多くなく、緑と住宅がゆっくりと流れる景色に何が映ったかを二人で呟きながら、自分たちの仕事の話や専門の話、共通の友達のこと、読んだ本についておしゃべりをしていて、思った。こういうことがまたあればいいな。そして、彼女を助手席に乗せてドライブがしたいとも思った。運転が好きなんて感じたことは一度も無かったはずなのに。なんだかそれがちょっと嬉しくて、その日はいつもよりも楽しい話とか、思い出話とか、小さい頃に悩んでいたこととか結構濃い話が出来たような気がする。
その子と先日都内で食事をして、たっぷり5時間近くしゃべって、クリスマスの雰囲気が早くも出始めた街路を彼女の行き先の駅まで送り届けたときに、わけの分からないことが起こった。身体が勝手に動いたんだよ。本当に勝手に動いた。想像だにしないことだった。ぼくの身体が、勝手に、お別れの言葉とともに手を振る仕草をした彼女の手を、つかんで、そのまま引き寄せた。で、ぼくの口が勝手に動いて、言ったわけ。「帰らないで」って。いや、本当に。自分でも、なんだこれ、って思った。そんなことしようなんて本当に一瞬だって考えたこと無いのに、そうなっちゃった。びっくりしてたよ、彼女もぼくも。
そこからあとは、もう、まるで何もかも決められていたみたいに進んでしまった。駅を出てバス停を探して、別のイルミネーションを見に行って、そばのベンチに二人で腰掛けて、キスした。自分の頭や身体が自律的に動くのと、何者かによって動かされるのが半々くらいで、そうなった。自分事と他人事が一緒になったような感じ。なんかもう、圧倒的な感じ。それで、多分彼女の方も似たような感じになっていたんだろうなって、伝わってきて、なんかもうスケールがでかすぎるような満たされ方をした。たぶん、二人とも。キスするのやめて、最初に彼女の口から出てきた言葉が、「いま、なんかすごかったね」だったもん。駅のあたりからすごかったって伝えたら、彼女はそれのもう少し前からずっとすごかったって。
ぼくは今まで、好きっていうのは、意思や感情のことだと思ってたんだけど、違うんだなって悟った。あの、なんかすさまじくでかいものが、「好き」ってことなんだって考えることにした。ちょっと前のことだけど。全然上手く伝えられてないけど、誰かにいいたかった。あと蛇足だけど、彼女はぼくの彼女になってくれた。金曜日から。
バス停でバス待ちをする私の前に一人の老人が並んでいた。わたしの後ろには既にたくさんの人たちが並んでいる。
私の前の老人のところに、別の老人(知り合い同士なようだ)が「あらーこんにちは」と駆け寄ってきて、話を始めた。二人ともそのまま話を続け、そのまま到着したバスに乗り込もうとした。
私は後からきたほうのかたに声をかけ「もしもし、順番は守ったほうがいいですよ。後ろに人がたくさんならんでいますから」と言ったが、そのお二人は、何言ってるんだこいつ、と言わんばかりの態度でバスに乗り込んでいった。その後も「なんなんでしょうねあれは」「いやですわねえ」的なことを二人で話していた。
それはこっちのセリフなんだけどな。
これは、その日だけたまたまバス待ちの順番を守らないご老人がいた、という話ではない。「公共マナーのなっていないご老人」は結構な頻度で見かける。
公共のマナーが悪い、自分勝手な人が増えた、という声は昔からあり、子供、学生、主婦、サラリーマンなどがやり玉にあがるが、確かにそうだよね、と思う。年長の世代が公共のマナーを守っておらず、注意されてもご自身の行動を改めることなく、注意した人を逆恨みしているんだから。しかも老人世代のマナーの悪さが「マナーを守りましょう」ポスター等で指摘されることもない。
「自分勝手な振る舞いをしていたら他人(年下の人)に示しがつかない」という躾や教育は受けなかったのだろうか。年齢の数だけ増えさえすれば自分勝手な振る舞いをしても許されると思っているのだろうか。「公共の場でマナーなんて守る必要はない」と自分の子供や孫に対して教えているのだろうか。
そして、私も、マナーを守らないご老人を見かけたら「あなたは親や周りの大人にどんな躾を受けてきたのですか?」「お子さんやお孫さんにも『バス待ちの順番なんて守らなくていい。自分の都合優先だ』と教えているのですか?」ということまで言わないといけないのだろうか?
●追記 先に並んでいた老人は「席とり」をしてたんでしょ、というコメントがあったけど、二人とも「あれ?あなたこんなところにいたの?」みたいな反応をしていたのでそれは違うと思う(あらかじめ二人で示し合わせてやっていたようには見えなかったし、席とりならば「ありがとう」とか「おつかれさま」と声をかけるんじゃないだろうか)
初犯だったが女につかまった。腕を強くつかまれて次のバス停で下ろされた。
「謝って」と凄まれたので、俺は頭真っ白ですいませんすいませんと連呼した。
ぶっかけた女のスカートはサテンみたいなテラテラした生地のヒザ丈のだった。色は忘れた。
クリーニング代として1000円要求されたので、支払った。
あれから五年経つが、近所でその女らしい女を見かけた。
旦那っぽい男と、すごい小さくて最近歩けるようになったばかりみたいなガキ一人と一緒だった。
俺は相変わらず童貞で、相変わらず男だらけのなかにいるが、性犯罪にはもう手を出してない。
初犯で捕まったから懲りたのか、捕まってなくても二度目は無かったのか、そこは俺にもわからない。
私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。
幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。
ふつうの精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。
少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。
私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。
私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅のジョイナス地下駐車場は英語でブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。
ある日TVで英語教室のCMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。
しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。
そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系でエリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。
ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。
何ここ何が起きるの?
幼いながらも恐怖した。
部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。
父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。
しかし、だ。
それは遅すぎた。
小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。
それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。
その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車でダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。
初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文の講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。
それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。
公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文で勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。
一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。
高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤で卒業式の時に表彰されメダルを貰った。
なんというか極端だな・・・と。
しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。
高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。
図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休みと放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。
この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。
しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。
高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験も視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。
私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。
地域ではマイナーな予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。
予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストでダイレクトにアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。
今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。
高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。
がんばった者とがんばらなかった者
逃げなかった者と逃げた者
大学受験--
無論私はボロボロだった。無惨だった。
センター試験で自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。
死を覚悟した。
一般入試が始まった。
私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学の化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学を受験した。
結果。補欠合格。
はは、引っかかちゃった。
当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。
でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。
だって・・・「努力したのかい?」
大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。
大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。
しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。
偏屈で有名だった生物化学の教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。
何かが壊れた。
大学2年。目標の生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理の概念が入って手に負えなくなってきた。
苦痛になると訪れる甘い囁き
「逃げちまえよ」
それにあがらえる訳がなかった。
初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。
その差は歴然と表れる。
いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。
背中に火を付けられたような感じがした。
兎に角焦った。
焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした
「ニゲチャイナヨ」
でも逃げると今度は留年だ。
逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ
14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。
不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。
ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。
真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。
次の年の春。私は留年した。
その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と
ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。
がんばるから、がんばるから
この時はそれで何とかなった。
留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。
唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。
翌年、再び私は留年した。
二度目の父との対話。
今度はなかった。
そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりもニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。
ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社の研究所に拾われた。
そこは農薬を作っている会社の研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。
でも、せっかく化学のバックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。
とっさだった。とっさに私はこう言った。
何でこう言ったのか今では判らない。
しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所の助手で採用してくれることになった。
運が良かった。
研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。
「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。
本気にしてがんばろうと思った。
でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。
入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。
「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。
すんげぇイヤな奴だった。
京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。
正直あんまり関わりたくなかった。
なんでだろうって。
殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退でバイト。この差はなに?
それがずっとこびりついて離れなかった。
それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。
「苦痛」だった。
とにかくとにかく苦痛だった。
また別の日、通勤のバスに乗っていると不思議なことが起こった。
降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロニゲロ」って告げてくる。
そして降りるべき停留所が来た。
降りられなかった。
こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。
その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。
それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。
さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。
怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと
「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」
と言われた。
その日早退し精神科を探した。
小さなクリニックで老医師がこう言った。
「そりゃウツだ」
そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。
ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。
それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。
「大切な話があるから明日は必ず来るように」
と
翌日。何とか私は出社した。
そのまま会議室に連れて行かれた。
そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。
「単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」
総務部長がそう言った。
あぁ、クビか。
後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。
どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。
朝起きて家を出ることはできるけど電車やバスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロニゲロ」と
そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。
最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。
職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。
ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。
朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロニゲロ」という囁きが頭を支配する。
精神科にはもう6年かかっている。
はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬、睡眠薬まで貰って飲んでいる。
挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。
ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と
最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。
結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。
「苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。
おそらくこれは正しい。
正しいことは判ったが対策がわからない。
生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?
そもそも私の病気は何だ?
精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。
年々悪化しているこの「現象」
いったいこれは何なんだ?
どうしたら治るんだ?
どうしたら社会的な生活を送れるんだ?
だれか、教えてほしい
京都の道路は碁盤目状だから、バス停も通りの名前を組み合わせたものになる。
例えば、「千本今出川」は千本×今出川、「千本北大路」は千本×北大路という風に変換される。
この場合千本通りはどの通りと組み合わせても名前の最初に来るので、攻め気質のキャラクターだということが分かる。
同様に、堀川通りも攻め側にまわる事が多い。
「堀川上立売」「堀川中立売」「堀川下立売」を順番に聞くと堀川はこの三兄弟の誰が本命なのかとハラハラしてしまう。
中でも、河原町通りは気になる存在だ。「四条河原町」「三条河原町」の時は受けなのに、「河原町丸太町」の時は攻めになる。不可思議極まりない。
けれども、かわらまちまるたまちという音韻の可愛らしさから、この二人は双子気取りの百合カプなのかもしれないという考えに至る。
大宮だって気になる。「四条大宮」と「大宮五条」があるということは、攻めヒエラルキーは四条>大宮>五条なのだろうか。
兄には受けて弟には攻めるなんて、大宮はリバ魔性にもほどがある。
ちょっと待て。今何となく調べたら「河原町五条」ってバス停もあるじゃないか。五条は受け確定なのか。
それに「四条堀川」って何だ。基本的に攻めキャラの堀川もさすがの四条には敵わないってことか。
京都には「四条は攻め、五条は受け」という決まりでもあるのだろうか……
自分は祖父母の家にいる。今日は何かの催事らしく手伝いに来ている、という事になっている。自分の他には、両親や伯父夫婦といった親族の他、今思いを寄せている高校時代の先輩や大学で辞めたサークルの元同僚も来ている。何の手伝いをしたかは思い出せないが、一段落ついたらしくみんなで食事をしている。自分の皿には大量のプチトマトを盛られてこんなに食べるのかと思ってしまう。私は元同僚と話をしたくないのでひたすらプチトマトを食べてさっさと食事を終え、その場を立ち去る。
その後、荷物を取りに上の階に行くため階段を昇る。その瞬間、場面が変わり祖父母の家の階段が高校の非常階段になっている。実際の校舎と違う所は、何重にも非常階段が存在する点だ。自分は学ランを着ていて、どうやら高校2年の頃に戻っているようだ。自分の家族はその場にもういない。高校が別であるにも関わらず、元同僚がいるようだ。階段の踊り場ですれ違いそうになり、目を反らすようにして下りる。この日は一つ上の学年が卒業式らしい。中庭で学年集会が行われているらしく、同級生がぞろぞろ集まっている。ある教師が、「一つ上の学年はセンター試験が良かった。だがこの学年はそれよりも優秀だ。一つ下はダメだ」と言う。後ろでは部活中の下級生が見ていたらしく、地面を叩いて悔しがる。でもなぜか自分はその後の受験の結末を知っているので(現役時にはどこにも受からず、浪人してようやく合格した)、冷やかに話を聞いている。前の方では教師が段ボールで出来た大根の模型をハサミで切断している。
そうしている内に学年集会が終わり、放課後になる。現在(高校当時ではない)参加している草野球のチームメイトが、高校の敷地に自転車で乗り込んで来て、アルミホイルと左用グローブを自分に渡す。ここでは野球はできないと説明し、移動する旨を伝える。ふと横を見ると、先述の先輩とその友人が新入生を勧誘しているようだ。だがそこには新入生など居るはずもない。自分はグローブをはめて左投手の真似をして素知らぬ顔をしてその場を立ち去る。
自分も帰宅する事になり校舎を後にしようとした時、校舎を後にしようとした時。バス停にその先輩がいる。だが自分は思いを寄せているので声を掛ける勇気などない。仕方ないので近くにいた同級生に甲子園予選でうちの学校負けたね(この試合は現在、すなわちつい数日前に行われたものであり、高校当時のものではない)という話をする。そしてバス停の裏から窓ガラス越しに先輩の姿を眺める。その時、彼女はこちらを振り向く。目は赤く、涙目になっている。自分はどうする事も出来ず、思わず死角に隠れる。それでも彼女はこちらに近寄ってきて(ガラス越しだが)、涙面であるにも関わらず必死の作り笑顔で自分に何か声をかけているようだ。彼女は手を振り、その場を去る。(了)
ガラス窓の向こうの中庭では音楽系のサークルが一昔前の音楽を演奏していた。
僕は何とはなしにそちらに耳を傾けつつ、次の言葉を発した。
「別にマゾだとか被支配欲とか破滅願望って訳じゃないんだ」
「むしろ、誰かが僕を支配しなければならないという状態に縛られてる状態が欲しいんだ」
「こんなにどうしようもない僕なんかを、ね」
ここまで話して、日替わりラーメンの新作「麻婆ラーメン」に口を付けた。
麺を何口か啜り「これは罰ゲームに使えるな」と呟いた。
「谷倉に食わそうぜ。最近後半組の瑞希さんと仲良いしな」
対して、向かいの席に座った芦原は定食Aのステーキを切り分けながら相槌を打った。
「今度の必修のレポートが終わったらまたやろうか。北森も呼んでさ」
良いなそれ、と言いつつ芦原の視線は配膳に固定されている。
いつもの事だと流して、左で菓子パンを手にこっちを見ている凪川を見た。
「話を戻すとさ、支配されてるのに支配してるって言う矛盾みたいのが良いと思うんだ」
芦原がニヤニヤして横やりを入れた。
「このロリコンが。お前が捕まったらネットで晒し者にしてやる」
はいはい、と流して話を続けた。
「この矛盾はね、結局相手も隷属してるってのが素敵なんだよ」
「犬の散歩で言うなら、縄の付いてる部分こそ違えど、飼い主と犬は繋がってるって事でしょ」
「けど、飼い主は自分から縄を離せる」
凪川は眉根を詰めて言った。
「都合の良い対象として扱われたいのか?」
「いいや、違うよ」
「もし、飼い主も自分で縄を離せなかったらどうする?」
「僕は、その状態が欲しいんだ」
「形としては支配されてる、けどそれは惰性に過ぎない」
「いつ支配され返されるか分からない。それでも支配し続けなければならない、離れられない」
「奴隷となった相手の従順な姿に安心しつつも、時折絶望に浸って欲しいのさ」
凪川は渋い顔をしてこちらを見ている。
場違いだと思いつつ、こいつに倒錯的な性体験をさせたいと思ってしまった。
顔に出ないように取り直しつつ、言い返して反応を見ることにした。
「死にたいと四六時中言っているよりは良いだろ。性的エネルギーは活動の活動源だ」
「方向性が道徳的ではないのは良いのか」
「0°がまともだとして、720°でも傍目には分からなければ良いのさ」
「道徳的であるかどうかは過程じゃなくて結果にあると思うよ」
「その結果が支配関係なら180°だろ。それに、俺らに言ったら過程が分かってるから意味ないだろ」
「依存してるから良いのさ。愛を受け止めておくれ」
「フルメタルジャケットの方だ、良かったな」
「痛いのが好きなら、そうとはっきり言えば良いのに」
「どう解釈すればそうなる変態バイペドフィリア。地獄に落ちろ」
今日も厳しいな、少々古いがツンデレ的愛情表現かね……とにやりとした。
凪川の目にあるはっきりとした嫌悪については、今は深く考えたくない。
芦原は黒檀色の瞳を探る様に向けている。
「…………良いんだ、今さえ楽しければ。どうせ刹那的にしか生きられないし、受け止められないから」
「あっそ、好きにすれば」
「ごめん」
それから3限開始までは何事もなくいつもの日常が戻って、4限に解散した。
銀朱に染まる最寄りのバス停で降り、鍵束でドアを開放する。
その日 友人が一人死んだ。
午前6時、その報せが映ったディスプレイを見つめていた。
7月の初めに、人が死んだ。
読んで頂きありがとうございました。
26歳女です。
学生の頃から色んなおじさんとご縁(?)があります。
見事に変な人ばっかり。こうも続くと、自分に原因があるのだろうかと若干凹んでしまいます。
いままでのおじさんとの思い出を箇条書にしてみます。
●視線を感じて振り向くと一眼レフを向けられてた事、過去2回。こちらが気づいたとみるや、そっぽを向いて去っていく…。ちなみに全く別の場所で別の人。
●すれ違いざまに鎖骨触られて「男?」…そこじゃない。おっぱいはもっと下だから!(心の声)でも勿論やり直せとも言えないし、呆然としてる間に去っていくおじさん。普通は鎖骨と胸、間違わないですよね。
●バス乗車中、えなりかずき似のおじさんに肩をつかまれ掠れた声で「おはようございます!」って言われました。席を譲って欲しい人かと思ってイヤホン外したのに…。
●バス乗車中、「携帯いじるなって何回も言うとるやろ!!きいとんかお前は!!言いたいことあるんなら言えや!!」と言われるも、そのお方とは話すのはそれがはじめて。優先席付近でも通話してたわけでもなく。。目が危ない感じだったので怖かった。
●電車降りざま、手をやんわり握っていくおじさん。
●いっぱい席空いてるのに、私の前に立つ松葉杖のおじさん。(座ったらいいのに!!)「◎◎までは何分かかりますか?」と聞かれたので答えると、「そうですか」と隣の車両へ…。なんなん(・∀・)!?
●電車待ちをしているとポンと肩を叩かれ、「クモついてましたよ」と小さいクモをつまみながら満面の笑みのおじさん。私もなぜ体にクモをつけていたのか謎。
●仕事柄、一眼レフカメラを持ってうろうろすることがあるのですが、すごい手を振ってくるおじさんとか、「おっちゃんモデルになったろか?!」とか言ってくる人とか。
●仕事帰り。道案内を頼まれたので一緒に歩いているところを会社の同僚に見られたりとか。違う!そういう関係じゃないんです。。
●博多に出張に行った時に道を尋ねたおじさんとの距離が、気づいたらはんぱなく近くなってたので離れるもまた近づいてくる。でもすごい真剣に道案内してくれてるので聞くんだけど本当に近くて笑いが込み上げてきて大変でした。
●クラブ帰りの朝にバス停で座って寝ていると、遠くで卑猥な単語を叫んでいるおじさんを確認するも、眠さに負けて熟睡。ふと目が覚めると目の前で叫んでいるご様子…。どうやら隣のサラリーマンとカップルだと思われたらしく、気に食わないみたいですごく怒っていたのでどうしようかと思っているとサラリーマン逃亡。ええ〜〜!!
「蹴るぞこらぁぁぁあ!」とか叫んでいるので、ひとり残された私は意を決して「あの、カップルじゃないんですけど…」と言ってみる。すると急に笑顔になって、「そっか。ごめんね♪」とさっきとはうってかわって上機嫌で去っていった…。
●信号待ちで。独り言すごいなぁと思っていたら私に話しかけていた。
●電車で席を譲ったら「ええねんお嬢ちゃんすわっとき!!!いやぁ〜ありがとうなぁ〜おっちゃんにもお嬢ちゃんくらいの娘がおってなぁ〜〜ぺらぺら〜」延々15分。離れて座ってた同僚はずっと爆笑。
ざっとこんなかんじですがまだまだあります。いわゆる性的なかんじの絡まれ方は滅多にされません。
関西在住なのも理由のひとつかもしれない。ちょっと個性的なおじさんが多いのかもしれない。
でもそれだけじゃないお前の何かがおじさんをひきつけるのだと周りは言います。
若干童顔のようですがそれが原因でしょうか。(藤井フミヤみたいな年のとり方しそうで怖いです)
ぼけーっと歩いてるのがいけないのかしら。
今は何事もなく済んでるからいいが、そのうち大事件に発展したら…笑ってくださいませ。。。。
父は素で、本気でそんなことを言う。
父「米炊いて、スーパーで肉(あるいは魚)買って焼いて食えば数百円でおなかいっぱいじゃん。」
父にとってたかが食事のために外出するなんて理解不能なようだ。
まとめて買って、冷蔵なり冷凍なりしておいて、食べたいときに冷蔵庫から適当なものを取り出して食べる。
肉なんかは焼いて食べる。
焼くにあたってフライパンは使わない。
父「(フライパンは)油ひいたりゆすったり振ったりするの面倒だろ」
野菜はそのままかじる。
食後はコーヒーメーカーでコーヒーを大量に作って、ずっとデスクワークする。
祖父母が近くに住んでいる。
祖父もそれに近い。
母や祖母が料理をしないわけではない。
父はAM5:00から働き、暇をみつけて朝食や昼食を食べに帰ってくる。
そのときに用意がなければ、勝手に食べる。
夕食でさえ、予定より早く帰ったときは一人で食べて風呂に入って自室で早く寝る。
祖父は父と逆に朝寝坊で、ふらりと起きてきて勝手に食べる。夜はいつまでも鍋をつつきながら晩酌する。
やはり自室で寝る。
母親は
「いつ帰ってくるかわからない人に合わせて食事なんか用意してられない。」
と言い勝手にさせてる。
「いつ起きてくるか、いつ寝るかわからない人に付き合ってられない」
と言い勝手にさせてる。
父と母も祖父と祖母も別に不仲なわけではない。
たまに母や祖母から不満が漏れるが、
「なにが不満なのかな?!妻にお茶を淹れさせる(酌させる)男に比べたらずっといいと思うんだけど?」
っていうようなことを時々言う。
なにに対して怒ってるのか全く理解できない様子だ。
弟はもっと酷い。
滅多に帰省しない。
仲は悪くない。かなりお喋りな弟で、よく長電話する。
帰省しない理由が
「家族内通話が無料なのに、わざわざ会うために出かけるってわからない」
と言う。
こう書くと、すごく冷たい理屈馬鹿に聞こえると思うし、実際今までネットでこの話をしたらそういわれたけど弟も僕も、社交的なほうだと思う。
ちょっと道を歩いて、偶然会った初対面の人と電話番号の交換とかをよくする。
父や祖父などバス停で待ってる人に
「乗せてってあげるよ」
みたいなことを言って乗せてったりする。
リアルな友達には
「お前の料理ってオーブン料理ばかりだし(僕はオーブンで調理するのが好きだ。待ってれば出来るから)、ナンパするし、アメリカ人みたいだな」
って言われる。