はてなキーワード: linusとは
そういえばLinusが使ってたような
Linus' Blanket
いいコードを書くことってのは凄く大事なことなんだって気がついた。
保守性がどうこうとかよくわかんない。動きゃいーじゃんぐらいの気持ちでいたんだ。
今、人の書いたそういうコードを触らなければいけない立場になって痛感している。
どういうコードがクソかっていう話はネットを探せばいろいろ見つかるからここでは書かない。
ただ、設計書と実際のコードが全然一致していないということがザラにある状況のなか、
可読性のあまりにも低いクソコードをソースコードを鼻血が出るほど苦労しておいかけて、
設計書とは名ばかりの「こんな風にできればいいな?」ということが書かれただけのよくわからない書類を解読しながら
作業を進めるというのは、本当にきついことなんだと思い知った。
コードに殺されるかと思った。
http://cpplover.blogspot.jp/2015/11/linus-torvals.html
Linus tovalsがクソコードに対して物凄く切れているっていう記事。
クソなコードは実際に人を殺すまではいかなくとも、鬱に追い込んだりする破壊力があるんだ。
1行のクソならまだいい。でもこのクソはそのうち積み重なりクソの山になる。
クソコードは人を傷付ける。
俺は自分の書いたコードで人を傷付けるようなことはしたくない。
そういう、本気で尊敬できる人たちが「雲の上の人」ならば、そこまででもないけれども人よりも得意な私たちは「雲らへんにいる人」なのかもしれない。
私たちは雲の上の人に憧れ、少しずつ上昇していって、いつの間にやら雲らへんにたどり着いて、それでも雲の上の人には全然届かないと嘆いている。
けれど地面の人たちから見ると、いつの間にやら私たちは、手の届かないところにたどり着いている。地面の人たちから見ると、まぁなんとなく雲らへんの人よりも雲の上の人の方がすごいとは思ってはいるものの、実際のところどこまで明確に区別が付いているのかは怪しい。誰かが高さを測った結果を聞いているから、そんな気がしているだけかもしれない。
私には他の野球選手に比べてイチローが特に優れていることを、打率やホームラン数などのデータなしに自分で判断できる自信はないし、コンピュータプログラミングにしても、私が書いたソースとLinusの書いたソースの差なんて、プログラミング言語を学んだことが無い人間には分からないだろう。
当然、雲らへんの私から見れば、雲の上の人の書いたコードと雲らへんの人の書いたコードなんて明らかだし、雲より下からでもある程度上昇してる人には明らかだろう。
ところで、雲の上の人たちにも分類があって、成層圏あたりの人、月らへんの人、太陽までたどり着いた人、というのがあるのかもしれない。