以前勤めていた会社の社長とか、デスクトップのほうが安いですよって勧めたのに、絶対ノートだって言ってノート買ってたし。
一応「家に持ち帰って使うから」って理由をつけてたけど、会社の机の上から動かしてるところを見たことなかった。
配線とかないし、キーボードはコンパクトだし、マウスとかないし。
(実際使うとマウスやフルサイズのキーボードのほうが使いやすいけど、見た目の印象で)
WindowsやOfficeをアップデートすると「使いにくくなった」ってヒステリックに騒ぐ人がいるけど、あれは自分が新しいものに適応できるか試されるのが怖いんだと思う。
緊急性が高けりゃ仕方ないもんなのかなとは思う
まあそんなもんかと流すけど、その時間だと飯早く食べたいし、言外に「めんどくせえな」と匂わせつつ了承するケースはあるかも知れない。
半年ぶりだし。
女だけど半年ぶりに会う友人だったら一分でも多くお喋りしたいから買い物になんて付き合わせない。
昼間ならともかく夜20時に待ち合わせてそこから買い物はキツイ。お腹も空くし。
百歩譲って買う物決まってて店に向かうついでにささっとっていうならわかるけど、あれこれ見比べて吟味したいならもう少し余裕ある時に誘ってくださいって思う。
単純に候補者の男女比率を見ると女性の方が圧倒的に少ないからね。
(流し込みとは、“一度入場すれば、途中退出しない限り、最終回の上映終了まで、何度でも鑑賞可能”という今じゃ考えられない制度のこと)
30数年前母に連れられて映画館に行った。俺にとってそれが初めての映画だった。時間など調べる人ではないものだから、到着は上映から30分は過ぎていただろうか。上映途中にも臆せずずんずん入る母。親の言うことは絶対だったから続いて席につく俺。見たいと言ったわけでもない映画を、ストーリーもわからぬままぼーっと見る俺。映画はよくわからないまま終わる。当然のように母はその席についたまま次の回の上映を待つ。そういうものかと思うほかない。俺は映画をはじめから見ることになる。なんとなく話に入れてきたかなというころ、入場時に流れていた場面まで進んだあたりで、「もうここからは見たんだから帰るよ」と母。そして本当に連れ出された。大人とはなんということをするのかと思った。
初めて見たこの映画の内容はまるで覚えていない。ただ、どのような状況で見たのかははっきりと覚えている。
(19:07追記)これを書いて少し吹っ切れたこともあって母に電話した。30数年前のこの出来事を母も覚えていて、「昔は途中で抜ける人も多かったのよ、あのときはごめんね」と。積年のもやもやした気持ちが昇華できたように思う。母が生きている間に話せて本当に良かった。
そうかもしれんな
友人を2時間待たせて更に私用に付き合わせようとし、それを先に伝えたから落ち度はないと思いたい増田も、
先日、男の娘をやってますという人と話す機会があった。異性装についてきちんと考えたことはなかったけど個人の自由は誰にも侵害されてはいけないし社会から受け入れられて当然であるべきと思ってきた。
彼は性自認は男性であって恋愛対象は女性、でも女装ではなく自分を表現する為に女性の恰好をしているのだと、難しい話はよくわからず流していたけど、おおまかにはそんな話をしていた。
最初はなんとも思っていなかったけど、話してるうちに腹が立ってきた。
そもそも聞いてもいないのに自分のアイデンティティについて強烈にアピールしてくることにまずうんざりして、会話から彼の「チヤホヤされたい」って気持ちがこれでもかってくらい伝わってきたことにうんざりした。
「女子より女子っぽいとよく言われる」とか「化粧品が詳し過ぎてしょっちゅう女の子から教えてくれってせがまれる」とか「先週男にナンパされて男だって言っても信じてくれなかった」「男でもいいから付き合ってくれ理想の女なんだって告白された」とか。
そんな話を続けながら、婉曲に着ている服を褒めてほしがってきたり、こちらに褒められることを望んでいるのが端々から伝わってくる。
正直、女子として褒めてもらいたいならまず自分が目の前の人間を褒めろよ。自分だけチヤホヤされたがるトークは女同士なら敬遠されるんだよ。
こちらから見ると容姿も平凡な男性が女装してるようにしか見えないから、脳内で美少女化してそうなその自己愛もきつい。
つうか都合よく女使うなよ。大多数の女にとって毎日の化粧は作業化してるし身だしなみも社会人の最低限のマナーみたいな社会的要請の面が強い。腕毛すね毛腋毛顔の産毛の処理も普通の女なら当たり前とされている。
様々な制約のなかで生きてるのに、その苦労も何も味わうことなく上澄みだけ模倣して、自己実現や自己顕示欲に利用されたくないわ。
黒人文化の魅力的なものだけを都合よく取り入れる白人に対して、黒人が表明する嫌悪感と似てるのかもしれない。文化の盗用にも近い。
男性社会が形成した女性的なものを「休日だけ身に着けて解放された気持ちになる」とかよくのたまえるな。ふざけんな。
追記 18:02
端的に言えば「チヤホヤされたい」「非日常を味わいたい」"ためだけの理由"で、女性文化を都合よく利用し盗用することを、歴史的に女性を支配し隷属させてきた側の性、にいる人間にやられることが不快なんです。
これが相手が同性ならばめんどくさい人くらいで腹立つほどのことにはならない。
女性の文化を「男性」が、チヤホヤされたいみたいな承認欲求を満たすためだったり、自分の問題からの「逃げ場」として軽々しく使ってたことが、今現在も社会から暗黙のルールの下で何重にも制約を課せられながら生きている女性を馬鹿にしてる行為と同じだとしか思えないってだけなんです。