いや量子論が前提で語ってますがっていうか現行科学は量子論で説明できることがあることが判明してるから
量子論の理解は途上でもそれが正だとみなすことを自然としてます。
なので俺もそれに乗っ取って運命に自己選択権ありと判断してるので
あなたが量子論を認めない、もしくは除外するというなら議論にならない。
ついでにいうと量子論ではその「ウチ」も「ソト」も存在・非存在のゆらぎの中に全部含まれているから。
量子論抜きにしても一番最初の「ソト」である宇宙誕生を観測して説明できなければ「ソト」が決まっているかどうかも分からないだろ。
宇宙誕生のソト以外は全部その下の「ウチ」であって宇宙誕生の「ソト」を観測できない以上、その理論は成り立たない。
単に人間のスケールで見ただけの実生活に元ずく考え方であって宇宙の歴史からしたら人間の指定する「ソト」も「ウチ」も、「ウチ」でしかない。
専門家が「何か最近話題になってるそうなので…」と、ツイッターやブログなどで専門家としての自分の見解を述べているのを
どっかの知らない素人も素人なネット民がドヤ顔で「この先生はすごい!」「やはり専門家は違うわ」「この話題に関する熱意を感じた!」などと無条件に褒め称える
氏名料とられるけど、それでもいいの?
ねねっち「やめて、あおっち! 過労死なんて、あおっちだって嫌だったはずだよ! お願い、家に帰って!」
りん「仕方がないことよ。すべて彼女が選んだことだから。でも、あなたなら彼女の運命を変えられる。弊社と契約してPGになってよ!」
眠りから目覚めるねねっち。
ねねっち「ん? なんだ、夢か……」
今日も意気揚々とイーグルジャンプへデバックの仕事をしに出社するねねっち。
阿波根「桜さん、実は……」
失踪した従業員(はじめ)の代わりに、モーション班に入ってほしいと頼まれるねねっち。
ねねっち「でもあたし、ただのゲームユーザーで、プログラミングなんかしたことないし……」
まるで座っているだけでいいエヴァパイロットみたいな扱いを受け当惑するねねっち。
本当は断りたいが、ボサボサ頭の青葉が視界の片隅に入り、言葉を飲んでしまう。
ねねっち「あおっち、そんな働き方ないよ…… 氏なないなんて嘘だよ。見ているだけで氏にそうだもん……」
青葉「ねねっちに何が分かるっていうの? ゲームを作る、私はただそれだけの存在なの」
瞳のハイライトが消えた青葉が答える。
ひふみん「青葉ちゃんの……ためなら……」
本来なら青葉がやるべきキャラデザの仕事をするひふみん。うっかり青葉×ひふみんルートに入ってしまい引っ込みがつかなくなったのだろう。二十分おきに青葉のクマさん寝袋を抱きしめながら号泣している。
ダイエット(労災)に成功したゆんが誰に言うわけでもなく独りごちる。
コウ「よく目に焼き付けておくことね。これがあなたの憧れていた仕事よ」
コウの言葉にねねっちは頭を振る。
尿酸値が高いので毎月採血にいくんだけど、痛い人と痛くない人がいて、看護師さんみて「あー今日ははずれだな」とか思う。
今日やってくれたのは婦長さんなんだけど、下手っていうか雑。時間は早いけど。
採血中もハリの部分を抑えてくるので痛い。
うーん。それはどうかなぁ。
ログファイルは場所やファイル名が分かりやすいから最初にみられやすいけど、
DBへの接続パスワードが書かれたファイルはかなり探さないと見つからないじゃない?
なんでなんだ?
なぜ置き換える必要があるんだ?
「死ね」と「嫌い」は言葉の強さがまったく違って、置き換える意味すらない。
「嫌い程度の意味で言ったんですよー、ヘイトじゃありませんよー」ってことなのだろうが、それでもたちの悪い発言にかわりはないと思うが、
でも問題はそこではない。
実際に「死ね」と言った、そこです。
「お前は消えてなくなれ」と言われたらどう思う?
そもそもだけど、サーバのログにアクセスされてる時点で、クレジットカード以外にも情報漏洩してない?
書いてある内容だけだと詳しいことはわからないけど、
ログ見える状況だとすると攻撃者はファイルにはアクセスできてるんだよね?
ってことはきっとDBへの接続パスワードも見えちゃってるだろうしDBへもアクセスされちゃってない?
自分が攻撃者側だとするとログからクレジットカード情報さがす前にDBから個人情報抜くと思うんだけどな。
ようするにこのECショップはサーバにアクセスされてログから最低でもクレジットカード情報、
周りがようやくAppleに追いついてきたってことだろ。
君もその一人、俺もその一人。
観測者である自分を量子論から除外してる方がオカルトでしょうが。
ミクロだけでなくマクロにおいても作用されていると考えるのが今の主流科学だから。
シュレディンガーの猫は実在・非実在のゆらぎにあるのは猫だけでなく観測者である自分自身も含まれていることくらい知ってるんだよな。
なら観測者自身も見ている自分と見ていない自分の存在・非存在に分岐されているのに
結果が集約した後はどちらかしか存在しないのはどこで決まったと思う?
ランダムはランダムでしかないんじゃなくてそこに観測者の存在が介在するからこそ結果が1つしか得られなくなる=観測者も参加型の選択権を所持しているってこと。