なんでみんな芸能人みたいな人種に興味があるのかさっぱりわからん
テレビに映ってるだけで視聴者から見たらドラえもんと同じでしかないと思うんだよ
アニメや映画のほうがまだ画面にストーリーがあるから感情移入しやすいがテレビで何か言っている芸能人って他人でしかないわけじゃん
ニートになるといいことづくしだ
まず働かなくていい
でも何とかなる。なんとかなるようにできている、この国では
最悪、生活保護も受けられるしな
「働いてないんで、税金払ってないんです」
ガチャッ
嘘偽りなくあしらえる
みんな、ニートになろうぜ!
次のデートでこそ手をつなぎたいと思っている。
次こそ手をつなごうとか、腕を組んでみようとか、
あれこれ考えている。
だが実際相手と2人きりになるとどうしても勇気が出ない。
酔った勢いで繋ぐというのもなんだか相手に対して失礼な気がする。
私も相手の男性も良い年齢なのに、
キスやセックスとか流れでやっていてもおかしく無い年齢なのに、
それどころか小学生の子供が居てもおかしくないくらいの年齢なのに、
どうしても、手をつなぐことが出来ない。
相手は私に興味なさそうだから、
私から行かないと。
それは剃り残しできるやろ~
デビュー当時はケツ毛ボーボーだったのが、いつの間にかきれいさっぱり無くなってることがある。
それとも永久脱毛とか?すごく痛そうだが…
そんなことはどうでもいいか。剃りたい。
ブコメでこれ書いてる奴いっぱいいるけど、クッソ恥ずかしいと思う
プライペート用の服を売る手法を、仕事用の服を売る場面にそのまま持ち込んだから。
おそらく、少子化の影響でルミネみたいなオシャレな高い服を買う人が減っていて、
それで新しい市場を開拓しようとして、働く女性を応援する的なムービー作ったんでしょう。
ただ、働く女性向けの服を作ったこともなければ、CMを作ったこともない。
で、従来の手法を持ち込んで失敗したと。
あのCMの場面を仕事じゃなくて、例えば幼なじみとかに変えれば特に問題は無い気がする。
冴えない服を来た女の子が、幼なじみのの男の娘にちょっとバカにされて、綺麗になって見返してやる的な。
もっと、パブリックで公的なもので、社会通念に合致したものでなければならない。
例えば、Tシャツの消費拡大のために、
みたいなCMを放送したとしたら、エコロジー的な寒天からぶっ叩かれると思う。
再発防止策としては、・・・そうですねぇ、
やっぱりその、「働く女性たちを応援する」っていうのを、単に自社の売上拡大のためのキャッチフレーズじゃなくて、
悩んでいる。私と彼氏は同い年の29歳。結婚前提で、付き合って2年くらいです。そして現在同棲中。
なんていうか、ずっと一緒に暮らしていると所帯染みちゃうというか。家族の一員という風に彼氏のことを見ちゃう。
セックス以外で楽しく過ごしてるから、セックスとかわざわざめんどくさいなって。
マンネリというか…。それなら旅をしたり、未知なこと、初めてな体験を2人でする方がいい。
もちろん、始めはセックス大好きでしたよ。だけど、喧嘩したり仲直りしたりを繰り返して、関係が落ち着いてきて、したくなくなった。
彼氏は絶対浮気する人ではありません。だからたまにしなきゃなって思うけど…気持ちが盛り上がりません。申し訳ないなとは思います。
でもね、フレンドの数と親密度が増せば増す程ネットの世界に依存していくのがわかるんだ。
表のリアル、裏のネット。 2つの世界で二人の自分がいるんだ。
裏の世界は何より気楽。 取捨選択し綺麗な世界だけを構築できる。
顔がわからない分、より内面的にコミュニケーションしていく感覚は本当に充実感に満たされる。
そんな世界で親密になった相手、特に異性だった場合お互い好感度はMAXなわけで、
表の世界が一変してしまう可能性が充分考えられるんだ。 その可能性が怖いんじゃないかな。
君と安倍ちゃんにとって、ぽろっと本音を漏らしてしまうことこそが「闊達な議論」だと言うのなら、存分にぽろぼろとお漏らしすればいいと思うけれど。
たまに見る海外の、それもイギリスとかイタリアとかフランスのバラエティの内容って、日本以下だし。
どう見ても。
「時に君,数学をするとはどういうことだろうか考えたことはないかい?」
「どうした急に.」
「いや,なんというかたまにすごく不安になるんだ.僕の思っている数学とは,実は数学だと思い込んでいるなにか別のものではないのかと考えるんだ.なんというか,ただの計算に過ぎないというか,実は本当の数学というものを分かっていなくて,わかったふりになってしまっているような,そういう不思議な気分になることが多くてね.」
「なるほど,わかったつもりになっていると」
「そう.たとえば積分をやれと言われればできる.間違いなくね.簡単なもんだ.それは高校の時から余裕でできるわけだ.しかし,大学に入ると,積分とはこれこれこういうものだ,ということを改めて習うことになった.イプシロンデルタ論法というやつだね.それを考えると,高校の時に普通に使っていた積分を説明していた定義とはいったい何者なんだということにならないかい?高校の時の僕は何をもって”積分を理解”していたのか.なんだかただただ騙されていただけに過ぎない気がしてね.」
「ははあ.その厳密な定義以前の自分の理解がすべて虚構の上に立っていた,そういうことかい」
「そうそう,わかったふりになっていただけだなぁと.そう感じるわけだ」
「しかし君,最初からイプシロンデルタ論法を話して皆が理解できるとは到底思えないよ.だからはじめはわかりやすいが,しかし一部で微妙なウソ,ウソというと言い過ぎかもしれないが,少し論理に飛躍のあるちょっとわかりやすい作り話のようなものでごまかして,とっつきやすくしてやったほうが,最終的にもっと深く理解できる人は増えていくだろうし,それはそれでよいのではないか?」
「しかし,そうやってわかっている人が微妙なウソをつくと,僕の知っている知識すべてがそんなことの集合になっている可能性が浮上してしまって,すごく不安になるんだよ」
「そうはいっても,すべての事柄について詳細なところまで厳密に知ろうとしても,人間の生活には限界があろうよ.やはりどこかで妥協する境界線があろうよ.」
「確かにそうだけどよ.そうやってると,どれが正解なのかすべてを知る人は誰もおらんようになるなぁ」
「まあな,でもそれができたらそいつは神だな,おそらく」
「確かに」