アメリカなんて、いま財政再建で大問題に成ってる上に、戦争までやろうとしてる国を参考にするのか?
せめて、財政がまともな国にしてくれ。発展途上国は事情が違うから除く。
あと、オリンピックで経済がプラスになることを説明してくれといってるのに、 なぜ?アメリカはやるんだ?というのは答えになってない。
ちなみに、不安材料を出しておくと、年金は不正が合って破綻した。東北の復興はなんか、一本松が立った。
俺が不安になるのは間違ってるか?
なにを嫌がっているのか?というのを説明しておくな。べつにオリンピック自体はやればいい。
だけどな。
半導体工場を作りたいというのは、作ったあとに儲けることが目的なんだよ。
造船をしたいというのは、それを作って儲けることが目的なんだよ。
オリンピックをしたい。というのは、それ自体は、何も生産しないんだよ。
副産物で 色々なものは出来るだろうさ。でも、それは結局、副産物でしか無い。
半導体工場を作りたいなら、最初から、半導体工場を作ることを目的にしたほうが効率がいい。
鉄道を引くなら、オリンピックが終わったあとに 何に使うのか?その路線は採算がとれるのか?ということのほうがよほど重要だ。
オリンピックだから作ろうというのを、個人商店ならともかく税金でやるのは、規模が大きすぎて
ヘタすれば赤字路線を作ることになりかねないが、税金だから、きにせず作っちゃうだろ。コスト意識のなさが大問題。
観光資源といったって、 投入した税金以上に観光でまかなえるのか?という話もある。
正直、お祭りはいいよ。でも儲かるのかよ?ということが十分に説明されてない。
生産設備を作りたいということよりも、はるかに儲けることが大変なのに
そりゃぁ、みんなが、心配するに決まってる。
オリンピックにいくら使うのか知らないが、国債1000兆からしたらはした金じゃないかと思うんだが。それ1件やろうがやるまいが全体にはほとんど影響ないって言う。
わかるよ。そりゃぁ、騒ぐ奴らは楽しいだろうさ。
民間企業がやって、採算取ることを目指すならともかく、税金だぜ?
採算を取ろうという意識が希薄すぎる。(盛り上がれば儲かるだろうぐらいしか、正直計画されてなかろ)
国家にもう少し国民からの信頼があれば、正しく税金が使われるだろうと信じることもあるけど
現状で、国家が正しくオリンピックを運営できますと信じるには、材料がない。
お祭を楽しみたい奴らには悪いけど、国庫が赤字である事を憂いている人間には、悲報でしかない。
せめて、財政健全化の兆しでも見えていれば、また話は違うけど。
オリンピックを経済的な視点から、好感する材料が一切ない段階で、決まったからな。懐疑的な人間が多数出るのは仕方がない。
正直、やり方が悪かった。
アレは基本的にはガス抜き。あと、自分で主催してパーティーに参加した人の多さが人気のバロメーターとか、面白いパーティーにはひとが沢山集まる。このへんは日本で言うとイベント主催するのと感覚は似てるかも。大人になってのパーティーは社交の場的要素が強くなる。ビジネス絡みとかで、あのパーティーに行けばあの人に会える的な感じで情報収集、交流、近づきになるために利用するのは日本でも同じだよね。たまに、急にLet's Partyと言って叫びだすのは、騒ごうぜ〜ってノリなのはご周知のとおりでございます。
だからさ、そういう「声優学校」みたいのと、本来の専門学校と一緒にするなよ。
そんな意味のない専門学校()に行かせてもらえるのはそこそこの小金持ちの家だけなんだから。
「専門学校」っていう名前を変えたほうが良いと思うんだけど、そういうとこ。
ただの、「教室」でいいでしょ。
よく女のアイドルとかが「原宿を歩いていてスカウトされた」とか言うが、別にそれが嘘でもほんとでもいいんだけど、「通りを歩いている奴にいきなり話しかけてスカウトする」という行為はダメだろ。普通。何でそんな無法を何の問題にもせず語るのか、わけわからん。
突然GLAYの3枚組ベストアルバムをTSUTAYAで借りてきて聞いている。
GLAYがブレイクした頃に中高生だった世代ではあるがファンではなかったので、「あーこれなんか聞いたことあるなー懐かしいー」という感じのテンションで聞いているのだが、なんかこう改めて聞いてみるといくつか気になるところがあった。その一つがこの増田のタイトル。
「ずっと二人で」には「あの夜の泣き顔の理由 聞ける筈なんてない こみ上げる涙に素顔の夢を映してた」という歌詞があり、「誘惑」には「昨夜の涙の理由も聞かず 遠く空回る言葉はトゲに変わる」という歌詞がある。
他にもあるのかどうかわからないが、まあシングル2曲で同じようなくだりがあるというのはGLAYに…というか作詞のTAKUROに何らかそういう思い出があるのではないかと思う。なんか女々しいというか、
「聞けよ!!」
と思う。
そのへんは90年代的なノリなんだろうか? 今って「ちゃんとお互いの気持ちを伝えあってコミュニケーションするのが大事」っていう価値観が強い時代だと思うんだけど(それが良いのか悪いのかはわからんが)、世紀末はそのへんうじうじするのがトレンドだったのかなあ。俺も普通に90年代を生きていたはずなんだがそういう感覚的な記憶はあいまいである。
初期シングルの「真夏の扉」では「幸せの形にこだわる貴方がにらむ」という歌詞があったりして、TAKUROって面倒くさい女とばかり付き合ってんのかなあとか思う。あとはTERUって英語下手だなーとか(←関係ない)。でもそういうのが90年代だったのかなと思う。
あれアメリカ人がよく開いているという、あの目的のよくわからない「パーティ」というのはいったいなんなんだろうな?
まだ誰かのお祝いとかそういう目的があるならわかるんだけど、単に「パーティ」っていう、なんか喧騒の向こうにある虚無みたいなものを感じる。
そんなくだらないことで別れてるんだ…。「別れることが許されてる(もしくは推奨されている)」この世界って楽でいいな。
皮肉でもなんでもなく心の底からそう思う。そんな理由にもならないような超超超かるーーーい理由で別れるんだ人は。
なんっってくだらない! どうーーーでもいいような蚊が指したような小さなこと!
何で世の中はこんなことを美化するようなになってしまったんだ!
福島原発事故直後にドイツの緑の党への支持が急騰したのを受けて、
保守党のメルケル政権は、緑の党が主張していた2022年原発ゼロを、正式に決めた。
もう、中二病も欝も一緒なんだな。
そういうのが、一番「馬鹿」じゃない?
この間別れた彼と話をちゃんとつけれて、友達に戻れてよかった。
常日頃に感じていた劣等感というのは、自分より才能に溢れ、理論的に話せるし、自分より数倍「大人」だったって事かな。同い年でも。
数歩後ろについて歩く、喧嘩したくなくて言いたいことがあるのに言わない、そういったところだな。
「結果的に雰囲気で察しろ」って言ったってわかるわけが有るかー!と当時の自分に言いたい。
もっとわがまま言えなよかった。待ち合わせで時間間違えて彼が遅く来てもにこっとした顔で喋らず、って対応じゃなくて「なんで遅刻したの!」の一言が言えなよかった。
対等でいなかった。それが自分の罪だ。
わがままを言わないのが正しい付き合い方じゃなくて本気の付き合いならば、周りの恋人を見習って多少わがまま言えばよかった。
コミュ症だなんだじゃなくてもっと自分の意見をしっかり言えるようになりたい。いや、なるよ、頑張るよ。貴方が許してくれたから。