はてなキーワード: 青のりとは
上司「増田君、来年4月の第1週の金曜日、夜は空いてますか?」
上司「よかったです。この日にちょっとした会があるので空けておいてください」
という会話から半年弱。4/8の午後に、新幹線に乗って静岡県の某駅に向かった。
素直さだけをウリにしていて気働きが鈍い自分も、上司がああいう言い方をした時点で、それが「ちょっとした会」などではないことはわかった。
車中で交わした会話からすると、ごく内々の慰労で、お客さんは関係ないと。
ただ、「ちょっといい店」なんだよ、と。
店に行く自体が目的だということ、自分には特にお役目がないんだということがわかった。
夕方5時過ぎに駅に着き、そこからタクシーに乗って20分ほど。
街中から離れ、周囲を夕日に縁取られれた稜線が取り囲むような里山の前で下ろされた。
看板が出ていない、綺麗に舗装されたゆるやかな歩道を上がっていくと、
簡素な門の向こうに、小さな庭園と池、RC造で軒のない平屋の建物が見えた。
玄関ドアに着いた呼び鈴を鳴らすと、和服の仲居さんが出てきて中に通された。
割烹みたいな対面カウンターに先客がいて、それがウチの専務だった。
普段なら声もかけられないような関係の人が、「おお、上司君、増田君、お疲れさま」。
自分は小心者だから、さすがにちょっと、いや相当、テンションが上がった。
専務によると、ここは以前、地元企業の経営者が所有していた別荘を店主が買い取って料理店に改装したのだという。
以前は都内で知る人ぞ知る店を構えていた店主が、一念発起して静岡に拠点を移したんだと。
肝心の料理は、突き出しの後は、天ぷら屋みたいに色々な唐揚げを少しずつサーブするスタイルだった。
揚げ油も白絞油とごま油を使い分けていた。
大半は衣の時点で調味されてるので、天ぷらみたいに、塩をするとか天つゆを使って最後に味を付ける過程がない。
硬めの衣で包まれ、噛み締めた途端に口の中で爆発するプチトマトの唐揚げ。
ほんのり香るクミンが腸の苦味と絶妙に合う、ホタルイカの唐揚げ。
芯から丁寧に外した1粒1粒の食感が楽しい、トウモロコシの唐揚げ。
神妙に味わってから、その料理の味についての話はせずに、また雑談に戻る。
これが彼らの、もしかしたらこのお店の、作法なんだなと思った。
(帰りの新幹線では3人一緒で、2人はしみじみと一品一品の論評をした。
○○鶏は、70年代に大型化して復活した肉用名古屋コーチンの原種に近い、どこにも品種登録されていない鶏だという。
唐揚げという言葉から想像するくどさとかジャンク感とは対極の、どこまでも澄んだ、静謐さすら感じる体験。
地鶏らしい弾力と旨味が、薄く纏った米粉の衣の香りとともに鼻腔と味蕾を満たす。
これもまた途轍もない、自分の親子丼に対するイメージを塗り替える代物だったけど、最後の唐揚げの後ではどう評しても蛇足になってしまう。
客は我々を入れて4組。それでゆったりしたレイアウトの客席が満席。
こんなご時世なのに、客の半分は外国人だった。
隣席の会話を聞くに、もう引退した有名政治家が、仲間を連れてお忍びで通ってきたりもするらしい。
自分は(接待では)超高級といわれる炉端焼屋も蕎麦屋も寿司屋もうなぎ屋も串焼き屋も行ったけど、
唐揚げというジャンルにも、そんな知られざる至高の高級店があるということを、初めて知った。
この手の店ではよくあることだけど、予約は(普通のやり方では)取れない。
専務も他の客も、実際に店に行った時に、店主と話して次に「空いています」と伝えられた日程を
半年後でも1年後でもとりあえず押さえて、その日には仕事を入れない。
それを繰り返す。結果的に、客は常連さんか、常連が連れてきた一見客だけになる。
一度常連になった客達は、みんなこの予約のサイクルを切らしたくないから、
人数合わせで知人や部下を誘うことがあって、自分は今回たまたまそのお相伴に与れたのだ。
おそらく、自分がこの先の人生で、この店の会計を自腹で払えるようになることはないだろう。
でもめいっぱい出世すれば、専務が持っている予約枠を埋めるレギュラーになって、
年に1度ぐらいは通えるようになるかもしれない。
それか、あと5年ぐらいしたら、あの目眩のするような体験を思いっきり通俗化・大衆化したような
「高級唐揚げ屋」が町場にたくさんできるのかもしれない。それはそれで楽しみだ。
国際Eパケットを送るついでに
業スーまでいきました
近所の人に「お肉がいいのよ」ってきいてたので
迷いながらも豚バラ買っちゃった。
出口でソース安かったので
気が付いたんです
だーっと凍らせるんですが(生のままより扱いが楽なので💦)
半分くらいはお好みで使おうと。
そんでいま
お好み焼き焼きましてーーーー。
はふはふして食べてます。
青のりと
ちくわと
べにしょうがと
こんど忘れずに買いましょう。
つきごまも買わないと。
あえものにいいよね
ではででは。
タリアテッレ安かったので
こんど買う。
いままだこないだ買ったパスタがあるので。
葉ボタンとか
ポインセチアとか
季節のお花綺麗だよね。
早い時間に外に出ると
ちょっと余裕が出る感じ。
最近ちょくちょく買ってるが、8割くらい特段なにもおいしくない
・ ソフトサラダ … 表面塩辛くておいしい。禁輸品にしたほうがいい
・ 堅ぶつ … 硬くてダシの味がしておいしい。あと高い。これも禁輸品にしたほうがいい
・ サラダうす焼 … 最初の1パックだけおいしい。残り2パックは輸出してもいい
・ えびうす焼 … 2パック目までおいしい。残りの1パックは輸出してもいい
・ 新潟仕込み … 青のりの塩味の薄パリせんべい。レアな味がする。塩味はフリスビーに。醤油味はおいしい
・ ぱりんこ … ソフトサラダの取り扱いがない店でしかたなく買う。いつ見てもなんかたくさん入ってる魔法のせんべい
オレは覚えてない。それはどうでもいいが、「タコのポテンシャル引き出したたこ焼きを食った事ない」ことと「たこ焼きがタコのポテンシャルを引き出してない」ことを同一視はしないようにしたい。たこ焼きは神聖なものなので、その可能性を軽々しく疑ってはいけない。
ちなみに、信者は
「ただのダンゴでしかない、中に空間(ドーム)なきものをたこ焼きと呼んではならない」(あるんですよそういう冒涜的な代物が)
「青のり鰹節は正義、天カス紅ショウガは甘え、マヨは外様」(後ろ3つは、使っていけないわけではないが頼りすぎるとバランスを崩す)
「『外カリ中ふわ』は幻想であり、揚げたこはたこ焼きではない」(築地×ダコ……に代表される大手チェーンは「揚げたこ」)
「タコは雌を選ぶ。冷凍、茹でタコ(刺身用)を差別しないものは幸いである」(省ける手間は省いて可。タコの下処理に凝り始めると沼。)
「ソースの必要性を疑ったことのあるものだけが天国に至る」(これも一度は通る沼。一度は通ってみるのもよい。)
たこ焼きはなあ、確かに庶民の味だ。しかしな、あれはたこという安くも繊細な味わいの具材の力を100%生かすために、小麦粉であのドーム状の空間をつくり、外面を強く焼いてその中にタコから出る出汁のうまみを閉じ込めようと考え抜かれた調理法なんだよ。『高価な食材が入手困難だった時代に味を最大限に引き出すためにこんな奇怪な調理法を用いる必要があった』のだ。牛とか鶏とかはそれ自体で焼いてうまいしたっぷり油も出るから、あの調理法を用いる必然性がないし、空虚でうまい言うってお前それもう小麦粉とソースマヨ青のり紅ショウガ食ってるだけじゃねえか。たこ焼きの何たるかを知ってからたこ焼きを語ってもらいたい。
というわけで、例に上がってる具材は「あの料理法を用いる必然性がある」そして「庶民の具材」で、かつ「たこに匹敵するうまみと存在感」をもっているかという点でどれも失格だ。これを満たす具材は俺の知る限りただ一つ。「油かす」だけだ。つーわけで、一度関西に来て「油かす焼き」を食え。