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はてなキーワード: 民主政治とは

2010-03-14

中国って単純じゃないよ

中国住んでるんだけどね。

昨日ニュースゴミの仕分けについて日本ではこんなに分別してる。

我々の国も環境のために見習うべきだみたいなのやってた。

旗から見てると、経済力付いて偉そうな態度取ってる様に見えるけど、内側から見ると実は結構必死だよ。

大国であることに見合うモラルや行動指針を国民に自覚させようとかなり必死。

あとさー、中国民主化がどうのこうのとか人権がとか言うけど、字もかけない人や一般常識が通用しない人たちが大勢いる国で民主政治とか無理だからw

この状況で選挙とかありえない、人民モラルが低い状態で公正な選挙なんかできないよ。ありえない。

いなかの親父とかは一票100円ぐらいで売っちゃうね間違いなく。

それとね。

共産党独裁とか言うけど、トップの任期は厳密に決まっていて、かつ個人による権力の独占に対しては相当用心してるよ。

まあ確かに共産党員じゃなければいけないというのはあるんだけど、共産党ったって8000万弱もいるのよ。

しかもその8000万は中国各地から集まってきて、各地の利害を代表してるし、漢民族っていったって東西南北みればもうタダの名目でしかない、

だって話す言葉違うし(韓国語日本語ぐらい違う)、顔つきも違うし食習慣も違う。もちろん各地の少数民族とも混血が進んでもう何民族だかわかったもんじゃない。

それに地方意識が強くて「あそこの出身の連中は***だから」なんてのは耳タコ。

そうそう、チベットとかウイグルの問題も結構複雑でね。都市部あたりじゃウイグル人なんかが集団で押し売りとかスリを働くんだけど、警察(まあ公安と呼ばれてる)は政治問題がからむので関わりたがらなかったりするのよ。

だので一般人は意外と泣き寝入りしたりすることも多いみたい。

あ、あと反日とか?あれほとんど無いよ。

大体街中に日本語があふれてるし、若い世代は日本ドラマアニメ(まあ地デジ録画の海賊版DVDなわけだけどw)見て育ってるから、日本人が思う以上に日本は身近な存在だよ。

つーか、中国来てから相当立つけどいわゆる反日的な応対をされたことは一度もないなあ。

でもまあいわゆる抗日ドラマこれは普通ガンガン放送されてる。でもこれはしょうがないよね。だってあの国の建国の歴史と切っても切り離せない出来事なんだもの。

アメリカで言う独立戦争みたいなものでしょ。

そりゃあたまには戦争とかの話に及ぶこともあるよ。

でもそういうときは、欧米人みたいに「我々には不幸な過去があったし、かつて侵略した事実もある。個人的には非常に遺憾だと思う。」って堂々と言えば大概は満足するよ。

最後に技術とかね。

まあ、コピーだのなんだの言いたいことは色々あるだろうけど、少なくともここ数年で中国国内流通品に付いても著しくクオリティが上がってきてる。

当面はまだ日本が優位だろうけど、なにせその日本人を満足させる商品やアップルを満足させる商品を日々作ってるわけで技術が上がらないわけが無い。

昔のメイドインチャイナだと思ってると意外とビックリさせられるよ。

とまあ、グダグダになったんだけど何が言いたいかというと、中国スケールがでかすぎる(日本10個分だし)うえにアジア多民族国家なので単純なステレオタイプじゃ判断できないよってことが言いたかった。

ヒステリックになるんじゃなくて、冷静に相手を見極めればまあ、割と付き合える連中だと俺は思う。


-------- 下記はトラックバックから移動してきた使い慣れてなくてごめん。


ああ、いっこ忘れてた。

ネット規制は凄いね。

何かと話題のグレートファイアーウォール略してGFW

禁則事項に触れる検索とかするとしばらく検索ページにつながらなかったりする。

どうつながらないかっていうと、禁止されてますとかじゃない。タイムアウトしたりそもそも存在しないことになってる。

Twitter、Toutube、FacebookFriendfeed、Picasaweb、URL短縮サービスポルノ全般なんかはもう常につながらない。

そりゃあGoogleも怒る。アタックされたとかより、Googleサービスが使えないのが痛い。商売上がったり。

じゃあ中国人民はどーおもってるのか?っていうとGoogleとかってインテリ層向けでほとんどは百度(baidu)、これで決まり。

みんなGoogleとか使わない。GMailとか使わない。GoogleTalkなんてほぼ皆無。

日本サイトはあんまり禁止されてるのはないかな。

意外だろうけど2chとかニコニコ普通に見れるよ。

むしろ日本側から拒否されてるサービスとかあることに驚かされる。(著作権がらみかな?)

在中の外国人とか中国人ホワイトカラーの一部は大体VPNとかで一回外に出てからネットアクセスしてるからあんまり検閲関係ないね。

まあ政府一般人(いわゆる本当の一般層)がアクセスできなきゃ特に気にしてないみたいよ。

2010-02-18

http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20100215.htm

外国人選挙権導入は憲法違反する

長尾 一紘/中央大学法学部教授
専門分野 憲法学

 この度の原稿依頼をうけて、二つ返事で承知しました。民主党国会に提出しようとしている法案が憲法に明らかに違反するものであり、しかも日本安全保障に重大な害を与える危険な法案であるからです。

国政と地方政治の区別

 外国人地方選挙権の問題につきましては、学説はこれを認めてもよいとする見解(許容説)と、これを導入すれば憲法違反するとする見解(禁止説)があります。私はこの度この問題について論文を書いて、これまでとってきた許容説が誤りであることを認め、禁止説が正しいということを明らかにしようとしました。なぜ学説を変える必要があったのか。この点について述べることにしたいと思います。学説変更が個人的な心境の変化などではなく、日本の位置する国際環境の変化、そして日本人国家意識の欠如の認識にもとづくものであるからです。

 もともと、国政選挙は許されないが、地方選挙ならば許されるとの見解(許容説)は、国政と地方との切り離しが可能であることを前提としています。ところが、この数年の間にこの切り離しができないことが常態になっています。

在日の二重の選挙権

 まず日韓問題をみることにしましょう。昨年2月に韓国では選挙法が改正され、在日の方々は、日本にいながらにして大統領選挙、そして国会議員比例選挙投票権をもつようになりました。そして韓国内で居住申告をすれば、国会議員選挙区選挙投票権のみならず、地方選挙選挙権被選挙権ももちうることになりました。しかも、居住申告は、日本における住民登録をそのままにして行うことができます。永住資格を失うことなく居住申告ができるのです。現在居住申告者の数は6万人を超えるといわれております。このようなことは、在日の方々が韓国国民である以上喜ぶべきことであると思います。しかし、日本選挙についても選挙権をもつということになると、話はまったく別になります。在日の方々は、二重の選挙権をもち、日本一般国民よりも、より高い有利な地位に立つことになります。これよりも重要なことは、忠誠の問題です。

過ぎたるは及ばざるがごとし

 韓国政府は、選挙対策上も、日本に対して強い態度をとらざるをえないのが実情です。いずれ、対馬問題が日韓の重要外交問題に浮上するものと思われます。北方領土竹島尖閣諸島などの問題で、日本領土であることはまったく明白な事実であるにもかかわらず、常に後退を繰り返してきた歴代政府の失政のつけが回ってきました。ついでにいえば、対馬のつぎは、沖縄ではないかとの声も聴かれます。日韓問題に話を戻せば、対馬市有権者は、約3万人です。市議会議員最下位は685票です。外国人選挙権が導入されれば、対馬韓国領土だとする議員が数名は当選することになるでしょう。

 国際平和は、隙を作ることによって破綻します。友人を同居させ、家族会議にも同席させて発言権を認めるようなことをすれば、必ず友情は破綻します。相手方に無条件の譲歩を重ねることが友情の絆になるわけではありません。外国人選挙権は、自分ファミリー家族会議に友人の参加権、決定権を認めることに等しいということに留意する必要があります。

EUは参考にならない

 EU諸国の例はまったく参考になりません。ドイツの例をみることにしましょう。EUにおいて、構成国相互の地方選挙権保障が決定されたとき、ドイツ政府は大変困りました。外国人選挙権導入は、民主主義国民主権に反することから憲法違反するというのが通説の立場であり、また連邦憲法裁判所の立場でもあるからです。民主主義は、国民自己統治を要求します。国民主権は、国政の決定権は国民のみに属することを要求します。ドイツは、やむを得ずして憲法改正をしました。憲法改正後の現在でも、EU市民以外の外国人選挙権を与えることは、憲法違反するとされています。ちなみに、フランスも、憲法改正を必要としました。日本におきましても、憲法が改正されない以上、外国人地方選挙権を与えることは違憲であるとみるべきです(国政選挙権については、憲法改正そのものが不可とされております)。

外国人選挙権の問題は安保問題である

 外国人選挙権問題は、在日問題から、日中問題に重心を移しつつあります。中国人永住者は、現在、約14万人おります。1年間に約1万人づつ増加しております。在日韓国人との間で数が逆転するのは、単純計算でも17年後です。実際にはずっと近い将来に逆転するものと思われます。外国人選挙権が導入されると、対馬と同様の問題、さらにいえば比較にならないほどの深刻な問題が日中間に生じうることになります。日本最南端の与那国島でおこなわれた町長選挙では、自衛隊誘致が主な争点でしたが、当落の票差はわずか103票でした。沖ノ鳥島について、中国は岩礁にすぎず日本の領土とは認められないとしております。この島は小笠原村に属しますが、この前に行われた村長選挙では、得票は713票でした。外国人選挙権が与えられた場合、このような地方外国人が移住し、選挙を左右する事態が生じうることは容易に予測することができます。日中の間において友好関係を維持するためには、最低限度の距離をとる必要があります。過剰の優遇は、多くの場合友情を破壊するという結果をもたらします。家族会議メンバーに友人を加えるような愚は、さけなければなりません。いたずらに対立と緊張を高めるだけのことです。外国人選挙権法案は、日本の安全を危機にさらすだけでなく、国際平和を害することになります。

地方が国政を決定する

 いまや地方選挙の結果がそのまま国政を左右する事態になっています。沖縄名護市選挙では基地反対派の市長当選しましたが、鳩山総理は、この住民の意思を尊重する旨の発言をしております。日本安全保障の問題は、国政の根本問題です。国政の根本問題が自治体選挙の結果如何によって左右されるという事態は、原則的にあってはならないことです。1000名程度の住民が日本の国政の基本問題を決定するという事態は、議院内閣制本来の趣旨からも問題です。このような事態は、国家意識の欠如、防衛意識の欠如という特殊日本的な現象からきております。このような日本固有の特性は、近時ますます顕著になっているようです。他の国において明確に区別されうる国政固有の問題(軍事、外交、領土などの問題)と地方自治体レベルの問題が日本においてだけ区別されえない事態になっております。このような事情が続くかぎり、地方選挙への外国人参加は、結果的に国政そのものに外国人ないし外国重要な影響を及ぼすものとして、国家主権、国民主権、そして民主政治原理に反するものとされなければなりません。

外国人に対する公約

 ちなみに、外国人の背後に外国政府の意志が働いていることは決して珍しいことではありません。民団は、在日韓国人組織ですが、その運営費の6割から7割が韓国政府補助金によるものであることは周知のとおりです。したがって、民団選挙権要求は、韓国政府の要求でもあります。民主党民団に対する選挙権実現の公約は、外国政府への公約ということになります。いうまでもなく、公約は、通常の国では国民に対してのみおこなうものです。日本における国家意識の欠如は異常の事態に達しているといわねばなりません。民団がこれに対応して昨年の選挙において、組織をあげて民主党選挙運動に取り組んでおります。ちなみに、韓国では、外国人選挙運動に参加すれば懲役3年以下の犯罪として罰せられます。

 外国人選挙権については、数え切れないほどの問題点がありますが、スペースの都合もあり、在日問題、日中問題のみに絞りました。これだけでもいかに危険な法案かということがおわかりかと思います。

着々と反論の素材が集まりつつあるみたいだけど、はてなあたりにたむろしてる賛成派はどうすんの?

「どうせ小沢が強行するから反対しても無駄なのにな。プゲラ」とか言ってんの?

2009-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20090331232539

でも民主政治というのはなるべく多くの人の合意を得るためのものだから、俺様ルールを押し通すようなのは向いてないと思う。むしろこういう姿勢こそもっと多くの政治家が見習うべきと思う。リーダーシップを発揮する俺様が正しい、反対する奴は抵抗勢力だと称して反対派を切り捨てて自分意見ばかり押し通していくのが政治だという風潮が最近あったりするし。

2009-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20090221151244

社会保障番号管理社会だとか言う人や税方式は企業の負担が減るからけしからんという人もいたからじゃね?昔の自民党は表では野党と対立しても裏では仲良くという談合国対政治してたし、今ほど野党意見は切り捨ててなかったので労組の意向もある程度反映されてた。よく言えば少数派の意見も切り捨てない真の民主政治ともいえる。

でも名前が同じ政党なだけで中の人国民新党民主党にいったり、チルドレンが急増して今の自民党も半分ぐらいは単独政権時代知らない議員だったりするからむ貸しの自民党の功罪を今の自民党に適用するのも不毛だろうけど。

2008-10-21

公明 政教分離

創価公明政教分離違反してる。憲法違反だーって言う人、結構いる。

その人はまず「憲法」がなんなのかってことがわかってない。

国の根幹になる大事な法律、ぐらいしか思ってないんじゃないだろうか?

それじゃ認識不足もいいとこだよね。

憲法っていうのは、「国家権力抑制する法律」のことを言う。

民間人戦争にいくのは九条違反なんて言う人は、憲法が全然わかってないんだ。

と、同様に政教分離国家権力抑制するためのもの。

つまり「国家が特定の宗教を優遇したり弾圧する」ことを防ぐ条文なんだ。

まぁ、創価よりの意見はすべて詭弁に聞こえてしまう人もいるだろうから

補強として上げとく↓

宗教団体としての政治参加

[編集] 日本国憲法成立の経緯から

日本における政教分離原則は、1945(昭和20)年12月15日に、当時日本を占領していたアメリカを中心とする連合国総司令部(GHQ)が日本国政府に対して神道を含むあらゆる宗教国家から分離するように命じたのがその始まりである。また、日本国憲法第20条も、連合国総司令部が欧米憲法等を基に作成した草案の第19条日本国政府がそのまま日本語翻訳採用されたものである。

また、日本国憲法制定前の国会憲法草案が審議されていた段階で、以下のような答弁があった。

(松沢)「いかなる宗教団体政治上の権力を行使してはならない」と書いているのであります。これは外国によくありますように、国教というような制度を我が国において認めない。こういう趣旨の規定でありまして、寺院やあるいは神社関係者が、特定の政党に加わり、政治上の権利を行使するということは差し支えがないと了解するのでありますが、いかがでございますか。

(金森)宗教団体そのものが政党に加わるということがあり得るのかどうかは、にわかに断言できませぬけれども、政党としてその(注:宗教団体の)関係者政治上の行動をするということを禁止する趣旨ではございませぬ。

(松沢)我が国におきましてそういう例はございませぬが、たとえばカトリック党というような政党が出来まして、これが政治上の権利を行使するというような場合は、この(注:第20条の)規定に該当しないと了解してよろしゅうございますか。

(金森)この「権力を行使する」というのは、政治上の運動をすることを直接に止めた意味ではないと思います。国から授けられて、正式な意味において政治上の権力を行使してはならぬ。そういう風に思っております。 [10]

[編集] 最高裁判例から

また、最高裁判例昭和52年7月13日、津地鎮祭訴訟法廷判決)は、

憲法は、政教分離規定を設けるにあたり、国家宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたもの、と解すべきである。(中略)政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であつて、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。

と述べて、政教分離原則は国家宗教の分離を目指した規定であると明言している。これは現在日本憲法学の支配的見解でもある。[11]

[編集] 内閣法制局の答弁から

内閣法制局は、

憲法政教分離の原則とは、信教の自由の保障を実質的なものとするため、国およびその機関が国権行使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨である。それを超えて、宗教団体政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない。(内閣法制局長官大森政輔の国会答弁趣旨

という見解を一貫して述べてきた。[12] [13] [14]

2008年10月7日衆議院予算委員会で、民主党菅直人氏の「90年にオウム真理教の麻原氏(=松本智津夫死刑囚)を党首とする真理党が結成され、25人が立候補した。多数を占め、政治権力を使って教えを広めようとしたら、憲法20条の政教分離の原則に反すると考えるがどうか」との質問に対し、内閣法制局長官および首相違憲と答弁したが、翌10月8日長官は「誤解を与える結果となったとすれば誠に申し訳ない」と陳謝のうえ「菅委員の質問の場合は、宗教団体が「政治上の権力」を行使していることにはならないので、憲法第20条第1項後段違反の問題は生じない」との趣旨を再答弁した。

法制局は法的に憲法解釈の権限をあたえられているわけではないが(違憲立法審査権をもつのは最高裁である)[15]、政府の公式見解である。

[編集] 学会の議論から

宗教団体が行使してはならない「政治上の権力」とは、立法権、課税権、裁判公務員の任免権・同意見などの、本来国が独占すべき統治的権力のことを指すと理解するのが通説である。[16]  この説に対して、国の統治的権力宗教団体が行使するということは現代では考えられないので、「政治上の権力」とは「政治上の権威とでもいうべき観念」であり、「政教分離の原則を明らかにするために宗教団体政治権威の機能を営んではならない」とする説もある[17]。この説には、ドイツには現に教会租税徴収権が認められていることを留意すべきという反論[18]、「政治権威の機能」の意味が明確を欠き疑問が残る、という批判がある[19]。 また、「政治上の権力」を「積極的な政治活動によって政治に強い影響を与えること」ととらえ、その理由として「宗教団体政治活動は、他の政治団体と容易に妥協しない性格を持つから民主政治にそぐわない(趣意)」をあげる説もある[20]。この説に対しては、宗教団体政治活動の自由を制限したり禁止したりするのは宗教を理由に差別することになる、という反論がなされている。[21]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2#.E5.AE.97.E6.95.99.E5.9B.A3.E4.BD.93.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6.E3.81.AE.E6.94.BF.E6.B2.BB.E5.8F.82.E5.8A.A0

結論として現行の法解釈では創価学会公明党違憲になりえないはず。

創価は悪。悪だからどうにか違憲にならないか、と結論から考えて事実、と客観的にみて思われるものを無視するのは、

とっても反知的、要するにバカだと思います。

2008-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20080709170716

かんたんに疑問点・問題点の指摘だけしておく。

第一点。元増田は、言論を振りまく奴はけっきょくどこかの勢力に擦り寄りたいだけとして、一種のイデオロギー批判をしているわけだが、しかし「右も左も嫌いなおいら」という立場もまた、ある一定の勢力に与するものではないのか。はっきり言ってしまえば、そうした立場は「イデオロギーは嫌いだというイデオロギー」で、じっさいこうした立場は、60年代以降長らく自民党政権を支えてきた立場でもある(安部のように右派イデオロギーを公然と主張したのはむしろ例外)。けっきょく、左右両極をキモいと言って批判することは、その心情はともかくとして、客観的な結果としては自民党に擦り寄る役割を果たしうる。この点をどう考えるか。

第二点。言論は無駄で、歴史を論ずることは無意味という主張について。現実問題として政治が言論によって行われ、歴史認識重要政治問題になっているという事実をどう考えているのか。あるいはもし職業政治家以外の人が言論をやることが無駄だというのなら、民主政治ということをどう考えているのか。

2008-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20080510104732

今、狩猟をしなくてよい時代だから、狩猟なんて楽でいいよなー。楽しそうだし。

なんて思っていたって、

実際に原始時代に行ってみれば、どんなにか弱くてもキャシャでも男なら狩猟に行かなきゃならんし、

マンモス狩りなんて1週間??1か月近くの長距離遠征でずっとその間はアザラシ干し肉とか食ってなきゃならんし

(もちろん食い物なかったら食べないで狩りをする)、

首尾よくしとめたとして車だってリヤカーだってないから

現場解体して、ずっと背負って帰るんだぞ?一体何キロあると思ってるんだ。

さらに帰り、クレバスに落ちたりケガしたりせずにうまく帰れたとして

持ち帰った獲物はえらい順で分配されるんだからな!

公平とか民主政治とかないから。偉さがすべてだから。

んで、部族間抗争だの言っていきなり襲われたりとかもするんだぜ。

狩りが下手なオスはもてない上に、一族の迷惑もの扱い、食えるものも残飯みたいなものだけだぜ。

今で言う筋肉バカのみなさんや、脳みそ筋肉のみなさんだけがモテモテ

どこが楽なんだよ。

2008-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20080411172445

「英雄のいない国は不幸だ!」

「違う。英雄を必要とする国が不幸なのだ」

――ベルトルト・ブレヒトガリレイの生涯』

なーんて言葉を思い出したり。

民主政治は「英雄」のいらない政治であります。

だから、ある意味薄汚く、効率が悪いように見えるんだろうけど、

メッタに出てこない「英雄」をアテにするよりも、マシなんじゃあるまいか。

2008-02-26

民主主義とは『多数派(の世論)による専制政治トクヴィル



ジョルダーノ・ブルーノ。地動説を擁護し火刑に処せられた。

P.ブルデュー「世論なんてない」

[六韜][友人][友達]仲間の多い人間とは腹黒い人間。

アレクシ・ド・トクヴィル - Wikipedia

民主政治とは『多数派(の世論)による専制政治』だと断じ、

その多数派世論を構築するのは新聞、今で言うところのマスコミではないかと考えた。

現代メディアの台頭と民主主義政治との密接な関わり合いをいち早く予想していたのである

彼は大衆世論の腐敗・混乱に伴う社会の混乱を解決するには

宗教者や学識者、長老政治家などいわゆる『知識人』の存在重要であると考えており、

民主政治大衆教養水準や生活水準に大きく左右されることを改めて述べている。

アドルフ・ヒトラー - Wikipedia

1932年7月国会議員選挙ではナチ党は37.8%(1930年選挙時18.3%)の得票率を得て

230議席(改選前107議席)を獲得し、改選前第一党だった社会民主党を抜いて国会の第一党となった。

ヒトラー 〜最期の12日間〜 - Wikipedia

ソ連軍に包囲される前にベルリン市民脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯(うそぶ)く

国民自業自得自己責任)。国民地獄を味わうのは当然の義務。

われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから最後まで付き合ってもらうさ。』

かくの如き新聞にわざわいあれ 2005・09・27 - 市居嗣治の「今日のお気に入り」

日米は戦ってはならぬと、アメリカ軍事力生産力士気以下あらゆる情報原稿にして本社に送ったという。

けれどもそれらはすべて没書になった。

そのころ日本新聞ドイツ礼賛の紙面ばかりつくっていた。

ヒットラー・ユーゲントの眼は澄んでいたというような記事に満ちていた。

魚住昭「官僚とメディア」

あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞責任はどうなんだ。

あのとき新聞の論調は我々が弱腰になることを許さなかった。

我々だって新聞にたたかれたくないか強気に出る。

すると新聞さら強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ」

この言葉は私にとってかなり衝撃的だった。というのも、

私はそれまで新聞軍部圧力に屈して戦争に協力させられたのだと思い込んでいたからだ。

それが事実でなかったとしたら、私たちが教えられた日本ジャーナリズム史は虚構だったということになる。

クロスオーナーシップ

(同一マーケット内での新聞テレビ双方を同一企業が所有すること)

米国でメディアの系列化に待った…米最高裁決定 - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

米国・FCCのメディア系列化緩和策採択のその後〜さすがに表現の自由を尊重する国だけのことはある - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

多数者の利己主義・・五木寛之氏の引揚体験から

平壌と38度線の中間にあった沙里院(さりいん)のガードポイントトラック突破するときでした。

それまで何度も止められましたが、そのたびに時計万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。

それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。

 若い娘はまずい。子持ちはダメ、あまり年上もよくないということで、

結局は元芸者さんなどの水商売をしていた女性や、夫や子供を失った未亡人に、みんなの視線自然と集中するのです。

そのうちリーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。

みんなから射すくめられるように見られるのですから、その女性は出て行かざるをえません。

そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから

(中略)

 さらにひどいことに、女性が明け方、ボロ雑巾のように帰ってくると、

ロシアから悪い病気うつされているかもしれないから、あの女の人に近寄っちゃだめよ」と、

こっそり子どもに言う母親がいた。

本来であれば手をとってお礼を言ってもいいのに、そういうことを言って蔑んだ目で見る。

戻ってきた女性の周囲には誰も近寄らないのです。

私は日本人でありながら、日本人に対する幻滅が強く涌いて、いまも後遺症が消えません

文芸春秋5月号 対談 五木寛之 藤原正彦

第2次大戦後を扱った日本の小説、米の推せん図書採択に韓人が反発 | Joongang Ilbo | 中央日報

第2次大戦以前当時、韓国に住んでいた著者は、

日本戦争で負けて本国に帰るとき自分が見たり経験したりした悲劇を土台に小説を書いたという。

当時11歳だった彼女韓国人たちによって

日本人たちが無惨に殺害、レイプされる場面を目撃したと、小説にはこうした内容が書かれている。

民主主義とは『多数派(の世論)による専制政治』トクヴィル

[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]

[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]

2007-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20071008225221

衆愚政治になることが目に見えていても、それでも直接民主政治をやってみたらいいのに、と思うことがある。

「たとえ自滅するとしても、自分たちのことは自分たちで決める」みたいな。

2007-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20070702001643

「自分のことは自分で決めたい、たとえそれが愚かな選択であったとしても」

この思想民主主義なのだと思っている。

なので、衆愚政治民主政治ということで、個人的には納得している。

多数決衆愚

最近思うのだけれど、多数決民主政治に属するものではなくて、衆愚政治に属するものなのではなかろうか。

愚かな多数者と、それを支配する少数者――多くの人は、不安定な自由よりは拘束された安定を望むから――が数の暴力で、或いは感情に身を委ねて権力を振るう状況は、衆愚政治ではなかろうか。

民主主義は個々人が理性的思考が出来ることと、それによる議論を前提として成立するものではなかろうか。従って、真の民主主義のためには、各々の構成員について、それに相応しい資格、理性を保有することを確かめる必要があるのではなかろうか。感情によって非理性的判断を下した構成員、理性的な議論を拒む構成員には積極的な警告、及び一時的な権利剥奪を含んだ処分を下してこそ、民主主義は成立するのではなかろうか。少なくとも、民主主義の担い手には、その権利――多くは投票という形式となろう――に対して積極的な責任を負う義務があるのではなかろうか。

故に、真の民主主義とは、いわば知性による貴族政治に他ならないのではなかろうか。知性の貴族でなくして民主主義を担うことは出来ないのではなかろうか。

2007-03-28

アメリカ民主政治』(Democracy in America、De la démocratie) アレクシス・ド・トクヴィル

民主政治(民主主義)とは『多数派(の世論)による専制政治』である、

クロスオーナーシップ(同一マーケット内での新聞テレビ双方を同一企業が所有すること)規制をすべし。

2006-11-07

[][] 衆愚政治

(ochlocracy)多数の愚民による政治の意で、民主政治蔑称。もと、古代ギリシアアテナイでの民主政治堕落形態を指した。(広辞苑第五版)

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