「神社」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 神社とは

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (3/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。

彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである

村上ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツアイロンがけしている、など)が

突然非日常不思議電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。

言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、

たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。

村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界あいだで翻訳をしている。

平凡と奇妙、自然超自然田舎と都会、男と女、地上と地下。

言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ



村上の車の後部座席に戻ろう。

私たちは東京を離れ、ベッドタウンに入った。

多くの企業本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。

およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。

木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。



靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。

自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。

同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。

(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)

オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。

山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。

室内のもう一つの棚には村上人生と作品にまつわる思い出の品々がある。

彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニーウォーカーを描いたマグカップ

はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。

壁にはレイモンド・カーヴァー写真、グレン・グードのポスタージャズ巨匠の肖像がいくつか。

村上もっとも好きなミュージシャンテノールサキソフォンスタン・ゲッツ写真もある。



私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。

村上はヤナチェクの「シンフォニエッタ」を取り出した。

1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である

作品で示唆されるとおり、渋滞で聞くにはまさに最悪の音楽だ。

それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。

同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。

村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。

「一度だけそれをコンサートホールで聴いたことがある」

オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」

彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。

シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」



シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。

彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。

「The Many Sides of Gene Pitney」。

カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。

村上は13歳の時、このレコード神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。

針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初ヒット曲「Town Without Pity」。

劇的な、ホルン即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。

若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」



終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。



1Q84』というタイトルダジャレである

言語をまたいでオーウェル引用したものだ。

日本語では、9は英語のQのように発音される)



1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。

彼は読み直したといい、それは退屈だったという。

(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)



近未来小説は退屈なものばかりだ」と彼は言う。

「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマックマッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」

1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」



オーウェルに親近感を覚えたかと尋ねた。



オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。

ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分政治好きな人間だと思うけれど、政治メッセージを誰かに向けることはない。」



はい村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治メッセージを大々的に言明している。

2009年、批判のなか彼はイスラエルエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルパレスチナについて語った。

この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本原子力行政を批判した。

彼は、福島第一は二度目の核災害だとした。

一度目はまったくの被害者としてだったが。



バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。



「僕は99パーセント小説家で1パーセント市民だ」と言う。

市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」

演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。

人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。

「これは日本にとって転機になると、日本人ほとんどが考えていると思う」

悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」



その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国モデルケースとして見ているのか、と尋ねた。



アメリカはもはやモデルケースだとは思われていないと思う」

「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」



地下鉄サリン事件阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。

地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。

彼は深さのメタファーを多用することで知られる。

登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。

(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。

彼は自分創造性も、深さとしてイメージするという。

毎日机に向かい集中力に満たされたトランス状態の中で、村上村上キャラクターになる。

それは、自らの無意識洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である



「僕は東京に住んでいる。ニューヨークロサンジェルスロンドンパリのように文明的といっていい世界だ。

 魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。

 魔法リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。

 書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」



執筆しないとき自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。

彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。

彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。

人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。

実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。

1995年サリンガス事件があったとき村上被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、

その結果を分厚い2冊組の本として出版した。

のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語翻訳された。



この会話が終わったとき村上ランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日ランニングを通して学んだ」と彼は書いている)

彼のランニングスタイル個性の延長のようだ。

身軽で、安定していて、実践的だ。

たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。

それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。

そんな言い方をした理由はすぐに分かった。

というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。

もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、

地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。

道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。

そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。

まるでどこかの村上世界にある無限階段のように。

上へ、上へ、上へ。

しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。

海ははるか下に見えた。

それは秘められた巨大な水世界日本アメリカあいだの、人が住まない世界だ。

その日見たかぎり、水面は静かだった。



そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。

大通りのサーフショップ漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。

空気は湿っていて塩のにおいがした。

私たちは並んで浜まで走った。

村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。

セミについても話をした。

何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。

私がおもに覚えているのは、村上の安定した脚のリズムだ。



走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂エアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。



数分後、庭から迷い出た変な生物が私の視界に入ってきた。

最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。

が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。

飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。

最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。

見たことがないほど変な蝶だった。

浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、

私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。

それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。



蝶が去ってまもなく、村上階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。

見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分ボトルから水を飲み、私を見上げて言った。

日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」

2011年10月21日

1 - 2 - 3

2012-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20120105143333

本来の初詣ならば神社の方がいいんですけども、寺の方が近いので。

寺に行って神様が見てる、ってのもおかしい話ですし。

まあ主題は寺のおみくじは「仏」と表すということですし、寺への初詣の是非についてではないので、ええ。

http://anond.hatelabo.jp/20120105123208

神社なら神様(御神籤)、寺なら仏様(御仏籤)だ。

寺に行ったなら仏様で合ってるが?

2011-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20111205072046

名簿を書き換えてないって事はあり得ないよ。

ちょうど厄年から神社でお祓いもするので、今年はしっかりと皆の動向を調べたみたいだし。

同窓会参加者もお祓いして貰う為に名前が要る)



地元に残ってる30歳の弟も、同級生の4割位は結婚してないって言ってた。

結婚してる人は20代前半にしてる(5~6割)、してない人は全く予定がない(4~5割)という二極化が進んでるなと感じるよ。

マジで日本どうなるのって思う。

2011-11-29

ママは魅力的でいてくれないと。

先日、ちょっと釣りっぽいエントリ

「男はみんな『セックスできるおかあさん』が良いんだろ?絶対なってやんねー。セックスできるおとうさんが来い」

みたいなのあったじゃん。

あれ読んで、一瞬納得しかけたのね。そりゃあえっちできてさ、なんでも言うこと聞いてくれてさ、つつんでくれてさ、そういう相手なら一生べったり依存して生きていきたいよな。



それで子供のころのことを思い出してみたんだが、全然ダメだった。何がダメって、母と同じ傾向の行動をとる異性がぽんと現れてセックスさせてあげるって言ったとしても、私は到底やれないんだ。

近所の母親流行について行くことに汲々として教育方針が頻繁に変わるため色々な習い事受験をひっきりなしに変更させられたり、宗教占いに次々とはまって私の名前漢字しょっちゅういじくったりあちこちの神社仏閣へ行かされて砂だの砂利だの枝だのかっぱらってこいと言われたりざくざく金を失ったりするし、健康食品マルチ商法にはまっては金や人脈を失ったりする。

さらに常に機嫌が悪く怒っており、父に大して始終文句を言っていて喧嘩というか一方的な罵倒毎日毎日繰り返される。私は父の職業をそれなりに尊敬していた。稼いでくるし、職人だし。だが、母は気に入らないようであんな不安定な仕事に就くな勉強しろ勉強しろ博士になれ医者になれ役人になれとぐちぐち繰り返す。

正直言って、父はあんな女と良くまだ結婚してるな-と思う。顔は一応ちょっと綺麗な方なのかも知れないが、私だったらあの生活に耐えられないよ。


私の母はさ、いわゆる最初に言った「おかあさん」じゃ全然無いわけですよ。多分私は小さい子のよくやる「ままだいすきーままとけっこんするー」って段階が全くなかった。

別に「おかあさん」じゃなくても良いのだけどさ、成人するまでの間、いや、小学生ぐらいまでの間に憧れの異性の一人ぐらいはいないと、異性をほしがる動機ってのが形成されないんじゃないかなあ、と思う。

いまだに「ああこの人と一緒に暮らしたいな」って思った事がないんだ、私は。

ママは魅力的でいてくれないと。ファッカーどころかマザーファッカーにすらなれない。私は、あの釣りの対象にさえなることができなかったんだ。

2011-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20111122162920

デカイ顔するほど面白いところないよ、あんたのとこ。

交通の便は悪い、メシは高い、見る物といったら抹香臭い神社仏閣だけじゃん。

梅田近郊在住で「そうだ」で2年に1回くらい京都に出向く者より。

2011-11-04

zakzakの中ではどれだけオタが興奮、感涙、大興奮しているのか集めてみた

2011-10-13

自分母親先祖遊郭してたって、聞かされた増田いる? いないと思うけど (今は親は固い職業)

小学生の時聞かされた。

変だよね、こんなの。

遊郭としてたと言っても、すぐ前の世代ではなく、その前にやめて地主になって、それをある宗教寄付して、無一文の状態になって・・・と色々あったらしい

その色々が続いてない事も無いから、こんな事を言ってくるのかもしれないが   ( 精神的にいろいろあるからかもしれないが、別に親は生活やお金には困っていない。全然余裕なのに・・・ )

それにしても・・・

から私に関する事だけ、洞察力が欠落したような事を平気で行う人だった

実の母親から、お前の幸せを願ってません と宣言されるようなものだし

普通健全な家庭の特に専業主婦の人が聞いたら嫌がるようなことを好んで言う傾向もあった

(別にエロい事と言う訳じゃないですエロい人ではないと思います)

言わなくて良い事実とか、厭世的になるような事とか

例えば、森村誠一氏の小説を読んで、なぜそんなものを読むのか聞いたら、「私は本当の事が知りたいもん」と言ったりされたりとか

森村氏は優れた小説家だと思うけど、年若い人が見ると、厭世的になったり人間不信になる可能性もあると思う。私に勧めてきたわけではないけど、こういう事も踏まえた上での答えとしては適当ではないと思う。

本当の事と言っても、小説フィクションなので、本当の事が知りたいなら、ノンフィクションドキュメントルポを読むべきだと思うし。

言うとしたら、氏は、厭世観を持つような事実を扱いながらも、それだけではない深い何かがあるとか、それを超えたものもあるとか、何とか言えないものなのだろうか、と思う。

世の中にあるものを無批判に肯定的に受け止めるのではなく、時には皮肉や風刺も、クリティカルな思考をするために必要なように、社会の暗黒面を描くのもより良い情況を目指すためには、有効だとか、視点としては、そういう目も必要だから、とか何とでも良い言い方は色々できると思う。

しかし、彼女場合はそんな事をわかって読んでいたのではないような気がする。

何を考えているかからない。

これは離れて暮らしている今もそうだが

どういう人間だったかと言うのが、チグハグすぎて思い描けないし、人に説明もできない。

これは父にも言える事だが。




それで、トラバはしてないけど、さっき書いた恋愛に夢が描けない話

これに繋がらない事もないわけだが

人様のお嬢さんを金にものを言わせて攫ってきて、性的搾取をしてきた先祖・・・と考えると、他人にそんな事をした人間の子孫は、恋愛なんてできない、と思いつめてしまった部分は、小学生だったので、少なからずあると思う。

小学生ごころにはきつすぎる。

ある程度、自己防衛的な思考や論理的な判断力が、育った状態でしかも安定した身分の状態の大学生くらいになってから先祖歴史として話すのなら、わからないでもないと思うが・・・



遊郭というのは、気になるから、何かの折に目に触れたものを読んだり、本を立ち読みしたりして、調べた範囲でも、摩訶不思議構造になっている

江戸時代とそれ以降での違いというのもあるし、江戸時代でも、遊郭というのとその他のものでは、だいぶ違ったようだった



世界皮肉でできている

江戸時代にも一番多かったのは吉原ではない

病気で亡くなった江戸を描く漫画家杉浦日向子さんは、このあたりちゃんと書いていた。(ただ地名を正確に書いてたというだけだけど)

明治以降国家神道として神道流行らせたりする時に、その町のイメージが悪くなってはいけないという配慮からなのか何かはよくわからないけど、映画でも何かの作品でもその町を舞台にしたものは、江戸時代心中モノが描かれたりしてたけど、今は全然ない。他の町も吉原以外は似たようなもので、特にタブーだかたというわけではなく、吉原通俗的にそのような場所として有名だからわかりやすいからかもしれないが。( 江戸時代吉原と今のとではだいぶ趣が違うけど )

ここにも、私は皮肉を感じてしまう事がある。

有名な江戸時代人形浄瑠璃歌舞伎の演目で、伊達の殿様に切り殺されてしまう太夫の話がある。実話かどうかは定かではないらしいが、その太夫の死体が流れ着いた淵や、亡骸が祀られたとされている寺か神社もあるらしい。この話は、武士より武士みたいな形で亡くなってしまった遊女というところが皮肉なのだと思う。 創作だとしたら、こういう人身売買に誑かされて鼻の下を伸ばしている武士に対する皮肉もあったのではないかと思う。

遊女の腹から生まれた大名 で検索すると 23人もいたと記したページも出る

http://kkubota.cool.ne.jp/saihouji.htm

皮肉

江戸時代でも人身売買は悪いとわかる倫理観はあったと思う。わからないわけがないと思う。

それなのに、簡単に誑かされてしまう。

2011-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20110924235213

とりあえず、休め。

人間、疲れていると、判断できなくなる。

近所の寺、神社教会でも、無料で、悩みごとをはなせる場所にいって話す。

不安が少し取れたら、あまり負担のかからないバイトを探す。

2011-09-06

厄年」は宗教ではなく、日本固有の風習である      15へぇ

http://anond.hatelabo.jp/20110905222301

まったく、公の場で政治宗教の話は避けるべきだとよく言われるが、厄の話も

しないで欲しいものだ。本当に悩ましい。

厄年宗教の話じゃないの?」と心の中でツッコミを入れたが、

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%84%E5%B9%B4)によると

平安時代にはすでに存在し、科学的な根拠が不確かで起源曖昧だが、根強く信じられている風習である

陰陽道起源があると考えられているが出典は定かではない。

とのこと。

神社が「厄除け」とかしてるから厄年って、てっきり宗教的なものと思ってた。

2011-09-05

厄年から何?

客先での打ち合わせ中に世間話タイムになり、そこで

「そういえばキミさ、今年が厄年だよね?」

と聞かれた。

からそんな迷信じみたものを信じる気はなかったので

「ええまぁそうですが」

曖昧に答えたのだが、

厄払い行った?え行ってないの?じゃあしばらくキミは仕事を出せないよ」

と言われた。

厄年なんて仏教神道の金儲けイベントではないか

確かに体調を崩したり精神的に迷いが出る年頃なのかもしれないが、

そんなことは厄年に限らずいつでも心構えているべきことだ。

厄年から良くない事が起こるのではなく、厄年から仕事を減らされたり

距離を取られたりするような嫌がらせを受けるのである

さて、今の私に与えられた選択肢は3つだ。

(1)こんな客先とは付き合わない

(2)厄払い行ってきましたとウソをつく

(3)クリスチャンになる(もしくはそうウソをつく)

最初選択肢自分の信念を貫き仕事を失うということであるプライドを取るか

仕事を取るかということだ。

2はその逆である。ある種のゴマスリである。いっそ本当に厄払いに行った方が

潔い気がするが、それこそ神社なり寺に対して失礼な気もする。

ただ、厄払いに行ったことを公言したところで、仕事上のトラブルが起きれば

あい厄年からなぁと言われるのは目に見えている。厄を気にする人間とは

そういうものだ。そういう時はヘラヘラ笑いながら

「かんべんしてくださいよー厄払い行きましたからー」

とでも言っておけば許されるだろうし、それが社会における処世術というものだろう。

しかしどこか釈然としないのはちっぽけなプライドを捨てきれないからだろうか。

3は効果的な気がするが、他人が持つ私のプロフィールクリスチャン

書き加えられてしまリスクが計れないので危うい感がある。

まったく、公の場で政治宗教の話は避けるべきだとよく言われるが、厄の話も

しないで欲しいものだ。本当に悩ましい。

2011-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20110827214314

まぁ、人間のそういうアホ臭い部分を担うのがTVドラマなんでしょうな。

学問的な部分を担うのが学府なように。

享楽的な部分を担うのが風俗街なように。

宗教的な部分を担うのが神社仏閣なように。



3・11を機に見なくなったんなら、3・11の記憶が薄れた頃にまた見るようになるよ。

2011-07-19

大恥コピペがクセになる

159 名無しさんお腹いっぱい。 :2007/09/06(木) 12:53:31

 

18の時に、神社の足場を親方の奥さんと2人で組んでいたら

美人巫女さん2人が休憩しませんか?とお茶を持ってきてくれた。

 

当時、童貞で硬派を気取っていた俺は無言で足場(3メートル)から飛び下りたが

3超ロングのニッカ服だった為、裾をひっかげて宙ぶらりんになったあげくズボンが脱げてしま

足場で顔とお腹を強打しつつ下半身丸出しで巫女さんの前に投げ出された。

 

落ちた時に体の側面を強く打ってしまいブッ!と屁をこきながら軽く失禁してしまった。

痛くて意識朦朧としていたがオシッコだけは止めようと思ったがチョロ…チョロチョロと垂れ流し状態に…

 

こういうの読んだだけで自己投影?をしすぎて冷や汗出たり気分悪くなったりするんだが、つい読んでしまう。

2011-07-17

お台場人間の集合意識を祀っている神社ができている件

ニコニコ神社っていうユーザが画面の向こう側から参拝者にコメントをするという形式の神社

発想それ自体はどうという程でもないのだけれど

もしかして有史以来初めて人間が本当の神社を作った瞬間なのかもとふと思った

そういうチラ裏

神社定義とか言い出すとめんどくさいし

異議は認める


2011823追記

もし仮にそうやって集合的無意識神様として見立てるならばの話。

ちょいちょいニコニコ神社を見て思ったのだけれど

祀られる側に集まってる人間が“異常に優しい”

それほど可愛くもない女の子でもブスなんて文字は滅多に踊らない

不細工な男で多少うざくてもわりと大らかに受け入れている

本来ならばネットに顔を晒すような人間馬鹿にするメンタリティーの人々とは思えないくらいにだ

荒霊や和魂的な神道信仰において祀られると魔王が強力な神になる理屈

そのまま今回のネットの中の集合的無意識が当てはまるかもと思った

言わば、気に触ることをしただけ、もしくは触れただけで祟り殺される荒御霊は

無秩序な状態では鬼女やらなんやらになり、

一度ああやって祀られると来たものを祝福する和魂状態へなったりして

わりと興味深いかもしれない。

神様ってそう考えるとそんな感じなのかもね

2011-07-09

英語学習で使用した具体的な自己啓発

これを書いた者ですhttp://anond.hatelabo.jp/20110707051147

人気のブックマークコメントに「一通り目を通してブクマはするけど、実際に勉強することはまずないっ!」と書かれていた。 はてぶで英語学習関連のエントリーをしたはいいけど、勉強しないで、ブックマークして満足しちゃう人は多いと思う。

今回はそれを防ぐために僕がどうしたか書く。

断言法

断言法という方法がある。ようするに叶えたいことを毎日十五回ノートに粛々と祈るように書くわけで、僕は「TOEIC990点取る」とノートに書き続けた。そんなことして何の意味があるんだよって思うかもしれないけど、全世界宗教存在し、人々の願いが祈られ続けられてきた。祈りが続けれたということは少なくとも願いが叶った者もいるということである。全く意味のないことを続けるほど人類はバカじゃない。神社毎日参拝するということでもいいかもしれない。信仰心があるかは重要ではない。カルト宗教はまっている奴らとか見ていると、救われたあと、つまり願いが叶ったあとに、教祖様に対する信仰心が生まれている。断言法の場合教祖様を信じないで、自分自身を信じるということになる。最初は疑いでいい。それが実感として目標に近づいている時に自分を信じられるようになる。http://alfalfalfa.com/archives/13635.html

断言法と引き寄せの法則を組み合わせた方法

断言法の説明を見ると成功率は大体70%程度らしいが、これを100%に近い形で実現する方法を僕は見つけた。似た願いを複数すること、また、英語学習に関することを日記に書くことである。ちょっとした遊び心で「TOEIC990点取る」以外にも「彼女が出来る」「年収10億円になる」とか書いていた。願いが最初に叶ったものは「TOEIC990点取る」だったけど、「年収十億円」「彼女が出来る」は叶わなかった。僕はなぜこれが叶わなかったのか考えた。僕はノートに断言法を書いていたんだけど、それは日記帳と併用していて、日々のことを書いていた。今日は一時間勉強した、新宿外人に道訊ねられたけど、けっこう答えられたとか、友達遊んだとか、好きなロックバンドライブに行ってきたとか他愛も無いことである。数ヶ月分眺めていて、英語力は上昇していると日々感じていたけど、全然モテないし、お金も増えないと思っていた。あれ?これ日記に書いてなくね?女の子のこととかお金のこととかほとんど書いていないのである英語のことは書いてあるのに(笑)そう、実感として英語力は上がっているのは感じていた。これ何か関係あるんじゃね?

引き寄せの法則というのがあるんだけど、その方法の一つに自分の願いに関する事をとにかく日々記録していくというのがある。英語学習場合だったら、一時間勉強したりとか、外国人に道を訊ねられたとか、この洋楽バンド歌詞いいな、とかそんなんです。書いて行くとそれが実感になっていき願いが叶うというものであるhttp://netaatoz.blog21.fc2.com/blog-entry-1289.html http://www.amazon.co.jp


胡散臭いものに対する解釈

断言法も引き寄せの法則もというか自己啓発系のほとんどがカルト宗教並に胡散臭いんだけど、僕なりの解釈を見つけた。「戦略」(strategy)と「戦術」(tactics)という言葉ある。勘違いしている人も多そうなので、説明するが、戦略というのは目標目的の事で、戦術とは戦略を成功させるための方法のことである。具体的には「対テロ戦争」という戦略があって、その「対テロ戦争」を成功させるためにイラクを攻撃したり、外国人米国に入国する際は指紋が取られたり、テロ対策の部隊が編成されたりとかが戦術である。あんまり良い例じゃなかったかな。まあ、話を戻すと、僕の場合は「TOEIC990点を取る」という戦略があって、そのために戦術をどうするかって話だ。TOEIC参考書を解きまくる、洋楽を聴きまくるとか、まあ、それも立派な戦術だ。ただ、”この段階”では戦術が正しいかどうかは重要ではない。戦略達成のために自分自身を戦略に向けさせることが重要なんだ。洋楽洋画英語学習に向かないというのは説明したけど、僕自身がかつてやっていた勉強方法でもあった。それが自然英語学習に向かないと気づき、別の手段(戦術)に移っていった。ただ、それに気づくためにはそれに向き合っていなければならない。それが日々日記を書く事に繋がる。間違った手段、正しい手段に関わらず、僕は英語学習に関する事を書き続けていた。それは僕を目標まで導いてくれる懐中電灯みたいなもんだ。例えば、宇宙飛行士になりたいという願いを叶えることは難しい。そこが引き寄せの法則などの自己啓発の批判の元なんだろうけど、むちゃくちゃなことを叶えることは難しいが、宇宙飛行士になることも不可能ではない。いきなり真っ暗闇の山中に放り込まれて、ここがどこだかわかりませんが、あそこにうっすら街の灯りが見えるでしょ。あそこ東京ですから頑張って行ってくださいと言われたら、大抵の人はどうするだろうか、灯りが東京だということは分かるが、足下は不安定で、足を一歩でも踏み出してみたら崖かもしれない、周りには野犬がいるかもしれない、ここでじっと救助を待っているほうがいいかもしれない、そんな風に考えるだろう。ただ、そこで、LED懐中電灯を持っていたらどうなる?見えなかった足下は見えるようになり、数十メートル離れた先ならなんとか把握出来るようになる。崖もないことを確認した。これなら東京まで帰れるんじゃないか?灯りに照らされた途端に思考はポジティブになる。国道まで出れば下ればいいし、あ、飴も一袋持っていたんだ。飲みかけの午後の紅茶もあった。なんとか帰るんじゃないんだろうかという実感を強める。それでも、山中が暗く危険に溢れているが、戦略を叶えるために、視界の先、足下、体力などの状況に合わせて、進め方を変えていくだろう。そして、進めば進む程に街の灯りは強くなっていき、帰れるという実感が増えていく。その実感を掴めるものけが目標戦略)を叶えることが出来る。懐中電灯や飴を始めとする様々な戦術と共にね。


話が長くなって恐縮だけど、話は戻って断言法で「年収十億円」「彼女が出来る」と書いていたのに叶わなかったのが分かったでしょうか。英語学習は様々な戦術を使い実感を得て目標に近づく度に、やる気が出て来た。「年収十億円」が叶わなかったのは僕自身がLED懐中電灯を持っていなかっため、戦略は持っていたが戦術は持っていなかったということになる。戦略を叶えるためには戦術が必要である東京には帰りたいという戦略があっても戦術がないと帰れない。ただし、むちゃくちゃな非常識な願いほどLED懐中電灯のような強力な戦術を持つことは容易じゃない。宇宙飛行士になる、村上春樹のように世界的に有名作家になるとかである。それでも戦術を練り、それになれるという実感を持てば戦略を達成することは可能だろう。流石に僕は実感が得られないので無理です(笑)

TOEIC990点取る」というのも英語に苦手意識がある方は非常識戦略に思えるかもしれない。僕もそうだった。非常識だと感じるのを弱めるために断言法と引き寄せの法則を組み合わせたのを使った。実は「TOEIC990点取る」の他に、「海外で働く」というのも書いていた。残念ながらそちらはまだ叶っていないが、英語学習モチベーションの上昇に繋がったんじゃないかと思っている。断言法に関しては、やる気増産装置のようだと考えている。英語学習者にありがちな挫折パターンとして「あの本いいんだー」「あのエントリー参考になる」「俺は外資系企業に勤める」とか思ってもロケット花火のようなもので急加速はするが、すぐに急降下し地面に落ちてしまう。断言法はある種のジンクスを作るようなもので、自身が「TOEIC990点取る」という目標に対する燃料を投下していくようなものである不思議なことに、ジンクスというのはそういうものであると思うけど、断言法を三日もサボると急にやる気がなくなる。勉強するというジンクスを無くしてしまたからであろう。言わば、断言法はジンクスのない人にジンクスを作るための装置である。まあ、やる気は作れるもんだぜ?ってことです。さらに似た願いを書く事は燃料投下を倍増させることになるのでおそらく願いが叶う可能性は高くなるんじゃないのか。また、 知らず知らずの内にしてしまっていたが、英語に関するということ日記を書くということは方向性を定め戦術を作っていく作業であった。断言法でやる気を作り、引き寄せ日記戦略に体を向けさせ、戦術を精査していく。

ちなみに「彼女が出来る」というのも年齢=童貞だった僕にとっては非常識な願いであったけど、これに気づいた後に「女友達が出来る」と書き加えて、日記に、今日女性にこういう話がして受けていたとか、趣味の話が出来たとか、そういうことを書いていたら、彼女が出来た。いや、マジですよ。まじまじ。なんとなく、女の子最近話す機会多いなーって思い始め(目標達成が見え始めている)、女友達も増えて、遊ぶ機会も増えていて、あの女の子とちょっと良い感じかなって思っていたら逆に告白された。ありえない。非常識過ぎると少し前の僕ならそう思うかもしれないが、そんな非常識は僕から消え去っていた。実感としてこういうことになるだろうと思い始めていた。

2011-07-04

本職の巫女さんに向く人の特徴

独断と偏見による「本職巫女として神社で働くのに向いている人の特徴」をリストアップしてみました。

自分経験と某神社巫女さんの話、およびネット上の情報を基にしています



なお、この記事では「そこそこの規模があって、本職の巫女さんが数名常駐している神社」を職場として想定しています

巫女さんが一人しかいない神社や、いわゆるアルバイト巫女についての適性は論じておりませんので、ご注意ください。




必須条件

以下の条件を満たさない場合巫女になろうとしても門前払いをくらう可能性が高いです

独身女性である

・年齢が20代前半以下。

学歴高卒短大卒・専門卒のいずれか。

・着る服のサイズに困る程には太っていない。

・自宅から通える距離に巫女さんの常駐している神社がある。



備えるべき特徴

以下の特徴に当てはまらない人が何かの間違いで巫女になっても、働き続けることが難しいです

時間に正確で、必要ならば毎日早起きもできる。

上下関係大事にするタイプだ。

・集団で孤立したことはないか、あっても1~2度。

・もし姑にあら探しをされても、心身のバランスを崩さないぐらいの精神力がある。

職場での服装や言動には制限があって当たり前だと思う。

・人並みの筋力はある。

・最長で2週間くらいは無休で働けるだけの体力がある。

パソコンが人並みに使える。

・接客は嫌いじゃない。

・簡単な作業をテキパキと要領よくこなせる。

・単調な作業を延々と続けることができる。

・少々のセクハラは笑って済ませるか、事前に回避できるだけのスルースキルがある。

労働基準法は絵に描いたモチだということを知っている。

・定年(20代半ば~30歳)後は結婚か、転職できるアテがある。



あると有利な特徴

以下の特徴に当てはまると、採用されやすくなったり、仕事がはかどったりします。

美人、もしくは典型的日本人顔。

・黒髪ロング。

家族か親戚に、神職もしくは勤めたい神社氏子がいる。

・実は、ちょっときつい性格だ。

・新しいやり方を試すより、慣れた方法でやる方が好き。

体育会系

日本文化に興味がある。

ファッション恋愛など、普通女の子らしい趣味がある。

家事など身の回りのことは一通りこなせる。

書道茶道華道などの心得がある。

・きちんとした言葉遣いができる。

外国語が話せる。

・口が堅い。






……正直、あまりおすすめできる職業ではありません。

バイトだけに止めておいた方が賢明でしょう。

2011-06-25

古来から伝わる手法で日本を鎮めよう

これまでのやり方が限界がきた模様なので、やり方を変えましょうという政策が出てきたらいいと思う。

元号を変える

http://anond.hatelabo.jp/20110624220026

お金をかけずに気分は変えられる。

神社を作る

http://anond.hatelabo.jp/20110320235405

国の予算だとむずかしいかもね。

遷都する

200万人クラス防災都市建設有事ときは、100万人単位国民を移住させることができる。

国内にそんなことができる場所が存在するのかわからないけども。

これができたら、戦争を起こさずに閉塞感を突破できるはず。

2011-06-16

国旗国歌への敬意の示し方について。

国旗国歌への敬意の示し方ってどういう方法があるんだろう。国旗国歌の前で立って歌うのは本当に敬意を示しているんだろうか。個人の心の中を覗くことはできないのに、どうして敬意を示していると解釈できるんだろうか。

「立って歌わないと先生になんか言われるし、そういうことにうるさい人がいるし、とりあえず立って歌っておこうか」という子どもがいてもおかしくない。最近判例をみて、「いやどうやら立って歌わないと大変なことになりそうだ」と思って立って歌う子どもいるかもしれない。はたまた「いやみんな立って歌ってるからやらないと」っていう子どもいるかもしれない。どこにも「敬意」は存在しない。

まぁこれは僕の勝手想像から、当てはまらないのかもしれない。でも、この国ってそういうところが寛大というか、むちゃくちゃな気がする。

ベタで申し訳ないけど、初詣神社に行っても、そこの神様を信じてるわけじゃないし、クリスマスを祝ってもキリストを信じてるわけじゃないし、葬式仏式でやっても仏を信じてるわけじゃない。日本って行動=内心を表すわけじゃない、ってことが社会的合意を得ている国だ。

立って歌ううちに敬意が芽生える、というのなら、毎年初詣神社に行く人はそこに祀られている神への信仰心が芽生える、というのと一緒だと思う。で、現実信仰心なんてこれっぽっちも生まれていない。

から、なんで立つ・立たないで揉めるのかわからない。

ほとんどの子どもたちは敬意だの何だのって、そんなこと考えていないんじゃないだろうか。僕らが初詣神社の神のことを考えないのと同じように。

もちろん敬意を示す一番の(追記:方法は)立って歌うことだ。でも今まで述べてきたように、立って歌う=敬意を示しているとも限らない。

から、(追記:教員に)立って歌わせることを強制することが子どものためになるという理屈いまいちからない。だれか理屈を教えてください。

2011-06-04

宗教が怖い



私の両親は二人とも新興宗教を信じている。




父の家系は私の祖父の代から奈良県の某市に拠点を置く某宗教を信じていて、父の兄は祖父の跡を継ぎ、その土地地区会長?みたいなものをしている。父の兄の子供たち(つまり私のいとこ)も、その宗教学校に進学したしかし、父はそこまで信仰心が厚いわけではなく、実家帰省した際に“おつとめ”に参加するくらいで家では何もしなかったし、私に某宗教のあれこれを説くわけでもなかった。


私が怖いと思うのは、母だ。いや、正確には母が信じるものだ。



母の家系は私の祖母の代からネット上でもたびたび話題になる創のつく某宗教を厚く、暑く信心している。母は毎朝、仏壇に向かってお題目を読み上げ、地区ごとに開かれる会合に必ず参加し、選挙前には友人知人に電話をかけ、とある党への投票を薦めている。

そんな母の元で育った私は、小さいこからごくごく自然にその光景を目の当たりにし、母と同じようにそれらに参加していた。

母は私に、周りの友達がみんなが楽しみにしている神社お祭りへの参加を禁じた。地元神社初詣に行くのを嫌がった。“おそなえ物”を食べたい時は必ずお題目を読み上げさせた。




幼い私は「どうしてなんだろう」と思いつつも、素直に母の指示に従った。

母のことが心の底から大好きだったから。母が嫌がることはしたくなかった。

母が嬉しくなることは進んでしてあげたかった。





しかし、中学生になる頃から“母が信じるもの”の正体がよくわからず、だんだんと怖いと思うようになった。兄に自分が信じる宗教を拒絶された母は、以前にも増してその道へ私を引き込もうとした

私が悩むたびに、壁にぶつかるたびに、不満を漏らすたびに、自分が信じるものの素晴らしさを語ってきた。

反抗期というのもあったと思うが、単純にその話をすると目の色が変わる母が怖くなり、反発し拒絶するようになった。

「私は宗教が嫌い。何かを信じるのは素晴らしいと思うけど、それにすがっていくのは嫌だ。お母さんが何を信じようがお母さんの自由だけど、私には強要しないで」




何度この言葉を繰り返しただろう。母親あの手この手宗教を勧めてきて、私はひらすらそれを拒否し続けた。そのやりとりは、私が家を出て遠い街で暮らし始めても続いた。つい1年ほど前まで稀に、しかし一度その話になると激しい言い合いになるほど繰り返された。





1年ほど前、同居人と住んでいる家にその宗教を信じる女性2人が、某新聞の購読を勧めにやってきた。普段は奥さんとして、母として親しまれているであろう女性たちになぜこの家を訪ねたのかを聞くと「あなたのお母さんに聞いて」と応えた。

その言葉を聞いた瞬間、大好きな母に拳を振り上げたいほどの苛立ちを覚えた。冷たい言葉女性たちをあしらい、すぐさま母に電話をかけて荒々しい言葉をぶつけた。




「今の家にはまったく関係のない人も住んでいるのに、私に断りなく住所まで教えて!その人が対応したらどうするつもりだったの!もういい加減にして、私はお母さんの信じるものを信じるつもりは全くない!もう二度とこんなことしないで!」





それ以降、母は私に何も言わなくなった。





これまでの経緯をみると誤解されるかもしれないが、私は母も父も大好きだ。兄も含めとても仲のいい家族だと思うし、なんでも包み隠さず家族に話してきた。今までもこれからもこれからだって母は私の尊敬する人の一人だ。




しかし母のせいで宗教が怖くなった。





友達を家に連れていった時にあの仏壇と毎朝お題目を読み上げる母の姿を見たらどう思うだろう。

将来、愛する人と連れ添った時に、母があの宗教を勧めたらどうすればいいのだろう。

そもそも、母の信じるものに不快感を覚えたらどうすればいいのだろう。







母が何を信じようが、別にかまわない。

詐欺にあっているわけでも、全財産をふんだくられているわけでもない。

母の人生だ。自由にすればいいと思う。






しかし、しかし、怖いのだ。宗教が。宗教を信じる母が。

母の姿を見て、嫌悪感を覚える人たちがいるかもしれないという、事実が。

2011-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20110521071659

毎日国旗掲揚って軍隊じみてるのかな?

朝のあいさつ運動とか、交通安全週間とか、朝の読書運動とかは軍隊じみてる気がしたけど、国旗掲揚普通日常だった。

国歌が流れば、起立して(掲揚塔が見えればそちらを向いて)国歌が流れ終わるまで動かないってそんな変なことかな?

国歌が流れたのに立ちもしないって、神社で十字切るようなもんじゃん。

2011-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20110521133615

葬式に行って

「私は仏教徒はなですから焼香しません。」

というレベルなんじゃないかな。

思想の自由や宗教の自由は認められてるから、焼香を拒否しようが献花拒否しようがそれは問題ない。

葬式はしらないが、知人の熱心なクリスチャンとかは神社に行っても祈ったりはしなかった)

でも、教師にとって式って仕事だろ。

葬儀屋葬儀空気乱すことしたら、そりゃ社長(橋下)は「お前(不起立教員)クビ!」って言いたくなるじゃん。

2011-04-08

会津に行ってみた

会津観光旅行に行った。会津地方観光客が激減しているというニュース月曜日にみて、折よく暇だったため翌日朝一の電車に飛び乗り2泊3日の観光旅行、昨日7日夜東京の自宅に帰り着いた。せっかくなので、一観光客が見聞きした会津の現状や観光したうえで感じたことを書きたい。無計画性が災いし時間が足りず磐梯には行っていないので、会津若松喜多方のみの話となります



# # #



1.地震の被害

会津若松駅前の地下道が冠水、未だに復旧せず通行止めであったり、マンホールが隆起していたり、蔵の土壁が壊れていたりと、地盤のよい会津地方も少なからぬ被害を受けており、極一部の観光スポットが休業している。とは言えその数は少なくまた有名どころはたいてい営業しているし、会津内での交通インフラも問題ないので、観光への影響は少ない。



2.原発の直接的影響

大気中の放射線測定値についてはさすがに東京より高く毎時0.2マイクロシーベルトあたり(健康には問題のないレベルだが野菜や水からほとんど検出されていない。

http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/index_php/info_hazard/view.php

ちなみに、現地の某ラーメン屋に入ったら使用している野菜の原産地をしるす貼り紙があったんだけど、そのなかに福島産の文字がない。つまり暗に福島産は使ってないですよと言うアピールをしていて、なんかすごい切ない気持になった。



3.観光産業の現状

機会があればなるべく現地の人と話すようにしていたんだけど、異口同音さっぱりお客さんが来ないとのこと。前年比で95パーセント減と具体的に数字を挙げてくれた方もいた。これから景気は悪くなるだろうし、外国人観光客も減るだろうから地震前に戻るというのは何年たっても無理かもしれないが、さすがにこの減り方は異常事態。しかゴールデンウィークの予約もキャンセルが相次いでいるということもあり、その異常事態のおわりが見えないことが怖い。しばらく続くとバタバタとお店が倒れてしまうかもしれない。



4.今観光すべきなのか?

しかし、このような惨状を見聞きしながらも、会津を助けるために今すぐ観光すべしと人に強く勧める気に僕はなれない。理由はふたつ。今一番困っているのは被災民なのだから観光する暇と金があるならボランティアしろよ寄付しろよという正論がそのひとつ。そして会津地方は避難民を多く受け入れているというのがもうひとつの理由。関係ない所で自粛だの不謹慎だのと言うのはバカらしいが、さすがに避難民の目の前で呑気に観光と言うのは気がひける。じゃあどうすればいいのか? 現地の人にいろいろ話を聞いてみて思ったのは、今観光客が激減していることよりも、その異常事態のおわりが見えないというところに不安を感じている様子だった。ならば、被災者難民に配慮しつつ、会津人の不安を解消するには、この異常事態には終わりがあるんだよというメッセージを送ればいいのではないかと思う。それにはちょっと先、例えばゴールデンウィークホテルの予約を入れるというのがいいんじゃなかろうか。先が見えれば会津の人も安心すると思う。もちろんそこまで被災者難民に配慮する必要はないよと言う人は、空いている今が好機だと思うので、どんどん行った方がいい。じっくり見学ができるし、スタッフさんと話し込むことができるし、サービスしてくれる店もあったし、写真も撮りやすいし。酒造りはほとんど終わっており、桜はまだと言うことでオフシーズンなのが残念ではあるが。



5.アクセス

東北新幹線東北本線が運転見合わせで、東部鉄道だと時間がかかり、高速バスはキャパが少ないということを考えると、現状では車で行くのがベターかなという印象。車がなければバスにするか、新幹線東北本線の復旧待ち。郡山会津間を結ぶ磐越西線現在間引き運転中。まあゴールデンウィークまでには意地でも復旧するでしょう。



# # #



以下蛇足ガイドブックではそれほど注目されてないが印象に残ったところをいくつか、ご旅行のご参考までに。



A.さざえ堂(会津若松

平面六角形の木造二重螺旋建築。前々から見に行きたいと思っていたもので、今回会津旅行即断したのもこれがあったから。世界に類をみない奇妙な建築物でありながら、中を廻れるというのが魅力。ずいぶん痛んでいるが、昔から多くの人が入ったという証左であり、歴史の重みを感じる。10年くらい思いを熟成させかなりハードルが上がっていたが、それをはるかに上回る感銘を受けた。



B.長床(喜多方

新宮熊野神社の拝殿。イメージとしては木造パルテノン神殿(ただし規模は劣る)といった感じの、壁のない建物70年代解体修理復元工事をしており、建材は再利用しているものの建物自体は古くはない。しかし、中にのぼれるという魅力には抗しがたいものがある。また木造大鳥居も時代がついていていい。



C.甲斐本家階段喜多方

蔵座敷で有名な甲斐本家だけど、注目は売店のなかにある螺旋状の吊階段。彎曲した側桁が一枚で、しかも曲げたのではなく削り出したのだという贅沢なつくり。店主が話好きのおじさんで、面白い話が聞けた。



D.割烹田季野(会津若松

名物輪箱飯(わっぱめし)の元祖。値段は高いが当然のようにうまいカウンターの隣には、とある形をした黒塗りの木造が鎮座ましましている。珍妙なことに、その木造には色々な国の紙幣が貼ってあった。訊くと、賽銭感覚外国人観光客が貼っていったものらしい。ちなみに、2泊3日の旅行外国人を一人も見かけなかった。

2011-03-20

そろそろ神社の建立を

ここ何年かで日本未来を嘆いて、非業の死を遂げた人っていなかったっけ?

その言霊の力を鎮めなくてはならない。

2011-03-08

赤ちゃんをむかえることから、稽留流産のことまで

2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。

昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。

様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。

 

赤ちゃんをむかえること

筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。

仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年からとりくみはじめた。

基礎体温に基づき、排卵日近辺にがんばる方法をとった。

基礎体温2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。

 

夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常

仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。

そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。

それでも、自分では夫婦の仲は良好だと思う。 

 

夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、

顕微鏡でためしに自分精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。

私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。

 

基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。

ウーマンコム Inc. の基礎体温表

記録をまとめて印刷することもできるので、医師妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。

 

妊娠に至るまで、5ヶ月を要した

上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。

挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。

夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。

このころ、夫は精子卵子寿命の違いを知らなかった。

 

年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。

とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。

 

20代子供を産み、子供小学生に育て上げてから仕事をはじめた友人や、

同じく20代で2人の子供を産んでいる妹の事などを考えた。

いくら自分健康に自信があっても、赤ちゃんをむかえるのは早い方がいいと強く思う。

結婚する前から、夫と私は2人とも子供を望んでいた。

私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。

たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……

 

冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?

妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、

お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい科学的根拠は不明?

そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。

 

カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。

夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。

私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。

夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。

 

 

年末年始大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした

いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮おせちをたべてゆっくりした

初詣地元神社に参拝し、男根型の岩を撫でてみたりもした

 

 

その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、

妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。

病院で尿検査をして陽性を確認し、エコー検査した

子宮のなかに小さな黒いまるうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮妊娠はない事がわかりほっとした

担当先生は事務的で素っ気なく、少々心もとなかった。

 

妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ夫婦で登録し、

毎日メールで送られてくる赤ちゃんの成長を楽しみにしていた。

 

2月の半ばに2回目の検診にいった。

先生カーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。

黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。

赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。

調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、

あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。

 

つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。

つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。

1月の初めにがんばったときから性交はずっと止めていた。

回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした

 

稽留流産のこと

3月の初めに3度目の検診に行った。

この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。

ちょうど夫の仕事休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。

いつものように、エコー検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。

カーテンをあけて、「心臓が動いていないです」といわれた。

何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。

先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。

稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。

夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。

ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。

 

 

最初は心もとなかった先生対応は、まじめさゆえだった。

丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかからなかったけど、

とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した

待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。

「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。

 

あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した

母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。

義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。

夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。

未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。

誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。

これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。

前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。

義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。

海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。

手術前夜から入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、

夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。

自分は朝に入院して、夕方に退院する日帰り手術だ。

手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯おむすびをつくり、

病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、

いつもより丁寧に歯を磨き、お風呂で体をよく洗ってから寝た。

 

夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事ギリギリで、とても忙しい時期だ。

そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、

何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、

「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんから、耐えよう」と思った。

 

当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟ナースステーションに行き、書類を出して手続きをした

病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボンTシャツパジャマの上着、フリースの長いコートで、

家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。

ナプキンをつけてから担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。

処置の前に、もう一度、エコー赤ちゃんを確認してもらった。

赤ちゃん最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。

この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。

 

それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。

午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。

多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。

担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、

計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。

台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。

肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、

思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、

先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、

器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。

 

事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。

しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。

もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景イメージしてみた。

だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノたい音楽フロアに流れるかすかなオルゴール環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。

しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。

お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。

顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。

ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。

 

すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。

麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。

時折、看護師さんが来て出血を確認していった。

つの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。

持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。

重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。

なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。

 

麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。

病室でズボンはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。

夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした

夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるからおむすびいらないよ」と言うほど、

手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。

私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。

夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびお茶を持ってきてよかった」と言った。

 

薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。

看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。

子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。

来週に検診があって、また病院にいく。

元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家土地のいい場所に植えようと思う。

その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。

 

今後

基礎体温記録再開、葉酸摂取を継続する。

・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。

運動する機会を増やす。近所の温泉に定期的に通う。

いままでは質実剛健、質素倹約を旨としていたが、余裕をもって魅力的な女性になれるよう努力する。

- 転職ならen
- 派遣ならen
10ページ中1ページ目を表示(合計:226件)