身長:185cm
体重:110kg
いきなりデブ過ぎ。
いい加減にすべき。
煙草:吸う
運動:していない
かなり終わってると言う危機感を持った方がいいと思う。
このままなら30になる頃には深刻な健康問題がポロポロと表面化する。
食事
・朝は菓子パン。いっその事食べない。どうせ9時起床だし。
何故菓子パンなのか。
脂肪たっぷりのクリームや揚げ物が挟まっていたりするのでカロリーも別に低くなかったりする。
2個も食ったら朝飯としては重いカロリーになる。
かといって断食はもっての他だし、よほどの事情がないならもっと早起きすべき。
何故松屋や吉野家がダメで、定食や弁当はアリなのかがわからない。
ほか弁やコンビニ弁当には1000カロリーを優に越えるものも多い。
一方、吉野家で1000カロリー採るには最大サイズの盛りしかない。
こんな食生活が増田にとっては「改善プラン」であるらしいことがヤバすぎる。
栄養バランスの偏りを自覚してるならもっとマシなおかずを食うべきだし
これは正しい。当たり前。
「改善プラン」に出てくる食事が軒並み栄養価低い糖分と脂肪分ばかり多い食材なので
その知識レベルのままではどれだけ努力してるつもりになっても効果が出ない。
・健保指定のジムが近場にあるので利用。1回利用600円ほど。
そんなあいまいな計画では絶対やらなくなる。
カーディオをどれぐらいやるべきかとか考えてるだろうか。
筋肉を発達させるにはどれぐらいのトレーニングをすべきか知っているのか。
増田レベルのクソデブはウォーキングでも膝や腰や足首を痛める。
100kg超級デブがやるべきはプールでビート板かジムのエアロバイク。
水泳が達者で泳ぎ続けられるなら水泳はいいが、休みまくるならバイクがいい。
マシンジムは我流でやらずジムの係員かジムの客の上級者らしい体つきの人に聞く。
そういう場当たりではなくて
一生の生活習慣を改めるつもりにならないと何も変わらない。
短期間息を止めるような減量をしても必ずすぐにリバウンドする。
そして増田のスペックや生活は「健康診断までに少し落としたい」なんて悠長なレベルではない。
そのままやっていけば三十路に入ったぐらいからガタガタと体中が崩壊する。
とりあえずペットボトル症候群の匂いもするので糖尿の気がないか調べるべき。
やたら喉が渇いてジュースを飲みっぱなしだったりしないだろうか。
60hzエリアにある発電所をいくつかまるっと借りるってのはありえないのだろうか?
現在60Hzで送電しているのを50hzに変更して電線を引っ張ってくるほうが
「行為」をよくないと言っているだけで、それをする人そうしたい人までなんとかしようと思わない人間もいるのじゃない
「夜更かしはいけない」と「夜更かしする人はよくない」が違うように・・・ってちょっとちがうか。
「自分はそうしない」「夜更かしするのはいやだ」ってことを言いたくても、「夜更かしはいけない」っていう「言い方」になることだってあるだろうし
まず、今回の東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々のお見舞いを心から申し上げます。
次に、僕のスペックです。都内の大学に通う学生(新二年生—ちなみに一浪—)です。所属学部のカリキュラムによって、ほとんどの授業を英語で行って、レポートも英語でたくさん書きました。といっても、僕の英語の能力はだいたいTOEIC700点前後だと思います(TOEICはうけたことがありませんが、学校で受けさせられたテストなどで換算するとこのくらいです)。700点前後なので、あまり大したことは言えた身ではないのですが、英語については昨年度かなり自分でも悩み、考えたし、また、TOEICなどのスコアだけで英語の実力のすべてが測れるとも思っていないので、僭越ながらも英語についての意見を述べさせてもらいます。(ちなみに未だ日本から出たこと無いです)
最後に、書こうと思った動機について。主に二つ。ひとつは、日本人の英語熱が、去年のユニクロ、楽天の英語公用語方針表明から、加熱の一途を辿っていることを受けて、自分—英語が公用語の学部で学んでいる自分—が何か良い意見を述べることができればいいなと思ったから。あとひとつは、自分の英語に関する考えを今の時点で言語化して整理しておきたいという考えがあるからです。
英語学習者の多くは「英語ができるようになりたい」や「英語上達!」などと言います。が、少し待って下さい。その宣言って少し漠然としすぎではないでしょうか。ここで、試しにあなたが今思っているその「英語」に修飾語を二つ付けてみて下さい。例えば、ある会社員の場合は、practicalと businessを足して、”Practical business English” (実践的ビジネス英語) となります。こうすることで、あなたが必要な英語がもっと鮮明になるでしょう。さらに対策だって立てやすくなると思います。子供が語学を身に着けながら成長するときの様に、日常の様々な場面での遍く英語表現を身に着けることは大人には困難です。しかし、範囲をうまく絞れば、そこに特化して勉強することで仕事で困ることが少なくなると思います。
僕は昨年度、英語を話す日本人を数十人ですが見てきましたが、およそ二つのグループに分けることができます。それは、日本語を話すときと同じ感覚で英語を話している人と、英語を話すときは全く別の口の開け方や筋肉の動かし方、さらには呼吸法までする人たちです(帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます)。タピオカドリンクを飲むときは、コーラを飲む時に使うストローじゃ飲めないように、英語を話すときも日本語用の発声方法を脇に置いて、英語用の発声フォーマットで話さなくてはならないのです。先に示した前者の人々はだいたい、声が小さいぼそぼそとしたしゃべり方をします(もちろん発音は滅茶苦茶チョッピーです)。これは、はっきりいって意識の問題だと思います。発音やアクセントの前に態度(attitude)の問題だと思います。
これは上とだいぶ関連があるのですが、英語を真剣に話そうとすると多かれ少なかれ「欧米人っぽさ」や、悪く言えば「ネイティブかぶれ」が現れてしまいます。だが、これらに対して嘲笑したり、からかったりしてはいけないと思うのです。日本人の間で「かぶれ」に見えてしまうことも、英語話者同士では普通の事なのです。だから、間違っても日本人によるつまらない価値観から、その人の外国語に向かおうとする態度を軽蔑してはならないと思います。お互いにとってマイナスにしかなりません。
英語がわからないから話が理解できない、と思ったことがある方。それは本当に英語が問題でしょうか?例えば、去年流行った「ハーバード白熱教室」。この番組はiTunesやYouTubeで無料で見ることができます。僕も、視聴していて三周目も終わろうとしている頃ですが、まだよく理解できているとは思えないです。『これからの「正義」の話をしよう』も、その原著である”Justice-what’s the right thing to do-”も持っていて一通り読みましたが、未だ理解できたという確信がありません。なるほど、「テメエがアホなんだよm9(^Д^)プギャ―」という意見もあるでしょう。しかし、サンデルの授業内容がそれなりに高度なことも事実ではないでしょうか。日本語で聞いたとしてもそれなりに高度なことには変わりません。それをさらに外国語でとなると余計に理解が難しくなってしまいます。自分の英語読解/聴解能力を疑う前に、言語に拘わらずそれを理解できる知的基盤が備わっているか。それをただ「英語が分からない」と悲観する前に、確認する必要があると思います。
某経済評論家などを「達人」と見做している英語学習者は、いつまでたっても英語ができるようにならないと思います、失礼ながら(インタビューもそんなにあてにしちゃいけない)。そもそも、本当に英語できる人間は、日常のほぼ全てのタスクを英語でこなしているような人たちではないでしょうか。論文であれ、企画書であれ、会議であれ、学術発表会であれ。そういう本当の「達人」らは、われわれ一般人に指南するような立場を超越していらっしゃいます。さらに、そういう人たちはあまり表に出ない人たちです。なぜなら、一流のビジネスパーソンは週刊誌の英語特集に顔だすくらい給料安くないし、言語学など学問分野の一流たちもそんなところに出て自分の株をさげるようなことをしないでしょうから。
では誰をロールモデルにするのか。はっきりいってツールである英語にロールモデルが必要であるとは思わないのですが。強いて言うなら、『英語達人列伝』の中から探すといいと思います。これを読めば、「日本人は英語ができない」といった言説が神話であると思え、すこし勇気が湧いてくると思います。
英語学習において、発音を磨くことは何かと批判の対象になります。恐らく、それは英語学習における贅沢品と受け取られるからでしょう。目玉焼きも焼けない人間が高級イタリア料理「カルパッチョソースのデミグラス和え 地中海の新鮮な貝の奏でるムースとともに」(※こんな料理はありません)を作ろうとするように捉えられてしまうのかもしれません。
しかし、僕は発音も大切だと思います。磨けるなら磨いた方がいい。じゃあ、どのくらいまで磨くか。もちろんネイティブレベルとは言いません(発音向上批判がネイティブ信仰批判と結びつけられることも多い)。が、強いて言うなら「自分の発音に自分で酔えるくらいまで」としておきます。英語を話している時の自分がいつもと少し雰囲気違うな、とか仕事できそうだな、くらいに思えるくらいです。語学学習は基本的に孤独な作業であると思います。周囲に誰も人がいない部屋で黙々と音読…そんな状況で心を支えるものが、わずかながらのナルシシズムだと思うのです。ここで注意しておきたいのは、自分の発言を瞬時に考えて話す「スピーキング」と音読教材を見ながら話す「スプリクト読み」の際の発音能力は個人の中でも違いがあるということです(ここでは詳述しません)。
昔NHKで「英語会話」の講師をしていた東後勝明氏はこう言っています。
「発音が大切だ」と言えば、すぐに、「本国人のような発音の必要はない。日本人なのだから日本人の発音で十分」と反論が返ってくる。「単語を覚えたほうがいい」と言えば、「単語だけを覚えても何もならない。その使い方を覚えなければ駄目」と言われてしまう。うっかり「会話ができなければ」などと言おうものならたちどころに「ただペラペラしゃべれるようになるだけではかえって人間が軽薄に見えて困る」と一蹴され、「それより、内容のあるものが読めることだ」とか「話す内容が大切」ということで会話の重要性は影をひそめてしまう。
「文法をしっかりやりなさい」と言えば、「文法に頼る英語力には限界がある」とか「文法を教えすぎるから、英語が使えなくなっている」と、これにもまた反論が出る。それでは「実際にありそうな自然な対話をそのまま暗記してみれば」と言えば、「会話はそんなに準備されたせりふ通りにはいかない。そんなものをいくら暗記しても役には立たない」と誰かが言う。… ( 東後勝明 「聞き、覚え、使う」 現代新書編集部 『外国語をどう学んだか』 講談社 1992)
要するに、唯一絶対の方法なんてありませんよ、ということであり、たとえ少し間違った勉強法をしてしまっても、それほど差はないですよ、ということ。やりかたで戸惑って学習不安なんて愚かだと思いませんか。ネットで情報収集だけに一生懸命になっている方、とりあえずブクマして満足している方。
世界に飛び出ていく為のツールである英語を、日本の企業や学校の基準に合わせてどうするのでしょうか。会社や学校の要求に応えることが重要であることは言うまでもないですが、これから英語を勉強して身に着けるということは必要不可欠であるということ。すなわち、グローバル化によってかつては「あった方が有利」だった英語から「ないとダメ」というように変化してしまったのです。だから、これから英語学習する人――特にビジネス面の方々――は、外国、とくに韓国、中国にライバル意識を持って外国語を学ばなければならないのではないでしょうか。
英語に関することで今問題だな、(というか、もったいないな)と思うのが巷の「英語学習」と、学問としての「英語教育」との乖離です。この春休みに入ったころに、集中して現在刊行中の「英語教育学大系」シリーズ(大修館)を読んだのだが、個人的に得るところが結構あった。そういった学問分野での研究成果をうまく巷の「英語学習」に反映させればいいと思うのだけれど、実際「英語学習」者たちの間でウケてしまうのはTOEIC900点をとった人たちのアドバイス記事。もったいない。
これ500B!超えたらblog再開させようかな…なんてw
訂正
帰国子女の方々は生まれつき後者の姿勢が備わっているきがします→帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます
いわゆるレッテル張りをされて、何を話しても聞き入れてくれないことがありました。とても辛かったですが、運命として受けいるしかないのでしょうね。
毎年これだけの自殺者が出るということは
死に対する考え方は「当たり前」として統一されてないって事なんだろうな
「死ぬなんてとんでもない」ってのが当たり前じゃないから、自殺者は存在する
この世界のどこかでは「死にたいなら死んでも良いんじゃない?」が当たり前になるような環境があるって事
その人達にはその人達なりの真っ当な理屈があって、それが当たり前
自殺を否定する人達には、やっぱりその人達なりの理屈があって、それが当たり前
死んでるか生きてるかの2つの状態しかないから、意見が対立してしまう
妥協案なんて見つけられないから、互いに相手の考えを否定するしかない
難しいなぁ
「人類は全員こうあるべき」という宗教が、他の宗教の人を迫害するのと同じで
無視をした先には「救われない人達」というレッテル貼りがされる
貼られた方は、隠れて耐えるしかないんだ
俺は、自殺を肯定する立場だ
それは変えられない
俺が俺で無くなっても、それだけは曲げられない
そいつとは分かり合えなくて
だったら互いに被害が出ないように無視をするしかなくて
それでも、俺が死ぬときになればそいつは俺の事を止めようとするんだろうな
けど、俺の事を二十四時間拘束することは出来ない
出来ないが、俺の自殺を無視することも出来ない
だから、世界の当たり前は交わることなく、どちらも妥協案を探すことが出来ない
無視をすることすら出来ないのなら、人間はどういった結論を下すんだろう
するよ派 - スリーマイル以上、チェルノブイリ未満で終息するよ派 - 長期的な健康被害は疫学的には数%しか出ないよ派(放射線影響研究所経典主義)
後で見直す。
身長:185cm
体重:110kg
煙草:吸う
運動:していない
食事
・朝は菓子パン。いっその事食べない。どうせ9時起床だし。
・健保指定のジムが近場にあるので利用。1回利用600円ほど。
「いつもの人」と言われる人がピンポイントで当てられているので、反応しちゃっているということ?w
乗れなくていい。
車道の脇を走っているのに、ふらふらと車のほうに寄る。
これ全部、息子の身に起こったこと。
息子が生きてるのは、まったくもって、運が良かっただけだと思う。
火力発電の燃料調達を仕事にしている。
ネットでは、東電は社長以下、平社員およびその家族、内定者まで同罪、死刑に値するとの評価だ。
独身寮まで晒されている。
東電には怒りしか感じないが、彼個人には全く憎しみの念を感じることが僕は出来ない。
むしろ今、火力発電所再稼働のために必死であろう彼を応援したくなるし、落ち着いたら一緒にお酒でも飲みたいと思う。
ネット世論こわいお。
彼なりの信念があるのではないのでしょうか。