逃げなんて恒常的に行われてることだ、それを取捨選択というか、逃げというかってだけで。
例えば、あんたはアフリカの貧しい子供たちに何かしてやったのか?
ホームレスに銭をあげたことがあるか?
部屋に飾る絵を描いたことがあるか?
枯れそうな花に水をやったことは?
さびしそうな奴に声をかけたことは?
やりたい、みんなはやってる、やらなきゃいけない、でもしないことなんて死ぬ程あるだろ。
人間中身は似たようなもんだ、どんなに憎い奴も、どんなにいい奴も、根っこは同じ。ただ、ちょっと違うだけで
親が病気ってだけで、
田舎に生まれたってだけで、
顔が悪いってだけで、
女ってだけで
その人生は面白いように腐っていく。俺と変わりない人間が、ただちょっと違うってだけで、大学にも入れず競輪場のゴミ拾いをやってる。
もし彼の環境が違ったなら、黒田硫黄に、村上隆に、スチャダラパーに、清水崇なれたかもしれない。パリスヒルトンにだってなれただろう。
あんたらだって環境が違えば
青年海外協力隊にいるかもしれないし
芸術家になってたかもしれないし、
園芸の神様になってたかもしれないし、
引きこもりの再出発を支援してたかもしれない。
まるで自分が自分で計画を立てて、努力して勝ち取ったと思ってるその地位は、環境が作り上げたものに過ぎない。
この文章であんたらの考えが変わるとは思えない。「俺はがんばったのに」っていう不公平感があるだろうからしょうがない。
でも、駄目な奴を排除しようなんてのはもうやめよう。
けなして、無視して、そいつらを自殺や引き篭もりに追い込んだりするのは、もうやめよう。
彼らを認める方法ってのがあるはずだ。あんたらにも慈悲の心ってのはあるんだろ?
そういう大雑把な括りはよくない 面倒くさくても個別に対応しよう ホームレスは知能障害が多い アーティストは才能が大きい 単なる努力不足というジャンルもある いろいろだろ 面...
都会に生まれたってだけで恵まれやがって 男ってだけで恵まれやがって みたいなお前のルサンチマンしか見えなくて気持ち悪い 具体例挙げなきゃよかったのに