はてなキーワード: 夜郎自大とは
立憲民主党ageは好きにすればいいけど、さすがにこれはちょっとなあと思う
自分らを実像以上に大きく見積もりすぎてる、いくらなんでも恥ずかしくないんだろうか?
仮に今の候補が全員当選したって、枝野が政権取れるわけでもないんだぞ?
自分は別に自民党の何者でもないが、たぶん彼らからしたら枝野に感謝しなきゃいけないとこだろう
お前らみたいな逆張りしたいだけマンの票がどこぞのファシストに流れる方がずっと怖いんだから
せっかく個人のテレビ映りだけに依存しない流れができつつあって、それはとても意義があるんだし
ひとときの熱狂とかそういうんじゃなくて、地に足つけて息の長い組織に育てる、
そういう方向の盛り上げ方を模索した方がいいと思うんだが
「実は大したものではないこと(人)なのに、人々がそれを恐れるが故に怪物として扱われる(た)ような物(人)」を
・張子の虎→この言葉は虎側をあざげっていう言葉であるが、私が言う言葉はあざけりの意味を含まない。
・幽霊の正体見たり枯れ尾花→ニュアンスは大体あっている、もう少し短い言葉だったように思う。
・杞憂→これはこの怖がっている個人の問題であり、私が言う言葉はみんな怖がっているようなこと(人)に対して使う。
・蟷螂の斧→これは力のない者が頑張るという話なので違う。
・眠れる獅子→確かにしっくりするが、意味をググると実力を発揮していないという意味合いなので厳密には違う
・仏の顔も三度まで→これは腹を立てる立てないという話なので違う
・鶏鳴狗盗、羊頭狗肉→例としてブレーメンといってしまったが、その言葉に怪物側に騙そうという意図はない。
・竹箒も五百羅漢→これの神ではなく怪物バージョンであれば、意味はそのとおりなのだが。
・羹に懲りてあえ物を吹く→これは結果必要以上の用心をするという意味なので違う
・怪物→思えば単にこれでいいのかもしれないが…。ただ、(フランケンシュタインの)怪物とかにするとそれっぽい感じにはなる。
http://anond.hatelabo.jp/20160310211304
感情で言えば「死ね」は我が事であるがゆえの親愛と憎悪の罵倒です(思春期に「死ねクソババア」と思ったことのないものだけが石を投げなさい)。
こんな一般人なら普通に読み取れ読み飛ばす修辞(本筋はそこでないから)が、まるで自分に向けられているように感じてしまう夜郎自大ぶりをせめて恥じればいいのに。出来ないからしょうがないね。
本筋からは外れついでに言っとくと、「平和ボケ」とかわかりやすすぎなんだよ。
だいたい第2次世界大戦とかシリアとか「劇的な死」しか想定できず、もっと複雑で普通で長い時間がかかってめんどくさい老衰高血圧孤立痴呆要介護骨折床ずれ壊死感染症でまだ死ねないみたいな四苦を想像できないところも中学生レベルで残念。
親父が新聞記者でした(定年退職済)が、ネットへの嫌悪は「ここ数年の新入社員はずっとインターネットを見ているだけで仕事をせず、取材しようという気概もない」というところから生まれていて、「ネットはデマばかりで悪質だから」というネットの一側面を知ったものや、「新聞社の役割を侵害していくから」というある意味ネットを評価しているものではありませんでした。
新聞社がネットで言われるほどネットを敵視しているか、多少疑問を感じます。ネットの自意識過剰、夜郎自大のネット中心史観に陥っているきらいがあるのではと。もっとも、鬱陶しい小蝿ぐらいには思われているでしょうが。