はてなキーワード: 剣術とは
元記事 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0413&f=national_0413_005.shtml
ショーグン(江戸時代の日本の最高権力者)らしき人物が、襲いかかる悪人数十人を次々に斬り倒し、部下に殺害させた後、笑みを浮かべる――同シーンの演出については、日本のネット上では「吉宗強すぎwww」「剣術のリアルや日本刀の構造を無視している」などといった批判の声があがった。同番組は「レギュラー放送終了」という名目で事実上の打ち切りとなっている。
しかし、時代劇ドラマの行き過ぎた演出はこれだけではない。天下の副ショーグンが少数の部下だけで長期間全国を漫遊したり、地球滅亡レベルの巨大隕石が江戸期の東京郊外に落下するなど、なかなか想像を超えるものばかりだ。
解説員の鈴木千帆氏は「エンターテイメント性を追求するあまり、時代劇ドラマでは歴史事実の描写はすでに影も形もなくなってしまった。これは実に愚かな行為である。このような過剰演出が氾濫し、ますます幼稚化する傾向は、青少年に大きな悪影響を及ぼす」と指摘した。
代々Gアニメーション学院映画科の副教授は「芸術は生活から生まれ、生活を超越するものでなかればならない」と言うが、時代劇ドラマもこの真理に当てはまるのか。時代劇ドラマの内容には限度が必要ではないだろうか。タイムスリップして「仮面ライダー」というバイクに乗った現代ヒーローと江戸時代のショーグンが共闘するような行き過ぎた演出は、荒唐無稽であり、もてはやされるべきものではない。
話の流れとあんまり関係ないこと話すけど、
龍馬は子供の頃勉強ができなくて大きくなっても寝小便をしていて、
唯一剣術に才があったという話になっているが、
私見を述べると、「子供の頃勉強ができなくて大きくなっても寝小便をして」いたからこそ、その後スケールの大きな事業をすることが出来た、とかんがえられる。
というのは、子供の頃の勉強が出来るとか、いわゆる良い子であるということは、社会の記号性に取り込まれてしまっているということなんだ。
坂本龍馬はそういう意味では、動物性をより多く残したまま大人になったと言える。
ちなみに私は坂本龍馬は嫌いですね。
龍馬は子供の頃勉強ができなくて大きくなっても寝小便をしていて、
唯一剣術に才があったという話になっているが、
頭が悪くて剣術に秀でている人間がどうして剣術指南とかにならずに、
日本初の株式会社を作ったり薩長同盟を仲介したりしているんだ。
会社を作るような能力は必ずしも「勉強が得意」という属性とは関係ないだろう。
そもそも龍馬が「勉強ができない」っていうのは当時の塾的なとこでトラブル起こして通えなくなったっつー話の要約だ。
当時の塾ってのは漢学だから、漢学の素養では遅れをとってるかもしれないがそれはイコール馬鹿ってことではない。
むしろ漢学で遅れを取ったから別方面の知識の摂取へ突き動かしたとも言えるかもしれない。
銃を振り回したかどうかは怪しいもんだが
刀を抜かなかった理由ならある。
帯刀してなかったんだよ。
大学で教えていると(加来先生は奈良大学の先生だそうです)毎年必ず龍馬かぶれが一人くらいいるが、
みんな悲しいくらいにワンパターンで、
「先生、おれは今はバカですが将来はビッグになるかもしれませんよ」などと言う。
今日の次に明日があるんであって、今日バカな人間は明日もバカなのだから、
こつこつ積み重ねなければしょうがないと説くが伝わらない。
…ということで俺は歴史に疎いのでふんふんそうなんだという感じで聞いていたのだが、
これは全く同感だ。
昨日、加来耕三さんという歴史学者の講演を聞いた。
多分増田をみるような輩でその講演を聞いたのは俺くらいだと思う。
会場は老人ばっかりだった。
「歴史に学び、未来を読む」というのがその講演の題。ちょっと壮大な感じだが、内容はというと常識的に物事を考えることが大事だ、というすごく地に足のついた話だった。
歴史にロマンを求めるのは現実を無視することだとして、NHK大河ドラマを強烈にDisっていた(龍馬伝は80%嘘で、篤姫は200%嘘だとか。残念ながら平清盛への言及はなかった)。
一番笑ったのは龍馬への言及。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は昔の講談本だかなんだかを下敷きにしていて、あくまで創作なので「龍馬」ではなく「竜馬」表記にしているのだが多くの日本人はあれを本当だと思って誤解しているという。
話をばくっと要約すると、龍馬は子供の頃勉強ができなくて大きくなっても寝小便をしていて、唯一剣術に才があったという話になっているが、頭が悪くて剣術に秀でている人間がどうして剣術指南とかにならずに日本初の株式会社を作ったり薩長同盟を仲介したりしているんだ。人間はある日突然人が変わったように優秀になったり馬鹿になったりはしない、常識で考えれば龍馬は勉強が得意なタイプの人間だったと考えるべきだ。だいたい龍馬は暗殺されるとき左手に拳銃、右手に刀を持っていたが拳銃を打ち尽くして弾切れになったあと刀を抜かずに拳銃を振り回したと伝えられている。どうして剣術の達人が刀を抜かずに拳銃を振り回すんだ。というわけで巷で伝えられている龍馬のイメージは作られたものである。
大学で教えていると(加来先生は奈良大学の先生だそうです)毎年必ず龍馬かぶれが一人くらいいるが、みんな悲しいくらいにワンパターンで、「先生、おれは今はバカですが将来はビッグになるかもしれませんよ」などと言う。今日の次に明日があるんであって、今日バカな人間は明日もバカなのだからこつこつ積み重ねなければしょうがないと説くが伝わらない。坂本龍馬が大好きと言う人間は信用してはいけない。
…ということで俺は歴史に疎いのでふんふんそうなんだという感じで聞いていたのだが坂本龍馬に関する結論だけは以前からの俺の認識と一致していた。「坂本龍馬が好きだと言う人間は信用ならない」歴史にロマンを求めて現実を見ない人間である。そう、例えば孫正義みたいな。←結局これが言いたかった。
明確なのは五右衛門の剣術と斬鉄剣がともにハイスペックで、鋼鉄など硬いものでも斬ることが出来る、というだけ。
五右衛門でも斬れない物と言うのが作中にしょっちゅう登場するし、
理屈の上でも今後更に五右衛門に斬れない物はいくらでも登場し得る。
馬鹿の頓珍漢な例え話に親切に付き合ってるのがよくないんだろうけど。
本来ならば「なんの話を始めてるんだ馬鹿」で終わり。
人の話は全く読めないで変な方向にヒートアップするわ
突然はじめた例え話はまるで頓珍漢なうえ
ルパン三世単独の話としても知識が間違いだらけとくる。
「ボボボボ、ボクチンの大好きなダンゲロスにケチをつけたな!原作のことを講釈してやる!なんとかして言い返してやるう!!!」
程度の所だろうが
こんなレビューでも
波長の合う物好きの目をちょっと引くぐらいのことは有り得たのに、
極度に頭悪い原作信者がうんざりするツリーを生産してくれたおかげで全部台無しだ。
今更といわれそうですが、るろうに剣心にはまってしまいました。
だからこそ、続編を妄想してしまうのは30代後半の女性としては普通だと思うんです。
るろうにの舞台は明治の初期ですが、剣心の子供である剣路は「富国強兵」と向き合わなければいけないわけで。
と、すると妄想が広がるんですね。
剣路は両親の持つ剣術の才能は全く引き継いでいないかわりに、頭脳だけはずばぬけたものを持っているわけです。
そして父親と同じことを考え始めます。これからの時代、苦しんでいる人を救いたいというすべは何かと。
考えた末、当時、日本を侵略しようとする「列強」から人々を守るために、仕官候補生としての道を歩み始めるのですが
それが正しくないことを歴史が証明する前にすでに見破っていた父親に諭されるのですが、当然反発する剣路。
そして士官学校で教授として赴任していた斉藤一と出会い…(以下略)
なんていうか、すでに同人誌あたりで書きつくされているネタのような気がします。
それでも、和月さん本人が続編を書くのであれば、明治の青春グラフティーというよりは、富国強兵を経て世界大戦に突き進む
日本の影を剣路を通じて描いてほしいなと思いますが、たぶん読者からは暗すぎて受け入れられないだろうな。
猛禽ちゃんがモテるっていうのは
「わざとらしさがバレてないから」じゃなくて
「わざとらしかろうがベタかろうが積極的な方が成果が出る」っていうだけだよね。
でも女は男が馬鹿なんだって言いたがる。
その成果をねたんでる女でも真似したいとは思ってない。
なんでかって言うと猛禽ちゃんスタイルは
よほど適性があるかよほどメタ自意識が薄い人間でないとやるのがツラいから。
更に問題の核心を掘り下げると、
女が積極的に男に踏み込みたいって言う時に
御公儀から認知されていない、道に外れた邪剣もあるんだけど
それをやる時はよほど気をつけないと不気味なサセ子みたいになって行く。
というより周囲にそう扱われていく。認知されてない流派だから。
現状、女が恋愛や男に積極的に踏み込んで生きたいと思ったら
女も男も不気味でわざとらしいと思ってるあの猛禽ちゃんスタイルにならざるを得ない。
不幸なこと。
某県の某高校で,何年か前にフェンシング部に所属していた俺が,高校生活2.5年をかけて会得した技術を書いてみる。
というのも,あれからフェンシングに関わることなく過ごしてきたせいで,せっかく汗水流して会得した知識が,どんどん頭から消え去ってしまっているので,ひとまずここにまとめてみる。といっても別に大した成績もろくに残しちゃいないんだがね…。初心者とか現役フェンサーで初心者に毛の生えた程度の高校生が,ちょっと暇つぶしにでも読んでくれて,なおかつ参考にでもしてくれれば本望です。ちなみに,ルール改正前だから,振り込みとか,ばんばん使ってました。あと,用語は適当に使っていたので,細かいところは勘弁してくれ。ここではフルーレを主に解説して,オマケ程度にサーブルについても書いた。
短い(速い)ファントと,長い(遅い),伸びのあるファントね。前者は相手の反撃が期待される時,もしくはコントルアタックを予期した時など,わざと隙の小さいアタックをして相手の反撃を誘い,それから攻撃権を得て攻撃できるメリットがある。具体的にはピスト端に追い詰めての最初からコントルリポスト狙いのアタックなど。手数を用意した攻撃もこれの組み合わせがいいだろう。長いファントは隙が多すぎるので,あまり使わない方がいい。疲れるし。長いファントは,その伸びがメリットだが,初心者はただ遅くなりがちなことが多いからだ。闇雲に打つと疲労の原因になって自爆しちゃうから,相手より早く動けないうちは,相手を追い詰めて短いファントで仕留めよう。ただ,スピードが加算されてきたらこのファントは一発で仕留めるのに有効になる。振り込みと組み合わせてもいいし,ただ突くのもいい。オススメはオクターブ。これはガチで,カルトなんぞいくなら最初からオクターブ狙いでいった方がいい。フェンシングは相手の意表をつけ,というのが俺の師匠の言った言葉。まあ問題はその攻撃範囲にたどり着くまでなんだが…。
何が言いたいかというと,初心者は短いファントを主軸にしつつ,長いスパンでスピードのある長いファントをものにして,最後には使い分けようということ。
パラードはいつからか完全に払ってから攻撃するという習慣が身についてはいないだろうか?思い出して欲しい,攻撃権を得るためには,審判にわかるように相手の剣を払う動作(バッテ)をすればいいということを。相手の剣を音がするくらいの小さい力でちんと叩くだけでいいのだ。そのほうが隙も小さいし,動作も素早い。大きな振りがフェンシングでは致命的なのはお分かりと思う。あとパラードは攻撃が来てから,では遅いと思う。攻撃が来そうな時を把握して,来た瞬間に叩く位が調度いい。懐近くまで剣先が来てからでは遅いのだ。これからは来てから払うでなく,相手の攻撃に先行して攻撃権を取るように防御をして欲しい。ちなみにこの最小のパラードは時に振り込みの餌食となることがあるが,大きなパラードで防ぐのも,相手に付け入らせる隙を与えるようなものだ。これは後に書くコントルパラードで対処をするなどした方がいい。パラードで隙を作るな,である。
大多数の人が使うデフォルトのパラードはカルトパラードだと思う。したがってカルトパラードに対するフェイクと,そこからのアタックがまず最初に練習されると思う。つまりいかにデフォルトとしてのカルトパラードを崩すか,に焦点がおかれることが多い。つまり,デフォルトのパラードをちょっと変えてやるだけで,相手のいつもの技が通じない,という状態にでき,大きなアドバンテージを得ることができる。そこでおすすめするのがコントルパラードである。時計回りに回すアレである。あってたかな?まあとにかく,コントルパラードで全て引っ掛ける,単純ながら大きな効果のある防御をしよう。円の大きさは意外と大きくても隙が小さいので,オクターブに来たアタックでさえ引っ掛けることができる。しかもそれが攻撃権取得に有効であるから,万能である。見た目はカチャカチャ汚くなるが,キレイな防御をしろなどというルールはどこにもない。海外の選手を見てみればいい。
ここで話しているいくつかのテクニックは,相手と同等か,もしくはより早く動けることを前提としている。つまり相手のアタックを見極めて叩いたり,逃げながらコントルアタックができたりするのは少なくともその瞬間は相手より早く動けることが必要なのだ。相手の突進を受けるにも,スピードを変えながらフェイクをするにはこちらには余裕がなければできないことだ。だから,よく足を鍛えることをおすすめする。
コントルアタックは「逃げ」の行動として時にタブー的な指導を受けることがある。確かにフェンシングでは攻めの姿勢が重要視されることが多い。しかし,相手の意表をつく,という俺の勧める戦法で言えばコントルアタックは実に有効な攻撃の手段だ。それにコントルアタックが得意であれば,相手の攻撃の抑止力ともなりうる。コントルアタックはいくつか種類があるが,どれもコンスタントに使えるのがいい。まあそのシチュエーションに適したのがあるだろうが,同じ技は次は効かない,という心構えで繰り出そう。個人的におすすめなのは,相手が突進バカみたいなやつ(剣先を大きく外すなど,胴体ガラ空き君)に対して,突いてからすぐに引くやりかたである。名称は悪いけれどしらない。初心者だと,こういう追い詰め型に苦戦することがあると思うが,このコントルさえマスターしていれば怖くはない。特に日本ではコントルアタックタブーな風潮から,相手の意表をうまくつく有効な技として活躍すると思う。概して初心者のフェンシングでは変な攻撃パターンに苦戦しがちであるが,それぞれの攻撃法に対する,攻略法を学ぶことも大切である。柔軟な戦法も大事だが,こういう奴にはこの型のコントル,こういうヤツにはひたすら攻める,などお決まりの対処をするのも,下らない戦法に苦戦してぐずぐずするよりは何倍もいい。
つまり,カルトフェイントからオクターブ,シクストフェイント(振り込み)からセプティムへなど,上半身へのフェイントから下半身に深く突き込む戦術で,相手の意表をつくという点で有効である。下を突くのは必ずしも長いファントである必要はなく,フェイントをうまく使えば短いファントで十分に脇腹を突ける。ただ,攻撃後はすぐ戻るか,そのままもつれ込む形にするなど,失敗した時の対処も考えておくのがいい。ちなみにこのフェイントの回数は1回にとどめておくのが言いだろう。2回なんて器用なことできやしない。
先程解説した,相手の突進に対処するやり方である。あいてのプレパラーションにびびってただ下がれば,当然ピストの端に追い詰められ,仕留められるのがおちだ。なので,下がるときにも相手の剣をバッテする,ボディフェイントで相手をビビらせる,コントルアタック(突き逃げ・ダッキングなど織りまぜて)をするなど,単純に逃げるのはお勧めできない。そこに戦術・戦略があれば別であるが,下がって下がってリポスト,というのはあまりにも攻撃権がないターンで無力すぎる。ただ,相手のファントの伸びやスピードがある場合,相手の攻撃範囲に入らないように注意すべきだ。あえて入り,攻撃を誘うにしても,こちらの動きが相手より速い必要がある。下がってリポストなりしなきゃならないからね。だから,さきほど言ったように相手よりスピードの面で上回っている事が重要なのだ。
これは攻撃の戦術で,プレパラーションやフェイントの動きと,二番目のアタックの動きを変えることである。縦というのは,剣先を大きく動かすプレパラーションや,クーペのフェイントのことであり,横はというのは剣先をくるくるとしたり,小さな動きのプレパラーションや,デガジェのフェイントのことである。この,異なる動きの組み合わせが相手の意表をつき,うまくアタックが決まることが多い。大きく動いてあまり見えなかった剣が急に小さなフェイントを繰り出す,もしくは頻繁な小さなフェイントをしていた剣先が急に姿を消す,というのはされる側にとっては嫌なものだ。この原則を覚えて,実践で試してみて欲しい。
単純な技。ステップを使いながら攻め,ピスト端近くに追いつめたところで,相手に攻撃をするぞ!と二歩迫る仕草をして一歩下がるのを2回繰り返す。相手は2回目くらいでこないのか…?と思うので,3回目で攻撃をする。コツは2回のフェイントでは力を入れていかにも攻撃をする姿勢をつくり,3回目は急にスピードを落とすなりして,あきらかに戦意をなくしたフリをしつつ迫ることだ。そうすると3回目に相手は誘われて単純にアタックをすることがあり,そこに合わて突いてやるだけでいい。なぜなら攻撃権がこちら側にあるからである。
これも一つの技的なもの。ピストの端に追い詰める前にファントをうつ。あーあ届かなかった…的な感じでルミーズしつつ,そのままの姿勢でフレッシュに持っていくと相手の意表を突ける。
気持ちで勝った方が試合にも勝つ。お願いします!と声を出し,相手の目を真っ直ぐに見る。
個人的にはビスコンチがオススメ。振り込みしやすいし,手首が自由に動く分接近戦で有利。
プレパラーションや,普段の姿勢は常に動くようにする。剣道より動きに幅のある分,相手に動きを読まれないように心がけたい。コツはステップをふみつつ剣先も揺らしておくこと。攻撃に入る瞬間をフェイントでごまかすようにするとよい。
これまでちょこちょこ解説してきた意表をつくこと。つまりトリッキーな動きや戦略を積極的に用いよう。フェンシングはリポストやファントを100回練習したところで試合に勝ち進めるとは限らない。それよりもルールを熟知し,技を考え出し,トリッキーに振舞う,頭を使う方が有効なことが多い。特に高校生から始めたフェンサーは技術的に経験者より劣るところが大きいので,人がやらないようなことを積極的にとりいれつつ,相手と同じ土俵で戦わない戦法をするのがいいと思う。ファントの速いやつにファントで挑んでも負けるのがオチなのは明白だよね。あと相手にあわせて戦法を変えるのも重要。リーチの長い相手に遠くからちょこちょこやってもうまくいかないだろう。特に背の高い相手に対しては剣先をいつもより高めにして上をカバーし,ステップを多めに使って懐に飛び込むのが有効だったと思う。
いくら形の練習をしたりルールの勉強をしたところで,実際に試合で勝たなければ意味がない。古来の剣術においても,試合で使われる複雑な技よりも,単純で気迫のある攻撃のほうが意外と有効であったりしたらしい。技に溺れず,本当に役に立つ技を磨き,試合で十分に扱えるようにならなければ意味がない。あと本番では練習の8割とかそれくらいの実力しか出せないなどと言われるが,そのギャップを埋めるためにも練習試合はどんどんやるべきである。試合でしか分からないこともあるだろうし,試合の中で編み出される技術というものもある。試合においては練習でしたこと以上の挑戦は控えるべきという人もいるが,本番試合は最も経験値を稼げるいい機会だ。余裕があるなら色々試してみるのもいいだろう。
サーブルはやったけど,特に活躍できなかったので一つだけ。サーブルは「切れる」競技だけど,実際突く方が早いので,手首とか顔面を突くのが相手の意表をついて良いだろう。
加速する休刊ラッシュ 男性向けファッション誌は絶滅寸前の珍獣?
ttp://blog.livedoor.jp/tabbata/archives/50671047.html
新撰組を見てからというのも、ずっと、この「これは、もう刀の時代じゃないな」と内発的に確信する瞬間というのが、当時の武士たち一人ひとりの間で、いつ、どのように訪れたのか?問題がボンヤリと頭の片隅に居座り続けている。
例えば、坂本竜馬は北辰一刀流で免許皆伝まで修行したのに、さっさと刀に見切りをつけ、拳銃を携行していたようだ。この割り切りのよさは何故だろう?それに引き換え、近藤勇は?という問題だ。
言い換えれば、さっさと剣術に見切りをつけた武士と、見切りをつけられなかった武士との間を分かつものは、何だったのだろうか。
タイムスリップが発生するならなんでも起こりうる。
いつファンタジー世界に迷い込むとも知れないので剣術を学ぶべきだし、
未来に行く可能性があるので、科学技術を学んでおくべきかもしれない。
未来が北斗の拳のような世界だったら、まずは生き残る方法を学ぶ必要がある。
ナウシカみたいなところにいったときのために世界に溢れているであろう毒素に慣らしておくべきかも。
それよりも数千倍から数万倍(無限倍?)発生する確率の高い事象に備えたほうがよい。
交通事故への備えは万全か。
もっと発生確率の高いものとして離婚や離職への対策は取られているのか。
発生する確率の高いものについて、まずはできることを行ったほうがよい。