ねえ、なんでそんなよう知っとるん?実は好きなんじゃろ?そうゆうの。かくさんでもええよ?
うん、いいよ。おじさん選抜をつくった。
内容的に私には分からないことだらけで、
いなくても良かったじゃーん。
何で呼ぶんだよ。
工夫して、少しでもこの地黒フェイスを
白く見せようとがんばってたのに。
一回やり直して仕上げたんだぞー。
思い思いに喋ってるだけ。
え、実務面では私が責任者の次に貢献してたよねぇ?!
会議後のがっかり→やけ食いコースも想定してたので、終わってイライラしてたけど
冷蔵庫に突進せず、丸亀製麺に飛び込んだよね。(外でやけ食いは恥ずかしいので)
ぼーっと会議の流れを聞いてるだけ。
時給もらう分、別の切り口から、私の
されねーな…
結局何が決まったのか怪しいまま終了。
大丈夫かよ…
もちろん、いいなと思う人とのからみなし、
能力に軽く白目。
内輪の雑談に私ら入れないでくれる?
情けない。
もう二度と呼ばんでくれ!
最近増田が腐のお気持ち表明板になっててマジでウゼえんだが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!うんちトラバおじさん、今日も女のクソ長文おじさん、全然対応追い付いてないよ!?!??!?
正解不正解が得意なら、質問する人間はそのことを質問されたい、と考えとくとやりやすい。ダイエット?と聞かれたら、その聞いてきた人はダイエットに悩んでるか、あるいいいダイエット法を教えて悦に入りたいのかもしれない。
てある?
「縛り付けた覚えなどないな。彼らは力で支配されることを望んだのだ」
「いや、違う。被害者でいるほうが楽なのだ。弱者だから不平を言うのではない。不満をこぼしたいからこそ弱者の立場に身を置くのだ。彼らは望んで『弱者』になるのだよ」
・中年になるまでなんとかテンプレ会話のサンプル数を増やし、中高年の諦観でもってフツー人を装う(←あ、これワイですわ)
※まあなんにせよいちばんええのは気にせんことやけどね!
聞かれてることに答える、私はこれができない。
例をふたつあげよう。
「・・・ポリポリうるさいですよね、ごめんなさい」
その状況をどうにかしたくて、さらに支離滅裂なことを話してギクシャク。地獄。
解説をいれられるならこうだ。
(ダイエット確かにしてるけど、してると言っていいほどしてない)
(確かに最近おやつもゼリーとかにしてたしダイエットしてる私に気を…)
(あっ食べてる音がうるさいんだ!やってしまった!)
「・・・ポリポリうるさいですよね、ごめんなさい」
これ数秒後に後悔してる。けど時すでに遅し。
とにかく、もう一つ例を。
「何色が好き?」
「あーーー、えっと、青、以外、いや、白とか赤が好きです!」
何色?って聞かれてんだろうが!って思う。答えた張本人、すぐにそう思ったけど時すでに遅し。またまたギクシャク。
どうか解説をさせてほしい。
「何色が好き?」
(白が好き!)
(本当に?白って答えたら印象がいいとか思って選んでない?)
(持ち物は黒が多いよね)
(赤も結構多いよ)
(白って答えて純情そうって思われるのもなんかヤダ)
(そもそも好きな色なんてなんでもよくない?)
(とりあえず青以外好きじゃん)
(白!)(いや赤だって)
「あーーー、えっと、青、以外、いや、白とか赤が好きです!」
声に出してないけど出したつもりでいるかのような返答ぶり。これこそが私のキャッチボールができない原因。気づけていないだけで、四六時中こうなのかもしれない…なんて考えると言葉を発すること自体が怖くなる。
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0.1秒後に押し寄せる後悔、そして始まる脳内反省会。この間にも会話は進んでいる。見事に集中できずにまた失敗する。そして始まる脳内会議。エンドレス悪循環。
例であげた話は、どちらも何気ない、答えで何かが左右されることもない問いかけだった。
適当に「そうなんですよ!やったー!」とか「白が好きです!」とか答えていれば良かった。
私のことに興味があって話しかけてくる人なんていない。なんなら面倒だけど話しておかなきゃいけない義務で無理やり話しかけてくれる。だから適当に、そして早く会話が終わるように努めろ私。わかったな!
って何回も言い聞かせても、ボールを投げかえせないでいる。辛い。
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接客が好きで、お客さんとの会話は上手く、そして楽しくできていた。
高校までは死ぬほどコミュ障だったけど、たくさんの接客系アルバイトで克服したと喜んでたのに社会にでた途端これ。
どうやらマニュアルがあれば、正解不正解に支配されてる頭の私は上手くやれるらしい。
私自身についての正解がないから、会話の間に正解を探して頭の中で会議をしてしまうのかもしれない。
それぞれの正しさを持つたくさんの私が、正しい私にしようとしている。
そうだとしたら、私は私のことが分からないという漠然とした悩みにも納得できる。
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私は誰なのか。っていう答えのない自問を昔からずっとしてる。
何が正しいのか分からなくて、最終的に私の話し方や笑い方も忘れて、私でいることが怖くなり、人を避けて生活してる時期もあった。
そんな時でもアルバイトが楽しかったのは、私の在るべき正解があったからだったんだろう。
最近気づいた。
他にも、考え方は日々変わりゆくものなのに、「この私は私じゃない」と変わった私を否定する私にも苦しめられる。
正解なんてないのに、こんなことに振り回されてるなんて厨二かよ、、とも思うんですけど、それが正にはなってくれない。
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この「好き」という感情は私自身のものだろうか。世間で流行ってるから好いているような気がしているんじゃないか。もしくは好いていれば何かで有利になるとか、そういう利害的な思考の末路なんじゃないか。
とりあえず、私はとてつもなく捻くれていて、自己否定的で、面倒な性格をしているということだけは分かる。こんな私と私は生きていくしかないから、適度に悩みながら適当に生きていこうと思う。
嘘です、適当に生きていけるようになることが夢です。
みなさんもどうか、そつなく適当に生きてってください。