医療が発達し、手術や治療の痛みを共有して和らげる事が出来るようになった。
麻酔アレルギーや抵抗力の低い子供や妊婦、老人に適用され、麻酔を全く使わない手術が可能になったそんな時代。
ただし、痛みを和らげるには最低でも3人の「痛覚ボランティア」が必要。
あなたならやる?
だったりだったりで喋る話し方が鼻に付くようになってしまった。
「〜であったり」という意味だから何ら問題はなく、完全にこちら側の問題ではある。偉そうに喋る(と感じられる)人がよく使っていたために、気になるようになったんだと思う。普通に「〜とか」じゃだめなのかと。
(申し訳ないとは思いつついちゃもんレベルでこういうのいっぱい抱えてしまうタイプ)
土俵っていうのは比喩なので、女性が上がることを禁じられて炎上するような土俵のことではないんですが、枠組みとかジャンルとか、プラットフォームとか、会社とかそういうのです。
昔はネットなんかなかったから、一次ソースに触れる機会なんてなくて、せいぜい自分の半径5kmとかそいいうなかで自分のスキルを比較していればよかった。
でも今は全国、ましてや全世界に自分の何かを図るものさしがあるので、そいうい規模で見たら自分を肯定的に評価するのが難しくなってくる。
なんでコミュニティにおける評価軸のようなものを持っていることが大事(超ざっくり)、のようなことを言っていて、
「ハァフゥーーンなるほどほどなるわかり味がある。なんせ文も平易なので俺のような人にもわかりやすい」と感嘆していたのですが、それを切に実感している。
ツイッタ初めて中頃から感じてたSNSへの不信というのはまさにこれであったのだと。
なんか評価し合う人たちがいて、まさに彼らはコミュニティに軸足を立てて評価される場を作っていたのだと実感した。
で、微妙に居心地が悪くなったりして辞めたり再開したりのメンヘラムーブをしていた。
勝てない土俵っていうのはこれのことで、ツイッターなんかは技術者にとって、半分インフラに足をつっこみかけてるのでたちが悪い。
勝つムーブというのがあり、たぶん大手広告代理店とかインフルエンサー斡旋してる会社なんかはそいうの研究してやってるんだろうなと。
でそれに憧れたアホは勝手にそのムーブをするので画一的なものになっていくのはわかりきっている。勝ち続けるにはそういうのを追ってく必要がある。
アホくさ・・
ショートヘアの写真見たくて絞り込み検索してるのに肩につくボブヘアばっかり表示するなよ。ベリーショートの写真見たくて絞り込み検索してるのに長めのショートヘアばっかり表示するなよ。
避妊のことなど考えず、子供が出来ても教育のことなど考えず、なるようになるさと生きればいい。
金がなければ借金し、国債バンバン発行し、返すことなど気にするな、いざとなったら踏み倒せ。
案外なんとかなるもんさ、どうにもならなきゃそれまでさ。
殺そうとしてきた親をあなたは許せた?
自分は、その当時からずっと変わらない身勝手で自己中心的な親が許せない。
自分の記憶ははっきり蘇ったけど、親は何事もなかったように接してくる。
本当に気持ち悪い。
他には?