英語圏の商業メディアでさえ「The vivo NEX」と書いて小文字でvivoにしているのに、日本の商業メディアはVivo NEXと書いている。
スマートフォンの正式名称を勝手に変えてしまうのはいかがなものだろうか。
個人ブログならどうでもいい。商業メディアに工夫して「正式名称で書くこと」を求めるのは間違っているのだろうか。
腑に落ちない。
どうさいきょうなのか、八百万パワーで詳しくかけ!
「君って普通だね」と言われて嬉しい人は少ないだろうけれど、「君って普通じゃないね」と言われて嬉しい人もまた少ないんじゃないだろうか。
大学進学のために上京してから悩まされていた不眠症。無計画が引き起こす学期末のレポート地獄。いつまでたっても片付かない部屋。ストロングゼロと煙草。
僕は地元の田舎では周りのやつらのようなガリ勉をせずともそれなりに勉強ができた。やる必要がないと思う提出物は出さなかったし、学校もサボりがちだったから高校の成績は悪かったけれど、大学受験では苦労せず希望の大学に合格した。今思えば僕は周りとは勉強の方法が少し違っていた(周りが1ヶ月かけてする試験対策を3日徹夜すればできた)。でもそれはむしろ僕自身の美点のように感じていた。もしかすると、時間をかけて勉強した結果僕より点数の悪い同級生をバカにしていた節さえあるかもしれない。と同時に、コツコツとした努力のできない自分自身を恥じてもいた。
それが、大学に行ってみたらどうだ。確かにガリ勉で努力をして入ってきたやつも大勢いる。でも僕みたいな一夜漬けを少し大掛かりにしたような受験勉強で大学にきているやつもたくさんいるじゃないか。それでもいいんだな。
大学3年間。将来の目標に向かって努力をするやつらをとにかく視界に入れないようにして、遊んで暮らした。レポートも学部2、3年までのレベルのものは一夜漬けとその応用みたいなやり方でなんとかなる(なんとかならないものは、それを察知した瞬間に取り組むことを放棄する)。試験が重そうな理系や法学部に行かず、文学部に進んで本当によかったと思っていた。
ところがどっこい、僕を待ち受けていた卒論は、そうはいかなかったのだ。いや、適当に済まそうと思えば、ギリギリ通る具合のものを提出して卒業できたようにも思う。ただ僕は変なところで完璧主義なのだ。テーマ設定のまずさと彼女との仲がこじれたこととそもそも外国語の読解が不得手であったことやらで、去年の12月に全てを投げ出し、引きこもり、学生証に留年シールを貼り、今に至るのである。
去年の冬から部屋に引きこもりがちになった僕を心配した研究室の教授に勧められて訪れた保健センター。大学にこんな施設があったとは、4年間通った大学だが知らなかった。診察室に待ち構えていたのは柔和な表情をした丸眼鏡の精神科医。質問票に答えたり、テストを受けたりと何回か通った後に医者が発した「ADHDですね」という言葉。
そんなことってあるだろうか。23歳にもなって。僕以外の人はもっと楽に生きているってわけか。自分が発達障害ということに気づきたくなかった。
「君って普通だね」と言われて嬉しい人は少ないだろうけれど、「君って普通じゃないね」と言われて嬉しい人もまた少ないんじゃないだろうか。僕は普通がよかったのに。
当時5、60歳だとしたらいま8、90歳ぐらいになるので亡くなっているか引退している
ここ半年くらいなんだけど、夕食食べた後あまりに寝落ちする確率が多すぎてやばい
どれくらいかっていうと、夕食食べる→10分くらいテレビ見るorスマホ見るorゲームする→寝落ちってくらい早い
頻度としては平日の半分くらいこんな感じ
夕食食べて歯磨きと風呂にすぐ入る!ってのが理想なんだけど大抵眠くて体動かなくて眠気の誘惑に負けるか、考える間も無く寝落ちてるかなんだよな……
・歯磨きできない
・夕食前に入らなかった場合風呂に入りそびれる(大抵朝に慌てて入る)
・変なところで寝てるので腰が痛くなる
ムショに入ったことは?