ってことは痴漢被害者の属性を持ちながら冤罪対策で女を叩くな!鉄道会社と警察のせいだから○○しろ!って吹き上がる女性は引きこもっているのに痴漢被害を…!?
これで良いのだろうか。
「生き方」なんていうと大げさに聞こえるけど、これから生活していくなかで必ず一度は考えなきゃいけない(し、考えていきたい)テーマだと思う。
その「生き方」に思いをはせるとき、私は「これで良いの?」と自問するようになった。いつからか。
ここでいう「生き方」は、これからの仕事や家族との生活、お金のやりくり…とかではなくて、
もっと幅広く、かつ抽象的な問題―つまり「人生に対する姿勢」とでもいえばいいのか―そういう部分のことを指している。
で、私の基本的な「姿勢」(と呼べるほど立派じゃないけど)は、「自分の好きな物をとことん大切にする」「勉強や仕事を頑張りつつ、趣味の時間を持つ」こと。
好きな物が多い人生は救いの多い人生、だから趣味は絶対おろそかにしないで生きよう!と思っていた。
だけど、最近はそういう「趣味人」としてやっていくことにすごく疑問を感じるようになった。
なぜだろう、好きな物(ロックバンド、カフェ巡り、ジャニーズ、美術館巡りetc)に熱中している自分を冷めた目でみるようになった。
「いつまでもそんなことやってて楽しいの?」「あんたの人生の中心ってソレなの?」と問いかけるようになってしまった。
なんだようるさいな、私は純粋に楽しいことやりたいだけなのに。ちゃんと学校行って勉強やってるんだからいいじゃん。そう主張する自分がいる一方で、
やっぱりそうだよね、こんな生活やめてえよ、という自分もいる。
なぜやめたいのか?それは、自分があまりにも長い時間と体力を、趣味に費やしているから。
しかもその趣味っていうのの大体が、受動的なものばかり。何か練習して、結果を出すとか、達成感を得るとか一切なし。
ただ対象物を愛でて「はあ…」と感嘆の溜息をついて、終了!
よく、趣味を思いっきりやった後は「よーし、また明日から頑張るぞ!」って気持ちが奮い立つなんていう人いるけど、
私にはそれが全くない。「はあ…」で終了。頑張るぞのガの字も出てこない。むしろひどく疲れて、虚無感すらおぼえる。
これも、「こんな生活やめてえよ」の一因となっている。
何かもっと視野の広がるようなことをやりたい。何か、もうちょっとためになるようなことをやりたい。
なんて言ってる癖に、趣味はやめられずにいる。何も行動できずにいる。
痴漢についてこうすればよい、ああすればよいって意見の99割は現実を見たことないやろって意見だからな。
引きこもり説はまず間違いないだろう
常に同じポジションでもアベ連呼とかミソジニーミサンドリーとかみたいに個人識別されると即(それぞれの)ゴミ箱行きにされるのが
「ネットユーザーは『馬鹿な子供』なのではなく、『馬鹿な大人』である」ということが問題なのだ、と最近気づきつつある
もしネットユーザーが馬鹿な子供であるならば、学習により改善する余地がある
しかし、ネットユーザーが馬鹿な大人であるならば、永遠に改善する余地がない
なぜなら、少なくとも日本においては、馬鹿な大人はいまさら頭が良くなっても何の得もないからだ
野生のパンティーは驚きとまどっている。
私も最近そう思う。
代理店とマスコミがあんだけ儲かるのわかるね。勉強しないと、少なくともこういうネットの平均的な言論レベルは超えられないって事だよ。
「逮捕した警察官の所属する警察署にクレーム電話をしよう!」という流れ
これは実に恐ろしいことだ。
これが叶って釈放されてしまえば、
グループ痴漢を行うメンバーは協力して自由に活動ができるようになる。
集団痴漢といえば某部活動のメンバーが女性一人を取り囲み周りから見えないようにして車内レイプした事件が有名ですが、
だって一度の乗車でたった2、300円しか払ってないんでしょ?
それも大体は会社が払ってくれるのに?
それなのに鉄道会社は糞だとか平気で言うんだもんな。