70が稀な時代の人が老後とか考えるんだろうか
この考え方自体が後付の歪な思想だよ。それなら子供が孫なんて作らないで、全てのリソースを親である自分に注いでくれるのが老人にとっての理想のはず。
子供が自分に得をもたらしてくれるからじゃなくて、子孫が増えて行くことそのものが最大の得だから子供を作るんだよ。
できないよ。生まれに合わせてないじゃん。
理屈もそうだけど、経験的に考えてくれ。生活水準を上げる努力はしないけど、下がるのは嫌、くらいが普通の人だと思わないかい?
ちゃうねん。ワテが言いたいのはまだ実験状態のLETに飛びつく人達は確実に騙されてるやろってことや。
そりゃ記事を書くために色んなモバイル機器を契約してるライターとかならわかるけど殆どの人間は急いでLTEに飛びつく必要ないでしょ。
家に金がないのはまだいい。
マジで最低なのが親に知性の欠片もないことだ。
俺が子供の頃、家にはまともな本なんて一冊もなかった。
そんな環境で育ったことを、いま俺の周りにいる人たちは全く理解できない様子だ。
這い上がるのに20年はかかった。親に知性がないという一点で、数十年から一生分の時間はゆうにロスする。
中高生の頃の俺なんてひどいもんだった。
学校の数学じゃ全く物足りず、右も左も分からぬまま本屋を彷徨っていた。
親は俺が中学生の頃には既に俺の話を全く理解できなくなっていた。
よくない本をよくない順番で読み漁っていた。本当はもっと適切なルートがあった。
学校の数学教師や物理教師も、今思えばずいぶん理解の浅い人たちで(社会人になってからはまるで勉強してないんだろうなという感じだった)、肝心なことは全然教えてくれなかった。
GuriGura 『『こ』『れ』『は』『ブ』『ク』『マ』『し』『て』『お』『か』『な』『い』『と』』 2012/09/22
masapguin ことば かぎか「っこに特」別な意味があ「るとおもってるひ」との文「を読」むとき「は特別な意」味がある「んだ」なーと察し「て読めばい」いだけ「」「のは「な「し」で「は 2012/09/22
この話題の基本的な議論は「カギ括弧でくくられたタームや或いはセンテンスと、外された地のママのそれとに意味の違いがあるのか?」というものである。であるからして、隅付き括弧や二重カギ括弧などの、括弧自体の使い分けや、その括弧の用法は問題とされていない。
しかし、議論の発端に遡れば、「カギ括弧を使ったんだからそこの意味に違いがあるんだから汲み取れよ」というような類である。ずいぶん発端とは別なところで話題が盛り上がっているようであり、ツイートした本人はさぞ居心地の悪い思いをしているのではないだろうか。
ところで、上に引用したふたつのツイートはどのように曲解するとあのようなブコメになるのだろうか。単なるネタとしても成立していないし、無知を晒して省みることのない、
ブコメの恥は書き捨て
といったところだろうか。
こういった記号のところは非常に多様であり、私はそういった差異を奥ゆかしく思ったりするのだが、それを強制されると溜まったものではない。プログラムよろしく、本人のツイートには常にコメントで注釈を書き加えるべきだろう。さながら、『なんとなく、クリスタル』のような。
たとえば、読点にしても、使い方が独特なケースもある。かなり多い例なので特段取り上げることはしないが、読点をしつこく繰り返すことで、独特の語調が生まれたり、ダッシュ記号に相当するものとして使われているだろうものもあり、実に面白い。
シビアになったって言っても、根本的な問題は「子供を産むと損をする」からであって、こんなのは歴史的に見て極めて稀なことなわけじゃん?
稀というけど、教育と情報化が行き届いて余計な知恵と情緒をつけて、子孫繁栄以外のものを幸福として追い求めるようになった結果必然的にそうなったんじゃないの?
子孫繁栄こそが最大の幸福、最大の"得"であるうちは、「子供を産むと損をする」という状況はありえないわけだから。
妥協できないっつっても妥協は0か1かじゃないんだよ。教育と情報化によって妥協の下限が引き上げられて、妥協できなくなった。
要するに損得の判断がシビアになったってこと。
「損をするのが嫌」と「妥協できない」は同じだよ。
自分のリソースを親に割くのには不満があるし、子供のリソースを自分に割かせるのはかわいそうだ
って考えが一般的になったから
学童を働かせることもできない、将来面倒を見てもらうことも当てにできない
って状況になる。
「増田11人説」の全貌が明らかになってきた!
ちなみに
http://anond.hatelabo.jp/20101105222313
↑これは俺だ。
「側面」という便利な言葉がある。
という思いから女性としての自覚がスタートするって言う人もいるからね。
引用されてる文章を書いたのは俺じゃないからその具体的基準については知らない。
「泥の様に10年」でしたっけ?w
とか思いながらどっぷり寝込んだ。1月ぶりによく寝たせいか、すっきりしているけど頭が痛い。(変な話だ)
39度近い高熱で動けなくなって、ようやく休みが貰えた。
考えが甘すぎたと思う。というか社会に期待し過ぎていたのかもしれない。
入社して1年半。糞大学も糞なりにトップで卒業した。プログラミングは楽しかった。勉強は勉強という感じがしない。
実戦で通用しないのはわかっていた。だからこそ学べることに期待した。
地方にとどまったのが間違えだったのかもしれない。
とんでもなくネストの深いループや分岐(クラス使えや。せめてメソッドに分けろや)
ソース内にある変更履歴(え、バージョン管理使ってますよね?)
意味不明な継承関係の社内ライブラリ(そもそもクラスをまともに使っていないし論外)
業務アプリを作るのだ。厳密さが求められ、仕様変更が常にあると聞いていた(そして実際常にあった)この世界であり得ない状態だった。
そしてこれが評価されている(どうも一番優秀な人が書いたコードらしい)
何より驚いたのは、彼らの無勉強さだった。
常に2件が燃え上がっている状況になっても、彼らはまだ気づかない。
驚いたのは、技術の重要性を認識していたのが営業部長だということだ。(本当に出来る人だし、見える人には見えるという事なのかもしれない)
「プライベートで学んで転職を」と思ったが、そもそも睡眠時間を確保するのもやっとなのに、そんな事できる訳もなかった。
もうこの世界は降りた方がいいのかもしれない。
独学でも好きなプログラムは作れる。残業代も出ないのだから、時給800円のフリーターの方が収益が良いくらいなのだ。
社長のご立派な会議の議題はiphone5が発売になることだった。
自社の強みを生かしながらスマートフォンアプリにも対応していくのが我が社のやり方だそうだ。
この業界は上位5%以外は不要だ。残りの95%は職を失うが、どうせ過半数は10年持たない。
泥の様に働く方も、働かせる方も、もう10年も持たないと、本当にそう思う。