はてなキーワード: 灯油とは
よくわからないなぁ。俺は今家事全部終わってメシ食って大絶賛ヒマなんですけども。
スーパー、八百屋、魚屋、肉屋、それに夜の半額札狙いは当然ですよね。カネないし。
例えば今日買ってきたのは、ほうれん草(60円)、大根(90円)、白菜1/4(40円)ひき肉(100g58円)、牛乳(150円)だけど。
これに昨夜半額で買ったブリのアラがあるから、ブリ大根に白菜のじゃこ炒め、ほうれん草のチーズ焼き、大根の味噌汁、
みたいなメニューにしようかと思ってたとこです。今年はブリが安くていいですね。ただ、サケは高い。そろそろサケ食いたいんですけど。
せめて鮭のアラでもないかなーと探してるんですが、あっても法外なお値段でとても手が出ません。
スーパーも八百屋も九時から開いてるし、自転車で店4軒回っても正直一時間以上かかるとは思えない。
そもそもわかんないんですよ。主婦ってことは、5時には起きてますよね。俺のサラリーマン時代も出勤は6時でしたし。
彼女にちゃんとした弁当を持たそうと思うと、必然的にそういう時間になります。すると、買出しに行くまでに3時間は必ずあるわけで。
この三時間で、普通なら家事くらい全部終わると思うんですよ。僕は既にブリまで煮終わりました。
常備菜は色々ありますが、肉そぼろ、冷凍のおひたし(アクのない葉物野菜は解凍すれば食えるから便利ですよね)
それに最近は大体かぼちゃの煮つけがあります。ああ、そういえば彼女の実家から送られて来た筋子もイクラにしてあるな。
ついでに、大豆も煮てあります。本当は発芽させて食った方が栄養あってウマイんですが、この季節は時間かかるんで煮ただけ。
コメに放り込んでもいいし、適当に味付けしてやってもいい。大豆のチリコンカンだって作れますしね。
そろそろコタツも出すので納豆も仕込めます。それから、生姜の砂糖漬けを干した生姜糖もありますね。彼女の冷え性対策と、
今日は布団も干しました。それからシンクを磨き上げて風呂洗って、ストーブを出して来て灯油を入れて
夏の間に積もった埃を掃除しました。洗濯も終わったし、掃除機もかけた。ついでに観葉植物の手入れもしました。
正直、たかがこれっぽっちの作業量が「昼までに終わらない」ってのはわからないです。
昼までどころか10時までに全部終わりますよ、ちょっと急げば。
引火性液体は、ジエチルエーテル、二硫化炭素、ガソリン、アセトン、エチルアルコール
メチルアルコール、灯油、軽油、重油、ギアー油、動植物油以外はほとんど出ない。
4類の蒸気は全て空気より重い。なので、どの液体が出ても「空気より軽い」という選択肢は誤り。
水に溶け難い液体は全て静電気を発生する。
二硫化炭素:蒸気は毒性があり、水に溶けず水より重いので水没貯蔵
ジエチルエーテル;水溶性ではないが、水に少し溶ける。麻酔性あり。日光にさらしたり大気中に放置すると過酸化物を発生し危険。
泡系、粉末系、二酸化炭素、ハロゲンの消火は有効。水および棒状の消化剤注入は危険。
ただし、水溶性液体(アセトン、アルコール)の消火は水溶性液体用の消化剤が必要で、これはよく出る。
あと、引火点と発火点の違いを良く理解すること。
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110328k0000m040050000c.html
物資届けて空になったトラックの荷台に人間を載せて帰ってもいいことにしてほしいところだ(現行法では道路交通法違反)。
あと、なんで関東キー局発の放送には西日本はほぼ全域で被災民の受け入れの準備をしているということが全くと言っていいほど放送されてないんだ? もしかして東北には届いてない情報なのか?
関西は関西広域首長連合かなんか(ようするに、橋本大阪府知事を筆頭にした関西の知事の会)で受け入れを表明してるし、沖縄なんて何万人か受け入れるとか表明してるだろ。
沖縄に行くだけで、寒い思いをしてるヒトに必要な灯油にかかるコストがほぼゼロになるんだぜ? 泡盛だって、慣れれば口に合うだろ。
なのに、TV放送では被災したおばあさんが『迷惑がかかるから』と、疎開や避難を拒否していた。
言いにくいんだが、言ったほうがいいと思うのであえて言う。
体重50キロの人間を1人「被災地で」養うコストより、60キロの人間を1人「西日本の疎開地で」養うほうがよっぽどコストが低くて迷惑がかからないんだと、ということを東北民はご老人や子供を持たれた方に説得してあげてほしい。
なあ、被災地にモノを運び込むのも大事だが、被災地からヒトを運び出すのはもっと重要だろ?
今回の災害で実感したこと。それは、太陽光発電すげぇってこと。
うちの実家は被災地にあって、電話は使えないわ、周りは停電するわ、TVも見れなくなるわ、その他もろもろ大変だったみたいだけど、
でも太陽光発電が機能してれば、その蓄電でアナログTVは見れたんだって。(デジタルはアウトだったらしい)
これ、情報が凄い必要な現地の人間にとって、かなりのメリットだと思うんだ。
話を聴いたとき、ほんとスゲー!!って思った。
蓄電があるから、無駄遣いはできないにしろ明かりも、コタツも電気カーペットもIHクッキングヒーターもエアコンも使える。
…まあエアコン使ってたら無くなっちゃうだろうから無理としても。
政府はもっと、太陽光発電への補助をしたほうがいいと思うんだ。
津波で流されちゃうとどうしようもないけどさ…
でも身寄りを頼った先で暖が取れるのととれないのとじゃ、不安な気持ちだって段違いだと思う。
原子力は問題になってるけど、それをなくせって言ってるわけじゃない。
でも電力の維持は絶対必要で、どれも無くせと言って無くせるものじゃない。
特に原子力は安定した電力を供給してくれる。揚水発電所もあれば、余剰電力の蓄電だってできる。
でもそこに、それこそ日本のほとんどの世帯が太陽光発電を設置していたなら、
少なくともリスクヘッジにはなるし、電気も電気会社に売れる(ほとんど割引ぐらいにしかならないけど)。
電気会社への負荷が減るなら、多少でも他の発電所の環境リスクを減らすことだってできるし、災害後の立て直しにも有利かもしれない。
ネットが繋がってたんで情報集めてたけど、なんか今はどーでもいい話ばっかりだ。
悲しい話も泣ける話も怒れる話も恐れる話も、全ては今この状況を生き抜いて、それからでいいやと思ってるし、まわりの皆もそう思ってる。
ぶしつけだけど、地震発生から今に至るまでの流れを書いていこうと思う、こういうケースもあったよってことで、今後の参考になればいいな。色々ありすぎたんで、出来る限り簡潔に書きたいんけど、よくわからんかったらごめん。仙台在住の会社員の場合
■3/11以前
地震発生の4日前くらいから、大小あれど地震が多発していた。地震にもだいぶ慣れてしまって、ちょっと揺れたくらいではなんとも思わなくなっていた。
■3/11
その日も忙しく仕事をしていた。14:46(らしいな)に大地震が発生。最初は「揺れる揺れる」とケタケタ笑っていたが、尋常ではない揺れと長さに社長が「逃げろ!」と一喝、書類棚からは中身がぼんぼん飛び出している。あまりの揺れに立つことさえ難しかったので、手すりを使って飛び降りるように階段を降りた。会社がビルの6階にあるので、降りてる途中でビルが潰れて死んでしまうんじゃないか、と思った。ようやくビルを出て、市営バスの広大な駐車場に避難する。同僚たちと「やー恐かったねー揺れたねー」なんて言いながら笑っていた。辺りを見るとビルやマンション、止まっていたバスがコンニャクのように揺れていた。新幹線は線路の途中で止まっていたし、SS30(なんか仙台では高い方のビルね)のアンテナがボッキリと折れていた。社長や上司に「宮城県沖地震と比べてどっちがヤバい?」と聞くと「今回の方がヤバい」と言っていた。揺れが収まってから会社に戻り、防寒具、貴重品、飴玉やお菓子を運びだした。電話も何も繋がらないので、お客さんと連絡が取れるはずもなく、津波が街まで到達するという知らせをパトカーから聞いたので、今日は解散ということに。社長の「明日はいつもお通り出社して片付け方すっとわ、そんじゃみんな気つけてけえってな」という言葉で僕らは散った。その日僕は車で出社していたので、車を停めていたヨドバシカメラの立駐に向かった。停電のために料金所が使えず、無料で出庫することが出来た。しかしながら、道路はかつて見たこともないような大渋滞で、とても車で帰れるような状況ではなかった。自宅の方向が一緒の上司と歩いて帰ることにした。発電機が付いた信号以外は全部止まっていたので、輪をかけて渋滞がひどくなっていた。日本革新党連合会という右翼の街宣車が自慢の拡声器で交通整理をしていた、ちょっと泣けた。やっとこさNHK前までたどり着き、街頭テレビをみると、津波が漁村をさらう映像、製鉄所が轟々と燃えている映像、とても信じられない禍々しい映像が映っていた。この時はじめて自分たちがどんな状況かわかった。またしばらく歩く。歩行者の列の中、泣き叫ぶ赤ちゃんを抱えたお母さんがいて、周りの人が赤ちゃんに毛布を掛け直してあげたり、フードを深く被せてあげたりしてお母さんを助けてあげていた。仙台泉線という道路をひた歩いた。通りに面している建物は本当に悲惨だった、車屋の窓は割れ落ち、マンションのレンガ風の壁が崩れ落ち、歩道は隆起して歩くのが困難だった。ふと一人のおばあちゃんが、僕らに声をかけてきた。なんでも旦那さんがいる老人ホームに行きたいのだが、道に迷ってしまったようなのだ。上司と僕で老人ホームを探して、職員さんに事情を説明しておばあちゃんを保護してもらった。またとぼとぼと道を歩く、その時はだいたい17:00頃で、場所は虹の丘というところを歩いていた。後ろから上司を呼ぶ声がする、上司の息子の同級生が僕らを見つけたので、車で送ってくれるということらしい。仙台駅から8kmほど歩いただろうか、膝も腰も股関節もヘロヘロ、昼飯も少なかったから疲労困憊だったから、すごくありがたかった。上司の家に着いて、玄関を開ける。中は酷い有様だった。まず靴箱が倒れていて中に入れない。隙間をくぐり抜けて中に入ると、引越しでもしたのか?と思うほどにタンスはずれて、食器は床に散らばっている。家の中に奥さんがいないことを確かめると、周辺の捜索を開始した。もちろん携帯は使えない、仲の良いご近所さんのところにもいない、車もない。上司は途方にくれていた。避難所にいるのではないかと思って小学校に行っても、まだ小学校が避難所としてすら使われていなかった。集まっていた人々は口々に「あんなに会議したり予算割いたりしたのに対応が遅すぎるよ、なにやってるの」と不満を漏らしていた。いよいよ不安になって上司宅に戻ると、ご近所さんを見つけた。上司の奥さんや家族と一緒に駐車場の端っこで、車の中でエンジン焚いて非難している、とのことだった。再会した上司と奥さんは、やれ書き置きしろだの、そんな暇ねぇだのと喧嘩をしていた。まぁ生きててよかったじゃん。そこからは上司の車で家に送ってもらった。車中で「明日仕事行けるっすかね?」と聞くと、奥さんに「なにいってんの!行けるわけ無いでしょ!」と言われた。続けて「仙台空港だって津波に飲み込まれてんだよ!」と。正直耳を疑ったが、カーナビのテレビをみると、本当に仙台空港が飲み込まれていた。愕然としたが、今まず自分が生きることで本当に精一杯だ。この先何を食って、どう生きるか、そればかり考えていた。やっとこさ家につく。時間にして19:00頃だろうか。一寸先はどうなっているかわからない最中に送ってくれた上司には頭が下がった。家も家族も無事だった。唯一、警官の兄が帰ってきていなかったが、無理もない。両親はろうそくを灯してラジオを聞きながらソファに横になっている。地震後すぐに片付けをしたらしく、家の中はそんなにぐちゃぐちゃになってはいなかった。この時までは、まだ水道とガスは来ていたが、それから2時間ほどでその2つとも供給は止まった。停電で冷蔵庫が使えないので、残っていたアイスを溶ける前に全部食べた、この日の晩飯はこれで終えた。自分の部屋の本棚やギター、パソコンのモニターが倒れている。この部屋にいたらきっと怪我をしていたことだろう。今後高い本棚を使うことはやめよう、そう思った。当時、情報を得る手段がラジオとツイッターしかなかった。携帯は電池が切れるし、電気が来てないので、充電のしようもない。車なら充電できるし、テレビも見られるし、エアコンで暖も取れる。そうしてエンジンを焚きながら携帯電話を充電した。他の家でも皆そうしていたようだ、おそらく皆この日に結構な量のガソリンを無駄にしたはずだ。車内でツイッターを使い、連絡が取れる範囲の人とは連絡をとった。十分に充電をしてから、この日はリビングに布団をしいて寝た。
■3/12
7:30ころ、両親たちの支度の音で目覚める。父は出勤で、母は介護施設に預けられる。父の車に便乗して出社することにする。この日は道もさほど混んでおらず、ストレスなく走ることができた。しかしながら道路の状態はひどい、アスファルトが隆起し、ひび割れて飛び出し、橋のつなぎ目は例外なくずれ、その度車を突き上げていた。周りでは緊急車両が忙しく走り回っている。街中の交差点では警官が交通整理をしていた。父曰く倉庫にしまわれていた新車両のパトカーも投入されていたらしい。父が勤める署内も人員が遺体回収に駆りだされ、人は少なかったようだ。つまり、今の宮城県警は非常に手薄だということだ。程なく会社に着いたが同僚は誰もいない。上司に連絡するも「ん、こなくてもよくなったんだわ」とのこと。せっかく来たのに。。。と思いつつ、昨日置き去りにした車を回収する。すでにコンビニや携帯充電所には長蛇の列が出来ている。しかし、いずれのコンビニも開店している様子はなかった。開くかもわからないコンビニの前に、長蛇の列が出来ていた。ご苦労なこった、と思いつつ、家路についた。家に帰ると少し様子が違う。電子機器のキーンという音がした。電気が復旧したいたのだ。冷蔵庫も電子レンジも炊飯器もポットもテレビも使える!そう思ってテレビをつけたが、我が家はケーブル回線を使っているため、テレビを見ることができなかった。まぁ、飯が炊けるだけ全然ましだ、と少し安心し、することもないので昼寝をする。昼寝から起きると両親が帰ってきていた。両親の晩飯は昨日ひねり出しておいた水で米を炊き、だるまストーブで温めた味噌汁を、僕は買い置きしてあったカップ麺を食べた。食後、会社にカップ麺を備蓄していたことを思い出し、回収しに行くが施錠されてしまい、カードキーも使える状態になく中にはいることができなかった。そうしてこの日は終わった。
■3/13
この日はだいぶ暖かかった。月曜から出社する。という話になっていたので、社員間で連絡をとりあうという事になったが、やはり連絡が取れなくなる人がいた。取引先がパソコンと僕達ごと東京にさらって仕事をさせようとしている、なんて不穏な話があったので、どういう事なのか聞き出したく会社に行くことにした。もちろん誰もいなかったので、近くに住んでいる役員の家に直接行くことにした。程なくして役員がやってきて、「○○さんと〇〇さんの家に行って出社の旨伝えてくる」「じゃあ俺は〇〇さんと〇〇さんとこ行ってくるわ」と打ち合わせをして、それぞれ足で人を探し回った。昨日とは打って変わって道路は大渋滞。スーパー、コンビニ、ガソリンスタンドには凄まじい行列ができている、どんなに小さな店でも必ず人が並んでいる。幸いバイクで動いていたので渋滞に悩まされることはなく、それぞれの同僚の家を回っていく。家を訪問するたびに「水はあるかい?ごはんはあるかい?家にまだ水があるから持って行きなさい、お菓子もあげるから」といろんなものをもらった。物乞いするつもりは全くないし、荷物が多いと動きが鈍るので多少困ったが、ありがたくいただくことにした、非常にありがたく、申し訳なく思った。福田町、というところに住む同僚のマンションに行く途中、45号線を走った。テレビでよく見た七ヶ浜の石油コンビナートの煙が見える。下から見上げる黒煙は、テレビで見るよりもずっと巨大だった。結局その福田町に住む同僚は留守にしてあり、申し送りすることはできなくなった。バイクはガソリンを使いきり、リザーブも残り僅かのところでぎりぎり帰宅することができた。下手にガソリンを使い切るものではなかった。。。電話回線は徐々に回復しているものの、自宅ではまともに受信できなかった。山一つ高いとなりの団地まで移動すると快調に電波が入ったため、そこの空き地でしばらくツイッターやメールなどをして連絡を取り合った。その日の夜、高校の先輩からメールが入った。ガソリンが無いので余っていたら実家まで送ってほしい、ということだった。場所が若林の古城、という所だったため、命に関わるかもしれない、と思い迎えに行くことにした。そうして国道4号線沿いにある先輩の住むマンションに到着した。津波が近くまで到達したことを伺わせるように、外は磯の臭いをさせていた。マンション内はところどころ天井が崩落しており、危険な状態だった。ひとまず先輩を預かり、実家である富谷町まで移送した。帰り道、片田舎にあるガソリンスタンドに目をやると、夜中の11時にもかかわらず2km程の渋滞ができている。みな翌日の開店を待って行列をなしていた。それほどまでに、皆ガソリンに困っているのだ。家に帰って程なくすると、兄が大地震以来はじめて帰ってきた。荷物をとりに戻ったのだという。どうやら兄は南署管内の本部にいるらしく、大変忙しいのだそうだ。「コンビニ、ガソリンスタンドでは暴動、略奪が起きている。通報が無いだけでいろんなところで起こっているから気をつけるように」と言われた。加えて「テレビとかラジオでは荒浜に2~300の死体って言ってるけど、そんなもんじゃねーからな、1000は余裕で超えるぞ」とも言われた。報道やネットでは綺麗な部分しか出ず、礼儀正しい、とか、皆冷静だ、と言うが、実際はそうでもない。避難所では大人が子供の食料をひったくり、灯油やガスボンベから目を話したスキに盗まれた、という話もこの日に多く耳にした。風呂に入らぬまま3日目となり、体はベタベタ、髪にワックスも付けてないのに自由自在にスタイリングが出来るようになっていた。パンツも変えていなかったので久々にパンツをかえることにした。不潔な状態でも大分慣れたが、さすがに辛い状況ではある。
■3/14
この日は出社日だった。2名を除く社員13名が揃った。それぞれ、家族の安否や地震後どのように過ごしたか、スーパーの情報や給水所の情報、ライフラインの復旧状況などを話し合っていた。それぞれ親類が漁村に住んでおり、連絡がいまだに取れないなどの不安を抱えながらも、冗談など言い合いって気丈に笑っていた。取引先との連絡も取れ始め、ほとんどの案件が震災で中止になったが、スーパーの広告だけは違った。3/25折込のチラシを打つとかなんとかで、制作することになったらしい。広告なんて打たなくても客が来る今、被災者である僕らがこのチラシを作るのはおかしいだろ、そこに載ってる商品、ホントは俺達が欲しいのに、なんて苦笑いをしながら「ま、仕事は仕事だから」と言ってスケジュールを組んでいた。忍耐強いのか、ただの奴隷なのかよくわからないけど、この震災を生き抜いて、生活を立て直すには今の仕事を守るしか無いのだと、そう思った。職場の周りは電気と水道が通り、そこかしこで炊き出しが行われていた。と言っても、もちろんお金はかかる。皆行列を作っておにぎりを買ったりしていた。上司がたまたま仕込み中の店を見つけ、一番乗りで150円のカレーを食べることができた。ルーがすごく緩かったけど、とても美味しかった。行列をつくっているとなりの店を尻目にカレーを食べていると指を刺されたり、じっと見られてすごく居心地は悪かった。ここ数日、袋を持って歩いているだけで、じっと見られることが多くなっていた。この地に住む誰もが行列や順番待ちに飽き飽きして、一様に殺気立っているのを感じる、もちろん、これを書いている今も。家に帰って、ダメもとでテレビをつけると、綺麗に映像が映し出された。ケーブル回線が復旧したようだ。あまりの嬉しさに僕は叫んだ。大地震があった日以来、大きな画面でテレビを観ていなかった。鮮明な映像で見る自分の住む街は、目を背けたくなるほど酷い有様だった。友人達と遊んだ思い出の浜や、そこに住む人々も、家も、跡形もなかった。自宅から30分もない距離にある街が、ただの更地になっている映像を見て、一瞬息が止まったのを覚えている。繰り返し流れる遺族の叫びと、デリカシーのないインタビュー映像になんだかとても疲れたので、また昼寝をする。目を覚まして、今度はネット回線のチェックをした。ネット回線も復活し、とにかく喜んだ。この数日何があったか無我夢中で調べたが、なんとも空っぽな情報で溢れかえっていた。「被災者のために歌を歌います、これしかできないけれど」みたいな話や「このツイートが感動した」とか「被災した人たちも頑張ってるんだ、私も頑張って仕事しなくちゃ」とか「東京のどこそこで買い占めが起きてる」とか、被災地の皆が今のいま命を長らえるための情報はほとんど無かった。人が死んでんだぞ、おそらく死者はこのまま1万を超えるよ。そんな状況で、なんで美談みたいな話が出るのか全く意味がわからなかった。似たような話をテレビでも流すようになった。出来れば、そんな感動話みたいなものは震災から立ち直ってからにして欲しい、この震災は過去の話ではなくて、現在進行中だ。
■3/15
そして今日も出社だった。取引先との話に決着がつき、必要な人員以外は招集があるまで自宅待機することになった。相変わらずの行列や渋滞。未だ風呂にも入れていないしなか、東京では食料やガソリンの買い占めが起こっているという報道がずっと流れていた。おまけに噂の雨ときたもんだ。もし噂なのか真実なのかよくわからない話を信じるとすれば、僕は雨に打たれたのであまり健康上よろしくないことになるのではなかろうか。シャワーを浴びる環境などそうやすやすとはない。今被災地では口伝での怪しい情報に困り果ててる。どうすればより長く生きられるかシビアに考えている。手元にある食料や物資、燃料はひっ迫して、移動することひとつとってもリスクが高い、離れた親戚を引き取りに行けない人もいるし、安否確認さえ取れないでいる人もいる。出来ることなら、物資の補給場所や時間、量についても出来る限り詳細に教えてほしいし、より苦しい人たちの所へ、より多くの物資を届けて欲しい。原発に関する情報も、政府や報道は本当に正しい情報を教えてほしい。この状況で命を長らえるために、正確に判断するための情報がほしい。どうか、どうかひとつ、よろしくお願いします。。。
被災時に必要なものは何か?時間が立つに連れ必要なものは変わってくる。筆者は岩手県で今回の地震に被災したが、時間や場所によって変わってくるが、自身の経験を元にここにしるす。防災用品の準備や、被災地に救援物資を検討している方は、参考にしていただければありがたい。
この文章は、被災二日目にiPadにて作成した。電気と回線が復旧しだい、どこかに上げるつもり。
インフラがとまるので、食料や衣料はもちろん、燃料や情報を得る手段も確保しておきたい。今回は電気がなくても暖をとれる反射式ストーブ、これはお湯もわかせる、ガスが止まっても使えるカセットコンロが非常に重宝している。
固定電話は回線が生きていても停電していれば、最近の多機能なヤツはつかえないので、結局ケータイに頼ることになる。公衆電話が最近中々ないので。予備の簡易充電器や電池、車載充電器、iPhone用FMトランスミッターが役に立った。
いざという時の移動手段やカーラジオやカーナビのTVでいざという時の情報取得手段になるので、車がある場合はガソリンも出来る限り入れておく。携行缶などで保存する場合は、安全な場所に保存する事。
災害時に一番役に立つメディアはラジオ、次にインターネットとなり、最後にTV、新聞となる。ラジオは用意しておいた方が良い。ネットで情報を得る場合はデマや不確定な情報に注意する事。TwitterやFacebookなどで自分から発信する場合も、不確定な情報は流さない事。ヤフー知恵袋や2chなどは極力使わない。
当たり前だが、一番の被災地から離れていてもインフラが止まれば、店はまともな営業が出来なくなるし、道路も寸断されたり、信号機が止まったり、緊急車両優先などで渋滞する。
水は断水していなければ、早いうちに水を貯めておくこと。飲料用はペットボトルやヤカンに。トイレなどの水は風呂に貯めておくこと。
注意したいのは、ロウソクやコンロ、反射式ストーブを使う場合は余震に十分注意すること。当たり前だが、常にラジオはつけておいて揺れたり緊急地震速報がきたらすぐに消すこと。
余談だが大都市圏に住む人以外は、メインバンクは地元の地銀か農協、郵便局、信用金庫にしておくといいかもしれない。窓口対応がスムーズになる。
地震に限らず、台風でも水辺に近づく人がいるが、こういう人が一番最初の被害者になる。絶対に危険な場所に近づいてはいけない。
当たり前だが、沿岸部では揺れたらすぐに逃げる。ビルの出来るかぎり高い階層か、高台に。
また、心配なのはわかるが特に災害のひどいところに行ってはならない。阪神大震災の時の様な野次馬は論外。自分が被災するだけでなく、救助活動の邪魔になるから。
不要不急の外出は極力避ける。道路の寸断や信号機の停止で思わぬ事故にあうリスクが高くなる。
電話は極力しない、出来れば連絡はメールやtwitter、Facebookや災害伝言板、ラジオの伝言メッセージなどを使う。やむおえない電話の場合も、極力通話は短くすること。
デマを流すのは論外だが、意図せずにデマを信じてしまってもいけない。チェーンメールは無視し、拡散RTは慎重に行うとこ。デマは最悪の場合は人命に関わる。
ロウソクや反射式ストーブを使う場合は、そばから離れる場合は火を消すこと。一瞬でもそばから離れる場合は絶対に火を消すこと。ロウソクは使わないに越した事はないが、使う場合は周りに燃えやすいものをおかない。
よく何かあれば、千羽鶴を折って送ったり、古着等を送る、自分の小説本を送る俳優などがいるが、これらは役に立たないばかりか、ゴミにしかならない上に、輸送力の無駄遣いとなり、迷惑となる。地獄への道を善意で舗装しないように。
命の危険がなくなり、食事もある程度とれる様になると、非常に退屈になる。死傷者が多数でた沿岸部の方々や、原発関連で不安な福島県の方々には大変申し訳ないが、1次的な被害が少かった内陸部にいる自分は、二日目にはもう暇である。TVラジオは災害関係しか流れておらず、ブロードバンドは不通、携帯電話も不安定な為、webも長い時間見る事が出来ない。気を紛らわす為にも、何か簡単な娯楽はあった方が良い。昼間は文庫本を読んで過ごしたが、いよいよ退屈になってきたので、この文章を書いている。
余談だが、そういう意味ではある意味テレビ東京のスタンスは正しいとも言える。今回は岩手にいるので、テレビ東京が何を放送をしているのかは知らないけど。
お菓子、ジュースは非常用の食料という意味もあるが、気を紛らわすという意味で娯楽に共通する。自分はタバコは吸わないが、喫煙する方はタバコも用意しておくと良い。ただし、不測の事態に対応する為、飲酒は避けた方が良い。
モバイル関係やカメラは記録撮影や録音に使える。ただ、間違っても現在進行で危険なもの、炎上中の建物は津波などを撮影してはいけない。そんなものを撮っている暇があったら逃げる事。
人工透析や酸素吸入、糖尿病などの慢性疾患、妊婦の方はかかりつけの医院がどうなっているのか確認しておく。かかりつけの医師が診察不能な場合は、保健所や近くの総合病院、自治体の窓口などに相談すること。
スーパーやガソリンスタンドはかなり混雑し行列となる。そういうところで並んでいるのを無視し割り込んだりすると無用なトラブルを引き起こす。実際、筆者が給油のためガソリンスタンドの行列にならんだところ、何台かが無理やり割り込んでいたが、割り込んだ車両は全部店員によってつまみ出されていた。
水の節約やトイレを我慢するために水を飲まないのは、血栓などのリスクをよぶので、水分はとること。
ある程度インフラが復旧してきても、交通や物流の回復は更に時間がかかる。食料や燃料などは無駄遣いしないこと。また、電気や通信などのインフラも安定的提供には時間がかかるので、無駄遣いしないこと。
「何かしたい」と思って、古着や千羽鶴や自作の小説を贈ったり、慌てて炊きだしボランティアに向かってはならない。邪魔になるだけだ。善意を形に変えたければ募金をするか献血をすれば良い。今回は災害の内容から献血はそれほど必要無さそうだが、募金は最も有効な支援である。ただし、募金をする場合は信用できる組織・団体を介して行うこと。間違っても駅前の街頭募金などに小銭を入れてはならない。善意を装った詐欺や悪質な新興宗教などが関わっている可能性があるからだ。せっかくの善意が被災者に届かない可能性がある。
特に注意しなければならないのは、国連やユニセフなどを騙った振り込め詐欺だ。国連やユニセフはあなたの個人の電話やメールアドレスに、募金を依頼することはない。絶対に相手にしないこと。
(経済産業省)
・01:75 移動式トイレについてニッケンのレンタルから5,000基供給可能との連絡
・01:15 毛布について大阪の業界団体から25,000枚供給可能との連絡があり、
・03:15 燃料(ジエット・灯油、A重油、ガソリン、軽油)、毛布、ラジオ、懐中
電灯、発電機、ドライアイス、棺桶.カイロ、ろうそく等について供給元情
報を適宜追加
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http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/20110311miyagi/index.html
以上、 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震について (平成23年3月13日10:00現在)
から抜粋
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世界中で通貨の切り下げ競争をやっていて、日本ですら、民主党政権が去年の9月に円売り介入をやらかした。
おかげで、通貨や、それを通した株式や債券といった、比較的資金吸収量の大きい道具が、それぞれ、国内資金だけで支えるようになっていっている。行き場を失ったお金は、コモディティに流れ込み、純金や原油や小麦といった商品相場において、結果的に高値を作り出している。
それらの相場は、高値になれば、それまでコストがあわなくて放置されていた鉱脈や油田が操業を始めるし、荒れ野が開拓されて小麦やコーンや大豆の作付けが行われるので、供給量については、心配する必要はない。
先物を売ったのに、不作で納品できないという生産者や、先物を買ったのに不作で納品してもらえないかもしれないという実需家の契約不履行リスク、仕方がないので差金決済をしようにも、相手が破産していてとりっぱぐれるという信用リスクは、旱魃や水害の直撃を受けている畑の所有者や、それと取り引きしてしまった実需家にとっては重大なリスクであるが、価格の上昇による需要の減少と、その他の地域における生産余力が、結果的には、市場の需要を満たすのである。
つまり、コモディティにおける価格の上昇は、需給バランスによるものではなく、通貨の切り下げによるモノであって、小麦の売り渡し価格の上昇率18%というのは、民主党政権になってからの、日本円の本来の価格からの切り下げ(円安誘導分)であり、日本円の信用毀損分に等しいと考えられる。
ちなみに、この冬の暖房用灯油価格は前年比18.7%の値上げであった。円売り介入や経済に疎い政治のせいで通貨価値が切り下げられた分だけ、相対的に物価が上昇し、庶民の生活を直撃するのである。
通貨価値の切り下げは、物価の上昇に繋がる。日本ですら18%上昇しているとなれば、外貨準備が貧弱で、スポット契約主体で物資を手配し、輸出の為に通貨を意図的に切り下げている後進国・中進国において、食料や燃料といった生活必需品が高騰するのは当然であるし、政治を批判する暴動が発生するのも、必然と言える。
日本が去年の9月に円売り介入をした事によって、日本円は、ラストリゾートとしての信用を失い、その他の通貨と同列の信用度に見られ、本来の価値よりも、18%割安になっているとも言える。今の経済に疎い民主党が政権を握っている限り、日本円の通貨政策に対する信任はかえってこないであろう。
日本円が基軸通貨になることを避けるというアメリカの意向から、国債格下げのアナウンスによって、当分は、米ドルとペッグしたかのような動きを見せると思われる。
産業構造を改革し、新製品・新技術を生み出せるようにしないと、アメリカの消費物価の上昇に日本も付き合う事になる。軍事的・政治的には日米同盟は磐石であるが、経済においてまで付き合う必要はない。
世界中で通貨の切り下げ競争をやっていて、日本ですら、民主党政権が去年の9月に円売り介入をやらかした。
おかげで、通貨や、それを通した株式や債券といった、比較的資金吸収量の大きい道具が、それぞれ、国内資金だけで支えるようになっていっている。行き場を失ったお金は、コモディティに流れ込み、純金や原油や小麦といった商品相場において、結果的に高値を作り出している。
それらの相場は、高値になれば、それまでコストがあわなくて放置されていた鉱脈や油田が操業を始めるし、荒れ野が開拓されて小麦やコーンや大豆の作付けが行われるので、供給量については、心配する必要はない。
先物を売ったのに、不作で納品できないという生産者や、先物を買ったのに不作で納品してもらえないかもしれないという実需家の契約不履行リスク、仕方がないので差金決済をしようにも、相手が破産していてとりっぱぐれるという信用リスクは、旱魃や水害の直撃を受けている畑の所有者や、それと取り引きしてしまった実需家にとっては重大なリスクであるが、価格の上昇による需要の減少と、その他の地域における生産余力が、結果的には、市場の需要を満たすのである。
つまり、コモディティにおける価格の上昇は、需給バランスによるものではなく、通貨の切り下げによるモノであって、小麦の売り渡し価格の上昇率18%というのは、民主党政権になってからの、日本円の本来の価格からの切り下げ(円安誘導分)であり、日本円の信用毀損分に等しいと考えられる。
ちなみに、この冬の暖房用灯油価格は前年比18.7%の値上げであった。円売り介入や経済に疎い政治のせいで通貨価値が切り下げられた分だけ、相対的に物価が上昇し、庶民の生活を直撃するのである。
通貨価値の切り下げは、物価の上昇に繋がる。日本ですら18%上昇しているとなれば、外貨準備が貧弱で、スポット契約主体で物資を手配し、輸出の為に通貨を意図的に切り下げている後進国・中進国において、食料や燃料といった生活必需品が高騰するのは当然であるし、政治を批判する暴動が発生するのも、必然と言える。
日本が去年の9月に円売り介入をした事によって、日本円は、ラストリゾートとしての信用を失い、その他の通貨と同列の信用度に見られ、本来の価値よりも、18%割安になっているとも言える。今の経済に疎い民主党が政権を握っている限り、日本円の通貨政策に対する信任はかえってこないであろう。
日本円が基軸通貨になることを避けるというアメリカの意向から、国債格下げのアナウンスによって、当分は、米ドルとペッグしたかのような動きを見せると思われる。
産業構造を改革し、新製品・新技術を生み出せるようにしないと、アメリカの消費物価の上昇に日本も付き合う事になる。軍事的・政治的には日米同盟は磐石であるが、経済においてまで付き合う必要はない。
全然下がってないと思うんだけど
むしろ上がってない?
米は上がってないと思うけど、それ以外の色々、灯油とか上がってるよ
18歳の俺は底抜けに貧しかった。高校を出て、働き出して、同じような仲間二人とアパートをシェアして暮らしていた。
友人たちも似たようなもので、「親の再婚相手に連れ子が三人いて家を追い出された」とか「親と同居して働くと生活保護が止まる」とかなんというか、貧民丸出しド底辺、どうしようもない状況だった。
だから、クリスマスになるといつも思い出す。あれはもう7年も前のクリスマスだ。こういう話にありがちなとおり、俺たちの金は底をついていた。挙句に俺は失業中だった。さらにいえば、三人ともここ暫くまともな職にありついていなかった。
雪国の地方都市に住んでいた経験がある人間ならわかると思うけれど、こういう町にはフリーターが生きていくだけの余地が少ない。時給は600円前半だし、こう景気が悪くては日雇いのドカチンも限られる。唯一マトモな収入が得られる可能性はパチンコ屋の店員だけれど、町に4軒しかないパチンコ屋のアルバイトはいつも奪い合いだ。
思えば、あの頃はいつも腹が減っていた。コンビニのアルバイトにありついていたときだけが例外だった。大量の廃棄がいつも腹を満たしてくれていたあの時期は、本当に幸せだった。
三人合わせて210円。家賃はもう既に一ヶ月滞納していたし、灯油は1ccもなかった。寒くて寒くて仕方がなかった。俺たちの住んでいたアパートの向かいには焼肉屋があって、クリスマスの夜には肥えたクソガキが旨そうにカルビだのロースだのをつついていた。なのに、俺たちは210円でなんとか腹を満たして、仕事を探しに行かなければならなかった。
どうするか、と我々は話し合った。210円で三人、出来ればひとり600カロリーは摂りたい。どうすればいいか。我々は、セイコーマートで小麦粉を買った。それを水で延ばしてフライパンで焼いた。塩をつけて齧った。食えたものじゃなかった。一人が空になったウスターソースのボトルを見つけてきて、我々はそれに水を注いで搾り出した。うまかった。少なくとも、食えるものだった。町はクリスマスで、俺たちは焼肉屋を襲おうかと真剣に考えていた。でも、腹が一杯になればそんな気力も失せて、とにかく明日は朝から仕事を探す、出来れば三人のうち一人は廃棄の出るコンビニを見つけよう、と決めた。
あれから七年が経って、色々あって。
我々はそれぞれ、大学に通ったり就職したりして今はそれなりに暮らしている。社員寮でストーブを贅沢につけるクリスマスの夜に、なんとなくそんなことを思い出した。今となっては、俺はガス代をケチらないし、寒ければストーブをつける。蛇口をひねればお湯が出る。幸せなんだろうな、と思う。とにかく、なんか色々あったけど、俺は幸せだと思う。
そりゃあ、合わない仕事はしんどいし、上司に怒鳴られる度にうんざりもするけれど。少なくとも、蛇口をひねればお湯が出るし、スイッチを押せば部屋中温まる。幸せだ、と思わなきゃいけない。だから俺はもっとがんばらなきゃならない、鬱になってる暇なんかない。俺は幸せなんだから、仕事に行かなきゃいけない。頑張らなきゃいけない。
仲間に会いたい。また、焼いた小麦粉を水っぽいソースにつけて食いたい。もちろん、あの頃は決して幸せじゃなかったけれど。でも、少なくとも孤独じゃなかった。
・貯金その他金融資産>1100万 +遺産800万 合計4600万
・妻>病院に勤められる。>フルに勤めれば年400万-500万、あと20年は勤められる。
・父母他界
・子供なし
・農場のパート週4日>固定給10万+ネット通販部分の利益の4分の1の約束+たとえ赤字でも3年間は必ず雇うと言ってくれた。利益の計算方法とかはきっちり詰めた。
・アパートは、月に20万くらいの利益になる(いろんな経費税金を除いて)。最悪、更地にして売れば、2000万くらいにはなる。べつに子供がいるわけでもないので、投げ売りでもいい。売れれば。管理が面倒ならば、更地にして駐車場にする。大学生向けアパートなので2年から4年で回転して好都合。
・実家は、築60年は経っている日本家屋。田舎だからたぶん売れない、価値はない。土地もタダ同然。水道代は井戸でタダ、風呂は五右衛門風呂(薪で焚く、薪は裏山からタダ)。
畑が3枚。自分たちが食べるにはまったく困らない。梅、茶、栗、柿、イチジクがある。ビニール温室の中に南方系の果樹がある。
高校の生物教師をしていた祖父は、鶏を飼い、ミツバチを養い、さらに池で黒鯉を育てて、いずれも食用にしていた。
・海が近いので、夕食のおかずぐらいは釣りに行っても良いかも知れない。
・裏山は、キノコが採れる。椎茸栽培している。食べきれないくらいできる。
・自宅近辺の固定資産税は、年3万強。敷地の中にNTTドコモのアンテナが立っていて、その地代が年1万5千円になる。
・光熱費(電気代、プロパンガス代、灯油代)がたぶん年15万から20万。クーラーはいらない。ただし冬が寒いので、灯油代がかかる。寝る部屋、台所兼居間、便所、風呂だけ寒さ対策のリフォーム(天井裏断熱、ペアガラス)しようと思っている。太陽光発電や風力発電ができるかも。裏山に小川が流れているのでマイクロ水力発電もたぶん可能。昭和の初めにはほんとに発電してた。
・本や雑誌が実家の旧養蚕小屋に山ほどある。祖父、父、叔父、叔母、私と読書好きだった。私や叔父、叔母は、本を購入して都会のマンションやアパートに置けなくなると、実家に送ってきた。たぶん万の単位で本が入っている。残りの人生、それをゆっくり読み直す。古い雑誌を読み直すのは意外に楽しい。
・夫婦二人の自動車が必要なのがあたまいたい。軽自動車2台か、軽自動車1台に屋根付き原付1台にする。他界した父が乗っていた軽自動車がまだ4年目なので、当分はそれに乗る。
・町内会や近所のつきあいも面倒だが、もともと住んでいた所だから、顔見知りと遠い親戚ばかり。若い者は皆都市部に出ていて、残っているのは60代後半から70代が多い。温暖で風水害の少ないのんびりした地域だから、がみがみした感じではない。
南区の幼稚園にヒグマが出た事例があったと記憶するので、クマに関しては間違いとはいえないかもね。
最寄のスーパーまで数十分も「ジャスコまで80キロ」なんて看板が実在する土地だから、あながち間違いとも言えない。
大きめの一軒家だとナチュラルに暖炉(しかし中身は灯油ストーブ)があったり、灯油タンクが庭にあったりそれなりに個性的な土地ではあるんだから。
まぁ、なんていうかさ。
幻想を持っていただくのも観光地の勤めなわけですよ。我々北海道の人はそれを食って生きてる比率もそれなりにあるわけで。
別の土地の人間に「正しい理解」なんてしていただく必要なんか全然無い。
出来る限り豪快に幻想を持って、富良野に喫茶店を開いた挙句に見事潰して地方にお金を落としてほしいわけです。
「車の保険にちゃんと特約つけておきなよ。シカ特約入っておかないと、シカ轢いたとき保険降りないよ。あ、シカ特約って一般に言われてるけどキツネでもヒグマでも野生動物ならなんでも対応するんで、レンタカー借りたりするときは気をつけてね」
とか大嘘ぶっこいておけばいいんだよ。あとはジンギスカンキャラメルでも持たせて帰ればよし。
あのね、そのツイートのどこが酷いかというと、
「子どもを不安に陥れるような思想を子どもに吹き込もうとしているのが、そのツイート主自身」
っていうことなのね。他人の家に灯油まいて火を付けといて「ほらお前が木造の家なんか建てるから火事がおきる」って言ってるようなもんでしょ。
そして、これ書いた増田も考えて欲しいんだ。
「社会の風潮」とやらじゃなくて、例えば事実婚家庭の子をそういう目で見ている「あなた自身」が子どもを不安にさせる最大の要因になってるんじゃないか、っていうことを。
「あなた」が、そういう考え方を捨てなければ、「社会」が捨てることもないだろう。
「あなた」が、そういう考え方を否とするという態度を明確にすることが、「社会の風潮」をなくす第一歩になる。
あなたは、捨てるつもりはあるの?ないの?
ないんなら、増田のこの書き込み自体が、「世間」を隠れ蓑にした差別促進活動(太宰メソッド?)ってことになるんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
これの北大版。公立2次はまだだがそれを待つよりこの流れに載った方が吉と見た。
1.住居
一人暮らしの北大生は札幌駅北の北10条から北20条、西5丁目から東2丁目くらいが基本範囲
あとは学校反対側の桑園。若干家賃相場は下がるが大学に東側から入るのは至難なので通好みの選択。
電車、地下鉄をつかって離れたところに住んでもその定期代を超えるほどの家賃下落は基本ありません。
ちなみにたまり場化を避けようとするなら8畳以下の部屋にすることかな。
北大近辺は12畳オーバーの部屋がざらにあるんで8畳くらいにしとけばより広い部屋の人間のところへ行ってくれる
8畳以下でもサークル面子に自宅生しかいないとたまり場になるけどそんときゃ諦めろ。
あとオール電化はおすすめ。オール電化物件は総じて新しめの物件が多い上に冬場の暖房代は灯油やガスになると万単位に入るが蓄熱電気暖房だと流石にそこまで行かない。
あと電気クッキングヒーターはふきんのひとふきで簡単に汚れを落とせるのがいい。
ちなみに物件探しは生協が一番手っ取り早い。別に近場の不動産屋でもいいけど条件指定しないで上記範囲外のもの出されたらほぼ確実にハズレだと思っていい。
Vistaなのに1Gしかメモリ積ん出ないモデルを売ってたと言う時点で察してください。
札幌駅にビッグとヨドバシがあるんでそこで適当なものを見繕うか駅北のドスパラ、ツクモ辺りでBTOなり自作なりがおすすめかな。まあ、此処の住人なら生協からの広告でPCのスペック判断は出来るでしょ。
あ、ノートはあると便利だけど必須じゃないんで場合によってはデスクトップにチューナー載せてテレビ買わないのもありというか地デジ化でテレビの単価上がってるから結構ありな選択肢。
pptもあると便利と言うレベルなのでOOoで代替で大学の端末でレイアウトチェック、修正で乗り切ってもいい。
ちなみに北大は明治と違って(現状は)個人端末にインストール出来るライセンス契約じゃないので自前でオフィスの調達が必要です。まじであの包括ライセンス羨ましい。
3.単位
北大は学期当たりの授業コマ数に制限かけてる上にそれの7-8割が必須で食われるんで
学部に上がると文学、法学あたりはかなり自由度が高いけど理系学部はかなり低いです。
教養の授業とかは(本決めでなくても)見学に行ったサークルの人に聞けば色々と参考になる。
4.サークル
ぼっちで過ごしたいなら構わんが一人暮らししてると冬とかヒキコモリとか季節性のうつ病になったりするんで
人と関わりは残しておいた方がいい。
北大は公認サークルと非公認のサークルがあるが総じて非公認は施設の利用面で苦労したりするうえ
結構な確率でサークルの体をなさなくなったりするので公認サークルをおすすめする。
まあ、教養棟、教養近くの食堂(通称北食)の掲示板に山のようにポスターあるんでそこでも漁ってみるといい
あと北食の2階ソファー群は年度初めはサークル勧誘スペースになってます。
でもって期間終了後も居座ったりするのでそこにいつく場所を作れたら君は立派なサークル会員だ。
ただし居着きすぎると単位を落とすことになるのでマジ注意。
5.食生活
作るのが面倒ならミールカード入れ。
これは18万で1日1000円を日、祝除いて毎日使える一種のプリペイドカードだ。
朝を御飯と味噌汁、おかず一品、昼夜をこれですませばほとんど料理しなくていい。
真面目に作るなら12条、14条、16条、24条にスーパーがある。
あと大学近くに色々と定食屋があるがそれは自分で発掘するかサークルの先輩に聞け。
ただし定員20人未満の店はサークルじゃ食いに行かないから一人暮らしの先輩に聞かないと無理。
6.その他
必要な物が出てきたら適当なサークルに入って先輩に店を聞いておいおい揃えればいい
[2009.9.12]
原油相場は70ドル台をうろちょろしている状態で、上にも下にも行かない。このボックスにとどめるというコンセンサスが出来ているのであろう。その分円高になっているので、差し引きでは動かない筈なのだが、値上がりしている。したがって、現在の値上げは、元売が高値掴みをしてその損失を消費者に押し付けようとしているか、小売店側の利幅を取る動きのどちらかとなる。
これまで、ガソリン価格が上昇するのは、5月の連休前と夏休み前であったのだが、9月の連休前にも、値上げするようになってきている。これは、自動車による行楽客が増えてきているという事で、高速道路の値下げの効果と言える。
行楽シーズンの直前に値上げをして、その後、徐々に値段が下がっていくのは、在庫を売り切る必要があるからである。ガソリンスタンド側の仕入れの数量は予約してあるので、周辺の同業者の価格と在庫を見ながら価格を調整する。春から秋にかけては灯油の売り上げが無く、ガソリンだけでスタンドの経営を回さなければならないので、可能な限りガソリンを多く売って売り上げを立てたいという経営側の事情が、このような形で値下げ競争を発生させる。シーズン直前に引き上げ、シーズン中は売れ行きを見ながら値下げをして、在庫を売り切ろうとするのである。
この競争において、元売からの仕入れ値が値下げの下限になるというのが建前であるが、実際には、仕入れ値すれすれまで値下げをしても、元売からの仕入れ数量に応じた割戻し等があるので、利益を取れる事になっていて、この利益を確保する為に、価格競争で数量をこなそうとする事になる。
ガソリンスタンドの価格での訴求力は、これまでは、看板での価格表記となっていた。通りすがりに看板を見て、一番安いところを覚えておき、帰りに寄るといった使い方が主流であった。しかし、最近では、インターネット上の価格ランキングサイトで所在地と価格を調べ、ルート上に存在する店の中で一番安い店の座標をカーナビに入れ、距離と燃費を計算して適切な給油量を概算して利用するというやり方が増えてきている。
土地鑑が無い行楽客でも、インターネット上の情報とカーナビによって、地元の人しか知らない筈の安い店を利用できるようになってきているのである。
この変化によって、結果的に、ガソリンスタンド間の価格競争は、近隣店舗との競争というミクロな手法ではなく、そのルート上に存在するガソリンスタンド全てとの価格競争という状況になってきており、運用コストが高くて値下げ競争に対応できない店舗や、プリペイドカードや会員価格といった囲い込みを行っている店舗は、数量による割戻しを満たせるだけの利用客が発生せず、結果的に、予約した数量を業転で他の店舗に横流しをして数量を達成しない限り、左前となっていくのであった。
私は親を殺せる。殺せるほどの恨みがある。
自分でもなかなか認めることができなかったのだが
この3、4年の間にそのことがはっきりした。
初めは恐る恐るそういう想像をした。
父親を殴る。母親を蹴飛ばす。
そこからさらにエスカレートして
どこか山の奥か、人目につかない林のなかで
地面に穴を掘って、そこに両親を突き落とし
そんなとき、後頭部の首との付け根あたりが痺れたような
もちろん実行に移すつもりはないし
もうこの数年のあいだは絶縁状態が続いている。
父親は私を的確に批評した。
いわく、協調性がない。
サッカーなどもやってはみたが
一体どんなことになるか、だれもが想像のつくところだろう。
私の存在そのものを認めようとはしなかった。
自分と似ているところを挙げつらっては
あんたはダメだ、と言い続けた。
父親に似ればよかったのに似なかったところについて
愚痴をこぼし続けた。
妙な敵愾心のようなものを高ぶらせて
私に対して冷たく当たった。
その意味で子供を養育するにはあまりに不適格だった可能性が高い。
そのなかで、子供へ承認を与えるという余裕はなかったのだろう。
もう、母親を支えるだけで精一杯という・・・
とはいえ、私は決定的な形で損なわれた。
もはや、取り返しはつかない。
誰とも親密な関係を築くことができないし
そういった関係を求めようとする欲求自体が
著しく損なわれてしまっている。
恋人がほしいと思ったこともなければ
結婚したいと思ったこともない。
わずかに恋らしきものを何度か経験したが
なぜ、わたしは生まれ、そして生きなくてはならないのか。
なぜ、わたしはこうで、そしてああであることができなかったのか。
命は確実に減りつつある。
謎は後悔として残り、終わりは救済として輝かしくもある。
私は親より先に死ぬしかないのかもしれない。