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はてなキーワード: 化学肥料とは

2016-02-15

コンテンツ有料化話題ブロガー疑似科学親和性

特に移住してから自然礼賛系の怪しげな話題親和性が高くなってるっぽい。

最近も、アトピージビエ肉が良いかもとかいう話をしてたり、EM肥料を使ってますみたいなこと言ったり。

Twitterで掘ってみると、移住した辺りから農薬化学肥料使用農産物や、マクロビとかに肯定的発言が多くなってる気がする。

彼の影響力がどれくらいあるのかはわからないけど、それなりにフォロワーがいるのだろうから、一度詳しい人にまとめてツッコミを入れてもらいたい。

2014-11-27

かつての空き地花束を ― ニコニコ動画行方を想う


私にとってニコニコ動画空き地だった

http://anond.hatelabo.jp/20141118212618


上の文章を書いた後、

某氏が作り直す発言をしたので手向けを贈ります


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CGMは「他の誰かがお金を出して作った場所」を「俺たちの場所」と思い込ませて、規模を成長させるのが成功秘訣

http://artifact-jp.com/2014/11/20/cgm-success/


上のアーティファクト記事で上手く指摘されているように、

空き地プラットフォーム)を解放し、

蜜を塗り虫を誘き出すように酔狂なフリーク達を集め、

彼らの相互作用樹木共同体文脈から生成される文化果実)を

コンテンツとして刈り取り提供する事で利益を上げる…

これがまさにCGMと呼ばれるビジネスモデルである

YES、"ココ"(here)もそうですね。

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しかし、そのようなフリーク達の営みは決して強い物ではない。

運営組織原理として安易に規模の拡大を目指せば崩壊へと簡単に拍車がかかる。

規模の拡大は運営側フォーマルに改造を行う事で成される為に、

まずフリーク達が活動・参入しにくい環境変化をもたらす。

これは前の文章で「公園化」として述べた通りである

水清ければ魚棲まず。

そして、門戸を大きく開放した事により、

ステータスやそこに発生する金銭的利益を主眼とし、

それを得る為に評価される事を望み、

既存評価されている行為や物を真似し、

愚にもつかないクローンを量産するという、

属性主義的な人々の参入も加速していく。(例:HIKAKINクローン

結果、コンテンツの質は(相対的に)あっという間に下がり、

良いコンテンツを掘り出すのも一苦労。

フリーク達も嫌気がさして移り住み、

良くネット上で囁かれる"つまらない場所"に成り下がる。

もはやそこでは次世代を担うコンテンツが生み出されず、

運営過去遺産を使い回して食い潰すしかなくなる。(例:初音ミク


コミュニティの一生とは (コミュニティノイッショウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


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からこそ運営側は上手く距離を取った上で管理していく必要がある。

タダでさえ、フリーク達の木は枯れやすいのだ。

枝分かれ(分散化)し過ぎたり、大きくなり過ぎたりすると、

その構成組織構成員)がネタストーリー共同体文脈)を"追えなく"なり、

共同体意識コミュニケーション喪失組織崩壊を起こして倒壊する。

言うならば農業センスが求められているのである

フリーク達が根付き育ち易い土壌を作る為に土をいじり、

支え木、整枝、他の木を育てる為に光が届くような気配りも必要だ。

そうCGMにおける運営とは泥に塗れた地道な農作業なのだ

そこで初めて安定的に収穫が出来る。

から化学肥料(金)を振りまけば、木が生えるなどと甘く考えてはならない。

フリーク達はそんな物だけを目当てには簡単に集まらない

それは責任や拘束を伴うし、相互関係を阻害する物でもあるからだ。

嬉々として来るのはyoutuberの様な雑草だけだ。


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作り直さなければならないという状況に確かにニコニコは陥っている。

ニコニコというプラットフォームで固有コンテンツが育たず、

公式アニメ転載物という外来コンテンツランキングを多数占める様を見れば分かる。

このままではyoutubeなどと差別化出来ず、顧客を奪われて行くだろう。

からコンテンツを作り出すプロを呼び込もうと運営側は焦っているのかもしれない。

しかし、本当にそうならその場しのぎにしかならない事に気が付かねばならない。

それは一方的な"供給"であり益々ニコニコを「ただ見る場」にしてゆく行為に過ぎないのだから

本当に必要なのは「集まって簡単に楽しくワイワイ何か出来る場」なのだ

ユーザーはそういう"経験"が出来る"場"こそを求めているのだ。

そしてその場を地道に作って行くしかない。

ニコニココンテンツとはそもそもそういう物であった筈だ。

自分にとって関わりも物語も何もない第三者コンテンツならテレビで見られる。


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ベンチャー企業が名実とともに大企業となった途端、

ステータスを狙って繕う事と口先だけ回す事が上手な人々が横入りして、

実際"物"を作って来た現場主義エゴイステック情熱馬鹿人間を「融通が利かない」と追い出し、

組織原理追従して先人の遺産を食いつぶし落ちぶれていく様は良くある事だ。

そして、落ちぶれて行くのに気づいて焦り、某ナルドの様に明後日の方向に疾走していく事も。

しかし、踏みとどまり初心を見直して欲しい。

かつての空き地は、もはや無い。

しかし、かつての空き地に立つソレもまた好ましい物であってほしい。

かつての空き地の住人は昔を思ってそれを眺める。


2014-10-09

社会科教科書中学受験内容が「ドン・キホーテ」「植物工場」で揺らいでくる

★某塾のテストで、

 「スーパーマーケット店舗レイアウトで、肉や魚は店のどこに陳列されているでしょう?」

 「そして、それは何故でしょう?」という問題がでたらしい。

 (正解は、「店の一番奥まった部分」。顧客の回遊動線を考えると、結局共通の店舗レイアウトに収れんしていく)

★でも「ドンキホーテ」って、塾や社会科教科書に反した店舗レイアウトだな

 その問題解いた小学生で、「ウチの近くのドンキは、こんな教科書通りのレイアウトしてません」と反論したら、どうなんだろう?

 「キミの家は、ドンキホーテのような下品な店を使ってるのか?

 成城石井紀伊國屋スーパーのような、真っ当なスーパーを使わなきゃ、受験で落ちろぞ」と教師に叱られる?

★なぜ成城石井紀伊國屋が「中学受験に効く」のか、わかるかな?

 これらスーパーでは、ちゃんと「旬のモノ」を正しく売ってるからだね。

 中学受験では、理科社会問題食品動植物の旬を出題するから、旬を守ってるスーパーで買い物するように、お母さんにお願いしようね。

★でも、植物工場が急速に普及して、野菜の旬が無意味になった将来の、中学受験の内容が気になる。

 子供が「ウチは植物工場野菜食べてますから、年中●●が食べれます」となったら、教師はどう反論する?

 ちょっと前の教科書なら、「レタスは主に長野県とか群馬県高原地帯で採れます」と書いていたが、

 あと5年もしたら、この記載は無効になるだろうな。

 「工場の遊休スペースで、全国で広く栽培されてます」と記載が変わるのか?

★そもそもレタスという野菜自体日本に定着したのが最近(70年代以降)だからな。

 生サラダの食習慣とか、サンドイッチに挟む、という食習慣、つまりパン食の普及とセット。

 ちなみにすかいらーくの元役員が著書で「レタス日本に定着させたのはすかいらーく」と豪語してた。

 生サラダの食習慣が定着した、というのは、裏を返せば「堆肥農業から化学肥料農業に転換し、寄生虫心配がなくなったから」なんだよな。

 ぜひ、中学受験では「なぜレタス日本に定着したのか?」というテーマで、寄生虫問題とか化学肥料発明とかまで「発展学習」して欲しい。

冗談抜きで、そろそろ「植物工場」は、小学4年の社会科教科書なんかで掲載を開始してもいいレベルだと思う。

 

 あと、「どの農作物が、どの地方で、どの季節で採れますか?」を教育するより、

 「どの農作物は、気温何度で生育しますか?水量はいくらいりますか?背丈は?生育期間は?投入エネルギー量は?」を教育した方が、植物工場時代には有用

 なぜなら、将来は植物工場時代で、産地の知識より生育条件知識のほうが、はるかに役立つ

 でも、「農水省さん、植物工場社会科教科書に載せましょう」という文部科学省の提案は、

 「あれは邪道農業相談するなら経産省にしてよ」という農水省のツレナイ反応で、ボツになったのだった(※想像)

自分子供の頃(70年代)の社会科教科書では、「デパート」「商店街」は登場しても、スーパーマーケットは登場してなかった記憶がある。

 既にダイエー三越を抜いて、日本一の小売事業者になった時点(70年代)の社会科教科書でも、そんなもの

 それくらい、教科書現実に対し遅行的

 では70年代の時点で、社会科教科書は「スーパーマーケット」を大々的に取り上げるべきだったか

 たぶんそのころだと、このように教科書に書かれただろう。

 「スーパーマーケットは、駅前の立地で、広い売り場スペースを確保して、何でも買えるようにしています。」

 で、「70年代スーパーマーケット」を多数抱えていたダイエーは潰れたのは周知のとおり。

 つまり教科書の知識は30年も持続しない。

 生き残ったのは、郊外に巨大駐車場を用意し、専門店も誘致したモール型のイオン

★30年前、カイワレダイコン工場生産ブームになり、各社一斉に生産を拡大して、カイワレダイコンが大暴落して、多くの業者倒産した。

 現代の「植物工場レタスブーム」、カイワレダイコンの二の舞にならないか?少し心配

★カイワレダイコン工場生産価格下落し、植物工場レタスも後を追う展開。

 工場生産による価格破壊の「元祖」が鶏卵であることは、意外と知られていない。

 戦前鶏卵は貴重品だったんだよな。1960年代鶏卵の「生産革命(=工場生産)が起き、価格破壊が起き、食文化が変わった

食材価格ランキングって、生産体制物流全然変わるからなあ。

 今や松茸高値の花で、椎茸はフツーの食材

 戦前は全く逆で、椎茸高値松茸がフツー。

 その背景には「エネルギー革命木炭がダブつき、木炭原料を使った椎茸価格破壊された」一方で「森林管理がなされなくなり松茸高騰」という実態がある。

★おそらく、植物工場革命で、食材価格ランキングがガラッと入れ替わる。

 植物工場生産最適化される食材価格暴落し、植物工場じゃ生産できない食材は高騰する

 逆にいえば、従来型農業しかできない農家植物工場を作る資本力がない農家は、

 「絶対に植物工場化されない食材」に特化するのが勝利の方程式

 生産時間が掛かるミカンとか柿とかが、植物工場化される心配もなくて安全じゃないかな?

化学肥料が普及した時、農薬が普及した時、トラクターが普及した時の農業界(60年ほど前?)の雰囲気って、

 植物工場に沸いている今と雰囲気が似てるのかな?

 「これで農業が変わる!」と皆が夢見ていた時代

2012-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20120611225143

そらアンタ、生活を豊かにし安定を保証し全てを約束するのはカネだもの。そんだけビンボーしてりゃわかるでしょ。

勉強はカネのなる樹を肥やす化学肥料よ。血肉でも肥えるけど身が細りすぎるからね。

就職するのでなく初任給でオゴるのでなく、カネのなる樹を肥やしさえすればいいんだと考えたまへ。

勉強で豊かになる類の生活もあるけど、キミにはまだ無理だし多分一生用がないよ。

「飢えた人が読んだ後で食べられる本があればいい」とかほざけちゃう生活なんて。

2010-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20101120191124

元増田さんのお相手とは別の増田ですが、自分の知っている限りで極力具体的に答えを考えてみます

まずですね、日本で1億2000万人が飢えたり凍えたりしないで生きるには、石油とか原子力とかの恩恵が不可欠です。

いろんな試算がありますが、石油ウランを輸入しないで、太陽からのエネルギー水力発電含む)だけで生きるとなると、

たぶん3000万人がいいとこ、というのが常識的な線です。これは江戸時代人口が大体これくらいだった筈。

具体的に何が困るかというとまず電気不安供給になります工場以外ではほぼ全く使えなくなります

あとユニクロフリースは作れなくなって、国内生産の綿(ざらざらの生地)と絹(すげー高い)しかなくなります

もちろん自動車は走れないし、ビニールハウス野菜も全部作れなくなります化学肥料もなく、収穫大幅ダウン。

まあ、天然ガスはちょっと出ますから3000万人までは減らないかもしれませんけど。カセットコンロだけになるとか。

ああそうそう、麦もほとんど輸入なんでパンもうどんもほぼ食えなくなります

貿易というのは一応等価交換ということになっています貿易がめんどくさければ油田のある国を占領してもいいの

ですが、これは日本はやらないということにしています

外国から石油を買えばドルを払わなくちゃいけなくて、そのドルを手に入れるには、「ドルを持っている国」に

ドルを払ってやってもいいと思える何か」を売らないといけません。これは例えば工作機械とか、自動車とか。

ゲームもちょびっとはそうです。で、いい考えが浮かぶ人は少ないので、人口が多ければ多いほどありがたい

凡人は?優れた何かを集団でサポートしつつ(自動車なんて部品点数からしてパネエので大勢で作るしかない)、

買って来た石油を燃やして豊かに暮らすだけです。人生意味なんてあるもんですか。

なお、こんなことをしてまで生きなければいけないの?という根源的疑問に、まともな答えはありません。

自分死にたいです。

2010-09-07

農法の進化

農法の進化の過程を見ていると、紀元前から続く農業肥料との戦いであったことに気づく。

ヨーロッパの原始的な農法として二圃制というのがある。

冬に小麦を育てるのだが、その後はなんと一年間放っておき、休耕地にする。

これは別に農家が怠慢だとかではなく、そうしないと小麦が育つ地力が回復しないからだ。

次に北ヨーロッパに農耕文明が伝わってしばらくすると、三圃制というのがでてくる。

二圃制に加えて夏に大麦を育て、大麦→小麦→休耕のローテーションにする。

これは当時としてはかなり便利だったらしく、長く続けられた。

ところで、別にそんな面倒なことをせんでも成り立つ非常に便利な農法が古代にもあった。

氾濫を利用する方法だ。

メソポタミア文明エジプト文明、その他いろいろの文明の発祥地ではこれが非常に便利に使われていた。

土が枯れたら雑草に癒して貰うのではなく、川に流してもらい、新しい土を持ってきてもらうのだ。

そうすれば毎年なんの憂いもなく農業に励める。

現在では大河の氾濫など、人間に害があるばかりでダムでも作って治水してしまうものだが、化学肥料がなかった時代は氾濫は農業にとって非常に重要であった。

ところで、農地の地力とは、主に窒素分のことである。

大気中に腐るほど存在している窒素も、窒素酸化物などの形で地面に入らなければ植物が利用できない。

日本では古来、カミナリのことを稲妻と呼んだ。雲中で大放電現象が起きることで空気が灼かれ、窒素酸化物ができそれが雨に乗って地上に落ちる。無論、稲妻最初に呼び始めた人たちはそんな現象は知らぬだろうが、その関係性は知っていたのだろう。

窒素を大量に固定してくれる植物は、マメ科植物だ。

大豆などが有名だが、大豆肥料として利用されていた。日本では満州大豆を大規模栽培し、油などを取った絞りカス日本に輸入して肥料にしたりしていた。

化学肥料がいくらでも手に入る現在では、行われていないが、日本田圃では収穫後の田圃レンゲソウマメ科)を植えた。

幻想的な風景だが、昔は田圃に一面のレンゲソウが咲いていることが日常風景であった。(その蓮華は枯れる前に花ごと地面に巻き込んで肥料にした)

ヨーロッパ農業革命と言われるノーフォーク農法(輪栽式農業)では、クローバーを栽培した。

クローバーマメ科であり、この時やっと人間が「肥料を作る」という現象が発生した。

これまではずっと「肥料はどこかから持ってくるもの」だったのだ。(たぶんこの辺の意識の違いが近代近世あたりの歴史認識重要になってくるんだろう)

ノーフォーク農法は大麦小麦クローバーの他に、あまり地力を必要としないカブを育て、そのカブ家畜に食わせることによって家畜を年中飼育することができた。

クローバー家畜の糞でようやく、紀元前から続いてきた慢性的肥料不足は改善されるようになったのだ。

その後の化学肥料農薬の現代農法が確立されるようになり、肥料の問題は(少なくとも量的な側面では)農業から消滅した。

今や肥料をえるために四苦八苦していたのは歴史の事柄である。

2009-11-05

オヤジ自分ストレスを発散したかった?

どこかのブログで読んだネタ

「昔は良かった」的な話で、

「昔は近所の大人が、他人の子も叱っていた。社会全体で子供を育てていた。」とか、

「昔のオヤジは雷オヤジで、子供の躾をきちっとしていた」というのが

定説」になっているが、そのブログ主はその「常識」を疑っていた。

「雷オヤジは、単に自分の虫の居所が悪かったから雷を落としただけで、

 別に子供の将来のため、などという高尚な考えで雷を落としていたんじゃないのでは?」

なんか妙に納得してしまったのだが。

幼児虐待」も「現代の病理」的な報道のされかたをしているが、

実は昔から存在していて、単に報道されていなかっただけ、という気もする。

「昔の江戸は人糞を肥料利用していた『リサイクル先進都市』。

 東京江戸を見習え」なんてのも「昔は良かった」病ですな。

人糞利用の副作用としての寄生虫被害については見て見ぬふりをする。

戦前農薬化学肥料も使っていない有機農作物だけ。

 皆安心して作物を食べていた。」なんてのも、ノーテンキな話。

栄養状態・平均寿命を見れば、戦前と現代で、どちらが望ましいのか一目瞭然。

2009-07-31

無機農法?

「有機」に健康効果なし=一般食品栄養変わらず−英調査

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090730-00000016-jij-int

ブックマークなどを読んで永田農法を思い出した。初期の美味しんぼトマトの話で出てくる農法。

http://ja.wikipedia.org/wiki/永田農法

私は農業の事はよく分からないのだが、この永田農法では必要最小限の化学肥料だけで作物を作るらしい。おいしくて栄養価も高いそうだ。

有機農法にしろ何にしろ作物は余計な栄養を与えすぎると体に害のあるアクみたいなものができてダメなんだそうだ。

2008-08-08

田舎田んぼと、Googleストリートビューの共通点

初増「田」です。

雷光と夕立が稲の生長を約束してくれる一方、日光と降雨と化学肥料に恵まれて、すごい勢いで雑草も成長しています。

今頃になってもまだ雑草が生えている田んぼは、おわっています。

人の腰よりも高くなった稲の隙間に体をかがめて、稲の根を崩さないように雑草を根から抜くのは至難です。

秋には、稲と雑草をいり混ぜながら刈り入れ機を動かすことになるのでしょう。

....と、ヒト様の田んぼを見(=ブラウズし)ながら思います。

田んぼの一部だけ妙に生長がよかったり、その逆もあったりします。

それは田おこし・代掻き・肥料やりを均一にできなかったんだろうなぁ。

....と、ヒト様の田んぼを(以下略

刈り入れ時の晴れた日曜日には、家族総出で刈り取りをします。

でも、隣の田んぼでには夕方になっても誰も現れません。

あそこの家は、いつ刈り入れをやるんだい? 今やらにゃあダメじゃねえか?

娘のピアノがあるで、発表会がおわってから来るんでねぇか?

....と、ヒト様の噂をします。

地元の会合や地元温泉で、お隣さん(田んぼ的な意味で)に会うと、

「おめえさんとこは、農薬が足りんのじゃねぇ?」

「したの田んぼは、去年も最後まで刈り入れしなんだけど、今年は大丈夫なのかぇ?田植えもおそかったなぇ?」

....と、寸評をいただいたりします。

田んぼは衆目にさらされています。(ワールドワイドでなく、集落ワイドで)

 

どの田んぼが、どこの家のものか、ご近所には知れ渡っています。

 

なおかつ、ご近所さまは同業者(=農業)です。仕事の進捗具合は直感的に分かります。

「あそこの田は、ばあさんだけでやるもんで、全然手がまわらんなぇ」

「あそこは、息子も嫁もぜんぜん手伝いに来んじゃねえか」

....情報交換(=知の共有)も皆さんご熱心です。

「お前さんとこはいつ刈るだい?」

「わしゃ、再来週やらず(やろう)と思ってるけぇど」

「みんな、来週にはやっちまうって言うに」

「あれ、そうかね。そのほうがいいかねぇ」

....恐いです。仕事の手抜きや熱心さ、出退勤(田んぼにいつ来ていつ帰ったか)もチェックされています。

....私もチェックされていますが、私もご近所さんをチェックしています。

....ストリートではありません。田んぼです。

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