はてなキーワード: 田んぼとは
突然ですが、皆さんは福島県産のお米が売っていたら買いますか?お店で同じ種類で同じ価格の福島県産とそれ以外の場所で捕れたお米が並んでいたらどちらを買いますか?申し訳ないですが、私は福島県産以外のお米を買います。仮にそのお店に福島県産のお米しかなかったら、私はそのお店でお米を買わないでほかのお店でお米を買います。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111013ddm001040123000c.html
記事の中では
作付け制限された避難区域を除く県内48市町村でコメの出荷が可能となり、佐藤雄平福島県知事は県産米の安全宣言を表明した。
同日夕、記者会見した佐藤知事は「福島県のコメの安全性が確保された。トップセールスで安全性とおいしさを強調したい」と述べ、県内農家に「自信を持って農産物を作ってほしい」と呼びかけた。
ごめんなさい。信用できません。
確かに福島県のお米は美味しいかもしれませんが、安全かというと疑問があります。検査は全てのお米に行っているわけではなく、スポット的にそして、抜き取りで検査を行っています。そこで検査結果がOKでも検査していない場所やお米までOKとは限りません。あくまでも確率的にOKというだけだと思います。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111012-OYT1T01052.htm
同区によると、今月6日に民家の木製の柵に隣接する歩道上の9か所で毎時0・09~2・71マイクロ・シーベルトを計測した。水で洗浄したが数値は下がらなかったという。
つまり、スポット的に放射線が検出されたと言うことです。そうであれば福島県の田んぼでもスポット的に放射線が高い可能性があるのではないでしょうか?ここはOKでもここはNGというところが確実にあると思います。
もし、後からNGのお米が見つかったとしたら、国や県はいろいろな言い訳を言うでしょう。そして、「ごめんなさい」と。放射線に侵されたものを食べてからそんなことを言われても遅く、手を打つ方法はないかと。そんな、論争をするのであれば、危険を冒してまでも食べたいと思いません。
「じゃあ、ほかの場所のお米は大丈夫なのか?」
と言われるとわかりません。少なくとも福島県のお米は危険と思っています。福島と一言で言っても広く、安全なところのお米もあるかもしれませんが、私たち消費者の判断はどこのお米なのか(福島産など)しか判断する方法がないのです。
福島県の農家の方は丹精込めてお米を作られていると思いますので、このようなことを言うのは酷かもしれませんが福島県の農家の方、
お米を作るのはやめてください。
作っても私は買いません。
作るなら他の場所で作ってください。
と言いたいです。そう思うのは間違いでしょうか?
ごめんよ。偶然そこに生まれてしまったんだ。農家の長男が偶然そこに生まれてしまったように。偶然に。
その事実を受け止めて商人として、生きていく道を究めることができたのであれば、商店街もそれを使う人たちもハッピーだったんだろう。
30年で街は変わってしまった。
渋滞していた中心地の道路はバイパスができて、渋滞は解消された。
実は渋滞は賑わいだったのだ。それがなくなったもの痛手だった。
それまでは、商店街に空き店舗ができるまでは、新たな出店ができなかった。
田んぼを埋めれば、それも容易になる。
新規参入者が恐ろしい数で増えた。
跡継ぎと呼ばれた子供たちは、街の変化をみて、どうするか身の振り方を小学生のころから考えていた。考えていなかったかもしれないけど、自然と選択肢は絞られていった。金がないからだ。
アメリカの大規模ショッピングセンターを見学に行った人、勉強会を開いて、ドラッグストア、コンビニという新業態を学んで、実践していった人たちだ。
この人たちは、その手の商売の研究をして、郊外に出て新しい商売を始めていった。
すでに20年前にはジャスコのような巨大新規参入者と地元資本として真っ向勝負をしていた。もしかするとすでに合従連衡の渦に巻き込まれたかもしれない。
その子供たちは、その背中を見て、それぞれ別の道を歩んでいった。
で、問題は残った人たちだ。
うまく立ち回った人たちは、商売を縮小して、土地と家を残した状態で廃業した。その子供たちは月給取りになって、街を出ていった。
何も手を打たずにうまくいかなかった人たちは、土地を家を手放すことになった。
どちらにしてもシャッターは閉まったままだし、空き地が駐車場になる。
あと、商店街というか旧市街地には、戦前の大地主の生き残りの人もいる。商業地は農地解放の対象とならなかったからだ。この人たちは、本業が地主なので、趣味のようにコミュニケーションの手段として店をやっているかもしれない。さらに土地持ちの人の相続が紛糾した場合、所有者が増えて、再開発は困難になる。
飲食や食品加工はそれなりに残りやすかったし、ただ仕入れた商品を売るだけの業態はなくなった。多少の技術がいる電気店みたいなのは、大手家電店の作業の下請けをやっていたりする。
育っていく過程で、衰退する状況にどう対処するかを考えたら、勉強して進学することも別の業態に対応できるように技術を身につけて別の職業に就くことは、順当な判断だと思う。
新しい道で生きていくよ。
お前はとりあえずクチャラーが減りさえすれば割と何でもいい派なのか、それとも元増田のように自己中論理を採択する奴が特によろしいと思ってんのかはっきりしとけって言ってんのよw
「本人の利害や感情のみのためになされた行為が社会的な意義を持たない」例もごまんとあるし、それどころかマジで利他になるはずだったのに結果的に失敗することもあるから。
で、元増田によってクチャラーが減って、なんか社会に悪いことがあるの?
いいことだらけじゃんw
えええええ。
「元増田によって」クチャラー減ったことに社会的意義あるのコレ?
元増田が調子こいて、自分の気に入らないことには何でもこの調子で圧力かけてきたりすると非常に迷惑なんですけど。
いいから口閉じろよ、な。
これはクチャラー叩いてる側というよりは、ピンポイントでお前に言いたい。
もうちょっと頭使ってモノ言ってくれや。出来ないなら黙っとけ。
「ボランティアは邪魔だから来んな」論調が強いので、ボランティア経験のある俺も書いてみる。
ボランティアってものや、災害現場を肌で知っていたら、そんな画一的なおしなべた言い方なんて決してできないと思うんだ。
まあ大半は「いますぐの行動は抑えてくれ」って意見が多いと思うからそれでいいと思う。
でも、そういう意見を斜めに読んで「ボランティアなんて自己満足だ」みたいに批判するのはすごくまずいことだと思うし、もちろん、無鉄砲な、足を引っ張るだけの邪魔ボランティアも困ることだよね。
どちらの意見の人であっても、半年ほどたってから一度災害現場に行ってみて、きちんと働いてみればいろいろ感じるんじゃないかな、って俺は思う。
知らずに語るもんじゃないと思うよ。
もちろん、増田に多い「俺の友達がボランティア行ってたから知ってる」とか、「俺はきちんと勉強してるからわかっている」は全く話にもならないから要注意な。
じゃ、俺の経験について特定を恐れずに書いてみるよ。
俺が行ったのは、2009年の兵庫県佐用町付近で起きた、台風9号による水害でのボランティア。
知ってる人は知ってると思うけど、あの付近には巨大な放射光施設である SPring-8 って研究施設があるんだ。
俺は SPring-8 で働いているわけじゃないけど、研究のためにそこに行ってたのね。
行ったのが、水害発生から一か月くらいあとだったと思う。
で、そのときに近隣住民への心象のために、地域の皆さんのために、SPring-8 のイメージアップも兼ねて、SPring-8 関係者で行ける人はボランティアに行くようにしてください、休み出すから、のような通達があったらしい。
そこで俺の直属の上司が、若者はここでの仕事が終わった後、しばらく帰って来なくていいから一週間くらい滞在してボランティアに励んで来い、と言ってきたのね。
で、いつもボランティアなんて意識したことなかったけど、行ってみることに。
そのときは災害の規模も何も曖昧にしか知らなかったし、正義感のようなものも俺にはなかったし、なんでもやってみたらいい経験かも、って気持ちはあったけど、帰って仕事せんでいいんならラッキーみたいな気持ちもちょっとあった。
で、ボランティアってどういうシステムかまったく知らなかったけど、ボランティアセンター? みたいのがちゃんと立ち上がっていた。
まず、ボランティアを必要とする町会や個人が、町会や代表者を通じてセンターに派遣の依頼を出すみたい。
そこでセンターの人間が「必ず人を寄こせるかはわかりません」と言って依頼を受ける。
で、ボランティアする人は朝9時にセンターに来て、保険や受付やを済ませると、水と塩飴とマスクがもらえた。
その後、係りの人に、自分たちのグループの人数や男女の別を告げる。
するとセンターの人が、「今これこれこういう仕事の依頼が来てるんですけどどうですか?」と聞いてくれるので、おっけーだったら受ける。
そして、必用な資材(水害だったので土砂の撤去が主な作業なので、バケツやスコップ、雑巾、一輪車、軍手など)をセンターから借り受ける。
で、指定された場所に行って、依頼者の指示にしたがって仕事をする。
お昼休憩は必ずとることと、仕事が終わらなくても必ず16時には帰ること、という決まりがあったので、その範囲で働いた。
依頼者もそれを知って依頼していたので、きっちりそれを守ってくれた。
いま批判する人が多い「邪魔なだけのボランティア」の中には、このような範囲を超えて無理しすぎたために結果迷惑をかけてしまう人もいるんだと思う。
それを批判するのは、俺個人としては気がひけてしまうし、やはり批判するよりも無理を止める人をきちんと機能させるべきなんだと思う。
現場付近に行くと、道路が完全に流されていたり、線路が流されていたり、目を疑う光景があった。
道路がないと思ったら、アスファルトのプレートがはるか先にあったり、ガードレールがありえない形になっていたりすることもあった。
8月だったので、もう米の実った田んぼが壊滅しているところも多かった。
だからあれはやはり地震そのものじゃなくて津波のせいなんだなと感じた。
ただ、佐用では、自動販売機が水没するくらいまで水位がきたみたいだが、車は流されなかった。
まあ、「どっちの災害のほうが~」なんて比較は建設的じゃないし、不快に思う方も多いだろうからこれ以上は言わない。
俺のボランティアのときは物資の補給なんかも全然問題はなかったので、水や食料に困ることはなかった。
食料や水やマスクは SPring-8 の人が用意してくれた。
休憩時間に、飲み物か何かを出してくれる方も多くおられた。
水没した本とかもくれた。
佐用のあたりは山奥の山あいなので、山と山の間に支流が流れていて、その周りに集落がある構造になってるんだけど、集落ごとに水の高さが違ったみたい。
ひどいところもあれば、ほぼおさまってるところもあった。
現地にいくまでは報道でしか知り得なかったし、水害から一か月もしていたら続報なんてほとんどなくなっていた。
だから、いまがどういう状況かなんて考えてなかったし、ああまだ大変なとこもあるんだな、程度だった。
でも実際はまだまだ何もできてないという状況の場所もかなりあった。
日本のマスコミは関東偏重主義だから今回の地震報道はいっぱいいっぱいしてるけど、本当はどんなに小さな災害だってずっと影響を及ぼすし、それは報道してる期間が影響するわけじゃない。
関東に影響が出れば全国放送で、地方の災害は一ニュースでしかないって、なんだか複雑な気分になる。
というのも、関東は人口が多いんだから報道が多くて当たり前、というような論以前に、地方の災害への関東の意識の低さもあらわしているような気がするから。
で、やっぱり、まだまだの場所はある、と言っても、一応水はひいてるし、みんな生活場所を確保して、道路なんかは復旧して、みんな各各の家に戻れる人は戻っているって状況だった。
ここまで来るのに一か月かかったってわけだ。
そこまで来るのに大変な作業が必要だったろうし、自衛隊が活躍したのかどうかは知らないけど、公的な組織の活躍はあったろうと思う。
でも、それがあらかた済んだ時、災害によるその非日常が日常に変わったとき、そこからはもう個人としての復旧が必要になる。
だからそこからは、個人の家の復旧作業や、町会の排水溝の復旧なんかが必要になってくる。
だから、主に俺らは個人の宅にたまった泥をかき出したり、掃除をしたり、だめになったタンスを運んだり、水を吸ってあかなくなったタンスをこじ開けたり、ダメになった障子やふすまをはずして運んだり、そういう作業をやった。
個人の畑に流れ着いたゴミを撤去したり、私道というかあぜ道というか、そういうものを復旧させたり、延々と溝蓋をあけて中の泥をかき出して一輪車で運んだりした。
だから俺は思う。
これだけ組織的にボランティアをさばけるシステムが素晴らしいなって思う。
苦しいだろうけど、笑顔で泥だらけの自宅に戻る人たちがすごいなって思う。
俺らみたいな素人の、ただの体が動くだけの人間に、優しい言葉や感謝の言葉をかけてくれる人が、素晴らしいなって思う。
この態勢ができていたから、俺みたいなのでも少しは役に立てたんだと思う。
そしてそれは、まったく報道されなくなってから、ようやく立ち上がったシステムなんだと思う。
だから、そんなシステムが立ち上がる前に素人が現地に行っても、役に立たないのはその通りだと思う。
ガレキの山を前に、死体の山を前に、できることなんて何もない。
今は被災者は、情報も、安心も何もない、不安定な一時的な状態で過ごしている。
それが終わって、これが一時的な非日常ではないと覚悟を決めて、前に進もうと決めたとき、ようやくきめ細やかな支援を必要とする個人が現れる。
そのとき、ボランティアの人がいてくれたら、どれだけ心強いかわからない。
だから俺は思う。
乙武さんが言うような
「阪神大震災で被災した当事者の一言。「助けに来てくれて一番ありがたいと思ったのは、自衛隊の人たち。 一番迷惑で邪魔だったのは、自称ボランティアの人たち。こちらが必要とする事はできず、逆に残り少ない食品や飲料水をコンビニで消費していく始末」 」
でも、それを批判し、止めることが崇高な行為だとは思わない。
今邪魔になる人をひとりでも思いとどまらせて、それはそれでよかったのかもしれない。
それで被災者の一人が救われるのかもしれない。
でも、本当にそういう気持ちで動いた人って、自分が何もできなかったらそれでわかると思うんだ。
そしたらその人は、いつ行くか行かないかも含めて、次回は戦力になる振る舞いができるようになる。
今回役にたたなかったとしても、泣きながらおばあちゃんの手を握るだけで、救われる人もいるかもしれない。
だから、全てが無駄だなんて、胸を張って広めるような意見じゃないと俺は思う。
現地で大切なことを肌で感じてくれる人間を、止めることはあっても非難しちゃいけないと思う。
だって今すぐ行って、迷惑かけたけど泣きながら帰ってきたやつが、まだ復旧していない半年後に、本当にマンパワーが必要な時期に、前回の経験を生かして大活躍してくれるかもしれないじゃない。
いろいろ経験されている乙武さんには、そういう方を非難する資格は確かにあるのかもしれないけど、何も肌で感じたこともなく、自分で何も動かないやつは、決して言ってはならない言葉だと俺は思う。
確かに一定数、行っても何も感じない、行ったら邪魔なだけ、ってやつもいるんだろう。
ただ、そういうやつに乙武さんのことばはたぶん、届かない。
だから俺は、今の行動を止めることより、未来の行動を促す言い方をしようと思う。
自分に何かできることはないか、と思うなら、募金をしてください。
そしてあなたのマンパワーは、半年から一年後に貸してください。
どしてもいま動きたい方は、ハイチ地震や、九州の集中豪雨のほうに行ってみてください。
はてなという会社が存続し続ける限りはこの匿名ダイアリーの記事も残るはずで、あるいは、はてながつぶれてももしかしたら匿名ダイアリーのログは残り続けるかもしれないから、後世のためにこの二日間、京都に住む普通の大学生(若干だめな感じだけど)が何を感じたのかを書こうと思う。原発の放射能漏れがほぼないと分かり安心したのもつかの間(犠牲となった方がいたのはショックだったが)、3/12、22時ごろに南三陸町で1万人の安否不明という見出しがヤフーJapanのニュースのトップに載った今の心境は、はっきり言って最悪だ。
注意:当時の心情をありのままに晒そう(それでも抑えているつもりですが)と思っているため、かなり配慮に欠けた表現とうつる言葉づかいをしていると思います。もし、このダイアリーを見てくださった方でお気を悪くされた方がいたら本当にごめんなさい。けれども、書き残す必要があると思って書いています。
今回の地震において、僕はちょうど図書館の地下に行っており、揺れを感じることがなかった。というより、その場に居合わせた人間5,6人も揺れを感じたそぶりを見せることもなく、僕がこの大地震が起こったことを知るのはこの3時間後、18:00頃だった。
16:00頃
近くのユニクロでヴィンテージクラシックノータックチノを買いに行こうとする。恐らく本田圭佑が履いていたそれは品切れを起こしていたらしく入手することは出来なかった。ちょっと客が少ないし、従業員もそわそわしているかなとは感じたが、気のせいレベルのはずだった。
18:00頃
サークル棟に入ると、出会った知人に開口一番、地震すごかったねと言われた。「いや、何のことだよ(笑)?」と返したら、普通にどんびかれた。「揺れ感じなかったの?京都もすごかったんだよ。」と返されて、まず、しらねーと思ったし、後、「も」というのが気になった。そして、何やら東北で大地震が起きたことを知った(今のところ自分の周りで京都において揺れを感じなかった人間はいない)。けど、東北で大地震なんかよくあることだし、ま、今回もその異常耐震・免震っぷりが発揮されるのだろうと思っていた。ただ、死亡者がこの時点で30人を超えていたと聞き、普通の東北の大地震(通常はその規模に関わらず殆ど犠牲者が出ないので)ではないとは分かった。
19:00頃
ネットから遮断された状態の僕は、むしろ東北がいかに耐震大国であるか布教する宣教師となっていた。部室に来る人間には、東北がいかに凄まじい耐震・免震ぷりを発揮するかを力説し、死亡者が3ケタ行ったらとんでもないことだと今となっては糞虫のような推察を披露していた。
中国人留学生が本国の友達から心配されると話してくれて、同じく、東北の耐震免震大国っぷりを話していた自分がいた。ベルセルクとブリーチを読みながら、やっぱ蝕すげーとか思っていた。そして、帰宅。シャワー浴びて、ご飯を食べて、翌日河原町に行こうと思っていたので、ネットで靴みたり、雑誌とか読んでたら、あっという間に24:00になっていた。
事態がただ事じゃないことが分かったのは、23:57に、15:23に送信された母からの自分の安否を気遣うメールが届いてから。なんで今頃?届くの?と思った。そして、yahooニュースの見出し(見出し自体は帰ってからちらっとはみたもののあまり衝撃的な見出しではなかったので流していた)を開いてみると、まず仙台空港が水没していた。ちょっと半狂乱になって、いろいろ見ていたらtelegraphに津波が家を飲み、田んぼを飲み、猛烈な勢いで海岸線を超えて陸地を飲み込もうとしている動画があり戦慄した。後は、3:00まで、いろいろな2chのまとめ記事を真剣に見るだけ(3か月くらいテレビ壊れたまま)。これは日本でおこっているのか?と思った。そして、この時点で死亡者の数が4桁を超えることがほぼ確実となっており、未曾有の大災害であることを認識した。知り合いで被災地の近くの人間は特におらず、不義理なことをしていないことも含めて少し安心した。
朝起きて、yahooニュースを確認したら、実家(群馬)の近くでも地震が起きていることが判明し、慌てて母に電話した(メールでの返信は前日済み)。どうやら実家の周りでは被害がないらしく、一安心したが、改めて死亡者がこの段階で1000人を超えることが確実な中、今度はこの地震がいかにとんでもない規模の災害であるか、耐震・免震大国である東北でこれだけの被害が出ており、津波がどれほど想定外で、規格外であったかを伝えなければならないと思い、部室へ向かった。
13:00頃
まず、話した全ての人に身の回りの人が無事かどうか聞き(幸い不幸なことは聞かなかった)、ショックを受けていることを伝えた。そして、これがいかにとんでもないことか伝えた。そして、今度は原子力発電所が危ないことを聞かされた。けど、このときもまた、馬鹿を露呈することになり、チェルノブイリみたいな原子力発電所事故は起こる可能性がかなり低いだろうこと、中越の時のような場合と違い、原子力発電所が天災によって問題になることはそうそうあることじゃないことを力説した。
16:00
メルトダウンと聞いた時も、ま、そうでもないと思っていた。(図書館にて勉強中)
帰宅して直後、原子力発電所が爆発と見て唖然とした。これは悪夢としか言いようがないと思った。本が頭に入らない。後は、ぼんやりと事態をyahooニュースとしょぼんあんてなで確認するのみ。そして、犠牲になった従業員の方がいるというニュースを聞き最悪があるのかと脳裏をよぎり、22時手前位で最悪は防げそうと聞き安心したのもつかの間、南三陸町で1万人の安否不明という見出しがヤフーJapanのニュースのトップに載っていた。
もう何も起こってほしくない。
頭の体操で高齢者と柔整師と外国人をつまみ出すっていう発想はいかがなもんなんだろうか?
そりゃあ、100年くらい前だったら実に斬新で魅力ある発想だったのかもしれないけれども。
んじゃーね、横だけどちょっと俺も頭の体操してみる。
まず、国民健康保険、これやめよう。
民営化しちゃおう。
強制加入を義務付けて、(ただし、保険会社はどこでもいい)国民皆保険制度だけは維持って方向で。
いまさ、収入に応じて掛金が決まるけど、普通の医療保険みたいに、病気や事故に合いやすいヒトほど掛金が高くなる方式にしちゃおう。
そりゃ税金は投入はするけどさ、保険会社だってお断りしたいような人も保険にいれないとならんからそのぶんの補填にね。
いまよりずいぶん安く上がりそうじゃない?
セコムあたりに売っぱらおう。
国がしっかり管理しないとダメとか言われそうだけど、薄給なセコムの警備員に警察の給料払ったらいい仕事してくれると思うよ?
有事の際だけ外注のほうが安く上がるんじゃねーの?
え?中国が攻めてくる?
むしろ中国に外注しようぜ。
アメリカ軍雇うより人民解放軍のほうが安くレンタルしてくれそう。
とりあえず東京を。
六本木とか今だってガイジンのほうが多いんだもん、日本じゃなくなってもいいんじゃないかな?
東京を追い出された都民の一人でも、尖閣諸島とか竹島あたりに住んでくれたら美味しいな。
24時間風呂で、50インチ液晶テレビがあって、国産車が五台くらい並んでる大豪邸。もちろんセコムしてるぜ。
しかし、東京に中国人がたくさん住むと、ダサイタマに住んでいても喉元にナイフ付きつけられたみたいで安心出来ないし。
ゴーンあたりに公務員のリストラを頼みたいけど、あ、ゴーンはフランス人か。まあいい。
総理はジョブズに。
神プレゼンに期待。
ジョブズは余命が短そうだから、名誉とやりがいのある仕事を引き受けてくれるんじゃないだろうか。
国営SNSを作ろう。
国民全員にアカウントをつけて、ジョブズ内閣のもとに一人一票を実現するんだ。
法案の可決否決は全部国民投票さ。
アカウントでヒモ付きにすれば都合が悪い意見言うやつとか都合が悪い票を入れるやつを簡単にぶっ殺せるしってのは内緒な。
ツイッターやフェイスブックと競合するようなサービスをして、できるだけ向こうの情報に触れないようにさせたいな。
出会い系っていうか、お見合いパーティーってか、もう面倒臭いからトントンっと合同結婚式だ。
面白くない?すんません。
快速なのに止まる筈じゃない駅で停車して、
「体調の優れないお客様を救護しています」だって。
体調が優れないならさあ、
悪化する前に降りて休憩しろよ。
もし外まで歩けないなら周りに助けてもらって外へ出ろよ。
無理して乗り続けた挙句にみんなに大迷惑かけるなよ。
なんなの?
学校や勤め先に遅れたくなかったの?
周りに声掛けるのが恥ずかしかったの?
その電車だけじゃない後続のなん本もの電車に乗ってる全員からも10分もぎ取って。
これってさあ、すごくマケて計算しても
大雑把に3,000人×5(5本でダイヤ回復しないけどな)、
15,000人×10分で150,000、
たったの2倍だとして300,000。
電車10分止める奴はさあ、てめえが2年働く分ぐらいの損害を社会にかけてるんだよ。
本来朝の時間の掛け数はもっと高いし
ダイヤ回復までの本数はもっとかかるし
更に、本来は周辺の別の線への影響もドンドン広がっていくけどそれもなしにしてる。
10年ぐらい家に引きこもってくれてた方が良かったわけだよね。
電車なんか乗らずに。
そういうことをちゃんと自覚した上で電車止めてるのかなあ。
駆け込み乗車で止める奴もね。
こんなこと書くとアホのはてサがまた
「不寛容」とかどうとか一つ覚えをわめくけど
大規模でストリクトなシステムの中にいる間はそれなりの注意力を求められるのは当然だろ?
みんなが少しずつ注意すればみんなが損しないんだよ。
あとこういう話題で田舎者がゴチャゴチャ言うのもやめろよな。
お前らの生活では俺が言ってるようなシステムの話はどうせ想像できない。
お前らには発言権ねーから。
ベーシックインカムに対して感情的になる人があえて見たくない現実を提示しよう。
あんたらの大半は働いているように見えて、「働いているフリをした社内ニートでしかないから!」
会社勤めを一度でもした人を誰でも実感している、というか気付かざるを得ない事があります。というか気付かなかったとしたら鈍感すぎる事実があります。
会社で働いている人のうち、会社の生産性に貢献しているのは多くて全体の3割。酷い会社だと1割にも満たないという事実。あとの大半の人間は、「働かなくてはいけないと思い込んでる」被雇用者と「雇わないと体裁が悪いし行政から指導を受ける」雇用者側の都合によって雇用されている「利益に貢献しない、働いているフリをした社内ニート」です。
景気の良い時代なら、みんな被雇用者側は働いているフリをしている満足感に浸り、雇用者側も社会に貢献しているや会社が大きくなっている満足感を得て、winwinな関係を築く事ができたでしょうが、今の日本の状況下では「雇用している人間に働いているフリをさせる経費」、「働いているフリをさせる手続き」、「働いているフリをさせる時間」を無駄に浪費しているだけで企業体質を衰えさせる「給料ドロボー」にしかなってないわけです。
中には会社の存在そのものが無用の長物に成り果てている企業も少なくありません。
さて、ニートを見下している皆様、あなたたちは雇われている会社の利益に貢献している自信がありますか? さらに言えば会社そのものが社会に貢献できていますか? さらに言えばあなたの会社は社会に必要である自身はありますか?
ぶっちゃけ、本当の意味で経済を活性化させたいのなら、こういう「社内ニート」たちを全部リストラして、ベーシックインカムで最低限の金だけ与えて養っといた方が良いのですよ。そして徹底的なワークシェアリングとOA化、機械化、IT化を進めて、「利益の出せる人間だけが働く」、「利益の出せる分だけ働く」という事を徹底させるしかないんですよ。
こうして考えると、わざわざ経費をかけて無駄な仕事を作ってやった上に社内ニートに20万↑の給料を与えるより、10万程度の最低限の生活保障だけ与えて「利益の出せる仕事」だけさせるベーシックインカムの方が遥かに効率が良いわけです。
このカラクリを理解していないと、ベーシックインカムの本当の意味がわからず、それから企業経営者や財界関係者の中にもベーシックインカムの論者がいる理由が理解できると思います。
ようするにベーシックインカムというのは、究極的な社会のリストラクチャリングなのですよ。
大昔は、田んぼから米を採るのに大家族が、村中の人間を総動員して多大な人手をかけて作っていましたが、今は徹底的な省力化が計られています。
私に身近な出版業界で言えば、社内の人間や関係者を働かせるために、利益に貢献していない雑誌や本を作っては潰し、作っては潰ししている。さらに利益を挙げている部門にしろ、本当に利益を挙げている作品は、雑誌や本の全体の1割で、あとの作品はただの寄生虫にすぎないという事実。
もうね、どこの企業もこんな有り様なのですよ。
仕事のための仕事を増やしながら、それがさらに仕事を作ってという「生産性に繋がらない仕事ばかりが雪だるま式に増えていく」のが事実という。
これからの時代は「労働は美徳」という言葉に次の言葉をつけなくてはいけないのです。
この言葉に基づいて、その職場で働いても利益の出せない人は全部リストラ。ベーシックインカムで最低限の生活だけ保障して、生産性に繋がる人材だけに高報酬を与えるべきなのです。それが本来の資本主義のあるべき姿なのです。
そしてベーシックインカムで暮らしながら、いろいろとワークシェアリングでチビチビ仕事を探しながら「天職」を探していけば良いのです。
今働いている人間の大半は給料や報酬分の利益を挙げられていない社会の寄生虫に過ぎない。だったら、無駄な給料や経費に金を使うよりはクビ切ってベーシックインカムで養ったほうが効率が良いという事実。
反対する人はこういう事実を踏まえておいた方が良いのです。
長い間、「勤労の義務」とか「労働は美徳」と思わされていた人にはショックが大きいでしょうが、新卒の人たちですら雇いきれないという現実から、もう日本人は学ぶべきなのですよ。
ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。育った町は関東に位置している田舎だった。電車に乗れば東京までたかだか一時間半か二時間程度の場所だったが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならなかった。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機で切符が買えなかった。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスも早くて、夕方が差し迫ってくるともう乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。
電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げて田んぼに水を注ぎ込む小川も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも遠く、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかなくて、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンもみな忌み嫌っていた。
私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。
高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住処を確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
私は住処を確保できた幸運な一人だった。山の手の静かな住宅地の中の、学生用の古い汚い部屋でも、私にとってそこは「トカイ」だった。駅に着くまで田畑はなく、家々は軒を並べ、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈は一定の間隔で並んで闇を追い払ってくれる。都会には月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心があった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、蚊に食われたといいながらよくベンチに座って、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているのに、どこかに必ず境目があって、境界付近で二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、それだけで田舎だと言っているけれど、田舎はそうじゃない。
コンビニには車で出かけなければならないことも、コンビニは農協のようなものだということも、、新製品は何か月もしないとおかないような、そのくせいつからあるのかわからないような商品が段ボールで積み重ねてあるということも、あなたたちは知らない。発売と同時に新商品を手に取ることができる喜びにあなたたちは気づかない。駅と駅の間が近くて、自転車で行き来でき、一つの場所に店が集まっていないせいであちこち足を運ばなければいけない不便性は田舎のそれとは違う。
大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎だ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしないのが田舎だ。あなたたちはそれを知らない。
盆や正月に田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。
そうして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。私はABABでいいものがあれば買うし、同じようにしまむらで掘り出し物があれば買う。田舎よりも安くで手に入れることのできるものは都会で買い、田舎で安く買うことのできるものは田舎で買う。どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだ。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。
「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。
私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。
記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。
父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。
引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルドも本屋もミスタードーナツもある。旧市街地は門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。
バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置している新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに行った。
父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分で都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙な時間的距離は苦痛だったのだろう。
子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。
そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。
祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。彼らは東京駅で人込みの歩き方がわからなくて、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。
たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京にイオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列のショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。
あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。
私の住む東京と千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町だからここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎を志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。
それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。
程度は軽いものだったらしく、基本的に身体に後遺症は残らないが、元々弱視だったのが片目失明だそうだ。
はっきり言って。正直この人が倒れたとかどうのはどうだっていい。暇な時は一日中パチンコに行き、農協の役職?に就いていたらしく社会的地位はゼロなのに無駄に威張り散らす。父も母も疎ましく思っていたのは明白だ。そう、倒れた事なんてどうでもいいのだ。
季節は9月。秋。誰がなんと言おうと農繁期である。規模の小さい我が家は農業だけでなんて食べて行ける訳はなく、父も私も会社員だ。基本的には祖父と祖母が田んぼと、梨を作っていた。そのどちらもがこれから、ちょうど最盛期を迎える。梨のことは父が「なんとかする」といっているが問題は田んぼだ。素人が機械に乗って稲刈りなんてできない。では知り合いか、どこぞの農業法人に頼るしかないではないか。
そこでさらに問題が発生した。「稲刈りしてもらうにしたってお金がいる。そのお金はどこにある?」祖母は何も知らなかった。年間を通して農業に従事しているにも関わらず、祖父から一銭も受け取ってはいない、故に何処にお金があるのかわからない、と。
直接祖父に聞いてみたが返事は返って来ず。もう話す事も出来るというのに、お金の話になると苦しみだす(おそらくふりをしている。)父や祖母は気付いていないようだったが、私にはわかった。「こいつ、多分借金してやがるな」
彼がパチンコ好きだったのは周知の事実である。父はギャンブルはやらない。祖母や母もやらない。しかし、私は一時期パチスロにハマってしまった。ほんの微小な額ではあるがお金を借りてギャンブルをするという経験がある。経験者は語るではないが、勘は働くようである。直ぐに祖父の口座やなんかを洗っていった。
事実、彼(もう祖父とは呼びたくない)には借金があった。通帳を記帳したらマイナスがついていた。定期預金の口座はない。単純に借り入れをしている。その他にも、口座に「借入金」という入金がいくつかある。これは農業を営む為の何かなのか。今はまだわからない。しかし、去年の確定申告書を見る限り、経営自体は赤字ではない。個人年金も受給している。やはりパチンコで借金を作ったとしか思えない。
稲刈りをしてもらうには40万円ほどかかってしまうらしい。それは米を出荷するお金でなんとかなるそうだ。しかし借金はどうするのだ。彼はもうおそらく農業は無理だ。何せ車が運転出来ない。祖母は出来ない事はないが苦手である事に間違いはない。父と私と母は会社勤めを止める訳にはいかない。そもそも採算のとれない農業なんてやる気がない。
これが今回私の家族に降り掛かった事の今までの経緯だ。これからどうなるかはまだ何とも言えない。とりあえず相談できそうなのは農協くらいなものなのでそこに頼ってみるつもりだ。しかし口座のマイナスが消える訳ではない。
彼が退院してきたとき、私は彼を家族として迎え入れる自身がない。彼の人格はともかく、私は私の愛する父と母を苦しめた彼を、許す事など到底出来そうにない。
働くのが怖い。確かにそうだ。
人と接するのが怖い。確かにそうだ。でも、自分はこれまでは出来るだけ人と接してきた。でも、結局は人と接しても疲れるだけだ。
一人暮らしをしてみて、一人でいるのが当たり前になると、人と接するのはどんどん疲れることになる。寂しいときはネットで繋がって適当な時間まぎらわせばいい。
何も自由を犠牲にしてまでリアルなつながりを求める意味はないんだ。好きなときに好きな時間だけ繋がることが出来る。リアルの不自由なつきあいではムリだろう。
その延長に、働きたくないということがある。
まず自分が一番に感じるのは、特定の組織に属する恐怖。これは、その会社がいつつぶれるか分からないから怖いという超低次元の話ではない。
特定の組織に属するということは、特定の視点を持たざるを得なくなるということだ。それが怖い。
自分は常に遠い視点から物事を見ていたい。もちろん人間には難しいことではあるが、組織に属さないということでも、他の人よりはかなり視野を広く出来る。
これは何も会社に入っているかいないかというだけの話ではなく、学校や、特定のウェブサイトにだけ通っているとかそういうことでもまた違ってくる。
2ちゃんねるに入り浸ると、2ちゃんねるの価値観に染まってくる。2ちゃんねるの価値観なんてないと思うかもしれないが、大勢を占める意見というのは存在する。確実に。それが社会の持つ性質だ。完全にバラけることなどない。人が集まり社会を作れば必ずそうなる。だからこそ、2ちゃんねる=ネットになってはいけない。
新聞をいくつもとるというのは、現代的に言えばネットでたくさんのサイトから情報収集をするということと同義だろう。近頃はネット言論などということを言い出す勢力までいて、確かに日本では2ちゃんねる系の右派(右翼もどき?)がWikipediaを不当に改竄したり色々問題が起きてはいるが、ネットは広いのでそういう人ばかりではない。
というか、ネットが出来たことで、リアルを絶対視する理由はなくなったと言ってもいいだろう。リアルを過剰に絶対視し、ネットを軽蔑する人間の多くはネットがない半生を過ごした老人達(40歳程度の人間も含む)であり、社会の抱えるカオスという面を無視してネットの闇などと平気な顔で語る老害たちだ。
話を戻すと、働きたくないのには、まず組織に属したくないというものがある。
そして次に多くの働かない人々が言うような、組織内に存在する陰湿な部分への嫌気だ。
組織に属し組織の教育を受け、組織のために尽くす。昔なら美しいイメージで語られていたのだろうが、自由な世界を望む自分から見たら吐き気をもよおすようなイメージだ。
学校などは教師という絶対権力者の頭が古すぎるために、子供がまるで何十年か前の人間のような物言いをする。ネットに触れた人間はそれら教師達の言葉がもはやこの世界では古すぎるということを理解出来るのだが、今度は自由な世界を望むはずの大人が「ネット規制をしろ」などとほざき始める。
自分はまわりが田んぼだらけの田舎に生まれたが、洗脳教育に染まらずにここまでこれたのはネットの力が大きかった。当時ネット環境が家にある家庭は(田舎だから)ほとんどなく、自分はまわりの子供よりも2段階ほど大人になるのが速かったのかもしれない。という大それた話より、自由な世界を垣間見ることが出来たのが大きかった。学校が全てではない、学校で教えられることが全てではないとはっきりと確信出来た。
働かない自由、それは現代で言えば組織に属さない自由ということになる。
このような視点を持って働くことを拒否している人間は少ないだろうが、遠くから世界を眺めることで見えてくるものに自分はおもしろさを感じる。
しかしそれで金儲けをしようとは思わない。それのどこが悪いのだろうか。
結局彼ら(働く人々)は投げやりな態度でこう言うのだ。「金に困ってないならいいんじゃないの」と。結局彼らはその程度の理由で働いているのだろう。別に同情するつもりはないが、何と自分に嘘をつくのが好きな人たちなのだろうと不思議な気持ちだ。
働かない自由、それが次世代のキーワードになるだろう。
私、描画の心理検査って苦手なのだよねえ。
今までの人生で確か2回「川を描いて」「田んぼを描いて」の心理検査(これだhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%99%AF%E6%A7%8B%E6%88%90%E6%B3%95)をしませんか、という機会があったのだけど描けなかった。
自分を知られるのが怖い、というのと、全部聞いてからじゃないとうまく構成できなくて嫌、というのがあった。
前者は最近はないんだけどね。
画面を四等分して交互に絵を描いてお話を作るというのもあったなぁ。
それも描けなかった。ごめんなさい。
(ふと思いついたけど、だれかtwitterでリレー小説やらんかな)
油彩なら描けたかもしれないな。
油彩なら上から色を重ねていくらでも描きなおせるから。
知らない描画の心理検査をされる夢を見て思った。
最低限の生活保護は仕方ないと思うけど、その金で遊んでいるから許せんわけですよ。
その対策としての案が現物支給なわけで、あなたは現物支給がなぜダメかを論じているだけで、その代替案がまったく出ていない。
少しだけあったのがこれか。
パチンコがダメならパチンコをつぶせばいい、とパチンコ依存症は病院に送るべきだ。
だけど、パチンコが潰れても娯楽は他にいくらでもあるわけで、その全てをつぶすのは不可能だし、健全な一般人にも影響がある。
パチンコ依存症は病気ではないから病院に送ってもまるで意味がない。
結局それならば現物支給のほうがまだいい案ってことになる。
私は、生活保護受給者は、言い方は悪いけど今の刑務所みたいなところを作ってそこに入れればいいと思う。
中に畑とか田んぼとか作って出来る限り自給自足させて、足りない分の食料を施設が購入する。
施設内に管理者を置いて、料理なんかは生活保護受給者の内、可能な人がうけおう。
もしかしたら今よりお金はかかるかもしれないけど、お金は配らないから不正受給の心配もないし、遊びに使われることもない。
加えて刑務所に入ろうとして軽犯罪を起こすような人もいなくなる。
お金を自由に使いたくて出ようとして頑張りもするだろう。
大学に入り、生活費を稼ぐ為にコンビニのバイトを始めてもうすぐ丸二年。
女であるため深夜帯のシフトには入らない。
臨時で人が必要になっても私のシフトが延びるのではなく店長(オーナー)が入り、暗くなると危ないからと帰らされている。
確かに暗い道は怖いけど、田舎なんだから過敏にならなくても、と常々不満に感じていた。
そもそも大した容姿も持ち合わせていないのだから心配要らないと。
仕事中は小奇麗にしているつもりだけども、基本モサいひんぬー眼鏡のチビで、ちょっとお洒落頑張ってみようとショートにしたときは少年に間違えられて補導されかけたくらいだし。
話がずれたので戻す。
入って少ししたらすぐに常連も覚えた。
大体同じものを買うので、レジを通すまでもなく支払い額が分かっていることも少なくない。
人によっては先にピッタリの金額を出されたり。
そんな中に毎日ご飯を買いに来る人がいる。
晩ご飯が基本的にコンビニのものらしく、弁当や惣菜、飲み物を毎日買っていく。
眼鏡、髪型や服装には特に気を遣っていないけど小汚いわけでもなく、スーツ姿が殆ど。
たまに私服姿も見かけるけどもあまりぱっとしない。
レジでの受け答えは基本無言で、印象的にはエキストラ人生と言えばいいのだろうか。
社交辞令で「モテそうなのに」とか「彼女いないの?嘘ばっかり」と言われるけど、「ああそうだろうな」と内心思われるだろう感じの。
その人に、バイト帰り待ち伏せされた。(その時点ではその人だと気付かなかった)
田んぼの広がる通り沿い、自転車に乗って店から少し離れたところで暗がりから目の前に現れ道を塞がれたのは、ただひたすらに恐怖。
瞬間的に浮かんだのは、変質者・通り魔・強盗・強姦、そんな単語ばかり。
恐ろしくて声が出ず、とにかく逃げようとしたら、自転車のハンドルを押さえられ、「待って」を連呼された。
「俺です、○○です」と叫ばれても思い当たる人がいないため誰のことだか分からず、恐怖心から「人違いで襲われるのか」という考えしか浮かばなかった。
パニック状態で自転車を放して逃げるとか、そんなことも思いつかなかった。
とにかく、早く相手の手をハンドルから引き剥がして自転車に乗って逃げるということだけ。
腕を掴まれたため必死で暴れて股間を蹴り上げ、直後に腰を抜けて絶望的な気分になったのは覚えている。
そのあとは誰か別の人の怒鳴り声と「違うんです」という連呼、口に押し当てられた袋の感触と、ゆっくり息をしろという声くらいしか覚えていない。
落ち着いてきた頃には警察が来ていて、相手の姿はなかった。
店長の奥さんに付き添われて警察署に行き、「あの人に見覚えはありますか」と扉越しに相手の顔を確認させられたら、いつも買い物に来る常連さん。
身近にそんな人間がいたのかと恐ろしくなってまた涙が出てきて、店長の奥さんに宥められていると、その人の言い分が説明された。
曰く、私に告白するつもりだったそう。
だけど、私が逃げようとしたため、待ってくれと連呼し、私が知りもしない自分の名前を言って安心してもらおうとし、とにかく落ち着いてもらおうとしていたと。
確かに自分でも信じられないくらいのパニック状態に陥ったのは恥ずかしい。
それでもやはり怖いものは怖い。
夜道でただ声をかけられるだけでも怖いのに、いきなり道の正面を塞がれたり、捕まえて逃げられないようにされたりしたら。
それが本当かどうかはともかく、今までどれだけ人畜無害であった人でも、あんな真似をされたらもはや恐怖の対象でしかない。
厳重注意ということで終わり、謝罪もされたが、あの人がまた買い物に来るかもしれないと思うと、正直もうバイトに行きたくない。
店長は暫らく休んでいいと言ってくれているけど、家から近くてバイトを募集しているところは他にないし、生活費を賄っている以上どうしようもない。
助けに入ってくれた人(店の常連。漫画、ゲーム、デジ物の雑誌や食玩、拡販物をよく買うオタクキャラとしてスタッフに覚えられているイケメン)が私の住む所の近くらしく、当面自分が仕事帰りに迎えに来て送ってもいいと言ってくれているけど、どうしようか悩み中。