はてなキーワード: 堀北真希とは
堀北真希を射止めた山本耕史の行動を「ストーカー」扱いする人が多い。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150825070718
だが、これとよく似た例がある。藤本美貴だ。
連絡先を教えてって言われて、芸能界の先輩なので、
その後、庄司の人となりを知り、
“好きだ!”とか言われて
“私は好きじゃない”って言い続けていて。
それでもあきらめなくて、
こんなに好きになってくれる人っていないんじゃないかって思い始めた。
こんなにあきらめない人っていないなってところで引っかかった」
と徐々に心境が変化していったことを明かした。
「女性はあきらめないってポイントかも。2、3回振られたぐらいじゃ、
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/02/11/kiji/K20150211009790750.html
庄司智春は“私は好きじゃない”と相手から言われ続けて、それでも諦めなかった。
かくて二人とも美女を射止めた。
参考:
堀北真希と山本耕史の件でイケメンだから許されるんだーと被害者面している男に限って
女を容姿で選ぶのは当たり前のように思ってるからダブスタ過ぎて本当に気持ち悪い
堀北が美人だから惚れたのは棚に上げて、結婚できたのは山本がイケメンだからですかそうですか
男はあの程度の容姿でもイケメン扱いされるんだな、女だったら絶対ブス扱いだろって
本当に男は楽してるなと思ったよ
山本耕史のアタック方法がストーカーみたいだ、なのに許されるのはイケメンだからだーウワーン!みたいなのをよく聞くけど、堀北真希にとって山本耕史はイケメンなのか?という話がしたい。
先に言っておくが私は山本耕史ファンである。別の人目当てで観た舞台に出ていた山本耕史に、ひと目で心奪われてから彼の出る舞台はたいてい見ている。それまでの私だって山本耕史のことは知っていた。当然、顔だって知っていた。だが、彼のファンになったのは彼の舞台上での動き、しぐさ、華やかさ、みたいなものが素晴らしかったからだ。これはドラマではあまり分からなかった。つまり「仕事ぶり」である。
一方、山本耕史の顔はというと…確かにベビーフェイスでブサイクではないが、俳優として圧倒的にイケメンではない顔という印象である。いや、私の周囲に限れば圧倒的イケメンであるが、堀北真希である。彼女のまわりには山本耕史以上の水も滴るイケメンが掃いて捨てるほどいるはずだ。
山本耕史が俳優として堀北真希ほどの位置にいるかと問われるとやはり疑問があるし、頭髪はギリギリだし、何より彼は38歳なのだ(否定したがる人が多いけどたいていの26歳女子にとって38歳の男は産廃だからね)。
それに山本耕史は数々の浮名を流してもいる。本気で言い寄ってきているかどうかの確証なんてとてももてなかったのではないか。
では山本耕史の何が堀北真希の心を動かしたのだろうか、と考えると、やはり「舞台上の仕事ぶり」に落ち着くのだ。舞台での共演がなければ、堀北真希は連絡を無視し続けたのではないだろうか。
つまり堀北真希は、(堀北真希視点で見ると)条件もそれほどよくない、すごく年上の俳優を、みなさんの大好きな「中身を見て判断」したのではないだろうか。
特に親しいわけでもないけどそれなりに付き合いがあるような人たちの飲み会にお呼ばれするとしばしば異性に対する好みのタイプの話題になることがあって、
自分は隠れオタクなもので、かっこいい系のお姉さんとか好きなんですぅ~、あなる弱そうとかくっころとかああいう系、みたいなことをマンガアニメエロゲ的な部分を出さないようにぼかして言うと、
そんな女がいるわけないとか、
そんな女と付き合えると思ってんの?、とか、
そんな女と付き合うと大変だぞとか、
とてもありがたいお説教をいただいてうざったいこと極まりないのですが、
彼らが堀北真希とか武井咲とかの名前を挙げるのと何が違うのかよくわかんない(イミワカンナイ
あの先輩は長澤まさみと付き合うことができると思っているのかしら
「好みのタイプ」の話題って、二次元が相手なら付き合うどうこうなんて考える必要もない(むしろ向うから寄ってきてくれるまである)わけですけど、三次元が相手だと身の程をわきまえろみたいな話になるからめんどくさいですね
これから書く文章は、女性からすればあまりに失礼な文章であり、どこにも吐き出すことができない気持ちなので匿名ダイアリーに記す。
自分としては自覚はあまり無いのだが、実際今付き合ってる女性は人生で一度も私以外から「可愛い」と言われたことが無いらしく、じゃあ世間の評価はそうなんだろうなと思う。
私からすれば愛嬌があり可愛いと思うのだが、まあそこは本題では無いので割愛する。
別に世間で言うブスがカワイイと思うわけでは無いし、世間で言うカワイイ人はほんとにカワイイと思う。
森三中とかは全員ブスだと思うし(森三中さんごめんなさい)、堀北真紀や橋本環奈のような人は可愛いと思っている。
ただその中から一人だけ彼女に選ぶとしたら、年齢の問題はあるけれど、私は森三中を選んでしまうだろう。
何故かというと、これは非常に失礼な理由だが、自分に自信が無いからである。
私と堀北真希が付き合えたとして、私は堀北真希を浮気させない自信が無い。
少なくともあんなに美人を世の男が放っておくワケがない。たくさん食事に誘われるだろうし、遊びに出かけるだろう。
その時私は堀北真希に対し、自分を好きにさせ続ける自信がないのだ。
一方で、森三中が彼女になった時は、浮気されるリスクが減ると思っている。
世間で「カワイイ」と思われて無ければ、誰も手を出さないだろう。
私は生まれて20台後半まで一度も彼女ができたこともなく、デートもしたことがなかった魔法使い予備軍であった。
29にて婚活パーティに参加しようやく3歳下の彼女ができたのだが、彼女も「いない歴=年齢」の喪女だった。いわゆるモテない女性だったのである。
婚活パーティでは、私はどうしてもパーティ内の一番人気の女の子を選ぶことはできず、その人を選んだのだ。
彼女はパーティ内で、アプローチカード(投票用紙のようなもの)をせいぜい2票程度しかもらっておらず、まあそのくらいのモテ度だった。
(1人3票持ってる上に男性の方が人数が多いため、2票は平均以下のモテ度である)
口が裂けても言えないが、私が彼女に投票した理由は、あまりモテそうになかったからである。
自分の中の最低限の容姿はクリアしつつも、モテそうにない人に私は投票していた。
これは私がブス好きなのではなく、自分の中の最低ラインを超えつつ評価は低い人を選んでいたからである。
結果その人と付き合うことになるのだが、自分の中では満足しているものの、世の中の女性はもっともっとかわいい人はたくさんいると思う。
Cinemascapeでもみんなのシネマレビューでも酷評であったため、あまり期待はしていなかったが、割と楽しめた。
魅力的な作品であるが、酷評も納得の問題点が散見されたため、それらを論じつつ、それでもみんな『渇き。』観た方がいいよ!!ということを論じたい。
以下、ネタバレなし。
まずあらすじを書く。大まかに言うとこの映画は、主人公の娘加奈子に魅入られた2人の男が、その魅力と狂気に狂わされていく過程を描いた話である。
1人目の男、藤島(役所広司)は、加奈子の父親である。藤島は勤めていた警察を辞めた上、加奈子の母親と離婚し、自堕落な生活を送っている。ある日別れた妻桐子から連絡があり、曰く加奈子が覚せい剤を部屋に遺して失踪したという。藤島は加奈子の行方を追う過程で、加奈子が周囲の人間を魅了し、売春グループに引きずり込んでいたことを知り、闇社会の抗争に巻き込まれていく。
2人目の男、「ボク」は、加奈子のクラスメイトである。学校でいじめられている自分を影で救ってくれる加奈子に想いを寄せており、加奈子はこの想いを利用して「ボク」を売春グループに引きずり込んでしまう。心身ともにボロボロとなった「ボク」は、加奈子への変わらぬ想いを抱きながら、加奈子に復讐を果たそうとする。
この映画は、この2人の男の視点を通して、加奈子は今どこにいるのか、加奈子はなぜ闇社会の抗争の中心となっているのか、売春グループの目的は何か、といった謎を解明していくものである。
演出で特徴的なのが、上映時間のほとんどが、藤島が暴力を振るうシーンと、加奈子がその魅力を振りまくシーンで占められている点である。藤島は関係者に暴力を振るい、罵声を浴びせ、時にはレイプしながら謎を解き明かしていく。一方加奈子は周囲の人間をその美貌と言動で魅了し、闇の社会に引きずり込んでいく。
その上で、この映画が酷評されている点をまとめると、以下のようになる。
(1) 結末まで観ても話がよく分からない
この批判は非常にもっともな指摘で、この映画は全部が万事、藤島の暴力と加奈子の魅力だけで語られるものであるから、言葉による説明がほとんどなされない。そのため、加奈子、ヤクザ、不良グループのそれぞれの狙いがどう交錯しているのか非常に分かりにくくなっている。おそらく監督の狙いとしても、この辺は説明する気がなさそうな感じ。
ただまぁこの点はネットで解説記事がいくらでも上がっているので、そこを読んでいただければ解決できるのでご容赦いただきたい。筆者は映画の途中、暴力シーンの連続に飽きてきたところで解説記事を読んで大体の構造を把握してしまった。結果的にそれで良かったと思う。
この批判もごもっともなところで、観客は2時間ずっと登場人物各人の暴力を見せ付けられることになる。殴る蹴る、ナイフで刺す、銃を撃つ、車で轢く、レイプする、建物の屋上から突き落とす、プールに沈めて出てこれないようにする、耳を切り取る、顔に傷を付ける、腹をかっさばいて内臓を踏みつける等々等々、さまざまな趣向を凝らしてくるが、その都度緊張を強いられるため、観てる側はひどく疲れてしまう。
観客は、よく分からん話を2時間も見せ付けられた挙句、暴力シーンの連続に散々痛い思いまですることになる。そうしてほうほうの体で家に帰った(またはDVDを取り出した)後、考える。「一体あの映画は何を言いたかったんだろう?」と。観客としては大変な思いをさせられたのだから、観終わったあとに心に残る、人生の糧になるような教訓を得たいと感じるものである。
しかしこの映画に主題なんてない。監督は、徹底した暴力シーンと加奈子の魅力を描きたかっただけで、そんなものクソ喰らえと思っているに違いないのである(断定)。映画に主題を求める人は、ここで躓いてしまうかもしれない。
(4) 結末(加奈子の在り処)に納得がいかない
この映画では、加奈子の居場所がきちんと明確に示される。しかしそれが、なんというか、えー、そんな端役に、えー?という感じなのだ(ネタバレに配慮した表現)。これはもう上記瑕疵が許せる筆者でもあまり納得がいかなかった、というかもうちょいふさわしい結末があったような・・・。
そんな感じで、酷評ポイントの多い本作であるが、それでも筆者がこの映画を愛してやまないのは以下の理由による。
これである。監督の前作『告白』もそうであるが、監督は謎めいた女の子を撮らせるとめちゃくちゃうまい。周囲を魅了して悪の道に引きずり込む女性といえば東野圭吾の『白夜行』が想起されるが、映画版でこれを演じた堀北真希は、「かわいいけど、そこまで魅了されるほどではないよな」、という感じであった。しかし本作では加奈子を演じた小松菜奈の美貌を監督の映像技術でさらにパワーアップし、そのミステリアスな振る舞い、言動により聖少女っぷりを炸裂させている。これだけで名作ポイントはうなぎのぼりである。
(2) 暴力シーンが痛快
批判の対象にもなっている暴力シーン。観てて疲れるのは確かなのであるが、非常に痛快である。やはり人間、緊張と緩和により快楽を得る生き物であると桂枝雀師匠もおっしゃっておりますし、突き抜けた暴力シーンの連続はこれを得られる点で非常に快楽的なものなのです。
どうでもいいけど耳を切り取るのは『レザボアドッグス』で、オダギリジョーとの決闘は『太陽を盗んだ男』のオマージュなのか?と思っておるのですがどうなんでしょう、詳しい人教えてください。
よく分からん話というのは考察する楽しみがあるわけで、本作の場合原作を読めばこれが解明できるという点で、考察の楽しみを手軽に味わえるものとなっております。ネットには丁寧に原作をまとめた記事もあるしね。
そんなわけで、女子高生だいすき!暴力シーン最高!考察たのしい!という方は楽しめるんじゃないかと思いますので、ぜひご覧になるといいと思います。そしてできたら感想とか増田に書いて欲しいな!読むよ!