>首都圏の反発
これは確かにありそうだけど、石原に「あなたの政治が嫌だから出ていきます。」って話なので、
まあ、心情的に反発したいだけと言われればその通りだけれども。
>親を援助しなければ
本文でも触れたけど、親は援助したらいいんじゃないかとわたしは思います。
年金の基本的な発想は、「現役世代が高齢者を支えましょう」ってことなんだから
セルフ追記。
痩せた理由は病気。髪の毛も抜けてすかすかになった。
やっといま病院から出られて、自宅ですこしずつ生活をはじめてる。
だから「痩せていい気になって、女として見られることを」はたぶん違うと思う。今158/40キロだもの。
いま寝転がると肋骨と骨盤? の間に水貯められるw ミラクルダイエット。セックスとか無理wwww死ぬwwwwwwリアルにお陀仏wwwwww
告白してきた男の子たちのなかには、体育会系からオタクまでいろいろいて、
体育会系は「そっかそっか、しょうがないよね!これからもよろしくね!!」って元気。
普通~オタク寄りな子たちはもう連絡もつかなくなっちゃって、しょんぽりしているところです。
つまんない話に延々つきあわせちゃったり、映画いきなり誘っちゃったりして悪かったよゴメン。
うーん、確かに。
ブログが出来てから、どんどんMMORPG外での接触が増えていって、MMORPGのサブセットとしてゲーム内コミュニティがあった昔の時代とは何もかも変容してしまったのは確かだ。
MMORPGに限らず、昔はネットと言えば殆ど完全にリアルと隔離している人が多い印象だったけど、今じゃリアルのサブセットと化してるもんな。
仮想世界を思い込ませるというか、結局のところ、コンシューマゲーム業界でDSやWiiが起こしたライトユーザーをゲームに引き込むという戦略が、ネットゲーム界でも発生しただけなんだろうな。
日本でのFACEBOOKってそんなに使われているのだろうか?
「登録はしているけど放置」などはよく聞くのだけど、
一部のコアなWEBユーザーやマーケティング業者が活発に利用しているだけで、
どうなんだろ?
スーパーファミコンが出た頃も「LRボタンなんていらないだろ」とか「256色も必要なのか?」と言われてたし、PS1やSSが出た頃もポリゴン不要論はあちこちで出てたよ。
閉じたソーシャルのあるところに MMORPG のサブセットを持ってきてるのがソーシャルゲームって感じはする
ただ、Twitter とスカイプが普及してから MMORPG のソーシャル部分の垣根がものすごい勢いでなくなってきている
実際 MMO やるとわかるが、数年単位で色んな MMO を一緒にやる知り合いというか
Twitter や スカイプない頃も IRC で横のつながりはあったし
結局、MMORPG という仮想世界でも人間同士の付き合い、リアルからの連続というのは変わらないから
Twitter やスカイプといったツールでリアル規模で繋がってしまうとそのへんの境界がだんだん曖昧になるよな
昨日は居酒屋で集まったように、今日は MMO で集まろうか、って感じだ
MMORPG が特別な世界で、そこだけである人間関係というのを作る方が難しい
そこがソーシャルゲームの場合、リアルと密接のようでいてある意味閉じてる SNS という囲い込みの中で、仮想世界を思い込ませるのが上手いのかもしれない
そこに独特の嫌らしさを感じて苦手という人もいるだろう
あと、マジで言ってんだったら救いようがないよということでもある。
フランスの友人から「東電の清水元社長の退職金が5億円らしいけどどうして日本人は怒らないのか?
どうしてそこまでヘタレなんだ!神風特攻隊はいないのか?俺は禅をやめた!アロマもやめた!
三味線も捨てた!寿司も一生食べない!俺は日本人が大嫌いだ!」という怒りのメールが来た。
返す言葉も無い。
http://twitter.com/#/doravideo/status/114546711401218048
まさに返す言葉がないくらいアホだよな。
何らかの権威に対する反対表明の手段としてデモをしろ、と左翼は就職問題にも、原発問題にも主張してきた。
デモは国民に認められている当然の権利であるとも、主張していた。
そして、デモが起きた。
彼らは支持しなかった。ときに数が足りないから影響力がないと、かえって大して影響がないことの証左だと主張し、ときに前大戦を引き合いに出してレイシズムには与しないと主張した。
彼らは何がしたいのだろう。よくわからない。
努力のやり方が間違っている、ということや、排除を含めた質の向上は、彼らの理念と合致しないはずではなかったか。
デモをする、それ自体は何もすなわち左翼と同じ勢力に含まれることを意味しない。それは保守からさえ嫌われる在特会を見れば明らかだ。
これまで、日の丸に限らず、デモには趣旨から離れた幟が掲げられることは珍しくなかった。それ自体がデモの嫌悪のひとつとなっていることは、度々指摘されてきた。
しかし、私がネット上の議論などを見続けてきた限り、どうやら彼らはそれに対する問題意識は持ち合わせていないようだ。「何が悪い」と言い切る人も見た。
まさに鏡像。
鏡像であるがゆえに一般大衆からかけ離れて市民社会を叫び、「活動家を排して欲しい」というこれまでの経緯からすれば自然ともいえる要求には唾棄する。
これが左翼だ。
彼らは大衆の要求を政治ごっこと蔑むだけで改善しようとしない。これらが政府や社会、企業や個人を批判しようというのだから説得力がないのも肯ける。
一部の人(左翼や右翼を含む)が指摘しているとおり、原発関連デモも、偏向報道デモも、いずれ下火になるだろう。
デモをしてもその相手を変えられなかったことに対する諦め、そこから立ち現れる、主催者側との意識乖離から導かれる呆れと市井の人々の無力感、終末期学生闘争のようなしらけなどが、渾然一体となり場を閉塞感で満たすだろう。
そこに残っているのは、いつもどおりの人々だろう。
おれもこれだと思う。
きっと増田は、痩せた時にうれしくて女として見られることを望んだ(多分)。
本人は否定するかどうか知らないが、多少いい気になったというのもあるかもしれない。
それに男たちが呼応した。でも勝負したら振られた。
おいおい、振られたら気まずいしそれは離れるだろ
振られても誘ってくる男とかなんなのストーカーなの?って人もいるし配慮するよ
http://anond.hatelabo.jp/20110916231838
私が18歳から21歳だったころ、彼は21歳から24歳だった。他人の話にチャチャを入れるのが得意で、他人の話の揚げ足を取っては、私を笑わせてくれた。でも、そんな性格じゃ、誰からも引き上げてはもらえない。だんだん、生活が追い詰められていって、私は捨てるように逃げてきた。
それから25年間、きれいさっぱり忘れてたんだよ。そんな男のことは。
努力が得意できっちり社会的な責任を果たす男性と結婚して、子供2人産んで育てて、なんだか私も平凡な人生って奴を手に入れたなと思ってた。そんなとき、同窓会があって、彼はそのとき、来なかったんだけど、なんだか、やっぱり経済的につまづいてるらしくて、つらそうで、メールアドレスを教えてもらって、ときどき連絡を取っていたりして。一度会おうかとなって、会えばやっぱり好きだなと思って、でも、私には夫がいるし、そのまますれ違っていくはずだった。彼と会った直後の、夫の健康診断で、夫が末期癌であることが発覚。パニクる私を彼はメールと電話で支えてくれて、私は5カ月間、絶望を噛みしめながら、でも、狂わず(たぶん、周りは狂ったと思ったらしい)。夫の49日が終わってから、彼とよりを戻した。
25年前に別れたときは、お互いに、かなり酷い言葉をぶつけあったから、最初の儀式が「お互いに謝ること」だったり。
彼は性格が変わってなくて、私は笑わせてもらえるんだけど、やっぱり、生活には向いていないので、今はなんだか、私のヒモ状態だ。ときどき(より戻して良かったんかなあ)と思わなくてもないけど、無意識の底にまで、彼へ未練が染み込んでたんならしゃーないなと思うことにしている。
忘れられないなら忘れなければいい。進めないなら進まなくていい。1秒ごとにババアになるのは、世界中の人間が同じ条件なんだから気にしなくていい。でも、出来ることなら、1秒ごとに、いろんなことから自由になったほうが、人生は楽しかろうとは思うね。
ソーシャルゲームが儲かっていることにはちゃんとした理由がある。
MMORPGをやったことのある人間からすると、今GREEやらモバゲーの手法として騒がれているのは、確かにMMORPGではかなり昔から行われていたこと。
俺自身、もうかなり長くMMORPGをプレイしてきたから、それは分かる。
MMORPGをプレイしてきた人ならなんとなく分かると思うが、ネットゲームの本質ってさ、まんまソーシャルなんだよね。
勿論、ゲームシステムが面白いものもあるんだけど、プレイしている期間が長くなると、戦ったり、冒険する時間よりも、チャットしてる時間の方が長くなることがそんなに珍しくない。
それゆえにMMORPGの欠点は、先ずゲームがあって、その後にコミュニティが出来る、ってことなんだよ。
昔はゲームを離れると、つまりコミュニティから離れるってことだった。
コミュニティを維持するには、揃って他のゲームに引っ越すか、個人的にメールアドレスを交換する必要があったが、話題は基本的にゲーム内で完結するので、話は限界がある。
それに人集めも難しい。ゲームを作った段階では、手持ちのコミュニティは(他のゲームが無い限り)ゼロだからね。
コミュニティが主体なのに、コミュニティを維持するためにはゲームを続けないといけない。これがMMORPGの欠点。
勿論他にも、ポートの開放だったり、スペックの問題だったりと、色々とあるんだけど、メインはこれ。
ソーシャルゲームはその逆をやった。先ずコミュニティを作って、そこにゲームを落としたわけだ。それも、沢山ね。
可愛い衣装、格好良い衣装なんか、見せる相手が居ないと買っても無駄だし、強いアイテムも然り。そりゃ、売れるわな。
コミュニティの維持はSNSでやって、一つのゲームに飽きても、他のゲームに移ることが出来る。
基盤となるコミュニティがしっかりしてれば、何の問題もないわけよ。
直接お金を振り込みたいなら、事務所に掛け合ったら?
っていうか1000円程度の話だったらDVD買ったりファンレターの方がいいんじゃないか?
お笑いの人だったら、DVD買ったりライブに来たりして笑ってもらえるのが嬉しいから、そういう仕事してるんだろうし、それを楽しんで対価としてお金を払えばそれでいいんじゃね?
感謝の気持ちを伝えたいなら、それこそ心をこめたファンレターで伝わるだろう。36歳のおっさんだから、ってそれ何か問題あるの?よくわからないな。
なんで直接の支援にこだわるんだ?それって相手の気持ちを無視した自己満足じゃないのか?
キャバクラの危険性と一緒。「これだけお金を支援したのに!」っていうわがままを言い出すファンが目に見える。ファン同士で支援額を競ったりね。AKBがいい例。
スポーツも競技になるものはレギュレーションってのがあってね・・・
子供の遊びのゴムとびだって勝ち負けのルールやこれをやったらダメってのを決めるよね。
古いモデルの焼畑式チョンゲーMMOや殆どのソーシャルゲームは例えるなら、レギュレーション違反の道具を買えたり、勝負で八百長したり、自分だけ外人選手入れたり、勝ちをお金で買えたりするくらいのチート感があったんだよ。そもそもお金払わないと遊ぶ場所を確保できないとかね。
人が複数集まる以上、それは競技としての性質を帯びる。大多数が楽しいと思うためにはバランスを崩さないことが必要。アイテムなどよりも、プレイヤーの腕や経験や人脈やらが勝敗に関与する割合を増やす。そうしないと、交流したり競争したり協力することが楽しいと思えないし、ゲーム自体が短命になる。
その方向性を究極まで突き詰めて、プレイヤーの腕だけが差になるのが FPS。これらは eスポーツといって、スポーツの一種という扱われ方もされてる。プレイヤースキルやチームワークが大事というのは、たかがゲームでもその楽しさの根源はスポーツやチェスなどと何らかわらない。
そこまで削ぎ落としたモデルにしなくても、ネットゲーム全般にだってその要素はあるし、「交流したり競争したり協力することが楽しくて、自分で工夫したり努力することが結果に繋がる」という根本を崩さないようにしながら、アイテム課金も両立するというのはもう常識になってきてる。まぁ、大量生産ハンコ型クリゲーは初期動員さえ稼げればいいのでレギュレーションもクソッタレもない焼畑式が多いけど、そうじゃなくてまともな MMORPG は随分前から変わってきてる。
まあ、MMO もユーザーはずっと前からこのことに気付いていて「こうしてくれたら気持ちよくお金を払うのに」と 10年位思っていたけど、製作側が頭が固すぎたつーのがあって。ソーシャルゲームも同じ歴史を繰り替えすのだろうなと思う。
新しい技術がどれだけの面白さをもたらすっていうのがまだ模索段階なのもあるから伝わってないのかもしれないし。
その面白さの受け入れるユーザー層がどこなのかっていう問題もあるし。
新しい技術の登場や多様化は好き嫌いや馴染める馴染めないっていうのが出てきても当然だと思う。
何でこんな、単純な事が分からないのかと…