はてなキーワード: 西村キヌとは
「美少女」という単語と「萌え」の接点は深夜アニメとエロゲ―じゃないかな。
(こういうとフェミが「ほらみたことか!萌え絵はエロだ!ポルノだ!排除しろ!」と騒ぐかもしれないが)
一般的に深夜アニメ・恋愛アドベンチャーゲームは「美少女アニメ」「美少女ゲー」と呼ばれてたので、一定年齢以上だと萌えと美少女はイコールなんですわ。
エロゲ最盛期?の2000年代中期くらいでも、既に「萌え」という言葉は浸透していたが、ジャンル的には「美少女ゲーム」と呼ばれてた。
しかし、だからといって「現代萌えの起源はエロゲ」と言い切れるほど単純ではないと思う。
「デ・ジ・キャラット」なんかも今の萌え絵の直接的起源だと思うが、別にエロゲではない。
さらに言えば、デ・ジ・キャラットのこげどんぼの源流はアニパロ誌「ファンロード」にある。
ではファンロードの起源はと、そうやってどんどん遡っていくと、やはり「シベール」とかの話になってしまうのだなあ。
で、個人的な感覚で言うと「現代萌え絵」とか「美少女絵」って、
漫画とかパチンコよりも前に「ゲーム」で目にしやすかったんじゃないかなあと思う。(エロゲ―に限らず)
今の「一億総萌え絵時代」よりも前に「一億総ゲーマー時代」があったわけで。
萌え絵の一般への浸透の話では、ゲームやゲームソフトの販売コーナーで萌え絵に親しんできた土壌があると思うんだよな。
「ガンガン」の話があったけど、あれもゲーム系の会社の雑誌なわけで。
ゲームにそこまで詳しくないからあまり実例を上げられないが、「テイルズシリーズ」なんかは初期から藤島康介がキャラデザだ。(藤島康介も現代萌え絵に貢献した作家だと思う)
ちなみに『エウレカ』の吉田健の絵柄は、『OVERMANキングゲイナー』でカプコンの花形イラストレーターだった西村キヌ、エロ漫画家の胃之上奇嘉郎と三人でデザイン作業をしたことからああなったと思われる。(三人とも似てる)
意外に思うかもしれないが、この中では西村キヌが一番「萌え」色が強い。メインの宣材イラストではなく、少し気の抜けた時の絵はとにかく可愛いし、こたつでみかんを食べたり完全に「日常系」の系譜だ。
で、カプコンから格ゲーの話をすると、「ギルティギア」シリーズが結構大きかった気はする。
かなり萌え成分が多く、なおかつゲームシステムも他社の格ゲーよりも入力が簡単で、画面もアニメ的にスムーズで、素人でもプレイしやすかった。
(田舎にいたからかもしれないが、「女性専用台」を初めて見たのもギルティ)
あと、ゲームだけじゃなくて、やはり「涼宮ハルヒの憂鬱」(それに続く「らきすた」「けいおん!」)の一般への影響はすごかった。
個人的な話だが、それまで「深夜の美少女アニメ」を見ているなんて話は、よほど仲のいい友人にしかできなかった。
(そして、それでも引かれる。何せ、今を輝く細田守の「時をかける少女」を劇場に見に行くという行為がぎりぎり白い目で見られる時代だったのだ。信じられないが)
作品の質に加え、テレビでたまたま見かけたという言い訳が可能なこと、携帯電話の普及で中高生でもネットが利用しやすくなり、趣味の話題が思う存分できたことも大きいと思う。
「萌えの一般への浸透はパチンコ」などと言われることが多いが、ごくごく一部の話でしかないと思う。
家庭教師をしていた知り合いによれば、ハルヒ放映時にすでに中学生の男子の間で人気だったらしい。
あと結構大事なのが、意外にも「モーニング娘。」じゃないかと思う。
そもそも90-2000年代は「アイドル冬の時代」と呼ばれていたほど、アイドルらしい女性アイドルがいなかった。
「見た目や衣装が可愛い女の子」にみんなでキャーキャー言う文化が、今では考えられないほど少なかったのだ。
今のアイドル文化の大きな柱となると同時に、「アイドル=可愛さ」と「スポ根」(オーディションの勝ち抜きや、映画「ピンチランナー」、フットサルチームのガッタス等)を両立させた点も、オタク文化に共通するものがあるのではないだろうか。
かたや、「紙コップで乾杯」「目覚まし時計が壊れてしまった、目覚まし時計を買いましょう」というつんく♂の気の抜けた歌詞も、今の「日常系」の感覚にかなり近いと思う。
とにかく、可愛さをめでるアイドル文化が育まれたからこそ、萌えが浸透する余地が出来たのだと思っている。
と、
とりとめもなく萌えの話を描いてしまったが、「どれが萌えの浸透の一番の要因か」という話は非常に難しいと思う。
そもそもエロゲ絵には女性作家の貢献が大きいとか、少女漫画などへも話が広がるので、個人でこれをまとめるのはすさまじい労力が必要なのだ。
保守的なイメージのあるNHKが「春ちゃん」で萌えに乗っかったのが2009年なので、とりあえずそれ以前の流れがポイントかとは思う。
言いたいことはレベル低い批判をやめろってことね。わかりにくかったかもだが。
絵を書くときって目的やターゲットがいるだろ。それに合わせてデフォルメも変わるだろって話。乳袋の場合目的は何、エロです、ターゲットは誰、大衆ですってこと。じゃあ「大衆向けのエロを書いてる!」って批判は馬鹿もいいとこだよねって話。
言い訳したいんじゃなくて、批判するなら最低限の前提はおさえてからやれ!って話。乳袋嫌いなのは別にいいんだよ。批判するなってことでもないよ。
服飾どころか人体構造の把握すら怪しいまま絵を描いてる奴なんか五万と居る
別に絵でエロを追及する時に「服飾の知識を前提でもってるんや!」ってエクスキューズは要らんと思うし、そのエクスキューズで何かの説明になるとも思えない
もちろんエロを追求するときにエクスキューズはいらないよ。だけど批判してくる奴が「乳袋書くのは絵が下手だからだ」「そんな服はない」とかクソすぎるから、知った上でやってるんだよバカってわざわざ言ったってこと。わざわざそういうこと言わなきゃいけない批判はやめろってこと。
絵が下手な人のことまで考えたらわけわかんないから除外。
「乳袋を批判するようなレベルの低い奴には、逆に乳袋くらいのものを見せないと伝わらないのよ。鈍感で馬鹿だから。」ってのは例えば「現実にはハッピーエンドなんてない!この作品は嘘だ!」って批判する奴に、それ以上のレベルのもの見せても絶対理解できないよねっていう皮肉ね。
絵が上手くて乳袋書く人なんていくらでもいるが。西村キヌとか昔乳袋を否定してて今書いてるから時代の変化がわかる例だけど。
「胸のトップから布が落ちる様子を生かして描きた」い人だろうと、乳袋が受け入れられるならお仕事ではそうするだろっていう。もちろん乳袋書かない人だって大勢いる。でもこれは乳袋書く人の話だから。
「大衆作品の低俗さや安直さを批判されるいわれは無い」これだけならわかる、よくわかるよ
でもお前のエクスキューズ、「その下敷きに服飾知識や繊細な感性があるのだ」っていうのはむしろ高尚なるものへの媚だろ、権威主義だろ
知識や感性があることはエクスキューズじゃなくて、ただの前提でしかねーよって話。知識や感性があるから認めろ!じゃなくて、批判をするならそれらを踏まえろってこと。
よく例に使われるけど、こんな目がでかい女の子はいない!絵が下手だ!って批判はやめろってこと。実際の顔面パーツの比率なんて学校の美術ですら教わることなんだから。それはわざとやってるデフォルメだってことをまず理解しろって話。