はてなキーワード: 読了とは
物事に熱中しやすい気質が、特定の物象に対して執着に近い形で長期に渡る場合、おたくやマニアと呼ばれるのだろうけど。
個人的に何かにはまればはまるほど、自分の知識なぞ到底おたくには及ばないと思い知る。
例えば漫画にはまったとする。
漫画を全巻そろえて、設定資料集と画集をそろえて、作者インタビューの雑誌をそろえて、
事前予約でサイン会等イベントへいったり、作者の過去作品も全部読了し、
金銭があれば漫画派生のフィギアを買い、二次創作同人誌に手を伸ばしたり、
・・・それでも足りない。
感想考察サイトを覗いたり、2chの専門スレに常駐したり、それでも先人の知識とその知識を引っ張り出してくる早さに驚嘆する。
「何巻の何ページにだれそれのどういった台詞が!」みたいな程度はまだしも、
「どこそこのマイナー雑誌の数行のコラムインタビューでこういう裏設定」とかまでは極められていない。
ど忘れしていたり、設定は覚えていてもソース元まではすらすら出せなかったり。
そういう状況を見せ付けられるたびに、まだまだ自分はおたくを名乗るのもおこがましいと常々思う。
あと何年したらおたくと名乗れるのか、・・・多分何年経っても知識量と迅速な引き出し力の未熟さに叩きのめされそうだが。
周囲はおたくだというけれど、自分自身でおたくだと思える日がいつか来れば幸いで、
まだまだおたくを目指して歩いていく所存です。
『リバースガール (新風舎文庫)』『魔王の復活 (新風舎文庫)』読了
ちょっとUNESCO機動部隊あたりが新風舎空爆してくれねえ?出版にかかわった連中全員殺したいんだが。
人類の知性に対する挑戦とでもいおうか、ここまで低レヴェルな、小説としての結構すら存在しない、生ゴミ、屑、カス、放射性廃棄物、糞尿、作家名乗る前に作者ちょっと10回くらい死んでこい、ああもう、怒りで指が震えてキーボード打てんわ!よくもこんな資源の無駄遣いを一冊750円オーヴァで売ろうとしたものだ。どういう了見だ気は確かか精神科紹介しようか?その前に死んでほしいが。とにかくこんなものをだな、ライトノベルと銘打って売りつけようとしたってのは、読書人に対する犯罪行為に等しい。文化的テロリズムだ。焚書坑儒・言論弾圧、その他諸々の措置を講じたいのだが、生憎僕は無力なので、とりあえずネガティヴ・キャンペーンを張ることにする。
上の文章を読んだ後、下のリンクに飛んで
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20070315/1173966258
文章の印象が変わった奴
まともなレビュー
なかなか面白い子だね。
まあGTDを広義に考えればそう言えないこともないかな(笑
http://ja.wikipedia.org/wiki/Getting_Things_Done
しかしまあ、それよりはキミに必要なのは、人生の目標設定に関する問題だろうねえ。
まずそれから考えたほうがいいかな。
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGIH_jaJP282JP282&q=%e4%ba%ba%e7%94%9f%e3%81%ae%e7%9b%ae%e6%a8%99%e8%a8%ad%e5%ae%9a
うーん。普通は高校生ともなれば、なんとなく将来、こんな風な仕事をしたいとか、目標と言えないまでも、夢みたいなものはあるんじゃないかな。
それを中心に考えれば、すべての可能性を書き出す必要はないんじゃないか。
また、社会はどんどん変化していくものだ。たとえば携帯電話も、今はブイブイ言わせていても、30年後はもうみんな、一種のテレパシーみたいなもので通信してるかもしれない。
今、じゃなくて20年後くらいを想像するのがいいかもね。
まあ、中央に[人生の目標]と書いたマインドマップでも書いて、自分の人生の目標でもじっくり考えてみたらどうかな。
あと、ドラゴン桜を読むといい。受験術中心だけど、人生哲学みたいなものもけっこう深い。
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/B002DEKF88/ref=sr_1_2_olp?s=gateway&ie=UTF8&qid=1285157004&sr=8-2&condition=used
全巻買っても8,050円。金ないなら参考書と言って親に買ってもらえ。息子の将来かかってるなら安いもんだ。
マインドマップ作成とドラゴン桜全巻読了、両方やってもせいぜい2週間程度ですむ。
あと、自分が何に向いてるか、自分で自分の事はよくわからないものだ。
まずは親に聞いてみたら?自分の小さい頃は、どんな子だったか。
「どんな仕事についてほしいか」は、親の古い頭の願望が入るから聞いてはいけない。
あくまで、どんな子だったか、だけを聞くこと。それを聞いて、「この子は」どんな仕事に向いているかを考える。
あと、身近な友達、自分をよく知ってる奴に聞いてみる。
そいつらは親バイアスがかかってないから、ズバリ「俺はどんな仕事が向いてると思う?」と聞けばいい。
これからの時代、どんな仕事が有利、とか考えても、自分の資質や性格に合ってなきゃ、結局続かないよ。
自分の性格、性質、を中央に考えて、他人に対してどのような価値を生むことができるのか、
それを基本にするといい。
そうだね。孫正義も
登りたい山を決める これで人生の半分が決まる
と言っている。
http://kokumaijp.blog70.fc2.com/blog-entry-40.html
でも、人生は思ったより長い。
間違った山に登ったかな、と思ったら、降りて違う山に登ることも、特にこれからの時代は不可能じゃない。
また、寄り道、無駄足だったと思っても、それが次のステップへの足がかりになったりすることもある。違う山へ伸びる吊り橋があったりね。
洗濯ものを畳みながら見たりしてて、なんだかんだで、いままで放映された分は二回ずつくらい、繰返し観ている。
なんでこんなに面白いと思うのか?
備忘のために、まとめてみたい。
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筋だけを面白いと思うなら、アニメを繰り返しては、観ないと思う。
絵も動きも音も好きだから、時間を費やして、原作本を読むのではなく、アニメを観るのだと思う。
(※私は同内容ならば、映像を観るよりも、活字を読む方が速いので...。)
今のところ、このアニメで私が最も好きな場面は、第四話の樋口師匠がデルタ突端(川の砂州部分)に座って歌う場面。
実際、それは話の筋には必要ないイメージ映像(歌詞だってナンセンスだし)。
でも映像が作り込まれて、時間もだいぶ割かれていて、素晴らしい!
(録画をしたままで未見のひとがいたら、第四話の、10分を過ぎたあたりを観てみてほしい。
主人公が亀の子タワシを探し終わって、夕暮れのなか、妹弟子の明石さんと帰る途中で、歌う樋口師匠を橋の欄干から眺める場面がそれ。)
この作品を通じてのキーアイテムのひとつである「海底二万里」をモチーフにして、
樋口師匠が居る砂州が、魚のように、潜水艦のように盛り上がって、
半袖で過ごす京都の夕暮れ、川べり、半袖と髪を揺らす風。
むかし何度か遊びに行った京都の空気が克明に思い出されて、「あっ!」と言ってしまった。
デフォルメがはげしいキャラクターデザインを、実写ベースの背景に配置していることで、
観ていて楽しい。
そして、とても面白い本だと思った。
とくに「何度繰り返せたとしても、きっと自分は同じことをするだろう(してしまうんだろう)」
という主題を、とても気に入った。
それから、村上春樹の書くものの一連の通底にも、同じ主題が流れていることを思い出した。
私はこの主題・考え方について、とても大事な考え方だと思っている。
不器用・不健康な精神の持ち主が、できるだけ健康的に生きていくためには、とくに有用だと思っている。
この考え方が出来ない場合には、過去のことを悔み続けて現在を過ごし、未来をダメにしていく可能性が高くなる。
(村上春樹は、あんなにも同じモチーフを繰返し描いて、繰り返すたびに昇華していった稀有な良い例のように見える。
近年は、あのモチーフから脱したようにも思われるし。)
ところで、話が逸れるが、この考え方のまま、すべてを放棄してしまうと、それはそれで未来がダメになることも、念のため書いておく。
出来るだけ健康的に生きていきたいなら、この考え方を、立脚点として使うと、有用になる。
「今」しかない視点を捨てて、「過去」「いま」「未来」を見渡す視点の立脚点として使うと、有用になる。
「未来からみて悔いのない、過去を繰り返せたとしても同じことを繰り返してしまう、そんな選択や行動を今その都度していく」
みたいなそんなかんじ。ヴォネガットのトラファドール星人いわくの時間の概念のことも書き加えてみたいけど、脱線しすぎなので自重。
さて、ひるがえって四畳半のアニメは、原作に忠実に話をすすめていきながら、繰返しを、主題をとても楽しめるものにしているように思う。
アニメならではの情報量の多さ(絵とか音とか)が、楽しめるようにとても工夫されていると思う。
思いもよらないところで、絵や音を繰り返したり、
状況の繰返しにおいて、絵や音を繰り返さなかったり。
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長くなりすぎた。 続きを書くことができたら、また。
まおゆう読んだ。すごくおもしろかった。みんなぜひ読むべき。
魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」まとめサイト
http://maouyusya2828.web.fc2.com/
ほかの人の感想はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20100510/1273472249
泣けるほどおもしろすぎるネット小説を読んだので熱烈推薦するよ。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20100423/
人生を変えることのできる物語/魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」
http://d.hatena.ne.jp/izumino/20100422/
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100429/
はじまりの物語
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/795
魔王が世界を征服できない問題への一つの回答となる「まおゆう」
http://d.hatena.ne.jp/lastline/20100517/1274022158
みなさん、すげーテンション。気合の入った文章。実際、かなり面白かったので、興味のある人はぜひ。
そして以下は、読み終わったあと、テンションがあがりきって大学時代の講義ノート引っ張り出して書きました。
たぶんネタばれはない、はず。(追記)スポイルするかもしれないので、読了後によむことをおすすめします。
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昔、ある人は考えました。
「幸せってなんだろう?」
みんなは「お金があれば幸せ」っていうけど、何か違う気がする。
幸せの源泉は、お金じゃなくて、お金で買うことの出来る『モノ』だよね?
『幸せ=お金』だと思っている人たちは、みんな奪いあいばかりしていて、
「誰かが得をすれば誰かが損する」っていうけど、それって、きっと間違ってるよ。
例えば農作物なんかは、みんなががんばって働けば増えるよね?
この『ある人』の名前を、経済学の父、アダム・スミスと言います。
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「まおゆう」は、みんなが幸せを求めて奪い合いばかりしているのに、
「奪い合わなくてもみんなが幸せになれる世界」を目指し、ある程度の成果を収めます。
しかし、魔王は考えます。「何か足りない」「何かおかしい」
アダム・スミスが『国富論』を出版し、経済学がスタートしたのは、1759年のことでした。
この『国富論』は彼の独創ではなく、多くの先人の思索の上に成り立ったものでした。
魔王が足りないと感じていたのは、おそらくこの『多くの先人の気付き』なのでしょう。
前近代においては、まず『国王、国家』があり、その下に各人民が権利を与えられます。
近代においては、まず『個人の権利』が前提として存在し、そのために国家が設立されます。
前近代社会というのは未だ「神様のいうことが唯一正しい」という世界で、
過程をすっとばしていきなり答えを出しちゃったようなもので、
基礎となる考え方が共有されていない以上、いくら成果をあげても、なんか、ふわふわ。
魔王に影響を受けて、少しずつ『多くの先人達の気付き』を埋めていきます。
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昔、ある人は考えました。
そもそも「人間はみんな善の魂を持っている、だって神様がそう決めたから」
っていうけど、そんなこと無いよね?現実みろよ!
みんな欲望むき出しじゃん!奪い合ってんじゃん!人間は悪だよ!
誰かが「恐れられる君主」になって、縛り付けないと平和に何かならないよ!
「人間の一生は既に決まっている。奪い合うならそれは運命なのだ」
ってそんなことないよ!
運命に挑戦する強い意志が、事実を冷静に判断し、決断する強い心があれば、
運命だって切り開けるはずだ!!
彼の名をマキャベリと言います。
マキャベリが『君主論』で説いた『運命に挑戦する強い意志』=『徳』は、
主体的に道を切り開こうとする近代的個人のモデルとなりました。
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昔、ある人は考えました。
「国って何で必要なのかな?」
あれだね、人間ってほんと欲望強くて、いやになるね。
でも、それを放っとくと多分、みんな自分の利益のために奪いあいになっちゃう。
きっと、みんなそんな世界には住みたくないから、
人間の欲望=『権利』を預けるところが欲しくなったんだろうな。
きっとそれが『国家』なんだ。人間が作った元気玉。別名『可視の神』。
でも、ちょっと元気集めすぎて、絶対的な権力になりすぎかも。
怖くて逆らえないし。でも、生きてくためには仕方ないか。。。ジレンマだなぁ。。。
彼はこの『可視の神』を、伝説の怪物『リヴァイアサン』に例えました。
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そして昔、ある人は考えました。
なんか最近「人間マジクズっすわ」「あぶねえ」「あいつらの権利とりあげようぜ!」
って言う人いますけど、ぼく、それおかしいと思うんですよ。そんなことないんじゃない?
『生命』と『身体』と『自由』と、そして『財産』を持つ権利があるんだ!
「人間が放っておくと欲望に取り付かれる、殺しあう」
そんなことない!
たとえ人間の行動は欲望からスタートしたとしても、『真の幸福』について思いを馳せて、
誰かを傷つける前に自分の欲望をとめられる、『真の自由』が人間にはあるんだ!
国に預ける権利は「誰かに傷つけられた時に報復する権利」だけで十分だ!
ぼくたちはいつだって白紙の切符を手に持って生まれてくる。
だから『真の自由』を持って平和に暮らせるような社会をみんなで作っていこうよ。
例えば、ほら、教育とかにちからいれてさ。
彼は、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言に大きな影響を与えました。
そして現在の資本主義、自由主義の考え方の源泉となっています。
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おれ、気付いたんだけどさ。『モノ』作るとき、一人で作るんじゃなくて、
みんなで役割分担=『分業』したら、生産性、めちゃくちゃ高まるよ!
だからさ、みんなで前よりたくさん『モノ』を作れるようになって、みんなで交換したら、
もっともっと幸せになれるんじゃね?
そして、この労働の分業化が進むと、他人の労働生産物との交換が不可欠となるため、
人々の経済的協力が要求され、結果として調和的秩序がもたらされる。
物語の始め、魔王が夢見て、商人が憧れた『あの丘の向こう』は、きっとこの調和的秩序なんだろうと思っています。
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『あの丘の向こう』を夢見て手に入れたものだということを
改めて再確認してくれる、すばらしい物語でした。
おれ、いい歳して、けっこういろんなところで、ぼろぼろ泣いちゃったよ。
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先に罵倒を書きなぐってから
一応最後まで読むのが礼儀だろうと思って読みにくいのを読了したが
本当に薄くてありきたりな内容のクソだった
あんた、そりゃこんな内容ならしょっちゅうどっかで「類似の何か」は見つかるよw
ラノベはキャラクター小説でウンタラカンタラなんて10年前からのタームじゃねーか?
大塚何とかの本でも読んだか、それもブックオフで100円で買った昔のやつをw
でもね、
本当にあんたと言う人やあんたのアイディアのくだらなさは
内容以前に文章だけでわかったよ
それも冒頭でね
面白い奴ってのはあんたのみたいに読みにくくて伝わりにくい文章なんか書けないもん
畑違いの俺にもわかる
あんたは才能が無いし情報やタームも相当古びてるしおまけに被害妄想のケがあって文章も下手糞と言う
別に面白みのために必要以上に罵ってんじゃなく、素でそう思う
世の中には、どうしても「賢い人」と「あまり賢くない人達」人たちがいて、「あまり賢くない人達」は「賢い人」の足を引っ張るモノです。
「あまり賢くない人達」が自らの愚かさゆえ、人生を無為に過ごすのはある意味しかたがないことだと思いますが、問題なのはこれから賢くあろうとする未来ある若者達が、このような「あまり賢くない人達」に惑わされ、不幸に見舞われることであります。
日向さんはこのような未来ある若者のために、わざわざ時間を割いて素晴らしいエッセイを書きおこしてくれました。
http://www5.ocn.ne.jp/~seablue/res/ckp.html
けれども日向さんの文章は、あまりのレベル差故か、極力平易に書こうとはしているものの、それでも文章が高度すぎて、対象である「あまり賢くない人達」には今一歩言わんとしていることが伝わらないのでは、と感じました。
そこで私は、日向さんの文章の意味を極力損ねないまま、このエッセイを対象である「あまり賢くない人達」向けの言葉に翻訳することを試みました。
もちろん、訳者が至らないために、間違いや勘違い、あるいは校正の際の見落としなども あるかと思います。そのようなことがないように努力はいたしますが、 お気づきの点があれば冷静にご指摘いただければ幸いです。
この書籍については、さまざまなご意見がさまざまなところに書き込まれているようです。
まったく話題にもならないたくさんの本があり、また批評もされない多数の著者たちがいるなかで、 拙著または著者に関心を持っていただいたことにまずお礼を申し上げます。
いやぁ、人気者はつらいね。いつだって妬まれる。
本書については、書籍のはじめに「本書では、初歩のプログラミングの学習を終えて、 プログラマが実践的なプログラミングに臨む時に知っておかなければならない重要な事項をわかりやすく解説します。」 と明示してあるように、プログラミングの初心者を対象にしています。
具体的には、はじめてのプログラミング言語を勉強したか、これから何か言語を学ぼうとしている人、 ふたつめの言語を選ぼうとしているひと、あるいは、 「どうしてデータ型などというものがあるのだろう?」とか、「オブジェクトって、いったい何?」という 素朴な疑問を抱いている人を対象とした書籍です。
また、筆者の「常識」を読者に押しつけようとするものではなく、プログラミングの常識とは何かという ことについて考えるヒントにする本です(このことは書籍の中でも重ねて説明しています)。
この本は エキスパートの俺様が、初心者のために書いた本だ。初心者向けって所が重要な。ついでに世の中常識のないやつが多いから、プログラミングだけじゃなく常識まで教えてやる、そういう本でもあるな。そうそう、断っておくが俺がこの本で言っていることは「世の中の常識」な。だから、異論挟むヤツはそのまま「常識」のないやつってことになる。ここも重要だ。
プログラミングに限らず、対象によって説明の仕方、取り上げる範囲、そして「何が正しいか」は異なります。 身近な学校教育という場を考えてみても、小学生には「人はみな平等です」と教えます。 しかし、それは理想であって、実際に差別は存在し、したがって、教えている対象を考慮しなければ、 小学校で教えていることは嘘ばかりである、ということになります。 実際、大学生ならば、「実際には人は平等ではない」という前提にたって、社会問題などを考える必要があることは 誰にも異論のないことでしょう。
同様に、プログラミングでも、初歩のプログラミングの学習を終えた人と、 より高度なプログラミングをマスターした人を対象にするときでは、解説の範囲も表現もすべて異なります。
ところで、みんな平等というけどさ、愚民がいるのが現実なのよ。愚民がいるなら愚民向けに方便をつかわなくちゃいけない。大人ならわかるな。
本書について、文章の真意を理解しないで書き込みをされていることも多々あるようです。 たとえば、「プログラミング言語はどれがよいか?」というトピックの主眼は、本文で 「多人数を運ぶならバス、荷物をたくさん運ぶならトラック、少人数でドライブするなら小型セダンと、 目的に応じて最も良い自動車の種類が違う」と例をあげて説明していますが、プログラミング言語においても 用途やプログラマの経験あるいは環境等々によって適する言語は異なり、 特定の具体的な条件を示したうえでなければ「プログラミング言語はどれがよいか?」という質問自体がナンセンスである、 というのがこのトピックの主眼です。
したがって、それに関連する説明は、それぞれのプログラミング言語がおおよそどのように異なるかわかればよい という立場で書いており、具体的な解説についてはたとえば環境(近くにすぐに質問できる先輩がいる、 特定の言語の学習環境が際立って整っている、特定の種類の言語をすぐに使う必要がある、など)に よって異なるという前提で書かれています。
また、このトピックは、これから最初のプログラミング言語を選ぼうとしているか、 ふたつ目のプログラミング言語を選ぼうとしているような初心者で、 車にバスから軽自動車までいろいろな種類があるように、プログラミング言語にもまた さまざまな用途の言語があるということを認識していない読者を想定して解説しているものです。 すでに複数のプログラミング言語をマスターしている読者を対象としたときには、 自ずと表現も記述するレベルや範囲も変わってきます。
で、だ。俺の書いた本にケチつけるガキ共がいるんだけどさ、ヤツラ何? 技術的なことを書くと低能なヤツラじゃ理解できないから、車の話に喩えてやる。(略)つまりヤツラは、車にもいろいろ車種ってものがあることすら、わかんないバカってことだ。
そのほか、本書について間違いであるかのように指摘されているところの多くも、本書の意図を理解できれば、 指摘したことが逆に誤っていることに気づくでしょう。 (もちろん、筆者が至らないために、間違いや勘違い、あるいは校正の際の見落としなども あるかと思います。そのようなことがないように努力はいたしますが、 お気づきの点があれば冷静にご指摘いただければ幸いです。)
また、本書の批判の多くは、本書が初心者プログラマ向けに書かれていることをまったく無視した、 きわめて無責任な意見が多く、そのような書き込みが何の批判もなく行われていることは残念でなりません。 良識のある人たちは、想定読者レベルを無視した無責任な意見は無価値であると考え 頭から相手にしていないのでしょうが、初心者はそのような判断ができないので惑わされる可能性があるからです。
ようするに、愚民向けの本を読んでも「方便」を「方便」だって読み取れないバカ?ww 指摘(笑)を通して 自分の馬鹿さ加減を世界に発信しているってことに気づかないって超ウケるじゃん? この内容は間違ってます(キリッ みたいな?wwww ま、少しでも知性があれば、恥ずかしくてで出来ねえことだよな。
わかっているヤツは わざわざ DQN の相手をしたりせず鼻で笑うだけだ。しかしお前らひよっこは、こういう低レベルな扇動に惑わされるかもしれないな。気をつけろよ。
書籍の批評ということについて、ひとつ例を示して筆者の考えを明らかにしましょう。
B.W.カーニハン/D.M.リッチーが書いた「プログラミング言語C」という本があります。現在は第2版となり訂正版として出されていますが、 日本語翻訳初版から現在まで、プログラミング言語の本として名著のひとつとみなされてきました。
実際、私もC言語についてまだほとんど何も知らない日本語訳初版が出たときにこの本を一読して、 「Hello, world」の出力のしかたから始まり、徐々に高度な内容に導いてゆく書き方に自然となじんで、 まるで読み物を読むように一気に読了し、同時に、C言語とはどういうもので、何ができて、何ができないのかを理解しました。 日本語訳初版は間違いも多く、記述の仕方もプログラミング言語の書籍としては最良とはいえないものでしたが、 C言語についてまだほとんど何も知らない私にとって、まさに「プログラミング言語C」はとても良い本でした。 また、プログラミング言語の仕様という概念が今ほど確立していなかった当時、C言語のコンパイラを実装する(開発する) ようなレベルの人にも、「プログラミング言語C」はバイブルといってよいほど重要な本でした。
ところで、今、誰かが「プログラミング言語C」と同じようなスタイルでC++かJavaの本を きわめて丁寧に間違いもほとんどなく書きあげて私に献本してくれて私個人の率直な意見を求められたら、 それを読んできっと「冗長で退屈である」と答えるでしょう。 なぜなら、私はC++やJavaについて講義(授業や講演)をする程度にすでに知っているから、 「プログラミング言語C」のような書き方の本を改めて最初から読むのは苦痛にさえなりかねないからです。
しかし、その本について公開するレビューを書いてくれと頼まれたら、 「これからC++(またはJava)を学習する人にとってはとても良い本である」と推奨するでしょう。 なぜなら、まだ何も知らない人が、まるで読み物を読むように一気に読んでその言語を理解できれば、 それはとても素晴らしいことだからです。
読む人のレベル、その本の主眼とすることとその表現のしかた、本が出版されたときの状況などによって本の価値というものは異なり、 それが本というものです。
ヤツラにも解るように具体例を示すけれどさ、ストラウストラップ?ってヤツの 「プログラミング言語 C++」って本、冗長で退屈でダセェよな。内容のレベル低すぎるしさ。けど、どうしてもオレにレビューしてくれっていわれたら、まぁ「俺には必要ないけど良い本だぜ」って紹介してやるよ。だってバカどもにはちょうど良いじゃん。バカ向けの本はバカ向けってことを考慮して評価する。それが大人ってもんだ。
インターネットが普及して誰でも自由に発言できるようになったのは良いことですが 一部のお暇をもてあましている方々が、拙著に限らず、 さまざまな著作や著者に対して誹謗中傷に近い書き込みを匿名で行っているのが見受けられます。 このような状態が続けば、 誤解を受けることを承知の上で初心者向けにあえてやさしく解説するような著者は書く気をなくし、 どのようにでも解釈できる(あるいはすでに理解している人しか理解できないような)難解な 文章を書く一部のいわゆる権威だけが著者として残る結果となり、 出版文化や書店を含む出版界はますます疲弊し、いずれ現在のように多種多様な書籍が出版できなくります。
インターネットが出来てから、そんな大人の対応も出来ないウゼえガキが増えたよな。マジ ウゼェ。ったく、「間違っている」「正しくない」とか、ウゼェウゼェウゼェ!偉大なるオレ様のやる気が無くなったらどうしてくれるのか。これでオレが本を書かなくなったら人類の損失になるって事実、わかんねぇのかコイツらは。ほんっとカスだな。
どうか、初心者の方々は無責任な批判や的外れなレビューなどに惑わされずに、 まずは本を読んでみて(買わずに図書館で借りてでもかまいません)、自分自身で判断してくださるようお願いいたします。
まぁ、カスのことはほっといて、お前らは黙って俺の本を買っておけ(貧乏だったら図書館でもいいぜ。自治体に買わせろ)。普通に考えれば有象無象の匿名ブロガーより、本まで出してるエリートのオレの本の方が信頼できるってのは、ひよっこのお前らにだってわかるだろ。つべこべ言わず買えば幸せになれるってモンさ。
さて、無責任な批判や的外れなレビューを書き続けている人には、次のように申し上げておきます。
批判する人間にもし本当に能力があるのであれば、匿名で無責任な批判をする前に、 C++、Java、アセンブリ言語、JavaScriptのようなスクリプト言語、XMLやXAMLのような記述言語を 含めて、5種類上の言語で実際に動作するプログラムを作成してそのソースコードを広く一般に公開し、 他人の批判を受けてみてから、 自分で完璧な本を書いて出版社に持ち込んで出版してみてください。
そうすれば、著作、あるいは出版というものがどういうものか、少しはわかるでしょう。
あー、それと、バカどもに言っておく。オレ様は C++、Java、アセンブリ言語、JavaScriptのようなスクリプト言語、XML・XAML のよな記述言語 を含めた5種類以上の言語に精通した超絶スーパーエンジニアだ。ハッカーと言ってもいい。しかもコードを公開して完璧な本まで書いている、マジ パねぇ男だ。 マチュアーしてるんだよ。おめぇらなんて足元におよばねぇ。身の程を知れ。(関数型言語はマイナでどうでもいいから勉強しなくてもいいぜ。あ、でもオレの Scala の本は買えよな。)
もし、自らは何も創造しないで、単に無責任な批判や的外れなレビューを続けるなら、 そういう人は、いずれ何年かのちに(そのときまでボケずに、人間社会というものを学んで人間として少しは成長したとしたら) 自分がしてきたことが無意味であり、そのようなことだけに時間を費やした自分自身の人生そのものが 無価値であったことに必ず気づくはずです。しかし、その時になって謝罪していただく必要はまったくありません。
まー、オレ様は心が広いからバカがバカであることは責めないでやる。人間生まれついてのものはどうしようもねぇ。俺はどうしようもないことは責めない主義だ。でも、お前らが無価値なゴミクズであるってことだけは理解しとけよな。ゴミはゴミなりの人生がまってるさ。身の程を知って生きればオレは哀れみくらいはかけてやるぜ?
なお、著者はあらゆる書き込みに対していちいち反論することはできません。 また、一部の低俗な掲示板のようなものを読んだり書き込んだりするのは 時間の無駄なので、私に限らずほとんどの著者は、そのようなものに書き込むことはもちろん、 目を通すこともありませんのであしからず。
最後に言っておく。お前ら如きがオレ様に意見するなんて間違っている。なぜならオレ様はいつだって正しいからだ。そして、間違った意見などに反論を書くなんて無駄な時間はオレ様にはない。お前らはせいぜい便所で落書きに勤しむんだな。あばよ。
長い文章が読めない方のために、要点のまとめを作りました。
日向さんは、本当に素晴らしい技術力をお持ちで、その著書リストをご覧になれば皆様もその高い技術力をご納得いただけるかと思います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url?_encoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E6%97%A5%E5%90%91%20%E4%BF%8A%E4%BA%8C
これだけの内容の濃い本を、こんなにも沢山発行していらっしゃるので、日向さんが新たに本を書い時、気がつけば参考文献リソース 一覧が 過去の自著ばかりになった――というエピソードだけでも、日向さんの凄さの一端が伝わるかと思います。
ですので皆様も
のような「匿名の愚か者」の世迷い言に惑わされないように、ご注意願います。解っている人から見れば、日向さんの著書は総じて評価が高い という事実は、「記名の賢者」であるdankogai氏のレビュー
をご覧になっていただければ、一目瞭然かと思います。(dankogai氏は同レビュー中で日向さんを「真に初心者向けに本を書ける希有の存在」と評しています)
なお、訳者はあらゆる書き込みに対していちいち反論することはできません。 また、一部の低俗な掲示板のような増田を読んだり書き込んだりするのは 時間の無駄なので、私に限らずほとんどの著者は、そのようなものに書き込むことはもちろん、 目を通すこともありませんのであしからず。
ちょっと前に東浩紀がTwitterでQuantumFamiliesを茶化したポストをした人をブロックしたと表明するとかいうちょっとした事件がありました.
みなさまは,東浩紀は「心が狭い」とか「肩書き主義だ」とか「ブロックしたとか大人げない」とか「娘がかわいい」とか好き勝手なこと言ってますけど,
その人はゼロアカで世話をしたこともあるそうなので,師匠にあたる人にこんな失礼なことをしたら,そりゃ怒るのは当然ですよね.
その後,ブロックされた人はtwitter上で謝罪したらしいです.でもブロックされてるなら,そのメッセージは届くんでしょうか???
やっぱり心のこもった謝罪のメールを送らないとダメだと思います.
もっというとホームページのトップページに謝罪文をのっけるくらいはしてしかるべきです.翻訳家の山形浩生さんも裁判に負けて謝罪文を1ヶ月載せてましたよ.
で,その謝罪文を考えてみました!
この度は、批評界のドンであるところの東浩紀先生に、多大なるご迷惑をお掛けしたことを、深く謝罪したいと思います。
なぜ私こと、XXXXが東先生に対し、あのような無礼を働いたかというと、
「初長編小説なら、さぞかし大したことないだろう」という、場当たり的な発想からで、
僭越ながらQFに対する真実の指摘をしてしまったことは紛れもない事実であります。
しかしながら、考えてみれば“批評”イコール“バカ”というのは、周知の事実であり、
そのイメージから、TLを流れる取り巻きによる「#QF読了。ラストすごいwww」というポストにうんざりしていたのも事実であります。
よって、はなはだ遺憾ではありますが、ここがtwitterということもあり、
TLのように流していただければこれまた幸いという、所存であります。
今後は絶対にこのようなことを起こさないことを堅くお約束いたします。
このラノベは今から約10年前に始まった全10巻のシリーズです。魔術士オーフェンシリーズで大ヒットを飛ばしていた秋田禎信氏の新シリーズで、奇数巻と偶数巻で主人公が違うという特徴を持っていました。今回話題にしたいのは奇数巻シリーズのfrom the aspect of MIZUです。
このミズー編、あるシーンが非常に強烈でした。ラノベ脳に染まっていた自分に、もっこりハンマーを実際に食らったような衝撃を与えてくれました。どこがそんなに強烈だったのかちょっと他の人にも知ってほしい。というわけで、その衝撃について解説しつつ語ってみようと思います。
まず主人公は辺境最強の女暗殺者、ミズー・ビアンカ。当然のように美人です。クールビューティーです。裏の情報屋のアジトに向かうときなんか、冷静に見張りに話しかけ冷静に見張りのあごを砕いてアジトに入り込みます。クールです。強いです。そして情報屋ともクールなやり取りで自分の要望を飲ませます。頭も切れるいい女です。そして彼女はある敵に遭遇します。相手は通り魔的な殺人鬼。名前ありません。モブです。つまるところやられ役の雑魚といったところなんですが、ミズーさん、彼と戦って勝ちはしたものの左足を負傷し出血多量で昏倒してしまいます。しかし、最強という言葉があまりにも意味をなさない魔術士オーフェンという作品を世に送り出した秋田氏の作品です。このくらいでがっかりしてはいけません。それに、本番はこれからです。
足を怪我して自由に身動きを取れなくなってしまったミズーを助けたのは、アイネストと名乗る青年でした。金髪長身痩躯の優男です。彼は学者らしく、ミズーに興味を持って彼女を観察していた、と言います。クールビューティーミズーさんは超冷たい態度で彼を追い払おうとしますが、なんだかなりゆきでアイネストと道中を共にするはめになります。なんていうか、王道です。ボーイミーツガールです。いや、ガールミーツボーイか。とにかく、クールビューティーで強いお姉様とちょっと間抜けでやわな優男のでこぼこコンビの出来上がりです。王道だ、そう思っていました。
さて、当面の間はミズーはアイネストに冷たいままです。当時この言葉があったかどうか定かではありませんが、いわゆるツンデレです。いったいいつミズーはアイネストにデレるのかな?それを楽しみに巻を読み進めていきました。
続く3巻では間抜けに見せかけておきながらガチでミズーのことを観察していたアイネストに、ミズーは心の弱いところを突かれます。ここもニヤニヤしながら読んでいました。あー、アイネストはなんだかんだいってミズーのことよーっく判ってるんだなー。ミズーからしてみたら今のアイネストは怖いだろうけど、でもそのうち頼るべき人になるんだろーなぁ。いつその時が来るのか、楽しみだなー。なんて思っていました。
…、思っていました。話が進むごとにアイネストは道化の仮面を脱ぎ捨ててだんだん冷酷になっていきます。ミズーを好きに操るために何重もの罠を用意してミズーを脅したりすかしたりします。ミズーもそれに応じてアイネストへの憎しみを募らせていきます。それでも思っていました。クールな素顔のアイネストもいいなー。相変わらずミズーには嫌われっぱなしだけど、なんだかんだいってアイネストにとってミズーは重要な人みたいだしなー。こういう仲の悪い会話をしておきながらも話が進めばいい感じになるんだろうな、ああ、王道。なんて。思っていたんですが、衝撃の瞬間は唐突に訪れました。
7巻、237ページ。アイネストとミズーの会話シーンで、ビンタが飛びました。ミズーからアイネストに対して?いえ、アイネストからミズーに対して。頭に大きな?マークが浮かんでいるところに畳み掛けるようなアイネストの台詞が。
「まず言っておこう。君と一緒にいるのは、ぼくにとっても甚だ不愉快だ」
もう、このときの衝撃と言ったら筆舌に尽くしがたいです。あれ?この二人って修復しがたいほどに仲が悪いの?アイネストはなんだかんだいってミズーのことが好きで、いつかミズーもアイネストに転ぶんじゃないの?でも、一瞬後に気づきました。ああ、自分はなんて馬鹿だったんだ、と。真面目に考えて、自分のことを利用しようと罠にはめる男に対して恋愛感情なんて芽生えません。真面目に考えて、はなっから自分のことを嫌っていてことあるごとに襟首締め上げてくるような女に対して恋愛感情なんて芽生えません。何夢見てたんだ、自分。
いや、そこを夢見させてくれるのがラノベなんじゃないか!ごもっともです。でも、この作品はなんていうか、そういう夢&冒険&恋のエンターテイメントをラノベとするならば絶対にラノベとは呼べません。世界観はファンタジーなんだけど、人物まではファンタジーじゃないというかなんというか、徹底的にリアリズムを追求しているというか。話の途中でミズーさん全治3か月の重傷を負って素直に3ヶ月間病院に入院してますし。入り口は最強の女暗殺者と最強の精霊を瞳に宿した少女を主人公として2本立てしてとても厨2病っぽい設定だったりするんですけど、中身はまるで違っていてそれがすごいです。
さて、そんなびっくりアタックが待っているエンジェル・ハウリングですが、じゃあつまらないのか?と聞かれると、そんなことはない!と声を大にして言いたいです。この物語で語られている、信じるものと愛についての誠実な考察はとても面白いです。
12月に発売される秋田禎信BOXにはオーフェンシリーズの後日談とともにこのエンジェル・ハウリングの後日談も収録されています。エンジェル・ハウリング?知らねー、オーフェンだけ売ってくれりゃいいのに、などとぼやいているそこの貴方!多分この世で1番ラノベらしくないラノベを読了する時間は十分にあります!ぜひ一度このシリーズに挑戦してみてください。
実際は蔵書の99.9%は読了していて、残り0.1%=147冊かもしれんぞ?
↓あのさぁ、「自分がされて嫌な事は、他の人にもしてはいけません」と教えられてこなかったか?
http://anond.hatelabo.jp/20090403234837
俺達だって別に読みたくて読んでるわけじゃないのに
それとも、先人たちが繰り返し訴え続けてきた“それ”は実の伴わない「ただのキャッチフレーズ」なのか?
「薄馬鹿」と罵倒すれば“ダメージを与えられる”とか、追い詰め追い込んで言う事を聞かせられるなどと思っている時点で、品性下劣である事を宣言しているようなものだ。馬鹿で何が悪いのよ?
別に「普通の人」でも、「迎合してヘラヘラ笑ったり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けて」いるのは、ものすごく嫌なのだということです。でもそうしないと生きていけなかったりするので仕方なくしているのです。
「ものすごく嫌なのだ」というなら、しないで済む様に頭を使ったほうがよほど健康的で建設的ではないのかね?
http://anond.hatelabo.jp/20090404045713の↓には激しく同意。
なんである。http://www.katotaizo.com/ぐらいは読了しておこうぜ?もっとも、この人の語り口はどっかネガティブな匂いがするので、耐性がない人にはおススメでないかも知れん。
単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。
しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。
経済の視野から薩長と会津を比較してみると、京都守護職を越前の松平春嶽から押しつけられた会津の松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都は島原の遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士は京都人から嫌われ、薩長はすかれた。
なぜか。長州は竹島経由で、薩摩は沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦も鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。
密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。
本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍と勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。
水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬や栃木あたりに逃げ、その末裔が現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。
本書は、薩摩が長州と歴史意識も政治構造も科学・天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。
たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。
山内教授は「オーストリア・ハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川と薩長が二分するアイディアの存在を告げる。
イギリスのオールコックなどの歴史観や世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセスで西郷、大久保は坂本が邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。
また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。
脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島は指宿の「伝承館」でみたパリ万博の記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博は薩摩と徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。
薩摩は「薩摩・琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。
もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。
福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。
福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。
他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。
さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカとロシアが日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。
シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府はフランスに薩摩は英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。
しかし幕末に徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。
市場開拓を狙うドイツ人の武器商人だったスネル兄弟は河井継之助の長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。
ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。
しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草で落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。
それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世の専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本に精通しているのだろう。
もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。
山内がいみじくも「後書き」に書いている。
国際会議で、オスマントルコ帝国の解体過程やイスラム政治の歴史と、日本の近世・近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。
最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授の主観だから、その部分は聞かないことにする。
近藤社長「未熟だったと思う」 はてなが目指す“脱IT系” (1/2)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0812/24/news044.html
偉い人なんだろうけど、このどこか浮き世離れした雰囲気は何年たっても変わらんねえ。
自分がはてなに登録したのは博士に入った2003年だった。主に人力検索を使うため。もう5年も使ってるんだなあとちょっと感慨。id:finalventさんが「人力が活性化するためにはタニマチ的な人が必要」と書いてあるのを見かけて、できる範囲でポイントの大盤振る舞いをしてみたりもした。これは余談。
でも、各サービスのあまりの使いにくさ、ヘルプの貧相さにはてなへの懐疑が芽生えた。人力で勃発した数々のトラブルについても、はてなの対応は公平ではないと思えたことがあった。
その懐疑は結局のところ致命的ではなかったのだが(だから今も使っている)、一時期にはずいぶんと気にかかったものだった。上の記事のブクマでid:simulacreさんが「ダイアリーのベータテストのときに見切りをつけて一旦idを返上した」と書いていたが、まさにそんな感じ。一部の常連さんの発する、はてなはこれでいいんだよ!というウメダモチオ的レトリックというか、正しいことをしていれば人はついてくる的オピニオンが優先され、もう少しユーザビリティに配慮を、、というほうの意見はかき消されがちだったように記憶している。
自分もいくつか改善提案をおこなったのだが、それが通る気配がなかったので、一旦idを捨てることにした。
(提案の中身? それを書くと増田にならない気もするが、複数アカウントの導入とか、退会者の質問履歴を残しているのは困るとか、回答者のidを見てから回答をオープンできる選択制の導入とか。当時は、常連さんからは「はてなの雰囲気を決定的に破壊するとんでもない提案」とか揶揄されたなあ。すべて数年後に実装されたけども。)
すまん、また寄り道してしまった。閑話休題。
で、はてなを退会するときだったか、id:reikonさんに退会の理由を聞かれたんだよね。あのころはスタッフが少なかったので、こういうやりとりがあった。そこで、使い勝手が悪すぎると思う、ヘルプがヘルプになっていない、金払って人力検索で「はてなの使い方」を尋ねる人が続出しているのはおかしいのではないか、と書いたわけ。
返事はなかった。ま、アンケートみたいなものだから、なくてもいいんだけどさ。
それからしばらくして、id:reikonさんがダイアリーを書いているのをなにかのリンクで見つけた。そこに、「はてなをやっていていちばんかなしいときは、退会の処理をするときです」とあった。「この人はなぜ辞めてしまうのだろうなあ、何か至らない点があったのかなあと、そういう想像をめぐらせるときが残念だ」という内容だったと思う(検索すれば出てくるだろう)。
それを読んで、なんだかなあと微苦笑したんだよね。あれだけの苦情はスルーかよ的な。はてなの運営ってのは、全体としてはいつもこんな感じにパセチックでユーザー思いのお母さんを演じてるんだけど、ディテールとなるとユーザーの使いやすさは後回しにされる。この厳しさは、まるで「オブラートに包んだ星一徹」だよなと思った。本質的に体育会系的な会社なんだろう、と今でも思う。
結局、1年しないうちにはてなには戻った。ここがいちばん合っていたから。
ユーザビリティについては、自分としてはもうあきらめていると言うか、もう今のままで慣れたよと言うべきか、そういう境地だ。まがりなりにも自分を5年も引き留めてくれたのだから、なかなかのサービスじゃないと見直している。
社長が浮き世離れしているのは仕方がないし、たぶん治らないのだから、本田宗一郎に対する藤沢武夫みたいな人がいればいいんだと思うよ。少なくとも、ウメダモチオがその役柄ではないことくらいは最初から理解しといてよと思わなくもないが、株主でもないので言う権利はないか。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136258.html
この本についてはどうでもよいのだが,このエントリーでいいたいことがわからない.
今世紀においてこれまで書かれた中で、最重要の一冊
って今世紀ってまだ8年しかたってないじゃんと思った.この表現はおもしろいので今度から使おう.「今世紀中にやります」を髣髴とさせる表現だ.
本書を読了して、私はやっと理解できた。
梅田さんが、なぜ、それも日本ではなくシリコンバレーにおいて、「弾さんは英語が出来てうらやましい」と、ふと軽く、しかし底知れぬ諦念をもって嘆息したのかが。
あれ?
「梅田さんが、なぜ、それも日本ではなくシリコンバレーにおいて、「弾さんは英語が出来てうらやましい」と、ふと軽く、しかし底知れぬ諦念をもって嘆息したのかが私はやっと理解できた」ってことだよね.じゃあこの次は,「そして、なぜ私が一年半もの間、原稿書き以外の有償の仕事を全く放棄し、Perl 5.8の開発に没頭していたのかが私はやっと理解できた」ってこと?おいおい自分がやったことなんだから「やっと理解できた」っておかしくないか?なんの理由もなくあるいはなんでやってるのか理解できないままperlを開発してたのか?
それからこのエントリーを書いた人は梅田さんが「弾さんは英語が出来てうらやましい」と言った理由が理解できたそうなんだけど,ぼくはまったく理解できないんですけど….それはこのあとの文章で示してくれるのかな?
次,
日本語に、危機が迫っている。
しかしそれは、ジジババが言う「近頃の若い者たちときたら、ろくに言葉も使えない」
みたいな。
日本語の「変質」のことではない。
この「みたいな」のあとにマルはいらんやろと思った.つかこのひと改行おおすぎ,こういうもんなの?
何か少しでもできることはあるのか。
引用の引用.ってこの引用もおかしいだろ.なんつーかもっと情報量のあるところを引用しようよ.
P. 313
だから,引用するところが変じゃね?量が少ないからかな.このエントリーを使って,
筆者は言った
日本語もきちんと「乗せることが」できる。
と.ってこういうことでしょ.いやここは全然だいじじゃなくてむしろ枝葉のところじゃないの?
次は,
逆になぜ今まで大丈夫だったかを考えれば、なぜ今は「絶対、大丈夫」ではないかは明白である。日本語は、島国であるという「距離」と1億3000万 (日本の人口よりわずかに多いのは、わずかではあるが日本人でない話者もいるから)、世界の50人に一人、それも最も経済的に豊かな方の一人が話し手であるという「質量」によって「自然」に護られてきた。なぜ日本語が「ねんごろに扱われなかった」かといえば、そうする必要がなかったからである--今までは。
「そうする必要になかったからである」ってくるのは意外.ここは「必要があったからである」ってくると思った.これは多分「ねんごろに扱われなかった」っていう表現を使ったからだろう,きっと.あーいまもう一回読み直してみると全然気にならないかも.やっぱ二重否定はわかりにくいと思う.
次,
これがぼくが最初にわからなかった,なんでperlを開発したのかわからなかった理由か!つまりperlを開発していたときは「えもしれぬ衝動に突き動かされて」いて理由なんてわかんなかったんだけどいまそれが「日本語の延命策」だったことが理解できたってことか.すごいレトリックだ!
この両方が埋まった時、日本語を護るものは、もはや何もない。
それでは、一体どうしたらいいか。
いや、それを問う前に、日本語は護るに値するものなのか。
この疑問のはさみ方はよいと思った.そんだけ.
最後の主張
一つ。今何もしなければ、来世紀には日本語は本当に滅びうる、ということ。
うーん,どっちもそれがなぜかってことが書かれてないんだよな.なんでかっていう理由が示してないと,同意できないなあ.もしかして納得しなくていいの?
日本語ってむずかしい.
ケータイ小説の大賞をとった作品が大変素晴らしいらしい。
スイーツ(笑)嫌いで基本ひねくれ者のはてなー達が読んだらハマった、という言説が少なくないことからみても
自分も読んだらハマるであろうことは想像に難くない。
未読でアンチ発言、読了に至らずアンチ発言、読了してなおアンチ発言が一定層あるのもお約束。
が。
作品を絶賛するにあたっていちいちアンチ層と無関心層を攻撃する旨の言説には正直辟易する。
余計なお世話である。あなたたちはマルチ商法の人か。
かの作品のあとがきに「ネットで論評する際はアンチ層と無関心層を攻撃する文言を必ず入れて下さい」
とでも書いてあるのかと勘ぐりたくなる。
審査員にはかの秋本康氏も名を連ね、大賞作品を絶賛していると聞く。さもありなん。
「ケータイ小説がナウい」「おっくれってるーw」というわけか。
読むべきものは人によって、時期によって人それぞれなので、どうか放っておいてもらいたい。
素晴らしいであろうと予感する作品に食指が動かないことは