http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136258.html
この本についてはどうでもよいのだが,このエントリーでいいたいことがわからない.
今世紀においてこれまで書かれた中で、最重要の一冊
って今世紀ってまだ8年しかたってないじゃんと思った.この表現はおもしろいので今度から使おう.「今世紀中にやります」を髣髴とさせる表現だ.
本書を読了して、私はやっと理解できた。
梅田さんが、なぜ、それも日本ではなくシリコンバレーにおいて、「弾さんは英語が出来てうらやましい」と、ふと軽く、しかし底知れぬ諦念をもって嘆息したのかが。
あれ?
「梅田さんが、なぜ、それも日本ではなくシリコンバレーにおいて、「弾さんは英語が出来てうらやましい」と、ふと軽く、しかし底知れぬ諦念をもって嘆息したのかが私はやっと理解できた」ってことだよね.じゃあこの次は,「そして、なぜ私が一年半もの間、原稿書き以外の有償の仕事を全く放棄し、Perl 5.8の開発に没頭していたのかが私はやっと理解できた」ってこと?おいおい自分がやったことなんだから「やっと理解できた」っておかしくないか?なんの理由もなくあるいはなんでやってるのか理解できないままperlを開発してたのか?
それからこのエントリーを書いた人は梅田さんが「弾さんは英語が出来てうらやましい」と言った理由が理解できたそうなんだけど,ぼくはまったく理解できないんですけど….それはこのあとの文章で示してくれるのかな?
次,
日本語に、危機が迫っている。
しかしそれは、ジジババが言う「近頃の若い者たちときたら、ろくに言葉も使えない」
みたいな。
日本語の「変質」のことではない。
この「みたいな」のあとにマルはいらんやろと思った.つかこのひと改行おおすぎ,こういうもんなの?
何か少しでもできることはあるのか。
引用の引用.ってこの引用もおかしいだろ.なんつーかもっと情報量のあるところを引用しようよ.
P. 313
だから,引用するところが変じゃね?量が少ないからかな.このエントリーを使って,
筆者は言った
日本語もきちんと「乗せることが」できる。
と.ってこういうことでしょ.いやここは全然だいじじゃなくてむしろ枝葉のところじゃないの?
次は,
逆になぜ今まで大丈夫だったかを考えれば、なぜ今は「絶対、大丈夫」ではないかは明白である。日本語は、島国であるという「距離」と1億3000万 (日本の人口よりわずかに多いのは、わずかではあるが日本人でない話者もいるから)、世界の50人に一人、それも最も経済的に豊かな方の一人が話し手であるという「質量」によって「自然」に護られてきた。なぜ日本語が「ねんごろに扱われなかった」かといえば、そうする必要がなかったからである--今までは。
「そうする必要になかったからである」ってくるのは意外.ここは「必要があったからである」ってくると思った.これは多分「ねんごろに扱われなかった」っていう表現を使ったからだろう,きっと.あーいまもう一回読み直してみると全然気にならないかも.やっぱ二重否定はわかりにくいと思う.
次,
これがぼくが最初にわからなかった,なんでperlを開発したのかわからなかった理由か!つまりperlを開発していたときは「えもしれぬ衝動に突き動かされて」いて理由なんてわかんなかったんだけどいまそれが「日本語の延命策」だったことが理解できたってことか.すごいレトリックだ!
この両方が埋まった時、日本語を護るものは、もはや何もない。
それでは、一体どうしたらいいか。
いや、それを問う前に、日本語は護るに値するものなのか。
この疑問のはさみ方はよいと思った.そんだけ.
最後の主張
一つ。今何もしなければ、来世紀には日本語は本当に滅びうる、ということ。
うーん,どっちもそれがなぜかってことが書かれてないんだよな.なんでかっていう理由が示してないと,同意できないなあ.もしかして納得しなくていいの?
日本語ってむずかしい.