2010-06-01

四畳半神話大系

四畳半神話大系アニメを、毎週たのしみにしている。

洗濯ものを畳みながら見たりしてて、なんだかんだで、いままで放映された分は二回ずつくらい、繰返し観ている。

なんでこんなに面白いと思うのか?

自分でも少し不思議に思った。

備忘のために、まとめてみたい。

 

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面白いと思うところ① ビジュアル

 

筋だけを面白いと思うなら、アニメを繰り返しては、観ないと思う。

絵も動きも音も好きだから、時間を費やして、原作本を読むのではなく、アニメを観るのだと思う。

(※私は同内容ならば、映像を観るよりも、活字を読む方が速いので...。)

 

今のところ、このアニメで私が最も好きな場面は、第四話の樋口師匠デルタ突端(川の砂州部分)に座って歌う場面。

実際、それは話の筋には必要ないイメージ映像(歌詞だってナンセンスだし)。

でも映像が作り込まれて、時間もだいぶ割かれていて、素晴らしい!

(録画をしたままで未見のひとがいたら、第四話の、10分を過ぎたあたりを観てみてほしい。

 主人公が亀の子タワシを探し終わって、夕暮れのなか、妹弟子明石さんと帰る途中で、歌う樋口師匠を橋の欄干から眺める場面がそれ。)

 

この作品を通じてのキーアイテムひとつである「海底二万里」をモチーフにして、

樋口師匠が居る砂州が、魚のように、潜水艦のように盛り上がって、

ユメのようなファンタジー景色が展開される。

 

でもその景色を観る主人公側は、さりげなくリアルなのです。

半袖で過ごす京都の夕暮れ、川べり、半袖と髪を揺らす風。

むかし何度か遊びに行った京都空気が克明に思い出されて、「あっ!」と言ってしまった。

 

デフォルメがはげしいキャラクターデザインを、実写ベースの背景に配置していることで、

虚々実々のとても不思議映像が生まれて、

それはあまり観たことのない映像で、とても新鮮で楽しい

観ていて楽しい

 

面白いと思うところ② 主題の表現

 

私は、原作本をだいぶ前に読了している。

そして、とても面白い本だと思った。

 

とくに「何度繰り返せたとしても、きっと自分は同じことをするだろう(してしまうんだろう)」

という主題を、とても気に入った。

 

それから村上春樹の書くものの一連の通底にも、同じ主題が流れていることを思い出した。

私はこの主題・考え方について、とても大事な考え方だと思っている。

 

不器用・不健康精神の持ち主が、できるだけ健康的に生きていくためには、とくに有用だと思っている。

この考え方が出来ない場合には、過去のことを悔み続けて現在を過ごし、未来ダメにしていく可能性が高くなる。

 

村上春樹は、あんなにも同じモチーフを繰返し描いて、繰り返すたびに昇華していった稀有な良い例のように見える。

近年は、あのモチーフから脱したようにも思われるし。)

 

ところで、話が逸れるが、この考え方のまま、すべてを放棄してしまうと、それはそれで未来ダメになることも、念のため書いておく。

出来るだけ健康的に生きていきたいなら、この考え方を、立脚点として使うと、有用になる。

 

「今」しかない視点を捨てて、「過去」「いま」「未来」を見渡す視点の立脚点として使うと、有用になる。

 

未来からみて悔いのない、過去を繰り返せたとしても同じことを繰り返してしまう、そんな選択や行動を今その都度していく」

 

みたいなそんなかんじ。ヴォネガットトラフドール星人いわくの時間概念のことも書き加えてみたいけど、脱線しすぎなので自重

 

さて、ひるがえって四畳半アニメは、原作に忠実に話をすすめていきながら、繰返しを、主題をとても楽しめるものにしているように思う。

 

アニメならではの情報量の多さ(絵とか音とか)が、楽しめるようにとても工夫されていると思う。

思いもよらないところで、絵や音を繰り返したり、

状況の繰返しにおいて、絵や音を繰り返さなかったり。

 

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長くなりすぎた。 続きを書くことができたら、また。

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