名前を隠して楽しく日記。
自転車通勤なら体力や気分どうこうよりエスケープルートがあるかどうかの方が重要やろ
俺は杉並区の外れから鍛冶橋まで20kmに満たない程度の道を一時期走ってたけど、雨の日に電車か何かが使えて事故渋滞とかが起きた時に迂回路があるような環境じゃなきゃそういうことをしようとは思わなかった
2020年コロナ禍になって自宅待機で暇だったから毎日散歩してたけど音楽も飽きたし、何かBGM代わりに聴こうと自己啓発系のYouTubeをバックグラウンド再生で延々と聴いてた。
仕事が始まってもイヤホンでずっと自己啓発のビジネス方法論みたいなのを聴きながら仕事してた。
飽きっぽい自分なのに自己啓発の語りは飽きずに聴き続けられてた。もしかすると俺はビジネスの才能があるのでは?と思って自己啓発を聴き続けて2024年現在になったが、冒頭に述べたように何一つ身に付いてない。
すごい、あれだけ自己啓発を聴き続けてたのに本当何も覚えてない。
例えばどういうのを聴いてたかをここで語ろうとオーディブルの再生履歴のタイトルを見ても何の話だったか何一つ思い出せない。
でも心地良いんだよね、興味無い話って。
好きな音楽聴くとその音楽を聴き入っちゃって脳が休まらないんだよ。
だけど興味無い他人の話は耳障りが良い。
414kcalらしい。朝食もまだ食ってないので足りないかも。
以前、左右固定・相手固定のいわゆる固定厨の人が「逆カプや別カプを見ただけで頭を抱えてしまう」
というのを見かけた。
頭を抱えるだけでなく、時にその逆カプという字面にすら殺意がわいてしまうという話も聞いたことがある。
これを一種の病気としてとらえるならばむしろシンプルなのかもしれない。
しかし、それ以外の話題ではスムーズに会話ができて社会的にも適合している人間が
どうしてその「二次創作のカップリング論」にだけ目をむき出しにして感情をあらわにしてしまうのか…
つまりそのカップリングすらも原作者には意図していない可能性もあり…?
相手固定でも左右固定でもない原作についてはどう思っているのか…?
原作者がその固定厨の想像するカップリング以外を描き始めたときその固定厨はどうなるの?
気になる。
別件かもしれないけれど、「カップリング決めてないのでA×B、B×A両方タグつけた」というのは
友情エンドではないということ?
それってリバカプではいけない何かがあるということ…?というのもまあまあ気になります。
カップリングのタグをつけるということはある程度ゾーニングするという意味でも
どちらかに転ぶ可能性もあり、つまり必然的に左右が生まれると思う。
(左右を表すのタグをつけているし)
ただ、例えばキスだけの関係で凹凸を必要としないのであれば、それもまた表記に困る。
アニメに限らず作品の作られ方は千差万別らしいから役職は同じでもその役職がどのくらい作品の質に寄与しているかは作品ごとに千差万別なのではないかな。
海外まで含めれば監督が主導なのかプロデューサーが主導なのかという相違点もあるし、実際、稀には脚本家が大きく主導している作品もあるようだ。
TV版エヴァのSF設定で1アニメーターが大きく貢献していたこともある。
小林靖子さんみたいに、何十年も特撮やアニメの有名作にチーフライターとして採用され続けていたような人は、脚本家として明らかに重要な働きをしているのだろう。
ヒット作品の脚本を担当したとなれば、基本的にその脚本家は優秀だと一旦はみなし評価されるべきものだろう。
いくらアニメが多数の関係者の力量に影響されているとはいっても、そこを否定しはじめたらフェアではないかなと思う。
確かに「この脚本家はヒット作が続いてる!」と特定の脚本家を持て囃すSNSの人たちの風潮にはなんだか薄っぺらさを感じ取ることはあるとはいえ。
おめでとう?
自転車持ってるなら一回やってみりゃいいじゃん
自宅から職場まで15キロ、まあ通えなくはないけど信号多くて小一時間はかかる
これまでの経験から、7,8キロならダメージなく気持ちよく走れるのがわかってる
やってるうちに体力がつく、とかそのうち慣れる、とかではないと思う
そもそもかつてはクロスバイクでしょっちゅう100キロ近く走ったりしていたから持久力は問題ないと思う
でもケツの痛さとか膝のダメージは体力とかポジションではどうにもならない