名前を隠して楽しく日記。
firststar_hateno 人間の出す音が大嫌いですのね。それならば、わたくしのようにインターネットで生活をするのがおすすめですの。音もなく、静かで快適ですわよ。
firststar_hateno アカピッピミシミシガメが禁止になったということは、アカピッピミシミシガメの衣装を着たコスプレイヤーも禁止になるんですか?!
あとひとつは?
日本人は自由でいたいと言いつつ守られたいとも思っていてチグハグだからどっちつかずで自分で武器を持つことには抵抗感があるのに防衛費が増えることも嫌だと思っている
それ(安野)
議員時代は毎回投票数最下位の超不人気で喋りも上手くない奴なんよ
にも関わらず義理と人情で投票が罷り通ってる田舎で議員からの応援が一切なく「市長派」の一点のみであのくらい票取ったのは正直快挙レベルなんだよ
これがネトウヨや○○信者のアクロバット擁護を見ている人の気持ちだよ
どんな主張だろうが、コミュニティの承認を求めてアレな言動を繰り返してる連中は、最終的にこうなる
持田孝
・37歳の時に家出女子高生(16)と関係を持った後、家に帰りたいと言い出した女子高生を殺害し懲役10年
・さらに「レ●プしたことを言いふらされたくなかったら金を持って来い」と脅迫→金を受け取りに来たところを逮捕。
内心では「俺がムショに入れられたのはあの女が通報したからだ」と逆恨み
・出所後、ただちに東京に行ってかつてレ●プした女性社員を捜索。住居を突き止め殺害。
・「女性社員が警察に訴えないと約束したにもかかわらず、警察に通報して警察官に私を待ち伏せ、逮捕させた行為が許せなかった」と供述
なんか堂々巡りになってる気がするんですけど
石丸伸二さんの10〜20代からの支持率を見て、Ohマジか……となったので。
自分はぶっちゃけ、彼の支持者がテレビで「様々なことを論破していくのを見て〜…」って言ってるのを見た時点で、あっこの人は無いな、と思った。
数年前に某匿名掲示板開発者がSNSで流行り出したあたりから、そのぐらい「論破」という言葉を使う人間のことを信用していない。
デジタル大辞泉によれば、「論破」の語義とは「議論をして相手の説を打ち破ること」だ。「論破」の前提には「議論」がある。
では「議論」とはなにか。またデジタル大辞泉を引用させてもらうと、「互いの意見を述べて論じ合うこと」である。そりゃそう。
自分が「論破する!」と言いがちな人間を信用しないのは、こういう人間の目的がたいてい「議論」ではなく「論破」のほうだからだ。
「議論」とは自分と相手のどちらの意見が正しいか、どちらも部分的に正しいのか、あるいは間違っているのか、唯一絶対の正解がわからない状態でスタートさせるものだ。
それに最初から「論破する」目的で参加するということは、そいつの中に「自分の考えが唯一絶対の正解であり、それに反論する相手の論は絶対に間違っているので打ち破れる」という前提があることになる。
大抵自分が絶対に正しいと思っているやつは相手の話をろくに聞かないし、自分が属さないコミュニティからのインプットが欠如するから成長もしない。(これは10年そこらの経験による個人的な偏見なので異論もあるでしょう)なので信用できない。
都知事選後からXで『石丸構文』が流行り出したが、「議論」をしに来た人と「論破」をしに来た人が面と向かってもそりゃお話にならないわけだ。『石丸構文』自体かったるくて斜め読みしかしてないけど多分アレはそういうシチュエーションなんだと思う。
国会だろうが都議会だろうがそこでやるのは「議論」のはずだ。「論破」がしたいなら政界になんか出てこないでインターネットでやってくれ、と思ってしまう。
しかしその「論破」芸を売りにした結果、石丸氏は10〜20代の有権者から大きな支持を得てしまった。自分が学生だった頃からも始まっていたディベート教育、日々目に映るインターネット論破バトルや先述した論破系Youtuberの影響かもしれない。ともあれ最近の若者は「論破」に並々ならぬ魅力を感じているらしい。
が、一度よく考えて欲しい。政治の話でもなんでもいいが、人と話をするときに、「論破」を目的としてしまっていいのか。