違法にならない程度の寄付をしたりして恩を売って、見返りにメッセージをもらうとか。
それであたかも政治家からお墨付きをもらったような広報をして権威づけする。
政治家からすると、大勢の信者を抱える宗教団体は有権者として無視できないので対立するわけにもいかず、
また人権を侵害するような排除もできず、絶妙な距離感を保ったまま付き合うしかない。
絶妙な距離感で付き合うのが嫌ならカルトを徹底的に潰す戦略をとるしかなくて、これはこれでリスキー。
だから、政治家と宗教団体との関係を見るときは、宗教団体が有利になるような制度を作ったとか
冷蔵庫の中に切ったメロンの残り 1/4 を置きっぱなしにして旅行に出てきてしまった。昨日の夜に食べ切るべきだった…。帰っていた時に、冷蔵庫の中のメロンはどうなってしまっているんだろう。そういう思考のノイズが、この旅行の間にほんの少しずつ、脳のメモリを使い続ける。美しい景色と美味しい食べ物、快適なホテルルームにオーバーラップする、 1/4 の食べかけのメロン。自分の心の 1/4 は、メロンと一緒に冷たい冷蔵庫の中にあり続ける。一時が万事、こんな調子だ。
毎回見て思うが滑ってるぞ
礼には及ばんでござる
国際論文出してない奴が威張らないでほしいよな
今回の事件において「心肺停止ならまだ助かる見込みがあるから、死亡を意味するものとは思わなかった」といったコメントが散見された。医学用語でありながらも一般にも使われる用語なので、微妙なディスコミュニケーションが起こりがちではある。
心肺停止は文字通り、心臓も呼吸も止まっている状態を指す。現場ではCPA(Cardiopulmonary arrest)を言われることのほうが多い。病棟で急変があると、「〇〇さんCPAです!」みたいな感じでみんな救命に殺到する。さて、心肺停止状態にはCPR(CardioPulmonary Resuscitation)が施される。このCPRで心拍が再開する病態もあれば、再開しない病態もある。よくあるのは心室細動でバタンと倒れた場合、ただちにCPRを続けながらAEDによる電気ショックを与えれば、高確率で救命できる。一方末期がんの患者さんが緩和ケアの末に心肺停止した場合、そもそもCPRを行わないが、仮に行ったとしても心拍が再開する見込みは非常に低い。
さて、今回のケースでは、ニュース第一報から割とすぐに(たしか1,2時間もたたずに)「心肺停止で搬送」というニュースが飛び込んできたように思う。自分は病院の医局でそのニュースを同僚と見たのだが、そのニュースを見て同僚医師たちと「これはまず助からないですね…」と話した。なぜかというと、慌ただしい救命の現場で心肺停止した「確実に」断言することはとても難しいからである。心肺停止の疑いが濃厚な段階で、あらゆる救命措置を行うし、確認する余裕はない。もちろんその場にいる医療者は誰もが心肺停止だろうと思ってCPRに従事するが、それを医学的に確定診断する余裕はない。その心肺停止をニュースに流すとなると、これはもうほぼ救命の見込みがない傷だと現場の医師が判断したからであろう、と。後の奈良医大の会見でも、頸部や胸部の銃創で大血管が大きく損傷した、とのことであった。大血管の損傷は、シンプルに大量出血して血圧低下するので、救命といってもできることは極端に少ない。大量輸血しながら出血箇所を塞ぐしかないが、通常破れた血管を塞ぐにはいったんその血管の血流を結紮して止めなくてはならない。しかし大血管を結紮すること自体が当然自殺行為である。
まとめよう。一般医療現場で「心肺停止」と使われる場合は、患者さんの病態によっては、回復する可能性があるケースもそれなりに含まれる。しかしそれをニュースに流すとなると、ほぼ心肺停止から戻らないであろうという確信があって初めて報道される。しかもそれがまだ現場が極めて混沌しているであろう1,2時間後にニュースとなった。従って医師がみればまず救命できない傷であったのだろう。というのが当日のニュースに接して思った内容だった。