周りを諦めさせようとしだしたら、こいつはダメだと切り捨てないとな。
ここんとこのネット論争とかトゥンベリへの話題とかでの、自分やネット民の振舞いを見てて考えたけど、
2013年に増田が指摘した、35病ってのが今になって実にしっくりくるな。
執筆当時は「老害化ってだけだろ」みたくブコメされてたけど、今思うと、老害化よりもうちょいフォーカスが絞られている。
なんつーかさ、「諦め」なんだよね。
がんばっても別に世の中はよくならない……という諦めとはチト違う。
現在の世界で「世の中の改善」とみなされる運動が実を結ぶことはあるかもねと思うが、自分はその恩恵を受けられないだろうなという諦めだ。
「今ちょっと苦労してあれやこれやしたら、美味しいご飯を沢山作る技術ができますよ!」と言われても「最近ものを食べられなくなってる自分を感じるし、10年後とかその美味いメシをどれだけ食えるかなあ」となる。
無理のある年金システムを抜本的に変えましょう、なるほどそれはいいことかもしれないが、その場合丁度私らがもらいっぱぐれることになるんだろ。
性役割から自由になりましょうだの、セクサロイドを開発しましょうだの言って、それが実現する十年とか二十年後には、自分の男や女としての旬はとっくに過ぎている。
色んなイベントが楽しくなる、早く旅行に行ける、VRでこんなことができる、こんなゲームが作られる、でも十年後には疲れやすくなって、そういうのも存分に楽しめなくなってるんだろうな。
倫理的に良くなりましょう、差別をなくしましょう、でもそれが進んでも、もう自分は生きやすくなるよりダルいと思うことの方が増えそうだ
良い人であろうとしたり、良いことをしたりがきっと自分にもプラスになるって若い頃は思いやすいけど、どこかでその期待がなくなるんだな。
SexyZone
水曜JUNKダメか…って、自分も最近のはあんまり聞いてないが。別に面白く無い訳じゃないとは思うが。優先順位は下がる。オオギリ甲子園は面白いけど。職人の質は高いかも。
それお前にしか見えてないよ
Twitterで回ってきたツイートを見て、私はそのキャラクターが苦手になった。
連絡手段やコミュニケーションの一つとしてSNSが当然のように使われる現代で、オタクである私はありがたいことに多くの友人に恵まれた。友人といっても、顔も名前も分からない文字だけのやりとりで毎週放送されるアニメの感想を言い合う相手もいれば、一緒に旅行に行って仕事の愚痴やアニメの話で盛り上がる相手と様々だ。それでも出会えたことに感謝しているし、アラサーに突入した私としては共通の趣味をもった友人(しかもアニメや漫画)に出会える機会は多くないため感謝しかない。
だがしかし、自分が知りたい情報だけでない 眼や耳に入れたくない情報までもが回ってきてしまうのがSNSの悪いところで、私の友人がリツイートしてきた内容を見続けた結果、そのツイート主をミュートし、ツイートに書かれていたキャラクターのことを詳しく知らないにも関わらず苦手意識を勝手に持ってしまった。
苦手意識を持ってしまったと分かったのはつい最近のことだった。友人2人から「某映画を観に行こうよ」と誘ってもらい、観に行ったときに判明した。
私はその映画のジャンルのことは知っていたしほんの少しかじっていた。けれど詳しく知らないこともあったため、せめてと思い見られる範囲でアニメを見て、キャラクターソングを聴いたりした。失礼のないように名前と顔、性格、歌の内容を覚えて映画を観に行こうと思ったのだが、このとき既にそのキャラクターが画面に映るだびに冷めた気持ちになっていた。ゲームをしていないからそこまで興味がわいていないだけなのかもしれない、きっと映画を観たら印象も変わる。そうやって違和感に蓋をして映画に行った。
そして映画を観に行った結果、私はそのキャラクターが出てくるたびに気持ちが冷めているのが分かった。
ツイート主(以降Aさん)はそのキャラクター(以降Bくん)のことが本当に大好きで応援していて、自分が落ち込んでしまうときは「でも○○くんにこんな姿見せられない、頑張らないと!」と奮い立たせるなど とても大切にしているのが伺えた。私も好きなキャラクターに対して応援するし大切にしたいと思うからとても気持ちが分かった。私もオタクだから。
なぜ苦手だと思ったのか。それはそのキャラクターが出てくるたびにTwitterで回ってきたAさんがBくんのコスプレした人とデートをしたという、いわゆる「夢女撮影」のツイートのことを思い出してしまうからだった。
私の友人にも夢女はたくさんいるし、私自身も夢小説を読んでいた時期があるから自分の好きなキャラクターと自分自身でデーとしたい、撮影したいという気持ちは分からなくはないし、夢女撮影をするのは良いと思ってる。ただ本当に、ほんとうに無理だなぁと思ったのが「TVの企画に当選してBくんと1日デートができる」という設定のもと、Bくん(のコスプレしてるレイヤーさん)とAさんがデートしているという画像を見て拒否反応が出た。ご丁寧にも自作タグをつけ、鍵もついてない公開ツイートでたくさんリツイートをされて私の元にもこのツイートが回ってきたのだ。
初めてそのツイートを見たときは「正気か?」と思った。そのジャンルには主人公である女の子がいて、その女の子を動かしてゲームのストーリーを進めていくし、アニメにだってその女の子は出てくる。名前もビジュアルもある。映画にだってもちろん出てた。だからBくんと主人公のコスプレ撮影とかなら分かるのだが、夢撮影で、ありがたくも自作タグや自作のテロップを画像に加えて加工しツイートしていたのだから。いや、鍵垢で楽しむなら分かるけれど「公開ツイートでよくやったな」という気持ちが大きかった。し、このキャラクターはこういうファンがいるのか……という気持ちにしかならなかった。
私の周りの夢女撮影した友人たちは撮影してもツイッターには載せなかったり、載せたとしても鍵垢で拡散できないようにしていた。周りの同じジャンルを好きな人へ配慮していたからだ。かといってAさんが配慮していない訳ではないと思うけれど、Bくんファン=Aさん=自分さえ良ければ何でもいい、という印象がついてしまった。
映画のOPを見ただけで鳥肌がたった。彼らが動き口を開いた瞬間、なぜか私もこみあげるものがあって涙が出そうになった。本当に感動した。
たった数日だけ彼らを見続けた私がこうだったのだから、彼らを何年も応援しつづけた人たちはどれだけ感動したのだろうか。想像したって分からない、けれど応援していたファンの声があったからここまでこれたのだろうし、彼らがこれからもっと大きくなっていってほしいと心から願った。熱い気持ちになった。
なのにそういった気持ちもBくんが出てくるたびに冷めていった。Bくんがかっこよく踊っても、歌っていても、感動することをしゃべっていても、何一つ響かなかった。Aさんの画像とツイート内容が頭にチラつくからだ。
好きなものは好きと言い続けていると、それが物であったり人であったりキャラクターだったとしても周りは覚えてくれる。そして良いことを口にしていれば周りも良い印象を持ってくれる。し、その逆もある。アニメだろうと芸能関係だろうと、ファンは節度を守って応援し続けていれば応援している自分を応援してくれる友人ができていくものだ。ネガティブなことだったり節度を越えたことをしていたら嫌われるのは自分ではなく、自分が応援している対象が嫌われてしまうこともある。
Bくんは何も悪くない。ただBくんを応援していたAさんのツイートを見て勝手に冷めてしまった私が悪い。
だけどこれはこの先ずっとついてくるものだろうし、私はBくんを応援することはすれど感動することはないんだろうなと思った。
まぁAさんはどんな気持ちで「TVの企画で当選して1日Bくんとデートしてきた!今日の夜10時から放送だからみんな見てね!」とタグを作って30分だか1時間おきにツイートをしていたのか分からないけれど、おそらく私以外にもAさんではなくBくんに対して残念な印象を持った人は少なくはないと思う。
当たり前過ぎて教えてないんやで
無論40代50代でラブライブの曲を歌うオタ社員もおるだろうが
あと実際、中高年オタで現役作品も見ているが
どんだけ世界狭いんだよ
一日の2/3寝てる先輩がいるんだが、誰もツッコまないのが謎だ