1年前もおなじだったけど、彼ら・彼女らは一体何が目的なのかはっきりしない。
Nianticに謝罪を要求しているのか、ポケモンGoに何らかの規制を内外からして欲しいのか、Nianticやポケゴー自体を潰したいのか。
感情論として言っている事自体はわかるけど、目的がはっきりせずにただSNSで拡散を促している姿を見ると本当に頭悪いとしか思えない。典型的なネットクレーマーで、彼ら・彼女らは叫ぶだけしか能がない。
https://twitter.com/a_yak_o/status/899441659183681541
https://twitter.com/MennoObi/status/899423358667825152
例えばこのような意見をつぶやいても実際に行動はしない。何を出来るのか、何が起こるのかを予想・理解できないためだ。大きな物を非難することはできてもそれによって生じる責任は一切取らない。被害者意識だけが強いひとはネットに向いていない。
猫を飼ってて、たまーに間違えて踏んじゃったりすると「フギャ!」ってすごい声で鳴く。
すぐさまゴメンゴメン、と謝ると「しょーがねーな・・・」って感じで許してくれる。別に引きこもったりしない。
これは心が通じてるんだろうか?通じてると思いたい。
同じことを野良猫にして謝ったところで許してくれなさそうだし、二度と近づいて来ないだろう。
ただ、エサをくれる人間だから許容範囲が広いという見方もあるだろうし、え?じゃあ動物に心は無いの?ってそんなこともないだろうし。
どうなんだ実際。
もしくはしていた時期があるんじゃないか、て疑ってるよオレは。
https://camp-fire.jp/updates/view/35605#main
“自分自身に使用料払うと申請しているのに、それを蹴る権利が有るのか?
そんな権利誰にも無いだろ!
世界中の誰にも、何者にも無いだろ!
なんだこれ、なんなんだよこれ。
それが法なら法が間違っている。
それが国なら国が間違っている。 ”
なんでもないようなことだけれども。
自分は何のために生きているのか?
一度くらいは考えたことがあるだろう。
そこから先は、何らかの価値を見出して充足感を得ている人、わからずに悩み続ける人、わからなくても気にせず生きていける人、等々様々であろう。
悩んでも悩んでもわからず、毎日がつまらなく、むなしいばかりだ。
否、すべての人は何らかの存在価値があるとは考えている、それを「実感」できないことが悩みの種であると言ったほうがより正確だろうか。
そういえば昔から「達成感」というものを感じたことがなかった。
高校・大学入試に受かった、演奏会や学校祭が、1つのプロジェクトが盛況に終わったなど、通常達成感を得られそうな場面においても感じたことがなかった。
(感じたのは「これまでの努力が無駄にならずホッとした」という安堵感?のみ)
自分の感覚が異常であるがゆえに、自分の存在価値を感じることができないのだろうか。
いずれにしても、遠くない将来、自分の存在価値を「実感」できないと、いよいよ本格的に心を病み、社会生活に支障をきたしそう…な気がする。。
しかし一体何をどうすれば、または何がどうなれば、「実感」できるのだろうか…。
罠とも事故とも取れない行動が行うことによる心理的駆け引きがないから運ゲーにしかならない。
素人同士ならブラフとも取れる行動をプロクラスの人間が取る理由が99%「そうしておいた方が後々により有利な選択肢を選びやすいからここはグっと我慢した」に収束するのは本当にまずい。
思わせぶりな行動によって相手を撹乱する要素が一切ないゲームとは、すなわち心理戦が存在しないゲームである。
知らんけど、お前のお前の思い上がりよりは大事なんじゃない?
洗濯しても落ちない汚れなら、便ではなく粘液かもしれません。
とっとと辞めて思い知らせてやりましょう。
『「コミュニケーションがヘタな人の愛情」は、存在しないと同じなのだろうか?』
http://blog.tinect.jp/?p=42411
を読んで、疑問がわいた。
今の世にあふれているのは「『本当の』愛ではない」「伝わらなければ相手にとってはないのと同じ」といった言い回しであって、全面的に存在そのものを否定する言説はそこまで多くはないのでは?
それらの言い回しは文中の肉の例えを借りるなら、
生肉も肉ですね。でも、食べたらお腹をこわす危険の高い、まずくて栄養にならない肉ですね。お気持ちはありがたいですが、食べられません。
ということ。筆者自身がくり返している「食えたものじゃない」に近い趣旨だと思う。
「食えたものじゃない」ことを指摘せずに食べてみせなければ、全面否定と受け取られるのだろうか。だとしたら、加工を求めているのはどちらだろうか。