「男が関わっていないから健全な欲望」だなんてぜんぜん言ってないんだけどなぁ…。
「モテたいから」という欲望が突き動かすものは否定してないけど、
http://b.hatena.ne.jp/entry/244939804/comment/feita
ホッテントリに上がる記事は「ブクマの数が多い」以上でも以下でもないのに、たまに自分が好きなネタを無尽蔵に運んでくれる回転寿司と勘違いしてる奴がいるから困る
自分は勘違いしていないと思ってるやつ多いと思うけど、普段からブコメするような奴こそ勘違いしていて、そっ閉じできないからコメントという名の不快さの表明をしているだけだ
そういうの言われて喜ぶ女も幾らでもいるからねぇ…
ただ単に無難な服って、かなり男に媚びてる服だったりするんだけどなぁ。
媚びるか媚びないかの問題じゃない。
「男が関わっていないから健全な欲望だ」という発想、傍から見てる限りはあまり女性を幸せにしてないと思うんだよねえ。
男からの抑圧より女性同士の同調圧力や規範意識のほうがかえって女性自身を苦しめてない?
最近、「日本の若い女性は痩せすぎ」というニュースが話題になってたけど、
おらかっぺだからルミネなんて数えるほどしか行った事ねえんだけど(似非方言)
ショップリスト見る限り、男に媚びる為の服と言うよりはただ単に無難な服、と言う感じがするけど。
よっぽど尖ったファッション以外は全部男に媚びてると思ってる?
女が自分で「これかわいい」と思う可愛い系ファッションと、男を意識した可愛い系ファッションは、全然違う。ブランドも違うよ。
それ自体は否定されるべきことでもないけど、人は他人のためだけに着飾るわけじゃないし、
ファッション感度の高い人ほど人に喜ばれるためじゃなく自分がいい気分になるために着飾りたいという傾向は強くなると思うけどね。
米国に来てから4年経つ。中学高校と英語の成績が1か2だった私だが、今では英語で哲学を学んでいる。もちろん渡米当初の私の英語力はゼロに近かったが、今では日常生活は問題ない程度に達した。
しかし、どれだけ聞き取りができても、言いたいことが言えても、英語の部屋からはどうしても抜け出せない。英語の部屋とは哲学者ジョン・サールが考えた思考実験の中国語の部屋から、私が勝手にとった考えで、記号をルールに則って処理するだけではその言語を理解したとは言えないということを説明しようとしている。中国語の部屋を簡単に説明すると、中国語を理解できないサールが部屋に閉じ込められ、外から渡される中国語の文章を英語で記述されたルールブックに基づいて処理をするが、サール自身は中国語を一切理解してないということ。私にとって英語を使うというのは、このような部屋に閉じ込められてる感覚がある。外国語を本当に習得したと言えるようになるには、この部屋から出なければならないだろう。
私は英語を話している時、頭のなかで日本語から翻訳をしていない。聞くときも読むときも同じく、日本語は一切通していない。それで意味は理解できる。相手が何を言いたいか、自分が言いたいことをどう言うか、それは問題ない。ただ、同じ意味の文を母国語で考えた途端、「しっくり」くる。理解すると言うよりも、感じる。英語の場合は脳が回転する感覚があるが、日本語は脳に溶け込む感覚がする。これが本当の意味で理解するということなのかもしれない。ではどうしたら私は英語の部屋から抜け出せるのか?わからない。どれだけ調べても出られる方法は出てこない。
ただ単に時間が足りないだけかもしれない。母国語は生まれてから聞き続け使い続けてきた。当然ながら経験に差はある。ただ本当にそれだけなのか?もしくは大人の脳には言語を使えるようになる事は可能でも本当に理解することは不可能なのか?もしそうなら、それはなぜなのか?私が抜け出せるまではまだ時間がかかりそうだが、諦めずに出口を探り続けるつもりだ。
もう一つ思うことは、外国語を話す多くの人がこの部屋に入っている可能性が高いと言うこと。日本語を流暢に話す外国人も、英語を使いこなすビジネスマンも、外から見たら分からないが実は部屋から抜けだせずにいるかもしれない。彼らと会話するときは母語話者側がそれに気付いて上げるのが大切ではないだろうか。母語しか話せない人は、この「部屋」の感覚はなかなか理解できないかもしれないが、相手がその言語を理解できるからといって本当に理解出来てるとは限らない。コミュニケーションを円滑にするには双方の理解が必要だろう。
それは1976年のことです。 叔母の知人の勧めでお見合いをしました。
お相手は簑木忠継 (みのき・ただつぐ) さんという会社員の方です。
それが私の現在の夫です。 お見合いから3年ほどの交際期間を経て結婚しました。
そして、結婚した翌年には息子が生まれ、健 (ケン) と名付けました。
フルネームで言うと 簑木健→みのきけん→身の危険 というわけです。
夫はこのイタズラに未だに気付いていないようです。
さて、その子供ももう年頃。
先日、息子の恋人を紹介されました。
いかにも賢そうな方で、息子を任せられると思いました。
息子がこんな話をしてくれました。
「彼女が俺の部屋に来ると『【みのきけん】を感じる』って言うんだぜ」
私のイタズラがうまくいってちょっと気分が良かったのは事実です。
でも、それがいけなかった。
男が変わるたびに服装が変わるような女は「媚びる女」と見られがち。これ豆な。
中身は一緒でディレクションの方向を変えた(親しみ系)にしただけで
そういう世界観から、男なんて気にしないという世界観に変えるから「ルミネも変わる」とか言ってんのかなーと。
(いや単にショップ入れ替えを指してるだけかもしれないけど)
でも今はもうその段階も過ぎて、いちいち男の為に着てんじゃないのよ!とか強調しない、
「男の為に着てんじゃない」は当たり前すぎてわざわざ言う事じゃない、と言う世界観が主流じゃないの、と言う意味で
「そうだとしてもセンス古過ぎる」と書いた。
1話見てイラッとして、2話みたら、あーちょっとアリかも、と思った。
それで気が付いたんだけど、これ「働く女性を応援」っていうコンセプトだからちょっとまて、ってなるんじゃないだろうか。
「恋に目覚めた女性を応援」とかだったらまた違いそう。
仕事しろやオイそこを応援するんじゃないのかよ恋してんじゃねーよ女性の「働く」は恋愛なのかよバカにしてんだろ、ってなる
3話で新しい展開でもあるのだろうか。
CMという性質上、一話ごとにコンセプトを表現できないのはどうなんだろうとも思うけど。
それもCMに興味もたせる手なのかな。
ルミネのやつ、「代理店のオッサンを引きずりおろせ」なブコメに人気が高まっているけど、
いまどき大手代理店のファッション、小売関係のチームに女性が一人もいないなんて、まず考えにくい。
そもそも、ルミネは女性コピーライター・女性フォトグラファーのコンビで「名が売れた」面もあるわけで、その後、突然担当者が全員男だらけになるってことも、普通ないと思う。
サラリーマン的人事とか売上とかそういう体験からしても、ルミネの広告で広告現場や決定者に女性ゼロってのは、ちょっと思いにくい。
それよりなにより、この何年か、特にここの所、散々見てきているじゃないか。「女→女」セクハラは隠然と、当然に存在していることを。
女流作家だってシングルマザーを一方的に攻撃したりすることを。
同人誌で市井の女性に平然とセクハラを行う女性が存在することを。知っているわけで。
そういえば人種差別を容認する女流作家や、それを擁護する女性ジャーナリストなんてのも居たが。それはちょっと置いておいて。
ジェンダーの問題って、同性間でも受け止め方に違いが表れるところが、ある意味とても厄介な面なので、すべて「オッサン」のせいにして思考停止するのが一番まずい。
田舎暮らしの人は、過剰に男女差別に敏感であるがゆえに、時折、逆に女尊男卑に逆転する傾向が見られる時があり、ある種の馬鹿フェミと同じな穴に落ちがちだが
「これひどいよね」← ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低!
「これみて。ひどくない?」← ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低!
「こんなひどいことがあったんだけど」← ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低! ひどい! 最低!
おまえら疲れないの?