はてなキーワード: ハイティーン・ブギとは
曲目
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蒼い星くず 加山 雄三
青葉城恋唄 さとう 宗幸
アケミという名で十八で 千 昌夫
あざみの歌 伊藤 久男
あじさいの雨 渡 哲也
あの鐘を鳴らすのはあなた 286 和田 アキ子
雨 1256 三善 英史
雨の御堂筋 欧陽 菲菲
逢わずに愛して 内山田洋とクール・ファイブ 13
22 小柳ルミ子 漁火恋唄
射手座の女 敏いとうとハッピー&ブルー 232 愛しき日々 堀内孝雄 40
命の花 大月みやこ 383
祝い酒 坂本冬美 26
455 門脇 陸男 祝い船
ザ・ピーナッツ ウナ・セラ・ディ東京 355
松原のぶえ 461 男なら
おもいで酒 小林幸子 195
想い出の渚 ザ・ワイルド・ワンズ 199
お嫁においで 加山雄三
松原のぶえ 305 おんなの出船
悲しい色やね 34 上田正樹
がまん坂 18 北島三郎
北の漁場 41 北島三郎
京都の恋 196 渚 ゆう子
くちなしの花 462 渡哲也
圭子の夢は夜ひらく
369 藤圭子 恋あざみ
高山厳 152 心凍らせて
343 森山良子 この広い野原いっぱい
伊東ゆかり 197 小指の思い出
酒よ 36 ジジサン
さざんかの宿 大川栄策 88
サチコ ニック・ニューサー 481
里がえり 嶋三喜夫 1278
435 河島英五
田端義夫 483 十九の春
大橋 純子 155 シルエット・ロマンス
ジジサン 90 酔った歌
杉良太郎 47 すきま風
60 谷村新司 1 森田公一とトップギャラン 若者 小林幸子 1280 雪泣夜(せつないよ) 小柳ルミ子 48 瀬戸の花嫁 森進一 1281 セビアの雨 ジローズ 7 「戦争を知らない子供たち 平和勝次とダークホース 360 宗右衛門町ブルース 北海道民謡 1561年 ソーラン節 内山田洋とクール・ファイブ 2 そして、神戸 49 五木ひろし そして・・・めぐり逢い 布施明 50 そっとおやすみ にしきのあきら 187 空に太陽がある限り 増位山太志郎 283 そんな女のひとりごと 増位山太志郎 157 「そんな夕子にほれました 上田正樹 301 たかこ 真木 柚布子 1282 黄昏のルンバ
トワ・エ・モア 480 誰もいない海
三船和子 198 だんな様
五木ひろし 442 契り
敵は幾万 1570年 軍歌
時の流れに身をまかせ テレサ・テン 63
和田アキ子 160 どしゃぶりの雨のなかで
内山田洋とクール・ファイブ 191 長崎は今日も雨だった
ザ・タイガース 164 花の首飾り
165 はしだのりひことクライマックス 花嫁
167 佳山 明生 氷の雨
釜山港へ帰れ 67 渥美次郎
ブルー・シャトウ 169 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
箱崎晋一郎 抱擁 142
北海道民謡 北帰行 365
骨まで愛して 大泉逸郎 96 孫
75 北島三郎 まつり
坂本九 83 見上げてごらん夜の星を
伍代夏子 441 水なし川
渡哲也 51 みちづれ
シャオ・リンシュウ 419 昔の名前で出ています
香西かおり 260 静けさ
藤あや子 377 むらさき雨情
やっぱすきやねん やしきたかじん 84
山 北島三郎 378
雪の進軍 1575 軍歌
夢追い酒 76 渥美次郎
夢の夜 181 南こうせつ
そりゃ松尾がジャニーズを批判して契約解除したスマイルカンパニーが一番悪いけど弁護士を通じて双方合意らしいし、原因はこれだけじゃないという話もある。あのツイートはスマイルへの報復なのか。ちなみにスマイルは特に創業者とジャニーズとの結びつきが強い会社。取引先を批判したらクビになるのは悲しいかな社会のルール。
松尾は達郎のサンソンを聴いての感想をミヤネ屋に求められてたけど、同じ事務所に所属している他のタレントの契約内容のデリケートな部分をラジオで語る姿勢は不適切だって。じゃあ契約の話を公にして達郎の名前も出して話題を呼んだのは誰なんだよ。達郎が松尾さんじゃなくて松尾氏と言ってるところも残念だって。なんか女々しくないか?
達郎も達郎で、いまこの状況でジャニー喜多川の功績を称えるのは自爆行為。そりゃ作品に罪は無いし、ハイティーン・ブギや硝子の少年でお世話になってるのも事実。でも今どう?生前のジャニーから受けた性被害の証言がどんどん出てきて大問題。松尾のツイートの時点で既に批判を受けてた時に火を油を注ぐようなこと言いなさんな。はっきり言って蛇足。スマイル共々リスクマネジメントが下手。誰か周りにそれを止める奴いなかったのかよ。
達郎をTwitterで叩いてる奴らもどうかしてるよ。誰かを吊るし上げて徹底的にバッシング。いつもと同じ光景じゃないか。松尾の契約解除の件だって様々な事情が重なって渦を巻いてるのに達郎一人を叩いただけでどうにかなるのかよ。最近になってジャニーズ問題を俎上に載せて達郎を叩いてる音楽ライターにも腹が立つ。どうせそのうちほとぼりが冷めて知らん顔のパターンなんだ。こいつらと同じく騒いで終わりなワイドショーでも見てろ。
結局この件も場外乱闘と化して冷めてしまったので、今後は松尾と達郎の間で話し合うなり落としどころをつけてほしい。2人が手掛けた曲がまともに聴ける日また来い。
さてこの度、私のオフィス、スマイルカンパニーと業務提携をしていた松尾潔氏が契約終了となり、その事について私の名を挙げたことでネットや週刊誌等で色々と書かれております。私はTwitter、Facebook、インスタといったものは一切やっておりませんので、ネットで発信することが出来ません。そのため、私の唯一の発信基地であるこのサンデー・ソングブックにて私の話を皆さんにお聞きを頂こうと思います。少々長くなりますが、お付き合いください。
まずもって私の事務所と松尾氏とはですね、彼から顧問料を頂く形での業務提携でありましたので、雇用関係にあったわけではない。また彼が所属アーティストだったわけでもなく、したがって解雇には当たりません。弁護士同士の合意文書も存在しております。松尾氏との契約終了についてはですね、事務所の社長の判断に委ねる形で行われました。松尾氏と私は直接何も話をしておりませんし、私が社長に対して契約を終了するよう促したわけでもありません。そもそも彼とはもう長い間会っておりません。年にメールが数通という関係です。
今回松尾氏がジャニー喜多川氏の性加害問題に対して憶測に基づく一方的な批判をしたことが契約終了の一因であったことは認めますけれど、理由は決してそれだけではありません。他にも色々あるんですけれど、今日この場ではその事については触れることを差し控えたいと思います。
ネットや週刊誌の最大の関心事はですね、私がジャニーズ事務所への忖度があって、今回の一件もそれに基づいて関与しているのでは?という根拠のない憶測です。今の世の中はなまじ黙っていると言ったもの勝ちでどんどん噓の情報が拡散しますので、こちらからも思うところを正直に率直にお話ししておく必要性を感じた次第であります。
今話題となっている性加害問題については、今回の一連の報道が始まるまでは漠然とした噂でしかなくて、私自身は1999年の裁判のことすら聞かされておりませんでした。当時私のビジネスパートナーはジャニーズの業務を兼務していましたけれど、マネージャーでもある彼が一タレントでもある私にそのような内情を伝えることはありませんでした。性加害が本当にあったとすれば、それは勿論許しがたいことであり、被害者の方々の苦しみを思えば第三者委員会等での事実関係の調査というのは必須であると考えます。しかし、私自身がそれについて知ってることが何も無い以上、コメントの出しようがありません。自分はあくまで一作曲家、楽曲の提供者であります。ジャニーズ事務所は他にもダンス・演劇・映画・テレビなど、業務も人材も多岐に渡っておりまして、音楽業界の片隅にいる私にジャニーズ事務所の内部事情などまったく預かり知らぬことですし、まして性加害の事実について私が知る術まったくありません。
私が中学生だった1960年代に初代ジャニーズの楽曲と出会って、ジャニー喜多川さんという存在を知りました。何年か後に初代ジャニーズの海外レコーディング作品を聴いて私はとても感動して、このサンデー・ソングブックでも特集したことがあります。1970年代の末に私の音楽を偶然に聴いたジャニーさんに褒めて頂いて、そのご縁で数年後に私のビジネスパートナーが近藤真彦さんのディレクターとなったことから「ハイティーン・ブギ」という作品が生まれました。その後もジャニーズに楽曲を提供する中で、多くの優れた才能と出会い、私自身も作品の幅を大きく広げることができ、成長させて頂きました。たくさんのジャニーズのライブに接することが出来たおかげでKinki Kidsとの出会いがあって、そこから「硝子の少年」という作品を書くことが出来て、昨年の「Amazing Love」まで彼らとの絆はずっと続いております。
芸能というのは人間が作るものである以上、人間同士のコミュニケーションが必須です。どんな業界・会社・組織でもそれは変わらないでしょう。人間同士の密な関係が構築できなければ、良い作品など生まれません。そうした数々の才能あるタレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は、今も変わっていません。
私の人生にとって一番大切なことは”ご縁”と”ご恩”です。ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが戦後の日本でどれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか。私にとっては素晴らしいタレントさんたちやミュージシャンたちとのご縁を頂いて、時代を超えて長く歌い継いでもらえる作品を作れたこと、そのような機会を与えて頂いたことに心から恩義を感じています。
私が一個人、一ミュージシャンとして、ジャニーさんへのご恩を忘れないことや、ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的・倫理的な意味での性加害を容認することとはまったくの別問題だと考えております。作品に罪はありませんし、タレントさんたちも同様です。繰り返しますが、私は性加害を擁護しているのではありません。アイドルたちの芸事に対するひたむきな努力を間近で見てきた者として、彼らに敬意をもって接したいというだけなのです。ですから、正直残念なのは、例えば素晴らしいグループだったSMAPの皆さんが解散することになったり、最近ではキンプリが分裂してしまったり、あんなに才能を感じるユニットがどうして、と疑問に思います。私には何も分かりませんけれど、とっても残念です。願わくば、みんなが仲良く連帯して、素晴らしい活動を続けていってほしいと思うのは私だけではないはずです。キンキ、嵐、他のグループもみんな末永く活動していってほしいと思うばかりです。先日、男闘呼組の再結成という嬉しいニュースがありましたが、同じようにいつか近い将来、SMAPや嵐、キンプリの再集合も実現するような日が来ることを、竹内まりや共々に願っております。
性加害に対する様々な告発や報道というのが飛び交う今でも、そうした彼らの音楽活動に対する私のこうした気持ちに変わりはありません。私の48年のミュージシャン生活の中でたくさんの方々から頂いたご恩に報いることが出来るように、私はあくまでミュージシャンという立場からタレントさんたちを応援していこうと思っております。彼らの才能を引き出し、良い楽曲をともに作ることこそが私の本分だと思ってやってまいりました。このような私の姿勢をですね、忖度あるいは長いものに巻かれている、とそのように解釈されるのであればそれでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。
1975.4.25 シュガー・ベイブが「DOWN TOWN ⁄ いつも通り」 でエレックレコードからレコードデビュー
1976.12.25 山下達郎が小杉理宇造の尽力によりアルバム「CIRCUS TOWN」でRCA ⁄ RVCからソロデビュー
https://www.musicman.co.jp/interview/19480
1980.12.12 近藤真彦が「スニーカーぶる~す」でRVCからレコードデビュー
1981.9.30 近藤真彦のシングル「ギンギラギンにさりげなく」発売 B面「恋のNON STOPツーリング・ロード」の作曲編曲は山下達郎
1982.2 小杉理宇造がRVCから独立 アルファ・ムーンを設立 山下達郎も移籍
1982.5.1 中森明菜が「スローモーション」でワーナー・パイオニアからレコードデビュー
1982.6.30 近藤真彦のシングル「ハイティーン・ブギ」発売 A面「ハイティーン・ブギ」B面「Momoko」共に作曲編曲は山下達郎
1984.9.13 近藤真彦のシングル「永遠に秘密さ」発売 A面「永遠に秘密さ」の作曲編曲は山下達郎B面「One more time」の作曲は山下達郎 編曲は山下達郎・馬飼野康二
1984.10.24 近藤真彦との交際を噂された中森明菜が「ザ・トップテン」の公開生放送で近藤真彦のファンから帰れコールを受ける
https://m.bilibili.com/video/BV11K4y1E7rm
1985.1.26 近藤真彦・中森明菜主演映画「愛・旅立ち」公開
1986.12.24 中森明菜のアルバム「CRIMSON」発売 10曲中「駅」「告白」「OH NO, OH YES!」「赤のエナメル」「ミック・ジャガーに微笑みを」の5曲が竹内まりや作詞作曲
1987.4.29 中森明菜が「夜のヒットスタジオ」で「OH NO, OH YES!」を歌う
https://youtube.com/watch?v=3srAJ5bXpRk
1987.8.12 竹内まりやのアルバム「REQUEST」発売 中森明菜への提供曲「OH NO, OH YES!」「駅」のセルフカバーも収録
1987.10.17 中森明菜が東京厚生年金会館でコンサート 「ミック・ジャガーに微笑みを」を歌う
https://youtube.com/watch?v=tippJz4YGe4
1989.12.28 メリー喜多川の強い勧めで中森明菜がデビュー以来の所属事務所研音から独立 小杉理宇造と新会社コレクションを設立 しかし小杉理宇造はすぐにいなくなりコレクションは機能不全に陥る
https://youtube.com/watch?v=AzEHq7Pb2f4&pp=ygUP6YeR5bGP6aKo5Lya6KaL
1990 アルファ・ムーンがワーナー・パイオニア傘下になる
1991 ワーナーパイオニアがワーナーミュージック・ジャパンに改称
1992 中森明菜がワーナーミュージック・ジャパンとの契約を解消
1993.3.31 中森明菜が「夜のヒットスタジオ RETURNS SPECIAL」で「駅」を歌う
https://youtube.com/watch?v=2AnW6M3b-9g&pp=ygUS5Lit5qOu5piO6I-c44CA6aeF
1994.7.25 竹内まりやのベストアルバム「Impressions」発売 山下達郎がライナーノーツを執筆 「駅」のライナーノーツ全文
「87年のアルバム「リクエスト」のコンセプトのひとつに、「他人に書いた作品を自分で歌う」というのがあり、「けんかをやめて」「元気を出して」などと同じく、この作品も、もともとは、さる有名アイドル・シンガーのために書かれたものである。
まりやは当初、この曲を自分で歌うことに難色を示していた。マイナー・メロの「歌謡曲的」なアプローチだからというのがその理由だったのだが、歌謡曲とそれ程縁のない(?)私の耳には、この曲はとどちらかといえばイタリア風に聞こえたし、また、そのアイドル・シンガーがこの曲に対して示した解釈のひどさに、かなり憤慨していたこともあって、ぜひとも自分の手でアレンジしてみたいという誘惑にかられ、彼女を説得してレコーディングまでこぎつけた。
その後このヴァージョンは有線放送で1位になるなど、今では竹内まりやの代表作のひとつとなっている。メデタシ、メデタシ」
1995 小杉理宇造がワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長就任
2003.11 小杉理宇造がジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長就任
2013.11.28 竹内まりや×クリス松村「Mariya's Songbook」対談
https://natalie.mu/music/pp/takeuchimariya02
「クリス ここまでは若くてかわいらしいアイドルにピッタリな曲が多いんですけど、「駅」とかはまた違いますよね。
竹内 「駅」は確かに違いますね。頼まれたときから、明菜ちゃんには濡れた哀愁メロディの曲を絶対書きたいと勝手に思っていて。そのマイナーメロディの雰囲気に合わせて、昔の恋人を駅で偶然見かけてすれ違う……というストーリーを彼女の写真を見ながら組み立てていきましたね。歌詞自体は当時の私が歌ってもそんなに違和感のないものだったと思いますけど、マイナーコードであれだけベタな歌謡曲メロディを書いたことはなかったんで、それ自体が面白かった。
竹内 本当にそうなんですよ。明菜ちゃんの持ってる佇まいやイメージがそういう発想をくれたと思ってます。自分で歌う曲じゃないからこそ、ああいう哀愁メロディにしたわけですから。明菜ちゃんという素材があってこその曲だったと思いますよ」