JRAがビギナー向けのページを作っているから熟読するのをおススメする。
実際に行ってそれに参加するとなおよい。
レースを見ることが楽しくなって、初めて競馬を楽しめると思う。
今はGIとか頂点を争うレースをやってる時期だからちょうどいい。
そこに出てくる馬の中で、これだって馬に注目してみるんだ。
馬じゃなければ騎手でもいい。
んで、その馬、騎手に注目してレースをみると、また違った景色がみえてくるはず。
馬券を買うなら、その馬の単勝(1着の馬を当てる)と複勝(3着内-場合によっては2着-にくる馬を1頭当てる)がいい。
ここまででピンと来なかったら、残念ながら他の趣味の方が向いてるといわざるを得ない。
そうやって興味を持ってるようになったら、さらに掘り下げていく。
masudamasterを見よ
著作権侵害コンテンツで稼ぐけど問題が起こったら責任は全て投稿者にあるって所全部だよ。
まずはYoutube。テレビ番組や音楽のアルバムをまるごとアップして、しかも当然のように広告付けて収益化してるっておかしいだろ。
ニコニコのランキングに上がってる動画を転載してる乞食も叩け。
あとガキに大人気のボケて。あそこも場を提供するけどアップする画像の責任は投稿者にって規約だけど叩かれてる所を見たことないな。あそこに上がってる画像ってほとんどが本の1コマやテレビのキャプチャ画像じゃん。
なんなのこいつら
http://anond.hatelabo.jp/20170520130709
そんで自分は何食わぬ顔で出席するんだ
楽しいぞ
花輪が飾られることはなくてもそういうことをした人間は居るって知って疑心暗鬼の親族を眺めて楽しめ
お祝い電報も良いぞ
少子化の原因はまず非婚化なわけで、中絶や子供の支援は少子化対策とは別の話だと思いますね。
そもそも自分は、十分な支援さえすれば少子化が改善するという発想自体に否定的なんですよ。
都市化が進んで、女性にリプロダクティブライツを認めた以上、少子化になるのはやむを得ない。
でも、無理矢理結婚させられたり出産を強制されるよりはずっといい社会じゃないですかと。
今まではそういう概念のなかった田舎から余剰人口を補充できたけどそれももう無理で、
移民を受け入れるかの議論も、結局は地獄を国内の田舎に求めるか外注するかの差でしかない。
少子化を本気で解決するなら、究極的には精神論しかないと思ってます。
政治家の肩を持つようで嫌な気分になりますが、だから少子化対策は宿命的に的外れにしかならない。
アトムザビギニング見てたら、ボディメンテの為に天馬によって非・人型の代替用ボディに移されたロボットを御茶ノ水がかわいそうと憐れんでいた
最悪
ロボットに五体満足状態の人間の姿であることを要求するとか最悪
しかもその後、天馬はロボットに最強を求め、御茶ノ水は人間の心を求めていると描かれた
そうであるならば最初の段階でロボットのデザインに人型が選ばれている以上、人型にこだわっているのは天馬の方であるべき
考えが浅すぎるわこのアニメ
たまたまネットで見かけたPVを見たその日から、彼のことが頭から離れなかった。
動画を見るうちにどんどん夢中になり、今までアイドルなんて興味もなかったのに現場にも通うようになった。
はじめは気が向いたとき程度だったが、気づけば現場のために毎週夜行バスで東京と地元を行き来する生活をしていた。
CDがリリースされれば握手会や写真撮影のために同じものを120枚以上買った。
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推しは繊細な人だった。見る人によっては病んでるようにも見えるかもしれない。
元気で明るいキャラではあったが、追っていくうちに自己肯定感が低く小さなことで悩みがちだと感じるようになった。
何度も何度も握手会でかっこいいよ!今日のダンスよかったよ!と言っても、調子よく茶化されたり全力で否定されたりしてその度に悲しくなった。
ブログで活動のこと、今後のことについて悩んでいるのを見ては自分も病んだ。
でも推しのことでこんなに悩めることが幸せで仕方がなかった。
悩んで悩んで、それでも笑顔で頑張っている推しが心の底から好きだった。
繋がりたいとかそういう感情はなく、ただただ傷を隠して輝こうとする推しが人間として大好きだった。
ずっとずっと活動を休止するまで追い続けると信じて疑わなかった。
そんなこんなで追い出してから1年半ほど経ったぐらいから、推しは活動の幅を広げていった。
もともと所属していた別のグループでアイドルしてではなくイベントをすることも多くなっていた。
このころから以前に比べて病んだり悩んだりといった発言が少なくなっていった。
本当にアイドルとしてではない活動が今のやりたいことであると伝わってきた。
それがどうしても許せなかった。私は葛藤しながらもアイドルとしてステージに立つ推しのことが一番好きだったのだ。
自分が一番好きな推しは、彼にとっては一番好きな自分ではないことがたまらなく悲しかった。
周りの道丹は他グループの現場にも足を運んでいたが、私はついに一度も行かなかった。
気づけばあれだけ毎週通い詰めた現場にも行かなくなっていた。
推しを作る気はなかったが、明らかに私はそちらに心が向いていた。
でもあれだけ好きで時間もお金も費やした推しから心が離れているのを認めたくなくて、周りのオタクには忙しいから行ってないだけで他界も推し変もしないと強がっていた。
私が彼を推す前から彼らが目標にしていた大きな舞台でのライブがあった。オタク仲間から誘われ、当日券も出ており、何度も行こうと思ったが、結局は行かなかった。
私が好きだった推しとは変わってしまった推しがそこにいたらどうすればいいのだろうと不安だった。
もう好きなふりはできないと思って、大きなライブが終わった次の日に私は上がるともなんともつぶやくことなくtwitterのアカウントを消した。
今にして思えば、推しが幸せそうなのを一緒に喜んであげられなかった時点でオタクする資格はなかったと思う。
最後まで見届けられなくてただただ申し訳ないが、推しの今後の活躍を祈っている。
もしこれを読んでいる中に3次元の推しがいる人がいたら、推しの幸せは全力で喜んであげてほしい。
私も次に推しが出来たら、今度はちゃんと推してあげたいと思っている。
まずかなり反社会的な関係から始まったことを書いておきたい。そしてそこら辺は書かない事をご了解頂きたい。
俺は独身。
いわゆる不倫から始まった彼女(仮にAとする)との関係が10年位経った頃、通っていたあるサロン的な文学講座に同じく通っていた別の既婚女性(Bとする)に惚れたと告白された。数度は好きな人は他にいるから、と断ったのだが休日に遊びましょう、とかなんやかんやあってついBとキスしてしまい、そこからズルズル付き合うというか適当な距離をもって付き合うことになった。俺には好きな人がいるのでやっぱりよそう、望まれても身体の関係しか持てないぞと、半ば脅しのようなことも言ったのだが、それで構わないと言われてどうしようもなく、これも数回あった。ところがBは嫉妬深かったようで、同じ講座に在籍していたAが俺の恋人である事をついに突き止め、俺とAを呼び出して弾劾したのだった。その場は「俺には恋人がいる事は納得済みであり、それを了解していたわけだから、Bにも責任のあることだ」で収めたのだが、この経緯にAはまったく面白くないようで(当たり前の話ではあるが)別れようと言ってきた。それだけは勘弁してくれと平身低頭してこちらも収めたのだが、徐々に距離を置いていかれるように感じてきた。
もう嫌われてしまったのだろうかと思い詰め、それを聞いたところ好き嫌いではない、必要でないだけだ、と言われた。
好き嫌いなら理解できるが、必要でないというのは理解できない、と数回聞いたが答えは同じだった。
好きだから必要、嫌いだけれど必要、ならば理解できる。好きだけれど不必要、という事はあり得るのだろうか。嫌いだから不必要、ならば十全に理解できるのだが。理解できるだけで納得はしないが。
もう40代も見えてくる頃になると若く見える=貫禄や落ち着きがない、と言われているようで、かえって傷つくときもある…。
見た目の分若い子にも抵抗は少ないのかもしれないが、実年齢を知られたら?と思うと。
筋トレ等には励んでいるが、いつまで続けられるか。
何でもネガティブにとらえすぎか。
昔、カウンセリングに通っていた。
カウンセラーはスピリチュアル系の人だった。過去から未来、思考を読み取られていた。
カウンセリングの一環で日記をとあるサイトに投稿していた。カウンセラーも返信を含め時々投稿していた。
ある日、カウンセラーが匿名で投稿したのだろう、自分に似た支離滅裂な文章が投稿されていた。理解に苦しんだが、初めて自分の意味不明さに気づいたりもした。
その内容は過去から未来までの自分の事が書かれていた。その時は未来にどこかのサイトでこの件を書くんだなと思い絶対書くものかと決意していた。が、
一年出張していた超嫌いな女がたまたま帰ってくる間に俺の出張明けと重なってしまい、貴重な日本の生活が糞になる。帰ってこなければいいのに。本当に会社で会いたくない。まじで出社してくるな。クソほどこっちは仕事が溜まっていて死ぬほど忙しくなりそうだけど、あの糞女が出社していたらすぐ帰る