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はてなキーワード: 川崎大師とは

2024-05-26

多摩川スーツケースから動画配信活動する男性

はいどーもぉ。「スーツケースボートにしてみた」第3弾、今日はぁ、大師河原を渡ってみたいと思いまぁす。

この大師河原っていうのはぁ、江戸時代川崎大師詣でが流行ったときに、この場所で川渡しをしていたらしいんですよね。

令和のスーツケース果たして江戸時代渡し船の代わりになるのか、行ってみま…しょぅっ!

2023-03-23

特定エリア地価短期間で高騰するかどうかは不動産屋が売り出したいかどうかで決まるという

最近だと武蔵小杉海老名川口浦和赤羽綾瀬南町田なんかの地価が彼らの思惑通りまんまと上がった(正直、海老名なんかよく上手くやれたと思う。とにかくクソ遠いぞ……快速急行使っても新宿駅まで乗車時間だけで45分もかかるんだぞ)

そこで疑問なんだけど、

八潮団地とか、小田栄とか、小島新田とか、川崎大師とか、浜川崎とか、大森南とか、羽田旭町とか、

あのへんの住宅購入不人気エリアが突然高騰する可能性かなり高くないか

猫も杓子も東京近郊に家買いたがってる状況は相変わらず続いていて、コロナですらそれは変わらなかったわけだし、

不動産屋がその気になって開発してお化粧して売り出せば必ず売れちゃうわけじゃん

上記不人気エリア都心オフィス街までの直線距離がやたら近いし


地価高騰がありえないって言うなら、すなわち不動産屋がこんな状況下でも例示した地域を売り出す気がないということになるけど、それはどんな理由からなんだろうか?

2023-01-06

anond:20230106143854

では「行っていない人が多い」の根拠は❓

「ウチの周りはみんな家にいたよ!」でもいいよ!



初詣の人流 明治神宮は前年比187%川崎大師は207%――クロスロケーションズ調べ

https://marketing.itmedia.co.jp/mm/articles/2301/05/news148.html

2021-12-27

anond:20211227223802

初詣ネットで見るよ。ニコニコ生放送で今年は川崎大師だったかな(宗派とか特に気にしてない)

年末年始特番はもうほとんど見なくなって東急ジルベスターコンサートだけ見るかどうかって感じだな。

何も見ないで花火の音だけ聞いてあっ年明けたんだって思うのもなかなか乙だったよ

2021-01-02

5時起きで川崎大師初詣に行ってきた

時間帯もあるけど今年はさすがにガラガラだなあ

2014-03-09

首都圏の主要道路の変遷メモ

明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。

■今昔マップ on the web 首都圏編

で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。



【おもな放射道路編】

東海道国道1号・15号)

池上通り

中原街道

綱島街道

  • 1900ごろ時点で綱島~六角橋の区間が原型存在。現在では旧綱島街道としてほぼ残っている。
    • 綱島以北は現ルートに相当する道はなく、代わりに、矢上を経由してガス橋通りに相当する道と、高田・子母口へ通じる県道106号に相当する道に分岐していた。
  • 丸子橋~綱島間は1940ごろ開通。ちなみに東横線開通のほうが先で1930ごろ。
  • 大豆戸~菊名間の新道は1940ごろ開通。菊名~浦島丘間は1960ごろ開通。

目黒通り

駒沢通り

国道246号方面(青山通り六本木通り・大山厚木街道

世田谷通り津久井

甲州街道国道20号



【おもな環状道路編】

内堀通り

  • 1900時点から現在と同じ道が存在している。
  • ただし二重橋前地域は、1970ごろ以前の地図では道路なのか広場の一部なのかがはっきりしない。

外堀通り

  • 淡路町鎌倉橋間に道ができたのが1930ごろ。それ以外の区間はほぼ全線に渡って1900時点で市電が走る道路だった。

外苑東通り

外苑西通り

明治通り

  • 古川橋渋谷区間。1900ごろ時点でほぼ原型あり。広尾付近は1930ごろに市電開通とともに1本の道として整備。
  • 渋谷~新宿区間。1900ごろ時点では、明治神宮前代々木付近に若干道があるのみでそれ以外は道らしき原型はなし。
    • 渋谷駅付近は、1960ごろに宮下公園東側が開通するまでは山手線西側の道につながっていた。
  • 神宮前新宿区間は1940ごろまでに開通。
  • 新宿~池袋区間は、1950ごろに開通していてそれ以前は道らしきものはほとんど無し。
  • (以東は省略)

山手通り

  • 北品川~大崎区間は、1920ごろに開通。1950~1960ごろにかけて大きな道へ整備。
  • 大崎~五反田間は1900ごろにはすでにあり、大崎駅の陸橋は1920ごろに陸橋化されて、その後何度か形状改良されている。
  • 五反田~大橋間は1950ごろまでに開通。
  • 鑓ヶ崎~神泉の現「旧山手通り」区間は、1900ごろ時点で現道と若干異なっているが原型が存在し、1920ごろにほぼ現道のルートで開通している。
  • 神泉~熊野町の区間は、1940~1950にかけて、もともと道がなかったところに一気に開通。
  • 渋目陸橋・菅刈陸橋ができたのが1960ごろ。それまでは、初台方面から南下すると現「旧山手通り」にのみつながっていて、中目黒目黒方面とは直結していなかった。
  • 熊野町~仲宿区間は1960ごろに開通。

都道420号

  • 現在進行形で今も絶賛整備中のこの道路。1900ごろ時点で存在するのは下記区間。
    • 戸越~五本木(現在と多少異なり武蔵小山を経由)、下馬~三宿~大山(北沢)、中野駅付近、哲学道~大山(板橋)
    • ルート上に「大山」という地名が2箇所あるため、ここでは「大山(北沢)」「大山(板橋)」と記述する。
  • 大井町付近は、1920ごろの大井町線敷設以降に徐々に整備。仙台坂トンネル開通は1990ごろ。
  • 戸越小・戸越公園の一角は、1950ごろまでの地図は「三井邸」と記されている。この下にトンネル開通させて大井町駅方面へ直結させる計画が2010時点着工中。
  • 国道1号中原街道目黒通り間の現道が開通したのは1960ごろ。
  • 目黒通り駒沢通り(=五本木)間は現在2014年時点で新道着工中。
  • 五本木~下馬区間は2000ごろ開通。
  • 下馬~三宿区間は、1960ごろに既存道路を拡幅・延伸して整備。
  • 三宿~大山(北沢)区間は、現在420号指定されている狭隘道路は1900時点ですでに存在する。拡幅&新道の計画があり、拡幅工事は現在着工中だが新道についてはまだ未整備。
  • 大山(北沢)~笹塚区間は2010ごろ開通
  • 笹塚~中野五叉路区間は1960ごろに開通。
  • 中野五紗路~新井付近1930ごろ現道開通。
  • 新井付近~哲学道区間の開通が1960ごろ。
  • 哲学道~大山(板橋)区間は1900ごろ時点から道があり、徐々に整備されている。

環七通り

環八通り

府中街道大師道・南部沿線道路・川崎街道

尻手黒川道路

  • 1900ごろ時点で原型が存在するのは、末吉橋およびその周辺、矢上~梶ヶ谷~清水台区間、柿生黒川区間。
  • 川崎駅末吉橋区間は、何度かルート変更されたのち、1960ごろに現道完成。
  • 末吉橋~子母口区間は1940~1960ごろに現道完成。
  • 子母口~梶ヶ谷~清水台区間は1960~1970ごろに現道完成。梶ヶ谷貨物駅完成が1970ごろ。東名川崎IC完成が1970ごろ。
  • 清水台~稗原区間開通が1980ごろ。稗原~王禅寺ヨネッティ付近は、神木本町方面からの道路として1960ごろ先に開通。
  • 王禅寺~山口台区間は1980~2000にかけて開通。
  • 山口台~津久井道区間は2010開通。
  • 津久井交差点から黒川方面へ直結させる短絡ルートが2010現在事業中。
  • その他、2006に元住吉付近で東横線と立体交差を逆にする工事実施

横浜麻生道路

  • 1900ごろ時点で、多少現道と異なるが全線で道路が存在。柿生から先は鎌倉街道府中方面・八王子方面へ直結していた。
  • 1930ごろ、東神奈川六角橋間の現道完成。当時は市電が走っていた。六角橋北側の一部区間の現道完成は1960ごろ。
  • 1960ごろ、津久井道交点が現在のようなT字路に路線変更
  • 1970ごろ、新川向橋付近の現道完成。
  • 1980~2000にかけて、池辺町~市ヶ尾間の新道完成。
  • 2000ごろ、市ヶ尾~鉄町間の新道完成。

国道16号八王子街道・町田街道方面



【その他、概況】

地形・丘陵

河川

2010-09-06

ホメオパシーは正統なものです

ホメオパシーという200年の伝統を誇る「療法」があります。

ホメオパシーが成立するための基本原理が二つあります。

類似の法則
似たものは似たものを生み出す。結果は原因に似る。
感染法則(接触の法則
接触した物は影響を与え合う。また、かつて互いに接触していた物は、その後物理的な接触が無くなったとしても、引き続きある距離を置きながら互いに作用し合う。



ホメオパシーはこの基本原理を以下のように応用して使います。

まず感染法則を「どんなに離れたとしても」を「どんなに薄めたとしても」に拡張します。まあ自然です。

類似の対象として

を選びます。


するとこうなります。

  • 「世間では毒であるもの」や「病気の原因であると考えたもの」を水によって大幅に希釈しても性質が感染するので変わりません。
  • 西洋医学の経口投与薬の類感であるところの砂糖玉に上記の水を染みこませると性質が感染します。「毒」や「病気の原因」に感染したレメディができあがります。
  • メディは薬の類感ですから、投与するだけで病気は治るはずです。
  • さらに、レメディ感染している概念を人に投与しているので、「毒」や「病気の原因」に投与された人が慣れていきます。次第に鍛えていけば必ず病気は治るでしょう。努力して報われないことなんて無いのです。


さて、基本原理に基づき正しい構成から成り立っているのがわかっていただけましたでしょうか。

問題なのはこの基本原理の方でありまして、これは類感呪術感染呪術という古典的な呪術基本法則なのです。

つまり、ホメオパシーは正統なものです。これはれっきとした伝統呪術でありまして、川崎大師の身代わりお守りがその存在を責め立てられないように、ホメオパシーそれ自身は責められる道理のないものなのであります。

そのかわり、西洋医学との置き換えには決して使えないものであることも事実であります。人事を尽くして天命を待つと申しますが、現代の呪術はその天命の部分に影響できると信じて行うものであります。西洋医学をないがしろにしては、人事を尽くしていることにはなりません。

ホメオパシーは正しく使いましょう。

 
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