はてなキーワード: 呪術とは
医 者のいないところで(Where There Is No Doctor)というハンドブックの存在を昨日知った。
どういうものか、日本語版の公開者である色平氏の言葉を借りる。
『医者のいないところで』は、文字どおり、山間へき地や孤島など、
医者がいない場所でどのように病気やケガ、出産、公衆衛生などに対処すればいいかを記した
プライマリー・ヘルス・ケア(PHC)のバイブルである。
http://www.hinocatv.ne.jp/~micc/Iro/a86ReturnOrigin.htm(トップはここ)
原著者はDavid Warnerという医者(たぶん)。メキシコでの活動を元にこの本を書いたらしい。
最初の方しか読んでないけど面白かったので増田のみなさんにも紹介しておく。
たとえば2章にある「ある民間薬が効くか効かないかを判断する方法」として最初にあげられているのは、
その下には甲状腺腫に対する効果のない治療法が具体的(カニを縛りつける、死んだ子供の手のひらでこす、はげたかの頭をなすりつける、人間の排泄物をなすりつける)に書かれている。
そしてほとんどにイラストが付いていて楽しい。(上記治療法も絵が載ってます)
自分もこれから読みます。興味があったらぜひどうぞ。
または
a href でリンクをはったとき、自動リンクで解除されないようにする方法があったら教えてください。
この間増田が壊れる前はちゃんとできてたはずなのに…。
なんか砂糖玉で思い出したので思っていることをまとめてみた。
かといって西洋医学がすべてケミカルかって言うとそうなの?と言う気にもなるだけど。
いまいち違いがわからないのがホメオパシーの砂糖玉、波動水、あとフラワーエッセンス。
品質表示うんぬんを言いますと、
よくこんな何が入ってるかわからないもんを口に入れることができるなと言うところです。
OISIXとかの生産者の見える野菜をというのと、何が入っているかわからないものを口に入れる勇気が
同一の場所に介在するというコトの矛盾についての指摘がないのはなぜなんでしょうか?
環境ホルモンがどうのだのそんなこという前に その砂糖玉の中身は何なんだよ。
西洋では一般的みたいなことを言うのなら、西洋医学を否定するのはどうなのかとか。。。
常に矛盾が内在していることについて信奉者たちはなにも意見を言わないの?
それこそ、そんなバッチイもん 良く子供に食べさせられるね?と思っちゃいます。
カカオが薬だったように(もしくは 何らかの呪術の妙薬だったかのように)、
具合の悪いときゃ 砂糖でもなめてろ っていうことなんじゃないでしょうか?
そしてその種類ごとの処方に基づいて 具合が良くなったような気になれるという
想像を絶するイマジネーションと感受性はもう全く持って尊敬に値するものです。
もういっそのことこれは宗教なんです。だから自由なんです。って言ってくれればいいのに。
喜んでる人たちこそ、新興宗教とか目の敵にしそうなところが全くの皮肉。
2009年1月22日の放送の『 見放された患者と共に闘う "がん難民コーディネーター"』という特集でホメオパシーが取り上げられていた。"がん難民コーディネーター"の藤野邦夫氏が、医者にさじを投げられてしまったがん患者に、治療法の提案を行っているという内容。藤野氏の提案で免疫療法を受けることになったがん患者のHさんは、あろうことかホメオパシー"治療"をうけることになってしまう。
その特集は以下で見られるが、ホメオパシーに関連する部分を引用してみた。
動画: http://www.tv-asahi.co.jp/hst/contents/movie/090122/index.html
(ナレーション)帯津医師はまず星さんの免疫力を高めるためにホメオパシー治療の開始を決めた。ホメオパシーとは病気と直接因果関係が説明できない植物や鉱物をごく微量一種類ずつ変えながら一定期間患者に投与することで免疫の働きを活性化させる。科学的な理論は実証されていないが、効果が認められており、世界的に普及している。
(帯津医師)「理論的なエビデンスがないものはいっぱいあります。世の中に。だからといって排斥することはない。良いところは認めて、それでそれだけでやろうってんじゃないわけだから。それをやるのと一緒に西洋医学も中国医学もホメオパシーと一緒に考えていけばいいわけですよ。」
(ナレーション)ホメオパシー治療では微熱や眠気の副作用があるものの、数週間で免疫力が上がる効果が期待できる。
[中略]
(ナレーション)ホメオパシー治療を続けて一ヶ月後、Hさんを訪ねた。
(Hさん)「こんにちは。どうも。」
(ナレーション)寝たきりだった星さんが多少は動けるほどになっていた。体重は2キロ増えた。星さんは藤野さんから教えられたガンと闘う8ヶ条を実践していた。
(以下省略)
1.「ホメオパシーとは病気と直接因果関係が説明できない植物や鉱物を」
基本的に事実でない。
ホメオパシーで用いる標準的な治療薬(通常は薬とはされず、レメディと呼ぶ)は、植物や鉱物を水やアルコールで10の30乗倍に薄めたものを用いる。多くの場合では、これを砂糖や乳糖の粒に染み込ませ乾燥させたものを患者に与えるらしい。
10の30乗倍に薄めるというのは、原液1滴を地球の海の水全部で薄めたのよりもずっと薄くするということ。
そんなに薄めることは地球上では不可能だと思われるかもしれないが、1 mlの原液を9 mlの水と混合し、その混合液からまた1 mlとって水と混合し、、、と10倍に薄める操作を30回繰り返すことで達成可能。
とにかく、これはもう、ものすごく薄い。どれくらい薄いかというと、患者の口に入るレメディには原物質が一分子も含まれないくらい薄い。つまり、患者の口に入る治療薬には、植物も鉱物も含まれていない、水を染み込ませた、ただの飴玉ということになる。
ただの飴玉に効果があると言い張る、それがホメオパシー。
事実。
理論としては"物質が一分子も含まれなくても、水が情報・波動を記憶している"という説が有名だが、科学的な裏付けは一切ない。そのヘンテコな理論を提出したベンベニストの実験は再現できず、イグノーベル賞を受賞してネタにされるに至った。しかも2回受賞したのは彼の他にいないだろう。
http://improbable.com/ig/ig-pastwinners.html
3.「効果が認められており、」
事実でない。
ホメオパシーを受けた患者の治療成績は、偽物の薬(いわゆるプラセボ)を処方された患者を受けた患者と変わらなかったという結果がすでに出ている。
Shang, A., Huwiler-Müntener, K., Nartey, L., Jüni, P., Dörig, S., Sterne, J. A., Pewsner, D., and Egger, M. (2005). Are the clinical effects of homoeopathy placebo effects? comparative study of placebo-controlled trials of homoeopathy and allopathy. Lancet, 366(9487):726-732.
つまり、ホメオパシーは理論上効くはずもないし、実際に効くことも確かめられていない、おまじない同然の行為ということになる。
というわけで、報道ステーションのナレーションは極めて不正確。報道ステーションは、医療の皮を被った呪術であるホメオパシーを、有効な正真正銘の医療として宣伝してしまったことになる。これを見てホメオパシーに興味を持ち試そうとする人もいるだろうし、これをお墨付きにしてホメオパシーの宣伝が行われるということも十分にありうる。
知人に一人、占いとか幽霊に親和性の高い人がいて、ベッドの配置についてこんなことを言っていた。
「北枕って良くないって言うけど、本当は良いんだって」
(その知人を含む)何人かが相次いで引越しをした頃だったので、間取りや家具配置について話していた流れで出てきた言葉である。
北枕が良くないというのは、死者を北枕に寝かせる習慣からきている。「良くない」というより「縁起が悪い」と呼ぶ方がしっくりくるのはそのせいだろう。形態の類似は性質の類似を呼ぶ。あるいは単に死を想起させる。仏教の習慣を基にした類感呪術である。ちなみに死者を北枕にするのは、ざっくり言ってお釈迦様が死んだときそうだった(頭北面西)から。
知人曰く「南はパワーをもらえる方角。休むべき就寝時にはその方角に頭を向けるのは良くない」。南の反対である北に頭を向けて寝るのが、つまり良いということである。風水学は昔からあったが、「家庭内の運気を高める方法」として一般化したのは、ここ15年ほど最近である。また、但しがなく言い切っているところを見ると、知人が持っているのはいわゆる「ニューエイジ風水」の知識であると推測できる。
一般に「本当は」は、隠されていた事実が明らかになったなどの理由によって、同じ視点からの見え方が変わった場合にのみ使用される(ゴムって茶色いって言われてたけど本当は黄色かったんだって!)。視点が複数ある場合、どちらをより重要視するか選択することはできるが、選ばなかった見え方が無効になるわけではない(ハーゲンダッツって美味しいけどカロリー高いよ!)。「北枕は良くない」は宗教習慣についての呪術であり、「北枕は良い」は風水学に基くとされている。二つは別の体系に属する視点であり、風水を取り入れたからといって「縁起が悪くなくなる」ということはない。このケースでは、今までとは異なる視点が明らかになっただけであり、「本当は」と形容するには相応しくないと考えられる。
では何故、知人は「本当は」という言葉を使ったのか。
たぶん、「縁起が悪い(呪術)」と「風水(占い?)」を区別していないのでしょう。「北枕が良い」という情報に接したとき、その発信者が「北枕は悪いとされているが、」なんてことを言っていたのかもしれません。でもそれは「本当は」ではなく「風水では」だったはず(いくらニューエイジであっても、きちんとした人なら)。神社にパワーストーン御籤があり、寺社の御籤に血液型別相性が書かれている時代なので、一般市民がそのへんを区別してなくても不思議ではないのだけれど。
分けないんだなあ、と私が感じたというだけで、どうということはないのですが、カジュアル・ビリーバー(?)の考え方のひとつの例として。
んにゃ
お願いだから韻を踏まないで欲しい。
ってお願いしてるから、マイノリティじゃ認められないよって意味。
韻を踏んでるの指摘ありがとう。
気持ち悪くなって吐くくらいだから、てっきり連続している(英語詩でよく2つの単語が韻を踏んでたり、2行でそれぞれ韻を踏んでたりするパターン)のかと思っていた。
って、そもそもこれ韻じゃないのでは。英語を日本語として、同じ単語に聞こえさせるだけだから、韻はもっと隠れたものでしょ?
1番と2番で、「カザミドリ」と聞こえる箇所があるから、気分が悪くなると言うのはちょっと不思議なんだけど…。よくある、英語の歌詞が日本語に聞こえるタイプの曲はどうしてるんだろ? 元増田。単語1つでこれだったら、えらいことになりそうなんだけど。
先ほどの例で上げた、英文詩みたいに連続して韻を踏んでいくパターンだと、ちょっと呪術的なムードが出てくることもあるから気持ち悪く思うっていうのも理解できるんだけれども。
字数制限で文章ぶった切られたので。
http://anond.hatelabo.jp/20080817193348
●論点7
むしろ平時に「かわいそう」の論理を追求する方が、長期的には「かわいそう」な人を増やすのではないか。
共産主義崩壊なんて大袈裟な話は必要なくて、たとえば近代医療の誕生によって駆逐された呪術医療の扱いとか、
ラッダイト運動の時点で生産性が止まっていたらとか、新興産業や技術革新が誕生した時に「かわいそう」だからと
既存の業者を温存していたら、介護産業志望者にとってその助力を必要とする要介護者は、その年齢・状態に達する
までもなく死亡し、社会問題・産業となるほどの数までは至らなかったんじゃなかろーか。要するに最初からお役ご免。
幼少時はもちろん青年期壮年期でさえ生きるのがとても困難な、「かわいそう」な人々の時代で止まっていたかも知れない。
そもそも「かわいそう」に感じる主体は誰なのか、「かわいそう」な相手は本当に「かわいそう」なのかを
考えてもいいはず。企業自身は例とされた百貨店を含め、いずれも利潤を上げる事を目的に活動している。
その意味では競合企業を「かわいそう」な目に遭わせる事を辞さないわけで、あくまで対等な競争の結果
「かわいそう」な状況に陥ったまで。そして企業自身の経営学上の実践としては、潔く市場から退出するか、
経営努力によって「かわいそう」でなくなる(≒相手を「かわいそう」にする)事を目指すかのいずれかとなる。
要するに、「かわいそう」に感じる主体(=個人)の思惑とは別に企業は活動している。百貨店なんて典型的な寡占業種。
では「かわいそう」に感じた主体が、どうしてもその感情の処理をしたい場合はどうか。すぐ思いつくのは「かわいそう」な
企業の顧客となる事だけれど、売れ残るような商品を自腹切って買うのは何となく馬鹿らしいし、仲間集めをしても実質蟷螂の斧。
よって可能であれば行政の働きに期待する事も選択肢として浮上する。けどこの場合、長期的には「かわいそう」な人を
社会全体でもっと増やしてしまう。理屈としては既出だけどもう少し、かつての銀行の護送船団方式を例にしてみる。
護送船団方式は最も弱い金融機関が維持可能なように、金利やサービスなどを行政が細かく規制する事で達成されてきた。
実はそれは同時に最も競争力のある金融機関=強者が、競争を免れ仕事ぶりに比して高い超過利潤を得る事も可能にした。
で、その超過利潤って、結局サービスの受益者である預金者や融資先の企業・家計の負担の事なんだよね。
この場合「かわいそう」の論理は「かわいそう」を他に転嫁しているだけで、弱者でも何でもない連中に援助の手をさしのべただけ。
そして社会全体のリソースの量は(経営革新・合理化が停滞する分)そうでなかった場合よりも下がる。
やがては再分配として割くべき財源も底を突くかもしれない。
他に農林水産業も同様。実際フリーターでもした方がもっと楽に儲かるかも知れないのに、規制を掛け、補助金を注ぎ、
非常に高率な関税を掛ける事で無理矢理維持している。特に穀類なんかはそう。結果、消費者レベルでは非常に高額な
(国際的な食料価格高騰でもまだ輸入した方が安い、しかもそれらは補助金で安くした価格)負担を強いられて、
エンゲル係数の高い層は「かわいそう」な状態に追い込まれている。こうした政策は消費者はもちろん、生産者個人に
とっても長期的には為にならない結果をもたらしている。食糧安保の為と言う人もいるが、異論もあるしここでは議論しない。
また敢えて「大袈裟な話」をすれば、クメール・ルージュが君臨したカンボジアがその代表例と言えるよね。
ブルジョワやインテリ、エンジニアなど高い金融・物的・人的資本を誇る階層を「搾取」の根源として「排除」または転向させ、
近代的な制度や設備を次々に廃棄、他国との交易や援助も拒否し、ほぼ全人民が農民という「理想社会」を建設した。
そこでは全員が平等に生産性が低いから、勝ち負けや格差があるという意味での「かわいそう」な人間はほぼ消失。
しかし結果的には、凄まじい生産性の低下によって餓死者が続出し、またそれを少しでも埋め合わせる為に強制的かつ過重な
労働が営まれ、それが更なる犠牲者増加を招いた。政治的粛清の10倍以上、百万単位の人間が誤った経済観の犠牲者となっている。
無知のヴェールからも到底正当化出来ない、地獄のような社会であった事は間違いない。最近じゃジンバブエも似たようなもん?
シンプルに考えると「かわいそう」の論理は、利益追求が本業でいくらでも換えの利く企業等の事業者ではなく、
本来個人に対して適用すべき話のはず。経済上の競争では敗者は消え去るわけではなく、労働力という資源としてきちんと
再利用できるように、その生活や就業機会をある程度保障・支援する必要がある。しかし(完全な)人権享有主体ではなく、
もちろん資源そのものでもなく、効率本位の存在ながらその意義を否定された衰退産業・企業は、資源の浪費を生み、
社会が利用可能なリソースを減らすという観点から、長期的には退場して、その所有・利用する資源を市場に開放するのが好ましい。
有限な資源は、それをより有効に扱えると考えられる勝ち組企業に集中させるべし。
大雑把に言えば個人さえ救済出来れば何の問題もない。個人への再分配こそ行政の目指すべき使命で、企業にはあくまで競争。
以上から「かわいそう」の論理を経営学講義において差し挟む事は論外として、それを(たとえば経済学上の実験として)
企業間の競争に適用し、行政の使命としてその論理を貫徹させる事は、社会全体はもちろん当人らにも長期的には好ましくないと言える。
あとノロウイルスなんかが蔓延した場合に「かわいそう」だから隔離は止め、なんて事になったらかなり悲惨になりそうだしね。
実際、発生当初何が何だかわからないまま被害が拡大しちゃった所が沢山あったようだけど、それがもっと酷くなる。
そもそも要介護認定という制度がある以上、あるいは医師や他のコメディカルではなく介護労働者にケアさせている時点で、
介護産業自体が大前提として「トリアージ」的論理を含んだ物と言える。専門家がいれば必ずノロの被害が抑えられたって
事もないんだろうけど、その辺の出来る事、出来ない事の区別は重要だと思う。医師ですら時にそうなるんだから、
「燃え尽き」ない為には、全能感をなるべく遠ざけておく方がいいかも知れない。
●論点8?
・・・で、倫理を批判応酬の基準に置いている以上、論争当事者の人間性について何か書いてもいいんだけど、
そういうのは本人の認識より第三者の素の反応の方が重要だと思うんで、不要な面倒を呼び込む恐れもあってパス。
他にも何か書きたい論点があるような気はするけど、面倒なので止め。
別にそこまで興奮しなくてもいいと思うけどね。同じ話を蒸し返してるだけだよ。
>たとえばどんな? 勉強したいので教科書から引用してみてもらえる?
手間なのでWikipediaでも見てくればいいんじゃないかな。
というか簡単な話。寿命が無限なら病院や製薬メーカーはいらないし、食料がいつでも好きな時に
無限に入手可能なら農家や食品産業はいらない。鉱物資源が無限であれば、または労働力が無限で
あれば、いくらでもタダで製品を作ることが出来る。経営や経済なんて物を考える必要は無い。
学問以前のこの世の現実だよ。ドグマというのは、だから不適切かもね。悪い。
>それと、「(君が表現するところの)トリアージ的切捨て以外の方策が経営学上は許されない」という君の主張となんの関係が?
許さないって書いたっけ?そちらに「許されない」と論証する義務があるとは書いたけど。
それはいいとして、要はトリアージ的な方策がむしろ「かわいそう」を減らすのに有効という話だよ。
呪術医療の段階であればトリアージ以前に選択肢がそもそも存在しない。簡単簡単。
>つまり、利益の最大化以外の選択肢は経営学にはない、といいたいと理解していいか?
「利益」や「目的」を定義する必要があるけどね。現代どころか当時でもナチスのユダヤ人虐殺は戦争という、
目的からして効率的とは言えなかったらしいので。戦争が激化するほど虐殺のペースは上がって行ったとか。
>話を逸らさないで欲しいなあ。君の経営学では、この百貨店を潰さない、という前提での出題はありえないという理解でいいか?
別に逸らしてないよ。セミナーに招いた人は行政関係の人じゃないからね。
場違いな話をするのは非効率で無意味。初学者にとっても適当ではない。
>俺はhokusyuじゃねえもの。当たり前すぎてhokusyuは言ってないようだが。
じゃあどうでもいいや。何で絡んでんの?
>なんともブンガク的な表現だが具体的に何を指してるのかまったく分からないよねえ。
てにおはおかしいよね。まあHALTANさんのエントリへのブコメの数々を読めば、
「あたまがわるい」のでもない限り、こちらの伝えたい内容は実感出来るはずだよ。
>ごめん、すべて読んでも、君がアホというサンプルにしかなってないようなんだが?
でもその割りに半日ぐらい反論ないからさ。話してたのは君以外の人にも何だけど、何でだろうね。
たとえばどんな? 勉強したいので教科書から引用してみてもらえる?
好き嫌いの問題じゃないよ。ラッダイト運動の時点で、あるいは近代医療が呪術的医療を駆逐する以前の段階で、生産性が停滞していたらと考えればわかりやすい。
それと、「(君が表現するところの)トリアージ的切捨て以外の方策が経営学上は許されない」という君の主張となんの関係が?
返答は上と同じ。
つまり、利益の最大化以外の選択肢は経営学にはない、といいたいと理解していいか?
主体の問題を忘れている。百貨店の立場で考える場合は勿論経営学の問題だけど、その百貨店は
できれば他業種から顧客を奪いたいと考える。どう転んでも誰かが「かわいそう」になる事態は避けられない。
話を逸らさないで欲しいなあ。君の経営学では、この百貨店を潰さない、という前提での出題はありえないという理解でいいか?
でもそれってhokusyuさんのエントリからは出てこない話だよね。
俺はhokusyuじゃねえもの。当たり前すぎてhokusyuは言ってないようだが。
あれは衒学的な虚栄で内輪で相槌打って罵倒ごっこを繰り広げるという見苦しい、
どちらかというとトリアージの例示という行為なんかより、よほど醜くおぞましい
生態への(成功はしていないが)エクスキューズでしかないよね。
なんともブンガク的な表現だが具体的に何を指してるのかまったく分からないよねえ。
誰も論証してない、というか過去の駄記事の山を漁れば、似たような論理で
ごめん、すべて読んでも、君がアホというサンプルにしかなってないようなんだが?
>やっぱドグマ的だね。
教科書レベルの話だからドグマには違いないね。なので異論の余地はないよ。
>お前がそういう世界観を好いてるだけなんじゃね?
好き嫌いの問題じゃないよ。ラッダイト運動の時点で、あるいは近代医療が
呪術的医療を駆逐する以前の段階で、生産性が停滞していたらと考えればわかりやすい。
>利益の最大化だけを単一目的にしても悲惨極まりないのは目に見えてるがな。
返答は上と同じ。
>「あの時代遅れの百貨店をつぶさないという前提で最善の経営戦略を」という出題はありうるし
主体の問題を忘れている。百貨店の立場で考える場合は勿論経営学の問題だけど、その百貨店は
できれば他業種から顧客を奪いたいと考える。どう転んでも誰かが「かわいそう」になる事態は避けられない。
もし一切合切を避けようとするのであれば、それは百貨店ではなく政治や行政の問題。
>これを認めさせるのになんでこんだけのテキストを尽くさなきゃいけないんだろうなあ。
でもそれってhokusyuさんのエントリからは出てこない話だよね。
あれは衒学的な虚栄で内輪で相槌打って罵倒ごっこを繰り広げるという見苦しい、
どちらかというとトリアージの例示という行為なんかより、よほど醜くおぞましい
生態への(成功はしていないが)エクスキューズでしかないよね。
誰も論証してない、というか過去の駄記事の山を漁れば、似たような論理で
早い話、オールオアナッシング思考って、よく考えたら余り合理的じゃないよね。何か迷信じみた思いこみだよね。で、どうして迷信じみた思いこみに陥るかというと、現実が見えてなくて怖いからだよね。おおざっぱに言って、科学が発展すると呪術が廃れるのはだいたいわかるでしょ。
うおおおっ、そうなんだ、俺自分でも分かってるんだよ、要領悪い考え方だって。本当は変えた方がいいんだよな。これでも4月からこういうことを繰り返してきたから、ちょっとずつ変わってるつもりなんだけど、また今やらかした。結構ノってたのに…
確かに、怖いからだと思う。結構レベル高いトコ狙ってんだけどさ、だから余計に、「もっと勉強しなきゃいけない。完璧に」「俺の頭じゃ、人並み以上にやらなきゃ」って思いこんでて、(実際そうなのかもしれないんだけど)だから普通にやれただけだと、「こんなんじゃダメだ」とか思っちゃって、結構無理な計画とか立てちゃうんだよ……でも、ノってるときは、結構できるんだけど、突然の用事(今回は、ばーちゃん家行くことだった…ばーちゃん家はいいんだけど、親戚皆集まるから、勉強用具もってっても絶対勉強できないんだよなぁあああ…)はいってきて、計画倒れすると、もうダメで。「ああ、遅れてる。やらなきゃ」って思うんだけど、もともと自分のキャパギリギリの計画立ててるから、一気に「遅れた二日分」とか着たりすると、全然間に合わなくて、それでいやになっちゃって、こうしてネットにちょっと逃げちゃったりする。そうすると当たり前だけど余計遅れる、の最初書いたとおりの無限ループでさ…本当いやになる。4月にもこういうことがあって、その時は、「合格体験記」とか読みまくって、なんとか立て直したけどまたなった。成長してなさすぎワロス……でも一つだけ成長してるとするなら、前回よりブランク期間が短くはなったってことか……前回は二週間もそれで鬱々してた。
で、勉強法だけど。
受験勉強ってのは、「勉強すること自体」が目的になってるからもう少し違う。これを勉強することによって「勉強」の中身自体から何が得られるか、という行き先が曖昧だからね。必然的にモチベーションは保ちにくい。
だからここは、本当にゲームだと思ってしまった方がいいね。RPGでいうなら、やり込みをするんでなく、効率よくラスボスを倒す方法を考えてしまった方がいい。まずは自分の現時点での能力を把握して、攻略本を読んで必要なアイテムやレベルを逆算して、それを効率よく収集する方法を考えるんだね。
逆説的だけど、意地でも長い時間机に向かおうと考えるより、勉強を効率よく終わらせて、余った時間で何をするかを考えた方がかえって有益かもしれないね。
ま、さしあたりは目の前にある課題を片付けることだね。ある程度のノルマをこなせばボーナスとして遊んでよいという風に決めてはどうかな。そうやって少しずつやっていけば、そのうち道は開けてるよ。
あぁーマジいい言葉だわ
だよね本当だよね
あぁー、ふう。
頑張るわ……マジで。
本当は、勉強してる時より、勉強してない時の方が、精神的にキツいんだよ(ならなんでしないんだよって話なんだけど、それは手つけてない期間を認識するのが怖いからなんだよね……)。
寧ろ、勉強してるときは、目標に近づいていってる感があるから、そんなに、キツくない。
それに、勉強そのものは、案外、嫌いじゃない。
勉強してない時の方がジワジワくる…一過性の快楽は得られるけど、常に真っ黒いなにかがうずくまってて、心から楽しめないんだ、ネットだって。「こんなことしててどうする、勉強しないともっとやっていない期間が延びるぞ」って、やっぱりそういう気持ちがあって。それを振り払うためにまたネットやっちゃったりして、もうマジでバカなんだけど。
いっそ勉強やってると、寧ろ気が楽になるんだけど……本当今勉強に手をつけると、ここんとこほとんど手をつけていなかった現実、それらをリカバリーしなきゃいけない現実に目がいっちゃってうぅうううああぁぁ…
親や友達に言っても「いいからうだうだ言ってないでやれ!」(それはまあ正論なんだけど)って言われそうで愚痴れなくて、一人うじってたから……今ちょっと手をつけてみたよ。とりあえず数学は思ったよりは覚えてて安心した。英語のリスニングがさぼってた分心配だけど……うぐうぅ……
あぁあ、怖いね、怖い。怖いけどやるしかないよな。
うん腹くくれた。かなり忘れてたとしても、受験本番までその溝うめてくしかないよな。もうなりふりかまわず埋めるしかねぇ。オールオアナッシンとかカッコイイこといってる場合じゃないな。覚えられるだけ覚えて理解できるだけ理解してくしかねえな。うん。よし。よし!
あー、受験生さんか。すまん。卒論生や大学院生以降の人を対象にコメントしてたよ。
そういうことなら、さっきの話はもうちょっと先に行きすぎてたので忘れて欲しい。「研究したいことがあるのに必要な知識を身につけるためにはどうしたらいいか」というようなつもりで書いてたんだ。
オールオアナッシング思考が若干あるみたいで、一度計画倒れするとほんと俺ダメなんだホント弱い。
やってるときは結構集中してんだけど…
いや、それ、結構真理に近いところを突いてると思うよ。勉強することの本当の目的は、知識を身につけることではなく、自分を含めた物事を客観的に見定めるための手がかりを得ることだからね。
早い話、オールオアナッシング思考って、よく考えたら余り合理的じゃないよね。何か迷信じみた思いこみだよね。で、どうして迷信じみた思いこみに陥るかというと、現実が見えてなくて怖いからだよね。おおざっぱに言って、科学が発展すると呪術が廃れるのはだいたいわかるでしょ。
知識を増やすということは、「本当のこと」を知るということだ。ある学問分野を知るということは、新しいものの考え方に触れるということだ。そして、「本当のこと」を出発点にして、自分の頭でいろんな方法を使って考えていくと、自分が当たり前だと思っていたことのかなり多くは根拠のない「思いこみ」だということに気づくはず。その思いこみを自ら捨て去る勇気を持つことこそが、勉強の最大の効能なんじゃないかな。俺はそう思ってるよ。
で、勉強法だけど。
受験勉強ってのは、「勉強すること自体」が目的になってるからもう少し違う。これを勉強することによって「勉強」の中身自体から何が得られるか、という行き先が曖昧だからね。必然的にモチベーションは保ちにくい。
だからここは、本当にゲームだと思ってしまった方がいいね。RPGでいうなら、やり込みをするんでなく、効率よくラスボスを倒す方法を考えてしまった方がいい。まずは自分の現時点での能力を把握して、攻略本を読んで必要なアイテムやレベルを逆算して、それを効率よく収集する方法を考えるんだね。
逆説的だけど、意地でも長い時間机に向かおうと考えるより、勉強を効率よく終わらせて、余った時間で何をするかを考えた方がかえって有益かもしれないね。
ま、さしあたりは目の前にある課題を片付けることだね。ある程度のノルマをこなせばボーナスとして遊んでよいという風に決めてはどうかな。そうやって少しずつやっていけば、そのうち道は開けてるよ。
所詮大学入試なんて、どこの大学であっても高校の教科書がまともに理解できてれば(他人に何も見ずに説明できるくらい)余裕だからね。逆に言えば、その程度のことが実は結構難しいのだということを実感できれば十分だ。
夏休みは暑さもあってしんどい時期だろうから、地道に少しずつがんばりたまえ。
ネット上で表現活動を行っていると、社会的通念上、好ましく無い表現を使う場面が出てくることがある。
そうした時、どの表現が不適切であり、それに対しどのような対応を取ることが望ましいかを考えておくと、
いずれ自分が起業した時に役立つかもしんない。
本物の人間に直接できないようなことを、人間に見立てた物や、人間を現す物に対して代理的に行う行為がある。
例えば、わら人形に釘を刺したり、写真を切り刻んだりする行為がこれに当たる。
直接的には当人に害悪を与えないため、それらの行為を行ったことで社会的地位が崩壊する危険性は少ないと言えるが、
行為をしていることが周囲に知られた場合、ちょっと引かれることはあるかもしれない。
ヒソヒソ「あの人、毎晩白装束きて、山の中へ入って行くんだってー」
ヒソヒソ「えー、うっそーしんじらんなーい!サイアクー(笑)」
呪術的、暴力的、性的。様々な目的で、人間に見立てられたものに対して思いをぶちまける。
ストレスがたまった時に殴るサンドバックは、殴ってる本人からすれば人間に見えているかもしれない。
「誰にも迷惑をかけていないのだから、放っておけ」という主張はしごく真っ当なもので、実際には誰にも迷惑をかけていない。
それで正常な社会生活を維持できるのなら、社会的にも容認すべきであるとも私は考える。
でも、当人の目が届くところで写真が燃やされたり、切り刻まれたりしたのなら話は別である。
当人を傷つけるような表現を直接伝えていることになる。
要は、知られるべきでない人物に知られないようにする工夫が必要なのである。
通常は、時と場所をわきまえるだけで、それは十分に達成される。
診断する「権威」がなければ正統なものではないという考え方は文字通り「権威主義」じゃないかな。第一それに、「なんちゃってメンヘラ」も実際に「うつ病」の診断書をもらえてしまうんですよ。つまり、精神医学ってのは発達途上の学問なわけで、「セキュリティホール」がまだまだ沢山あって、そこを突いてきたのが「なんちゃってメンヘラ」なわけです。
で、精神医学の権威ってのも、つい百年前にはいなかったわけですよ。フロイトにしたって今からみればかなり怪しげなことを沢山言っている。いや、精神医学に限らない。ニュートンだって錬金術師でした。そういう風に、正統性が与えられている「権威」というものは、そういう半分呪術のようなところからの長年の積み重ねによってはじめて生まれてくるものです。だから、非モテが「権威」づけられていないのは仕方のない話だし、歴史が極めて浅い非モテ論は必然的に怪しげなものになる。確かに非モテの側にその辺の認識が足りてるかというと不十分だと言わざるを得ないのはその通りだけれどね。
ただし、あなたの言っている「真の非モテ」というのは「誰が見ても非モテ」という、極めて狭義の非モテの話じゃないかな。メンヘラーの例で言うなら、統合失調症や躁鬱病の重症患者に相当する。でも、それ以外にメンヘラーが存在しないかと言えばそんなことはないわけで、むしろそれ以外はメンヘラーではないと言い切ってしまえば、それは単なる戸塚ヨットスクール主義になってしまう。逆に、非モテは全て発達障害とか人格障害だとか言ってしまうと、某umetenのような電波ブロガーになってしまう。
何事によらず、確立された方法論が存在しない分野における真実ってのは、グレーゾーンの中のどこかに存在するものだと思うよ。もちろん、それが限りなく白に近かったり限りなく黒に近かったりすることはあり得る。しかし、100%の白とか100%の黒ってことがないことだけは確かだろう。
それがいつの間にやら、「自分には何だってできる」、「自分が変われば、世界が変わる」みたいな呪術的思考を指すようになってしまっている。これがポジティブ教っていうことだと思う。
これは同意。自己改革セミナーに踊らされたやつって、ポジティブというキーワードに酔って何も考えていなかったんだろ。
だけど俺としては最近はポジティブシンキングですら叩く病的なやつらの方が目について仕方ない。「頑張れば良くなる」という記事にやたら噛みつくが、実際には「頑張らないと決して良くならない」という現実から目を背けたいだけじゃないかと。汗を流す事を嫌って何かにしがみつく点で自己改革セミナーに踊らされたやつと変わらない。
何か悲痛に見えるんだよな。
いみじくも赤の女王が言ったように今の日本は「その場に止まりつづけたいなら全力で走るしかない」のさ。一生競争にさらされるし、一生努力と勉強が必要だぜ。早く受け入れろよ。
>「また失敗したらどうしよう」、「みんなの足を引っ張るくらいなら何もやらないほうがいい」、「自分は何もできない、生きてる価値がない」
まさにデプレッションの典型w まんまだなあ。
>「自分には何だってできる」、「自分が変われば、世界が変わる」みたいな呪術的思考を指すようになってしまっている。これがポジティブ教っていうことだと思う。
これ、確かオノヨーコが言ってた。「あなたにはできないことは何もないのよ」とショーンを育てたらしい。限界のない子に育ってほしかったからって。アメリカの、あの世代の特徴なのかもしれない。だけど
「でもママ、どんなに頑張ってもパパを生き返らせることはできなかったじゃないか」
といわれたときは、ほんとに辛かった、と言ってた。
>「自分が変われば、世界観が変わる」
というよりは、自分が自分であることを確信するということじゃないかな。
欠点は誰にでもあるし、どうしても直してもらいたい、という人もいる。傷つける人もいる。償いはする。努力もする。でもどうしてもできない、納得できない、あるいは短期間にできないのであれば、それを受け入れるしかない。とても、悲しいのだけど。
>「自分を大切にできる」感情
ちょいずれるが、ポジティブ教を批判しているid:y_arimやid:hokusyuがネガティブ・シンキングというわけではないんだよな。
あの人たちはあの人たちで、自分の意見に自信を持っている。
ポジティブ・シンキングって、本来「また失敗したらどうしよう」、「みんなの足を引っ張るくらいなら何もやらないほうがいい」、「自分は何もできない、生きてる価値がない」なんて思い込みやすいネガティブ・シンキングに対して、「自分を大切にできる」感情を作り上げていく方法だと思うんだよね。
それがいつの間にやら、「自分には何だってできる」、「自分が変われば、世界が変わる」みたいな呪術的思考を指すようになってしまっている。これがポジティブ教っていうことだと思う。
こんばんは、列島深層ダイヴ深夜便のお時間です。これからの15分、いつものようにグイグイと深層に迫ってまいりましょう。
本日のゲストは宗教や伝統儀式にもお詳しいクリエイターの籠目さんです。
「どうも、ディビット籠目です。よろしくお願いします」
よろしくお願いします。
まず、もうイヴも終わりましてクリスマスに突入したわけですが、日本のクリスマスのあり方について籠目さんはどう思われますか。
「たいへんおそろしいですね。ただならぬ束縛と閉塞感を感じます」
おそろしい、ですか?なげかわしいとか情けないといった定番の苦言ではなくて?
「ええ、おそろしいです」
それは今年特に顕著な、何か変化があったということでしょうか。
「いえ、特に恐ろしいことになってきたのはここ30年から40年くらいのことですね」
日本が戦後豊かになってきたあたりでしょうか。クリスマスの商業化などと関係ございますでしょうか?
「深い関係があります。商業化されたクリスマスにのることで、日本国民はそれと知らずに極めて稀有で大規模なことを団結して実践しており、それによって困ったことがおこっているのです」
困ったこと、とはなんでしょうか。
「その前にこの映像をご覧下さい」
クリスマスー粉砕ー!
清らかな夜を淫らな夜に置き換えているカップル共に鉄槌をー!
これはなんでしょうか。
「24日の正午に秋葉原で行われたクリスマス粉砕デモの映像です。本人たちは冗談で行っているつもりなのですが、じつはこれは非常にポイントを突いた主張になっているのです」
笑い混じりでしたし、そんなに真面目なものでもなさそうですが。
「いえ、この主張が訴えている2つのポイントは非常に重要なんです。古来、呪術儀式において性というものは重要な構成要素として扱われてきました」
まあたしかに、有名なところでインドや中国にもそのような思想はありますね。日本の新興宗教でもしばしば儀式に取り入れられて現代的な価値観との衝突を起こしています。
「また、クリスマスは商業化され金や性と切り離せないものになりつつも、キリスト教由来であるという認識はどの日本人の中にも存在しています。この認知は重要なのです」
クリスマスは実は聖書に由来していなくて、太陽神信仰が源流だという話もありますが、ほとんどの日本人は本来はキリスト教のものだと考えているのは確かですね。
「つぎに、この映像を見てください」
なんだか黒い中に光の点がたくさんありますが、これは星空…でしょうか?
「いえ、今現在のアジアを日本を中心に撮影した衛星画像です。ここが東京でここが大阪ですね。」
宇宙から見たクリスマスイルミネーションといったところでしょうか。
「確かに穏当に表現するならそうでしょう。しかし、先月の同じような時間帯との写真と比較してみてください」
これは…現在の方の写真には洋上にかなりの点が増えていて線のようになっているところが違っていますね。
「これ、漁船、海上保安庁の船、海上自衛隊の船からなる光点なんです。ちょっとフリップの上で線を引かせてもらいますね」
幾何学模様の中にくねくねした輪郭が連続していますね。昔の漢字、象形文字のようなものでしょうか。
「これは文字そのものです。陣の中に文字を書き、その陣の要所で大規模な性的儀式を行わせることで実践される、これは世界最大規模の呪術なのです!」
じゅ、呪術?
「クリスマスを『恋愛の要素』として積極的な商業化を行い、しかもキリスト教という観念とリンクさせたまま行うことで、ごく自然に性を取り入れた大規模呪術儀式をとりおこなわせる。これが日本のクリスマスの恐るべき真実なのですっ!」
そ、その呪術とやらが本当だとして、目的はなんですか?最初におっしゃっていた「困ったこと」とは結局なんですか?
「目的は一神教の神格の多神教への繰り込みです。毎年のこの儀式によって世界の唯一の神であるはずの『父』が多神教のうちの1柱に取り込まれてしまい、他の神々という概念の消滅への最終進歩が年々逆行の一途をたどってしまっているのです。『父』による単独の支配、神の国がこのままでは訪れない!なんということだ!」
うわ?照明が消えましたね?
「文部科学省陰陽課だ!今すぐその放送を停止しろ!」「馬鹿!名乗ってどうすんだ!あとで始末書もんだぞお前!」
誰ですかあなた方?警察?
「禁ッ」「籠目!今度こそ捕まえたぞ!」「うわははは今日はここまでのようだな陰陽寮の諸君!」
皆さんご覧になりましたか、籠目さんが今、まばゆく光って消滅しました!
「ずらかるぞ安部!」「名前を言うな馬鹿!」
あ、国家権力の皆さんもいなくなりました。すみません照明つきますか?あ、はい、ありがとうございます。
視聴者の皆様申し訳ございません、毎度のことながら今日もゲストが暴走してしまいました。しかも逃走されるわ国家権力らしき方々が踏み込んでくるわでお見苦しいところをお見せいたしましたこと、お詫び申し上げます。
さて、来週も列島深層ダイヴ深夜便は深く深く、真偽を問わず面白いことが起こりそうなところへ潜ってまいりたいとおもいます。それではみなさん、ごきげんよう。